│令和5年度│2月1月│12月│11月│10月│9月│8月│7月│6月│5月│4月│
間もなく2月、心なしか日々温かくなってきているように感じます。梅の木を見ると蕾を膨らませていました。梅は寒さの後、湿気が多く気温が暖かくなると花を咲かせます。室内用の梅も霜に数回あわせた後、暖かい室内に置き、蕾に充分に湿度を与えると咲いてくれます。厳しい寒さに耐えて、桜よりも早く春先に凛として咲き誇る梅花の開花が楽しみです。「梅は寒苦を経て 清香を放つ」
2月3日は「節分」で、幼稚園では前日の2日に「節分会・豆まき」を行いますが、『古事記』などの日本の神話によると、新しい歳には、身の不浄や罪悪・苦厄を祓うために身に着けていた衣服を捨てるという風俗が、古くから日本にあったようです。これが「節分の厄払い」の風俗と結びついて、節分の日に自分の衣服を街路に棄てることで厄を祓ったようです。さらに、こうして捨てた衣服が乞食者への施しとなることから、やがて、自分の年齢の数の銭を包んで路地に落とすことにもなりました。かつて、天皇は御年の数だけの豆と鳥目〔ちょうもく=銭〕とを包んだものを撫物〔なでもの=厄払いのために身の厄を移して捨てるもの〕を、勾当内侍〔こうとうのないし〕に渡ぢ、勾当内侍は後を顧みないようにしながらこれを持って退くと記載があります。このあたりが年齢の数だけ豆を食べるという風俗に繋がったそうです。(なお、「勾当内侍」とは掌侍〔ないしのじょう=内侍の三等官〕の首位で、「長橋局」などとも呼ばれ、奏請や伝宣を司った女官のことです。)また、「節分」に清めのそばを食べ、晴々しく「立春」を迎えるところもあります。これを「節分そば」と言うそうで、地域によっては、「節分そば」を「年越しそば」といい、「大晦日そば」と区別しているようです。
節分に「恵方巻き」を食べる習慣が全国的に広まりすっかり定着しました。この恵方巻の起源は、江戸時代末期から明治時代初期にかけて、大阪・船場の商人による商売繁盛の祈願事として始まったといわれます。当時使われていた旧暦では、立春の前日の「節分の日」は大晦日にあたり、前年の災いを払うための厄落しで、年越しの行事として行われていました。また豊臣秀吉の家臣・堀尾吉晴が、偶々節分の前日に巻き寿司のような物を食べて出陣し、戦いに大勝利を収めたという故事を元にしているという説もあります。その他にも恵方巻の発祥地の候補には、和歌山(紀州)、滋賀(近江)等がありますが、いずれも確かなものではないようです。いよいよ節分を迎えますが、今年の恵方は「東北東」ですので、東北東を向いて恵方巻を頂きましょう。
今年も「春香うど」を頂きました。“那須の春香うど”というブランド名で販売されている那須地方のうど。この品種は、生でも食せるほどの柔らかさとシャキシャキとした食感が特徴で、うど独特の香りも強く、豊かな風味が楽しめます。JAなすの管内(大田原市・那須塩原市・那須町)は全国でもトップクラスのうどの生産量を誇る産地で、12月から収穫が始まり、4月ぐらいまで出荷され、「春香うど」はそのブランド「うど」です。栃木県産の「うど」は独特の香りが特徴で、灰汁が少なく食べやすいのが特徴!芳醇な香りの春告げ野菜、那須の大地から春の贈り物です。
大寒(1月20日)を過ぎ、2月2日は節分で、3日の「立春」は間近となり、暦の上では春に向かい、春が近いことを感じます。寒中にあって、まだ吹く風は冷たいですが、そこかしこで梅の花が蕾を大きくして少し咲きだしています。また、福寿草の黄色の花が太陽に向かって咲いている姿に、春の訪れの近いことを視覚にも感じられ、春は近しです。しかし、寒中にあってコロナやインフルエンザのほかに、胃腸炎の罹患者も多くまだまだ心配ですので、健康に留意し、健やかに過ごされることを願います。
ひかり幼稚園では、年中児(星組)の子どもたちが「コマ屋やさん」や「剣・ステッキ屋さん」を開いて、年少児(花組・さくら組)の子どもたちを招いて楽しみました。3学期になり来年度は年長児になる期待感を持って、年長児のお兄さんやお姉さんが自分たちにしてくれたお世話を行っていました。年中児(星組)の子どもたちの成長を感じます。
本日、第二ひかり幼稚園では「PTA理事会」を開催し、年度末までの行事について協議し、今年度最後の理事会ですので参加した理事の皆様より一言づつお言葉を頂きました。今年度の卒園式は3月16日(土)を予定しており、卒園に向けて卒園アルバムの制作や行事日程の調整など日々あわただしく進んでいます。卒園までの登園日数
も40日を切りました。一日一日をかけがえのない日々と受け止めて大切に過ごしてまいります。
この時期よく今年の「恵方(えほう・あきのかた)」を尋ねられます。「歳徳神(としとくじん)」は方位神の一つで、その年の福徳を司る吉神です。その歳徳神の在する方位を「恵方(えほう、吉方、兄方)」、または「明の方(あきのかた)」と言い、その方角に向かって事を行えば、万事に吉とされます。本命星と恵方が同一になった場合は特に大吉となりますが、金神などの凶神が一緒にいる場合は凶方位になります。かつては、初詣は自宅から見て「恵方」の方角の寺社に参る習慣があり、これを「恵方詣り」と言いました。今年の歳神様は「東北東」にいらっしゃるということですね。歳神様のいらっしゃる方向に向かって事を行えば、何事も順調に進むといわれています。
天気予報では今夜から「冬将軍」がやってきて厳しい寒さとなるとのことです。しばらくは厳冬の寒さに凍えそうです。
「冬将軍」とは、モスクワを攻めたナポレオンが厳寒に勝てず敗走したことから寒気の厳しさを擬人化していう語で、その冬将軍が大暴れして、北陸を中心に大雪が降り、厳しい寒さが続くとのことです。
しかし、来週には2月を迎えて立春(2月4日)となります。冬の寒さももう少し、ほどなく春の足音が聞こえてくることでしょう。
「冬将軍」とは、モスクワを攻めたナポレオンが厳寒に勝てず敗走したことから寒気の厳しさを擬人化していう語で、その冬将軍が大暴れして、北陸を中心に大雪が降り、厳しい寒さが続くとのことです。
しかし、来週には2月を迎えて立春(2月4日)となります。冬の寒さももう少し、ほどなく春の足音が聞こえてくることでしょう。
第二ひかり幼稚園では本日の午前中、年長児(月組3クラス)の子どもたちが「1月座禅会」を修行しました。毎月開催されている座禅会ですが、1月になり一層安定して充実しています。一人ひとりが主体的に取り組む姿が見られ、4月から就学して小学校に行っても物事に主体的に取り組んで欲しいと願います。4月から比べて大きく逞しく成長している姿はとても嬉しく感じます。
厳しい寒さが続きますが、昨日は寒の底「大寒」でした。でも、寒中にあって、厳しい寒さの中でも子どもたちの元気な姿には大いに励まされます。イギリスのロマン派の詩人シェリーの詩の一節で、「If winter comes, can spring far behind」と謳い、英文学者であり、翻訳家・評論家としても活躍した上田敏は「冬来たりなば、春遠からじ」と翻訳しました。「冬が来たならば、春も遠くはない……」、つらい時期(冬)を耐え抜けば、幸せな時(春)がやがて来るということのたとえですが、漢文では、「冬来春不遠」。中国ではこの前に秋をつけて「秋去、冬来春不遠」(秋去り、冬来たりなば春遠からじ)という形で使われることが多いようです。間もなく立春(2月4日)を迎え、春がやってきます。
今日、1月20日は「大寒」。『暦便覧』では「冷ゆることの至りて甚だしきときなれば也」と説明していて、寒さが1年のうちで最も厳しくなるころです。遥かに見える那須の山々も、厳寒に氷ついて見えます。「大寒の朝の水は1年間腐らない」と云われ、元気のエネルギーに満ちた活力水で、容器などに入れて納戸に保管する家庭が多いそうです。「大寒」が暦の上では寒さのピークですから、これから寒も緩んで、春に向かうことになります。活力の湧く「大寒水」を飲んで、活力を漲らせ、みんなが寒さに負けず元気に過ごして欲しいと願います。
明日1月20日は二十四節気の一つ「大寒」です。このころ、寒さが1年のうちで最も厳しいと言われますが、昔から「大寒生れの卵は滋養に富んでいるので、食べると健康に暮らせる」と言われています。「大寒」中には、「鶏始乳」という鳥が卵を抱き始める時候が有り、その頃の卵は「生気に満ち溢れている」と考えられ人気が有ります。最近人気の風水でも、「大寒の日の卵を食べると、金運が上昇する」と言われており、大寒生まれの卵は人気急上昇です。卵を食べて、健康で、運気も上がり、寒さの中でも元気に過ごしたいものです。
本日、第二ひかり幼稚園では、「キッズ・ハピネスプロジェクト」の企画でミニコンサートを開催しました。MCはDJ-keiの菊池元男さんがつとめ、県内で活動する姉妹アイドルの「ラビィンズ」がとても素晴らしい歌とダンスを披露してくれました。40分ほどのコンサートでしたがアンコールも行ってくれて、子どもたちは歓声を上げて楽しく興じていました。
昨日は雪が降り終日凍える寒さでした、そして今日も寒中の厳しい寒さの一日です。「寒中」は、小寒から大寒が明ける立春くらいまでの1か月間で、例年1月6日ごろから2月3日までの期間です。となると、まだまだ厳しい寒さは続いていきます。しっかりと寒さ対策をして、十分な睡眠と栄養補給を行って元気に寒中を過ごしていきましょう。そして天気の日には戸外で身体を動かすことも大切です。
本日、第二ひかり幼稚園では「1月誕生会」を開催しました。寒中でしたが、園内は元気な子どもたちの歓声であふれ、楽しく明るい「誕生会」となりました。また、楽
しみな誕生会メニューの給食は、「五目寿司、ひっつみ汁、サーモンフライ、ホウレン草のナムルサラダ、デザート(アセロラミルク)」で、美味しく楽しくいただきま
した。
本日、ひかり幼稚園の年長児(月組3クラス)の子どもたちは「1月座禅会」をホールで修行しました。4月から行っている「月例座禅会」は回を追って安定し、今日も
充実しています。今回の座禅会でも各自が自覚して取り組む姿が確認出来ました。3月の卒園まで残り2回となりまた。来月もしっかりと取り組んで参ります。
明日1月15日には、「小正月(こしょうがつ)」を迎えます。元日の「大正月」に対して言うもので、「女正月」、「十五日正月」などとも言います。「女正月」の呼称は、女性は正月中とても忙しくて、ようやくほっと一息ついたり年始回りを始めたりできるようになるのが、この15日頃だという事なのだそうです。古来民間では、この「小正月」が本来の年越しであったということで、郷土色豊かな行事や、しきたりが、一年の中でもっとも多い日になっています。最近はあまり見かけなくなりましたが、餅花、繭玉といって、柳や水木の枝に餅を花のように付けたものを、米や繭の豊作を祈って座敷に飾ったり、また、削り花、削り掛けといって、竹柳の枝先をササラ状にして、稲の穂垂れの様子をかたどった物を、門前や家の中に吊るしたりします。
1月15日(陰暦正月15日の称)は三元の一つ、「上元(じょうげん)」です。7月15日を中元、10月15日を下元といいます。上元(1/5)、中元(7/15)、下元(10/15)、この三つを合わせて「三元」と言い、中国伝来の暦法では「年の折り目の日」とされた日で、道教の祭日でした。これら季節の節目には贈り物をするという習慣がありましたが、現在ではお中元という夏の贈り物だけが残っています。もともとはお上元やお下元という習慣のもあったそうです。そして、この日に「小豆粥」を食べるとその一年中の疫病が避けられると言われていますので、是非試してみて下さい。
明日13日や14日には、あちらこちらで「どんと焼き」が行われるようです。「どんと焼き」は、「さいとやき」とも言われ、野外で門松・竹・注連縄(しめなわ)など新年の飾り物を集めて燃やす行事で、参加された方も多いことでしょう。「どんと焼き」の火で焼いた餅や団子を食べるとその年、病気をしないで健康に過ごせるとか、書き初めの紙をこの火にかざして高く舞い上がると書道が上達するといいわれます。街中では観ることも少ないでしょうが、郊外の田んぼでは、未だに方々で見かけることが出来ます。こうした行事に参加することは、子どもたちにとっては大きな楽しみでしょうから、是非参加してみましょう。
「黒こげの 餅見失ふ どんとかな」(犀星)
「黒こげの 餅見失ふ どんとかな」(犀星)
1月11日は「鏡開き(かがみびらき)」です。お餅は、少しでもやわらかいうちに食べたいですが、お正月は年神様をお迎えする行事であり、その年神様の依り代となるのが鏡餅ですから、年神様がいらっしゃる間は食べてはいけません。そのため年神様がいらっしゃる松の内(1月1日〜1月7日。関西など15日までとする地方もあります。また、昔は二十日正月といって、20日に鏡開きを行っていたのですが、徳川三代将軍・徳川家光が慶安4年4月20日に亡くなったため、月命日の20日を避けて11日になったと言われています。鏡餅は単なるお供え物というよりも、年神様が宿るところだと考えられているので、鏡餅を開くことで年神様をお送りするという意味もあります。また、年神様の力が宿った鏡餅をいただくことでその力を授けてもらい、1年の一家一族の無病息災を願います。鏡餅は、供えて、おろし、開いて食べてこそ意義があるのです。ですから、小さなかけらも残さず食べてください。もともと武家から始まった行事なので、刃物で切るのは切腹を連想させるため、包丁などの刃物で切るのは禁物で、手で割り砕くか、槌(つち)で開くようになりました。また、「割る」という表現も縁起が悪いので、末広がりを意味する「開く」を使うようになり、「鏡開き」になったのです。
第二ひかり幼稚園では本日「新年会」を開催しました。園児が体育館に集まり、新年の賀詞を述べました。その後、教職員による「十二支の物語」の寸劇を行い、楽しく
過ごしました。そして給食は新年会特別メニューで「ご飯、湯葉の味噌汁、唐揚げ、和風サラダ、デザート(富士山ゼリー)」を美味しくいただきました。
今日から冬休みが明けて3学期の「始業」となりました。冬休み中、子どもたちが健康にそして安全に過ごしていたのか教職員一同、心配していましたが、元気に登園してくる大多数の子どもたちを見て安心しました。先週までは例年より暖かな日々が続いていましたが、今週からこの時期らしい寒さが戻ってきています。暖かくして十分な睡眠に心がけましょう。
今日は1月の第2月曜日、「成人の日」で、成年(満20歳)になった青年男女を祝い励ます祝日です。もとは1月15日でしたが、2000年(平成12年)に「ハッピーマンデー」が施行され「成人の日」が1月の第2月曜日になりました。ちなみに、「体育の日」も同じ2000年に施行され10月の第二月曜日になり、2003年(平成15年)には「海の日」と「敬老の日」もハッピーマンデーが施行されています。
正月7日で、今日は「七草がゆ」を頂いた家庭も多いことでしょう。「春の七草」は、「セリ、ナズナ、ゴギョウ(母子草)ハコベラ、ホトケノザ(田平子)、スズナ(かぶ)、スズシロ(大根)」の七種。この「七草がゆ」には優れた効用があります。1)「セリ」は、鉄分が多く含まれているので増血作用が期待できます。2)「ナズナ」は熱を下げる、尿の出をよくするなどの作用があります。3)「ゴギョウ」には、せきやたんを止め、尿の出をよくするなどの作用があります。4)「ハコベラ」は、タンパク質が比較的多く含まれ、ミネラルそのほかの栄養に富んでいます。5)「ホトケノザ」は、体質改善全般。6)「スズナ」には、消化不良の改善。7)「スズシロ」にも、スズナと同じく、消化不良の改善。と、正月のごちそうで疲れた胃をいたわったり、緑の少ない冬の栄養源として、ビタミンを補給する意味があります。
今日、1月6日は、「小寒」を迎えます。寒さが最も厳しくなる時期の前半で、『暦便覧』では「冬至より一陽起こる故に陰気に逆らふ故、益々冷える也」と説明していて、この日から節分(2月3日)までを「寒(かん。寒中・寒の内とも)」と言い、この日を「寒の入り」とも言います。
冬の寒さが一番厳しい時期となり、今日から寒中見舞いを出し始めます。
冬の寒さが一番厳しい時期となり、今日から寒中見舞いを出し始めます。
今朝、教職員の座禅会を修行しました。朝の厳しい寒さの中でしたが、参加した教職員一同は緊張感をもって、しっかりと自分と向き合い座禅を修行しました。座禅の後
は一年の始まりでもあるので、新年の祈祷を行い、それぞれが心に期する抱負や思いを強くしたことでしょう。3学期もしっかりと幼児期の教育・保育の重要性を認識して努め励んで参ります。
今日1月4日の花は「水仙」(すいせん)です。ヒガンバナ科の多年草で、地中海沿岸が原産。古くシルクロードを通って東アジアに渡来し、日本の暖地海岸にも広く自生化しています。その名前は、「清らかな姿と芳香が仙人のよう」なので、「水仙」と呼ばれていますが、学名の「ナルキッスス」は、この花に姿を変えたギリシャ神話の美青年「ナルキッスス」に由来していることは有名です。花言葉は「自己愛」です。自分を愛し、自己を大切にすることも大切ですが、みんなと仲良く、互いを尊重する生き方はもっと大切です。
1月3日の誕生花は、「福寿草(ふくじゅそう)」です。花言葉は「幸せを招く」です。「福寿草」は、キンポウゲ科の多年草で、アジア北部に分布し、日本の山地にも自生していて、大変に縁起のよい名称と、花の少ない時期に咲くのが珍重されて、正月用の花として広く栽培されています。新春にふさわしい花だと思います。属名はアドニスといい、ギリシャ神話に登場する美の女神・アフロディテに愛された美青年アドニスにちなんで名づけられました。貴家各位の福寿を祈念いたします。
1月2日の夜から1月3日の朝に見る夢のことを「初夢」といいますが、「初夢」は新年に見る夢で、その年の運を占います。初夢を見る日は地方によって違い、1月1日の夜から1月2日の朝に見る夢を初夢と言うところもあります。初夢で見ると縁起の良い物として、「一富士(いちふじ)、二鷹(にたか)、三茄子(さんなすび)」があり、一番に富士山の夢、二番目に鷹の出てくる夢、三番目になすびが出てくる夢を見ると縁起がよいとされています。これには色々な説がありますが、徳川家康の好きな物が、一番目に富士山、二番目に鷹狩り、三番目に初物のなすであった事から生まれた言葉だと言われています。一年の始まり正月ですから、いい夢を見たいものです。