■閑話@・その他 … 暇つぶしに読んでください・・・ |
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○「納豆の日」
7月10日は、「なっ(7)とう(10)」の語呂合わせから、1981(昭和56)年に関西納豆工業共同組合が関西地域限定の記念日として「納豆の日」と制定しました。それを、全国納豆共同組合連合会が1992(平成4)年に、改めて全国の記念日として制定し、以来7月10日は全国的に「納豆の日」とされています。
納豆は幼稚園の給食でも、頻繁に登場します。私も納豆が大好きで、毎日食べても飽きません。納豆には、血液をさらさらにする予防効果があることは、よく知られています。栄養分として、たんぱく質やビタミン、そのほかイソフラボンも含まれています。納豆にある納豆菌は、胃酸にも強く、腸内の善玉菌であるビフィズス菌の増殖を助け、健康にとっても良い効用がある健康食品です。ただ、食べすぎには注意したほうが良いようです。納豆の食べ過ぎはセレン中毒の恐れがあるそうです。納豆には100gあたり234μgのセレンが含まれている一方で、厚生省が定める1日のセレンの摂取限界の基準値は250μgなのだそうです。市販されている納豆は大体1パック50g程度なので、1日2パックまでならば健康に害は無いそうです。(セレン中毒は、呼吸困難、肝障害、消化器異常、疲労感、脱力感、倦怠感、知覚障害、脱毛、爪の異常などの症状を誘因するようです)
【20090710】
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○「七夕物語」
夜空に輝く天の川の近くに、「天の神さま」が住んでいます。神さまには一人の娘がいて、名前を、おり姫といいます。おり姫は機(はた)をおって、神さまたちの着物をつくる仕事をしていました。おり姫は年頃になったので、天の神さまは娘に、おむこさんをむかえてやろうと思いました。そして、いろいろ探して見つけたのが、天の川の岸で天のウシを飼っている、ひこぼしという若者です。ひこぼしは、とても立派な若者です。おり姫も、かがやくばかりに美しい娘です。二人は相手を一目見ただけで、好きになり、すぐに二人は結婚して、楽しい生活を送るようになりました。
でも、仲が良すぎるのも困りもので、二人は仕事を忘れて、遊んでばかりいるようになったのです。「おり姫さまが機おりをしないので、みんなの着物が古くてボロボロです。はやく新しい着物をつくるように言ってください」 「ひこぼしが世話をしないので、ウシたちが病気になってしまいました」天の神さまに、みんなが文句を言いに来るようになり、天の神さまは、すっかり怒ってしまい、「二人は天の川の、東と西に別れてくらすがよい!」と、いって、おり姫とひこぼしを別れ別れにしたのです。
でも、天の神さまは、おり姫があまりにも悲しそうにしているのを見て、こういいました。「娘や、一年に一度だけ、七月七日の夜にだけ、ひこぼしとあってもよろしい」。それから、一年に一度会える日だけを楽しみにして、おり姫は毎日、いっしょうけんめい機をおるのです。天の川の向こうのひこぼしも、その日を楽しみに、天のウシを飼う仕事にせいを出しました。そして、待ちに待った七月七日の夜、おり姫は天の川をわたって、ひこぼしのところへ会いに行きます。しかし雨が降ると天の川の水かさが増えるため、おり姫は川を渡ることが出来ません。でも大丈夫、そんなときは、どこからともなくカササギと言う鳥が飛んできて、天の川に橋をかけてくれるという事です。 |
○「七夕飾り」
七夕飾りを何故、竹(笹)の葉に飾り付けるのかご存知ですか?
「雨後(ウゴ)の竹」などという言葉があるほど、竹は成長が速く、ひたすら天上に向かって延びます。また、横へ延びず、一切わき芽(枝)が出ずに、ただただ上に伸びます。 竹(笹)は、上へ上へと延び、天の方へ一番延びる植物であるという考えから、これを見た人たちは「天にまで延びる」と表現したのでしょう。そして、「一緒に自分たちの願い事も天に届けて貰おう」と考え、一番の願い事は「短冊(たんざく)」に書き記し、願いが天に届く様にと竹(笹)に結わえます。また、神社や神道では、昔から竹(笹)が「清らかで神が好む植物」とされ、今でも地鎮祭、神葬祭などの神事では竹笹を立てる場合がありますし、正月に竹笹(角松)を立て神を迎える地方も多いです。
ところで、七夕飾りや短冊を竹(笹)に飾るのは、日本だけの風習のようです。
一方、短冊ですが、昔は7月7日の早朝に朝露を集めて墨をおろし、願い事を書く風習がありました。それが、江戸時代になると竹(笹)に短冊を飾るようになったそうです。 短冊に付いては、諸説ありますが、「竹がいつの日か天に届くから、雲に見立てた」とか、「竹自体を天に昇る龍であるとして、そのウロコに見立てた」などと説があります。
少しでも行事の意義を知りたくて、調べてみました。
(2009/07/02) |
○「茅の輪」
昨日、6月30日は、大晦日(12月31日)の半分の日に当たり、半年間の罪穢れを祓う夏越しの大祓えです。具体的には、茅草で編んだ大きな「茅の輪」をくぐり抜け、その加護で疫病や罪を祓い、健康と安寧を祈願します。これは素盞鳴尊(すさのおのみこと)にまつわる故事に由来する行事なのですが、古来より、身を清め祓つことで、災難や病気を遠のけるのです。この「茅の輪」を左回り、右回り、左回りの順で「∞」の字を描くように3回くぐり抜けて、神様に参拝します。
全超寺でも、茅草を編んで大きな輪にして、その輪をくぐって夏越しの祓いとし、無病息災を祈念しました。
「みな月のなごしの祓する人は 千年の命のぶと云ふなり」(水無月(6月)の名越(30日)の祓いを受ける人は、千年もの延命効果があるといわれている。)
(2009/0701) |
○「安居(あんご)」
梅雨時、雨が屋外での活動を制限します。ときおり太陽が顔をのぞかせたかと思うと、またどんよりした曇り空に戻ってしまいます。気温が高いうえに、空気が湿っているので、気分も晴れ晴れしません。
お釈迦様の生まれたインドにも雨の季節があります。春から夏にかけ、3か月も雨が降り続くこの雨期には、お釈迦さまたちは「雨安居(うあんご)」と言って、一ケ所に留まり修行に励みました。
「安居」「安らかに居る」という言葉には、深い味わいがあります。私たちが一生懸命活動している時は、気持ちが前に前にと向かっています。しかし、いつも前ばかり見ていたのではうまくありません。時には立ち止まって、自分のしたことを反省し、今の自分、これからの自分を考えてみることも必要です。
お釈迦さまが「安居」という修行方法を取り入れたのは、雨期という気象条件に従ったのかもしれませんが、心を落ち着けて自分を振り返ることは大きな意味があるでしょう。お釈迦さまは、自然現象の雨期を、「うっとおしい」とは考えず、自分の心を振り返る機会として受け止めました。私は毎朝、家の周りの掃き掃除をします。習慣になっていて、その時間は心静かになり、落ち着く時間です。
一日にほんのひと時でも、またこの梅雨時の室内に居ることの多い時間にゆっくり自分を見つめる時間を持ちたいものです。
(2009/06/27) |
○「「生命尊重(せいめいそんちょう)」
朝、幼稚園の庭で子供たちに、「朝顔の芽が出たから見て」と誘われて、プランターを覗くと、先日蒔いた朝顔が双葉をつけていました。
プランターには月組(年長児)一人ひとりの名前が貼られ、自分のプランターの生育状態や、周りのお友達のプランターの様子を膝をかがめて興味深く観察し、水を撒いて大切に育てています。
6月の幼稚園の徳目は「生命尊重」です。
「生きている人間や動物だけでなく、植物や身の回りのすべてに生命があることを伝えたいものです。しかし、それを子どもたちにどのように伝え、認識させていったらよいのか難しいことです。それにはやはり、自然との関わりや触れ合いが重要です。見て観察、触って実感し、感動や発見をしていきながら気付きを重ね、すべての物に存在するかけがえのない生命があることを感じ取らせたいものです。他を慈む心、
哀れみの心、 思いやりの心をもつことの大切さを知ってほしいと思います。そして、自分を大切にすることは他の命も大切にすることになれるのかもしれません。互いに支え合って生きていることを伝えていきたいと思います。」
いのちの大切さを伝えるには、言葉だけでは難しいものです。体験の中で、実感として子供たちの心に伝わると思います。
(2009/06/10) |
○「春の小川」 →d-score「春の小川」
今朝、少し早起きして散歩しました。田には水が豊かに張られ、木々は新緑から緑色が深まってきました。草花も咲き競い、鳥のさえずりも盛んになっています。
小川には、まだ冷たい水が流れています。
ふと、「春の小川」(作詞 高野辰之 作曲 岡野貞一)を思い出しました。
春の小川は さらさらゆくよ
岸のすみれや れんげの花に
すがたやさしく 色うつくしく
咲けよ咲けよと ささやきながら
この曲は誰もが知っていくると思いますが、早朝の散歩にこの曲を思い出したのは、かなり古風だったかもしれません。しかし、名曲だなぁ〜としみじみ思いました。ただ、この時期になると、小川の流れは「さらさら」よりは、水量も多く、少し勇ましくなり勢いを感じます。
春の小川の流れに「さらさら」と表現する感性は、素晴らしと思いませんか。ちなみに竹がそよぐ音は、「さやさや」と言うようですが、これも素敵な表現だと思います。
純真な子どもたちは、自然の音や情景をどう感じ、どう表現するのか楽しみです。
(2009/05/25) |
○「五月晴れ」
今日から5月、天気は快晴。「五月晴れ」です。
ところで、「五月晴れ」の「五月」は本来は旧暦の5月をさし、「五月晴れ」というのは旧暦5月(今の6月)が梅雨の頃にあたり、もともと「五月晴れ」は「梅雨の晴れ間」「梅雨の合間の晴天」を指しました。
ところが、時が経つにつれ誤って「新暦の5月の晴れ」の意味でも使われるようになり、この誤用が定着したようです。
「五月晴れ」について、少し調べてみると、主な国語辞書も「(1)さみだれの晴れ間。梅雨の晴れ間。(2)5月の空の晴れわたること」(広辞苑)「(1)五月雨(さみだれ)の晴れ間。つゆばれ。(2)5月のさわやかに晴れわたった空。さつきぞら」(日本国語大辞典・小学館)などと、新旧両方の意味を記述しています。ただ、俳句の季語としては、もとの意味で使われることが多く、「陽暦五月の快晴を五月晴と言うのは、誤用」と明記してある歳時記もあります。
また、同じ「五月」のつくことばには、「梅雨」を指す「五月雨(さみだれ)」と、「梅雨のころの夜の暗さ」などを表す「五月闇(さつきやみ)」がありますが、この二つのことばは今でも本来の意味で使われています。
ところで、(今回知ったのですが)5月の初夏・新緑の候によく使われる用語に「さわやか」があります。実は「さわやか」は秋の季語で、初夏に「さわやかな天気」などと表現することは間違いのようです。5月の風薫る快晴の日に「カラリさわやか」とか「さわやかな五月晴れ」という表現は間違った使い方です。「さわやか」は、一般には季節に関係なく使われていますが、このところ初夏に限らず一年中を通して多用・乱用気味です。「さわやか」だけでなく「すがすがしい」など季節に適切な言葉の用い方を学びました。
日本人として、季節に応じた正しい表現を心がけたいものです。 |
○「早起きは・・」
今朝は天気もいいので、早起きして散歩しました。家の周りの田んぼには水がはられ、田植えの準備が整ったようです。木々も新芽が芽吹いて、清々しい気分でした。たくさんの人が早朝より、散歩やジョギングをしています。今朝はゆっくり周りの風景を見ることもできたし、新鮮な空気を味わい、今日一日のスタートを気持ちよく切れそうです。
ところで、「早起きは三文の得」って言いますが、三文とはどの位の得なのか気になりました。調べてみると、「文」はお金の単位で{一文銭(江戸時代、銅・鉄で造られた貨幣)}、今の日本ではいくら位いになるかというのはさまざまな説があるようですが、江戸時代の1文は今の30円位いで、早起きして得するのは100円弱ということになります。100円、をどう見るか。当時でも「三文」はさほどたいした金額ではありません。「早起きすると何がしかのささやかな、いいことはあるだろう」というところでしょう。また「得」は「徳」とも書きますが、これは「利益」という意味です。
早起きは古くから、重要な規範とされていたようで、この慣用句の他にも、
「朝起きは七つの徳あり」 「朝起きの家に福来たる」
「宵寝朝起き長者の基」 「早起き鳥に餌は困らぬ」
「朝起き五両」 「朝起き三両、始末五両」
などがあります。
一方これを反対側から捉えているのが「朝寝する者は貧乏性」「朝寝昼寝は貧乏の基」などです。そして両者を合わせたものが「早起きは三文の得、長起きは三百の損」という慣用句になります。
今朝は爽やかで気持ちのいい気分を頂けました。早起きして、確かに御利益を授かりました。 |
○「花まつり」 vol.2
4月8日は、お釈迦さまの誕生をお祝いする降誕会(ごうたんえ)です。
誕生仏(たんじょうぶつ)といって、右手で天を、左手で地を指した小さなお釈迦さまのお像に甘茶を注いでお祝いすることから、潅仏会(かんぶつえ)・浴仏会(よくぶつえ)ともいわれます。しかし、一般には、誕生仏を安置したお堂をきれいな花で飾っておまつりすることから名づけられた
「花まつり」 の方が親しみやすいでしょう。 この行事は、お釈迦さまの誕生を喜んだ龍王(りゅうおう)が、甘露(かんろ)の雨を降らせて祝福したという故事にもとづいています
。
伝説によれば、お釈迦さまは生まれるとすぐに七歩歩いて、右手で天を左手で地を指して 「天上天下、唯我独尊(てんじょうてんげ、ゆいがどくそん)」 と言われたそうです。この世の中で、我に勝るものはいない、という意味です。生まれたばかりで歩いたり話したりするはずはありませんから、これはお釈迦さまの偉大さを讃えた後世の人の創作でしょう。しかし、お釈迦さまが言われたという「唯我独尊」には、お釈迦さまの教え(仏教)のエッセンスが詰まっています。 お釈迦さまは、「世界中でたった一人しか存在しない自分の尊さに目覚めなさい」と呼びかけているのです。 すべての人にそれぞれ尊い「いのち」があります。一人ひとりが尊い存在なのです。同時に、回りの人たちもそれぞれ尊い存在なのです。
私の幼稚園では、子供たちが自分の尊さに気づき、お友達や周りの生き物の尊さを尊重できる人に育ってほしいと願っています。園庭には、お釈迦さまの誕生を祝う「花御堂(はなみどう)」を設置し、誰でもお堂の中に奉られた誕生仏に甘茶をかけられるようになっています。
お釈迦さまの誕生をお祝いをする「花まつり」の活動を通して、あらゆる「いのち」の尊さに目が向いて欲しいと思います。
(平成21年4月17日) |
○「桜」
やっと春らしい陽気になり、桜の花も「待ってました!」とばかりに咲き出しました。
彼岸のころ、境内の隅にある「河津さくら」が咲いていましたが、ようやく枝垂れ桜もソメイヨシノも咲き出しました。この陽気ですから、すぐ満開になることでしょう。寺のすぐ近くの道路には、1キロ以上にも渡って桜並木があり、桜のトンネルができ、とっても素敵です。
さて、桜は日本だけの花だと思いがちですが、地球の北半球に多く分布していて、日本以外に台湾や韓国の済州島、中国なんとヒマラヤにも見られようです。植物の分類ではバラ科サクラ属の総称名で種類が多く、主なものにヤマザクラ、オオヤマザクラ、オオシマザクラ、マメザクラ、エドヒガン、シダレザクラなどです。
種類を大きく分けると3群に分けられます。ヤマザクラなどの野生種、ソメイヨシノなどの自然交雑種、サトザクラなどの園芸種で、とくに園芸種は500年前からつくりかえる研究が行われ、今では300種類以上もあるそうです。
国内ではソメイヨシノが多いそうですが、これは江戸時代の末期に東京の染井村(豊島区)の植木師によってオオシマザクラとエドヒガンを交配して誕生したといわれ、名前は吉野山のヤマザクラとの混合を防ぐために発祥の地にちなんで、明治33年に「染井吉野」と命名された。つぎ木によって殖えるので成長が早く、爛漫と咲き誇る姿が人気で沖縄を除く全国に広まり桜の代表的な種類になりました。
私は桜は春に咲くものと思っていましたが、ミネザクラは国内に自生する桜のなかでいちばん標高の高いところに育ち、5月から7月までの間に咲きます。10月頃からはジュウガツザクラが花開き、11月にはフユザクラが咲いて翌年の春にまた2度咲きしますが、ダンザクラも同様に冬の間でも少しずつ咲くそうです。早咲きの場合、花は小粒が多く、またカンザクラは伊豆あたりなら1月下旬に淡紅色の花を開かせるようです。
桜も一年中、日本のどこかで咲いているのですね。近くの桜が何の種類なのかを調べるのも楽しみになります。
(平成21年4月7日)
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○ 「花まつり」vol.1
4月8日は、お釈迦さまの誕生をお祝いする降誕会(ごうたんえ)です。
誕生仏(たんじょうぶつ)といって、右手で天を、左手で地を指した小さなお釈迦さまのお像に甘茶を注いでお祝いすることから、潅仏会(かんぶつえ)・浴仏会(よくぶつえ)ともいわれます。
しかし、一般には、誕生仏を安置したお堂をきれいな花で飾っておまつりすることから名づけられた「花まつり」の方が親しみやすいでしょう。
この行事は、お釈迦さまの誕生を喜んだ龍王(りゅうおう)が、甘露(かんろ)の雨を降らせて祝福したという故事にもとづいています。
日本では、推古14年(606)の元興寺(がんごうじ)で最初にこの行事が行われ、以来、承和(じょうわ)7年(840)以降、宮中の恒例行事となって、一般にも広まりました。
お寺では、6日(月曜日)の日に、梅花講の皆さんと、桜の花も咲いて暖かい陽光の中、本堂で読経し御詠歌をお唱えしてお釈迦さまの誕生を祝いました。
(平成21年4月6日)
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○「羅漢講式」
(4月1日に那珂川町馬頭の乾徳寺様にて「羅漢講式」が修行され、法要解説を務めさせて頂きました。)
桜前線も北上し、此処彼しこで桜の花便りが聞かれます。
本日は、乾徳寺様に於いて この度目出度く完成いたしました「檀信徒会館」の落慶法要と、このお寺を開かれたご開山さま・聯室舜芳大和尚さまの550回遠忌の法要をお勤め致します。
また、この機に「羅漢講式(らかんこうしき)」を修行したいと、ご住職さまは切に望まれました。「羅漢(らかん)」とは、漢訳では『応供(おうぐ)』、「拝まれる人」「尊敬されるべき人」「供養を受けるにふさわしい人」の意味で、もう何も学ぶものが無いので『無学(むがく)』とも讃えられます。
羅漢様は、勝れた五つの尊い功徳と利益を持っております。
その五つの功徳とは、
まず一つには「羅漢様は自己の名前と所在とを常に明らかにし、その方向に向かって焼香礼拝すれば羅漢様が供養に応じて来て下さるという功徳」。
二つには「仏法興隆の功徳」があり、これはお釈迦さまが亡くなった後、仏法が衰えたときには、羅漢様がそれを興隆させ、正しい教えを広く伝えて下さる功徳です。
三つには「福田の功徳」と言い、羅漢様を供養する人々に幸福をもたらす功徳です。羅漢様を拝む者は、苦しみから離れ、名を称える者は絶えず守られるのです。
四つには「除災の功徳」があり、災難が起こった時に、羅漢様を拝めばその災いを取り除いてくれるというものです。
最後、五つには羅漢様は「この世に在ってお釈迦さまの遺骨を供養し続け、永遠に尽きることのない利益を授けて下さる功徳」です。
羅漢様は、この世に在って仏法が衰えた時には直ちに仏法を興隆させ、供養する者には現世の幸福を約束し、礼拝する者には災難を除く功徳を施して下さいます。寺院を護持し、仏法を守護する役目を負った羅漢様を供養し、このお寺が檀信徒の皆様と共に栄えることを願っての法要です。お檀家の支えがなければ、お寺は興隆しません。お檀家とお寺とは水魚の交わりのように親密でなければなりません。お檀家の人たちと相和して互いを敬いことを大切にしなければなりません。ご当山のご住職は、何よりもお檀家の皆様の安寧と幸せを願っています。その尊い心の現れがこの「羅漢講式」という素晴らしい法要を修行せしめたのです。
私ども曹洞宗・大本山永平寺を創かれた道元禅師さまは「造像起塔(ぞうそうきとう)は発菩提心なり」と示しておられます。お寺に建物を建て、仏像を造立することは、菩提心を形にしたものであり、この上もない尊い心である。そして、その建物は仏法に従った法要が営まれること、つまりは仏道が行われることで一層の功徳を発するのだと、教えられています。
さらに、大本山総持寺を開かれた塋山禅師さまは「伽藍土地が、仏法を護り、人々を安んじ、十方の施主に福を増し、智慧を増長するように」と念じられています。
この檀信徒会館が、これからたくさんの人々の安らぎの場となり、人々に福徳を与え、正しい仏法を伝える道場となるよう心より祈念いたします。
(平成21年4月1日) |
○「ひな祭り」
3月3日は、「ひな祭り」です。 ひな祭りには「桃」ですが、中国では桃は悪魔をはらう木で、3月3日に摘んだ桃の花びらを酒に漬けた「桃花酒」を飲むと、若さと健康を保てるという言い伝えや、平和の象徴とされていました。また、「白酒(しろざけ)」を飲んでお祝いしますが、日本では「桃花酒」があまり一般的ではなかったので、代わりに「白酒」が使われるようになったそうです。また、桃の花を太陽、白酒を月になぞらえ、「日と月をまつる」って意味もあるとか。それに、「菱餅(ひしもち)」を飾りますが、この白・緑・紅の三色は、「雪が溶け、草が芽生え、花が咲く」というのを意味してるとか。また、他の説では、白は清浄、緑は邪気をはらう薬草の色、紅は魔除けの意味があるそうです。
(20090301) |
○「節分」
「節分」は季節の移り変わりの境目で立春、立夏、立秋、立冬の前日すべてが「節分」ですが、一般的には一年の運気が変わる「立春」の前日を指します。
新たに「立春」を迎えるために、豆を打って、祓い清め、家の中や身体や心の鬼(災難や病厄)を追い払い、福豆を食べます。
年齢の数だけ食べるのは、年齢に応じた福を体内に入れる為ですが、この年齢は数え年換算ですから、満年齢+1ということになります。
『古事記』などの日本の神話によると、身の不浄や罪悪を祓うために身に着けていた衣服を捨てるという風俗が、古くから日本にあったようです。これが節分の厄払いの風俗と結びついて、節分の日に自分の衣服を街路に棄てることで厄を祓うことがありました。
さらに、こうして捨てた衣服が乞食者への施しとなることから、やがて、自分の年齢の数の銭を包んで路地に落とすことにもなりました。
かつて、天皇は御年の数だけの豆と鳥目〔ちょうもく=銭〕とを包んだものを撫物〔なでもの=厄払いのために身の厄を移して捨てるもの〕を、勾当内侍〔こうとうのないし〕に渡すと、勾当内侍は後を顧みないようにしながらこれを持って退くとあります。
このあたりが年齢の数だけ豆を食べるという風俗に繋がったそうです。(なお、「勾当内侍」とは掌侍〔ないしのじょう=内侍の三等官〕の首位で、「長橋局」などとも呼ばれ、奏請や伝宣を司った女官のことです。)
また、「節分」に清めのそばを食べ、晴々しく「立春」を迎えるところもあります。これを「節分そば」と言うそうで、地域によっては、「節分そば」を「年越しそば」といい、「大晦日そば」と区別しているようです。
私は今まで、「節分そば」は食べたことがありません。
節分当日には、歳の数だけ福豆を食べたいと思います。
(20090202) |
○「豆知識」
間もなく「節分」です。節分と言えば福豆を撒いて、立春を迎える前に家々や身体を祓い清めますが、その豆まきの「豆知識」です。
1、福豆には、「まめ(健康)に過ごせるように」との願いが込められていて、自分の年齢の数だけ豆を食べると、1年間病気にならず健康に過ごせます。
2、厄年の人は、早く1年が過ぎるようにと豆を1つ多く食べましょう。
3、豆まきには、生の豆でなく、炒った豆を使います。それは、厄を払い厄をしょった豆から(厄・災難の)目が出ることがないようにという意味からです。
4、豆(大豆)のカロリーは、100gで417kcalだそうです。結構ありますね。
5、福豆は炒った大豆が普通ですが、北海道などでは落花生などを撒きます(大豆よりも回収し易く、殻ごと撒くため地面に落ちても食べられるからです)
6、掛け声は通常「鬼は外、福は内」ですが、鬼を祭神または神の使いとしている神社では「鬼は外」ではなく「鬼も内(鬼は内)」としている。「鬼」の付く姓(鬼塚、鬼頭など)の家で「鬼は内」の掛け声が多いと言います。
(20090128) |
○「大寒」
今日は二十四節気の「大寒(だいかん)」です。一年で、最も寒い頃とされ、極寒の辛苦にさいなまれる季節ですが、春はもうすぐ間近にせまっています。もう少し、あと15日ほどで、「立春(りっしゅん)」を迎えます。立春は暦の上では冬と春の境目に当たり、この日からは春です。「春立つ」「春くる」までもう少しの辛抱です。
ところで、昔から「大寒の卵は滋養に富んでいるので、食べると健康に暮らせる」と言われていたようです。この「大寒」の頃、「鶏始乳」という鳥が卵を抱き始め、その卵は生気に満ち溢れていると考えられ人気が有ります。
また、最近人気の風水では、「大寒の日の卵を食べると、金運が上昇する」と言われており、大寒生まれの卵は人気急上昇です。自分も健康を願い、金運にもあやかれる様願い、今日「大寒」の日に獲れた卵(今日卵を食べるのでは無く、今日収穫された卵)を食べたいと思います。
(2009/01/20) |
○「七草」
1月7日の朝に七草粥を食べる風習があります。
この習慣は平安時代からあったそうです。平安時代に書かれた清少納言の「枕草子」には、”七日の若菜、六日、人の持て来……”という一文があります。正月6日から7日にかけての行事で、6日の夜はヒイラギなどの刺のある木の枝や、蟹のはさみのようなとがったものを戸口にはさんで邪霊を払い、七草叩きといって、唱えごとをしながら七草を包丁でたたいて、粥を炊き込みました。そして、7日の朝、歳神に供えてから家族で食べると万病を払ってくれるとされました。
春の七草は「せり なずな ごぎょう はこべら ほとけのざ すずな すずしろ これぞ 七草」と、古くから歌に詠われてきましたが、この7種の野菜を刻んで入れた粥(かゆ)が七草粥(七種粥)です。七草粥の由来は、邪霊を払い、万病を除く目的のほかに、正月のごちそうで弱り気味の胃を休めるという知恵から始まったという説もあります。呪術的な意味ばかりでなく、御節料理で疲れた胃を休め、野菜が乏しい冬場に不足しがちな栄養素を補うという効能もあるでしょう。
春の七草は、それぞれの薬効成分やビタミン類など体にとても良く、日本人の知恵が生んだ薬膳料理といえます。本日、朝食に七草粥を食べたご家庭も多いのではないでしょうか。家族の健康のためにも、文化の継承のためにも、末永く伝えていきたい行事です。
(H21/01/07) |
○「人生の五計」
「人生五計」とういう教えがあります。
中国の南宋時代に朱新仲(しゅしんちゅう)とういう人がこの教えを説いています。
「人生に五計あり。人と語らうに身計、家計をもってする。すなわち喜ぶ。老計をもってする、すなわち答えず。死計をもってする、すなわち大笑する」と。
二度とない貴い人生を悔いなく生きるには、五つの計画があります。
先ずは「生計、身計、家計」を考えてみましょうと人々に話しかけると、人は喜んで聞いてくれます。ところが、「老計」を計画することを話すと、あまり喜ばしい話ではないので、誰もこれに対して答えようとしません。さらに「死計」を考えようと言うと皆さん大笑いします。まだまだそんな先のこと、自分には関係ないよ。死の計画なんて考えてないよって思っているのでしょう。
昨年、自分の親しい友人の葬儀が2回ありました。一年の初めに死計を考えるのは決して笑いごとではありません。死計はそのまま生計なのです。
人生の五計はそれぞれ別のものではなく、すべて関連しています。
1)「生計」は、いかに生きたら良いかを計ることです。毎日の生活、暮らしをどのようにやっていくかではなく、身分に与えられた生命をどのように全うするかの計画です。当然、自分の食事や起居など健康に留意することが大切です。
次に、2)「身計」は、「いかにして身を立てるか、わが身を人間として社会に対処していくかを計れ」と示されています。自分に与えられた仕事や立場を全うし、悔いのない人生を送れるよう努めなければなりません。そしてそのためには、多くの師、友人の協力が必要だと言っています。
そして、3)「家計」は、家庭や家族を考え、経済的なことや家の新築や増改築なども計画します。生活の基盤として家の安心安定がなにより大切です。
4)「老計」は、これから先に訪れる老後に対し、老衰ではなく、老熟を計ることです。いかに美しく老いるかです。
最後に5)「死計」は、いかに死すべきかという考え方です。いかに死すべきかは、いかに生くべきかと行くことです。どのように生きていたかが大切です、「死計」は「生計」と同じです。
これら、「生計」「身計」「家計」「老計」「死計」はそれぞれお互いに関連し、循環しています。年の始めに自戒の念を込めて書かせていただきました。
(H21/01/05)
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○「ゆず湯」
12月21日は冬至でした。お風呂にゆずを浮かべて、ゆず湯に入った家族も多いことでしょう。私も昨夜は頂いたゆずをお風呂に浮かべゆっくり温まりました。
ちなみにこの風習は、湯につかって病を治す「湯治(とうじ)」を「冬至」にかけています。柚子は「融通(ゆうずう)」が利くようにと願いが込められています。
冬至が、1年で最も夜が長くなる日ということで、死に最も近い日であり、厄や邪気を祓うために体を清め無病息災を祈るという意味で、この風習は江戸庶民から生まれ始まったといわれています。柚子の精油成分が湯に溶けて、血管が拡張し血液の循環を良くすると言われています(人によっては精油成分の刺激が強すぎて、ぴりぴり感じる場合もあります)。よって、血液の循環がよくなり、肩こりや冷え性を緩和し、更にはビタミンCの効果でお肌を滑らかにするとされています。また、すっきりとさわやかな香りで、寒さで凝り固まった体をリフレッシュする意味もあるでしょう。
また、冬至の日に「かぼちゃ」を食べると、厄除(やくよ)けになる、中気(ちゅうき)などの病気にならないと言われています。実際に、かぼちゃには、カロチンやビタミンがたくさんあり、食べ物のなかった時代では、栄養補給に欠かせない食べ物だったようです。そして、切った断面が太陽のようだから、とも言われています。
(H20/12/22)
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○「成道会」
本日12月8日はお釈迦さまが悟りを開かれた「成道(じょうどう)」の日です。
成道とは、仏道を成就するという意味です。多くの寺院では、この日に「成道会(じょうどうえ)」という法要を営みます。これはお釈迦さまの仏道の成就を祝うここと、それぞれが仏道に対して自己啓発をすすめる報恩の法要です。
お釈迦さまは35歳の時に、29歳で出家してから行っていた6年間の難行や苦行を止め、菩提樹の下で静かに坐禅を組まれ、身体と心を整え、ついに8日の早朝に明けの明星(東の空に輝く金星)を見て悟りを開かれたといわれます。お釈迦さまのことを「仏陀(ぶつだ)」といいますが、これは目覚めた人という意味で、悟りを開かれたお釈迦さまへの尊称です。
私が住職を務める全超寺でも、本日「成道会」を修行致します。檀信徒の皆さんと一緒に静座し、本堂で読経し詠讃歌をお唱えして、お釈迦様の成道を慶祝し自己の精進を誓い報恩のお勤めをする予定です。
その時にお唱えする御詠歌は「明星(みょうじょう)」という曲です。
明けの星 仰ぐ心は人の世の 光となりて天地(あめつち)にみつ
【大意】菩提樹の下で座禅を組まれ、暁の明星を仰いで悟られたお釈迦さまの教えは、やがて人の世の光(道標)となって天地(世界中)に満ちていきました。
お釈迦さまは成道の後、80歳で亡くなるまで45年間教化の旅に出られました。
悟りを開いても行い(修行)がなければ、悟り(証)は現われません。悟りの現われにはそこに行じている姿が必ずあります。悟りの現われと修行は一つです。ですから、成道は終着ではなく、始まりでもあるのです。成道してまた修行を続ける。続けている。続けている修行のその中にのみ悟りが現成していくのです。
「今・ここに・生きる」自分自身が日々の生活をしっかりつとめることの大切さを思います。
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○「一茶忌」
今日、11月19日は俳人・小林一茶の命日です。
幼稚園では、年少児(花組)より小林一茶の俳句にふれ、声に出して読んでいます。子供たちは、一茶の俳句を喜んで読み親しんでいますが、そのうち自然と暗誦し、そらんじるようになります。意味を理解して教え込むのではなく、言葉を味わい楽しんで読んでいます。
小林一茶は、1763(宝暦13)年、長野県の北部の農家に生まれ、本名を弥太郎といいました。3歳のとき母が亡くなり、8歳で新しい母をむかえました。義母になじめなかった一茶は、15歳の春、江戸に奉公に出され、奉公先を点々とかえながら、20歳を過ぎたころには、俳句の道をめざすようになりました。
「我ときて 遊べや親のない雀」
29歳で、14年ぶりにふるさとに帰りますが、30歳から36歳まで、関西・四国・九州の俳句修行の旅に明け暮れ、ここで知り合った俳人と交流した作品は、句集「たびしうゐ」「さらば笠」として出版しました。 一茶は、39歳のときふるさとに帰って父の看病をしましたが、1か月ほどで亡くなってしまいました。一茶は、江戸で句会に入って指導をうける一方、房総の知人・門人を訪ねて俳句を指導し、生計をたてました。貧乏と隣り合わせのくらしでしたが、俳人としての一茶の評価は高まっていきました。
「父ありて あけぼの見たし 青田原」
50歳の冬、一茶はふるさとに帰り、52歳で、28歳のきくを妻に迎え、長男千太郎、長女さと、次男石太郎、三男金三郎と、次々に子どもが生まれましたが、いずれも幼くして亡くなり、妻きくも37歳の若さで亡くなってしまい、一茶はひとりぽっちになりました。
家庭的にはめぐまれませんでしたが、北信濃の門人を訪ねて、俳句指導や出版活動を行い、句日記「七番日記」「八番日記」「文政句帖」、句文集「おらが春」などをあらわし、2万句にもおよぶ俳句を残しています。
「めでたさも 中くらいなり おらが春」
1827(文政10)年閏6月1日、柏原宿の大半を焼く大火に遭遇し、一茶は焼け残りの土蔵に移り住みました。この年の11月19日、65歳の生涯をとじました。「焼け土の ほかりほかりや 蚤(ノミ)さわぐ」
(2008/11/19)
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11月も10日過ぎ、来月は12月。月日の経つことの早さを感じます。
○「精進」
「精進」は、「努力」と同じ意味で、一生懸命に努めることです。
しかし、一時的な努力ではなく、毎日の積み重ね、継続した努力を言います。その時だけ、瞬間の全力疾走ではなく、少しづつコツコツと続けることの大切さを示しています。
「精進料理」という料理があります。
では、「一生懸命に努める料理とは何でしょう?」皆さんはどのように答えますか?
精進料理とは、肉や魚を使わない料理をいうのではありません。
お釈迦様は、動物や魚と植物を区別して考えません。どちらも同じ「生き物」で、尊い命を持って生きているのです。私たち人間は、生きるために、他の生き物の「命」を頂いて生きているのです。動物や植物の命を頂かなくては、生きていいけないのです。
他の命を頂いて生きているのですから、その命を無駄にしないよう、命をいただいているという感謝の心を持って、今日一日を一生懸命に努め励むよう、そして少しでも人間として成長しようとしなければなりません。
それが一生懸命に努める料理「精進料理」の精神です。
(H12.11.13)
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○「庖丁」
今から2200年前のことです。中国に文恵君(ぶんけいくん)という王様がいて、その食事係に庖丁(ほうてい)という料理の名人がいました。その腕前は、他に比べるものがないほど、素晴らしかったそうです。
ある時に、庖丁は王様の前で牛を料理して見せました。手の動き、足の運びなど、身のこなしは実に見事で、肉を切る響きは音楽の様で王様が感心していると、庖丁は次のように言いました。
「腕の良い料理人でも、筋を切ったりして、一年で包丁を替えるでしょう。普通の料理人なら、骨に歯を当ててしまい、一月で折れてしまいます。しかし、私は19年も使っていて、数千頭の牛を料理しましたが、刃こぼれひとつありません。それは、骨と肉の間には必ず隙間があり、そこに刃を入れ、決して無理をしないからです」
庖丁は自分の腕のよさを自慢したのではありません。
「私は技を問題にするのではなく、牛の本質を研究し見抜こうと努力して来ました」と説明しました。
何事も、そのものの本質を見抜き、理解することが肝要でしょう。
庖丁もはじめから名人だったのではなく、牛の体を研究し、刃を入れる要領をつかむのに3年かかり、さらに何年も工夫し努力したそうです。すべては用いる人の心にかかっているのでしょう。探究する心が技を磨き、技能を高めていくのでしょう。取り組む心の大切さを思います。
これは、荘周(そうしゅう)の書いた『荘子(そうじ)』に載っている話で、今日学びました。
庖丁の「庖」は料理人のことで、「丁」は人の名前です。料理に用いる刃物を包丁(庖丁)というのはこの話に由来するそうです。
(H20.11.10)
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○「達磨忌」
10月5日は中国に仏法を伝えた達磨さんの亡くなった日です。
6世紀のころ、梁(りょう)の国に武帝(ぶてい)という王様がいて、熱心な仏教徒で、国中に多くのお寺を建てました。王様はインドから正しい仏教を広めるためやって来た達磨さんをお城に招いて尋ねます。
「私は、これまでたくさんのお寺を建ててきたけれども、どんな功徳があるのか」と、
達磨さんは答えて、
「そんなことは自己満足に過ぎません。功徳なんて何もないです」と。
こう言い放って、達磨さんは少林寺というお寺に行き、壁に向かって9年間も坐禅を続けたと伝えられています。
武帝は、仏教徒としてたくさんの善政を施しましたが、「わたしが」という気持ちと、果報を求める心が強すぎたので、達磨さんにそれを指摘されました。
善いことをしても、「わたしが」「あの人に」「こうしてやった」という意識があると、せっかくの行いが台無しになってしまいます。こだわりを持てば、「これほど尽くしてやったのに」と、心が穏やかではなくなります。
「どのような利益があるか」ということばかり考えて行動していては、いつになっても心の安らぎは得られません。私たちは、とかく目先の利益を求めがちですが、そのために多くの大切なものを、どれだけ失っているでしょう。
子供たちが、晴れ渡った秋空の様に清々しく活動している様子を見ると、「純真無垢」にひたむきに取り組む素晴らしさを学びます。達磨さんの言い放った「功徳なんて何もない」という言葉は、胸に響きます。
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○「なかめしグルリあん」
今日まで秋の彼岸です。
お彼岸には、「おはぎ」を供えて、いただきますますが、この「おはぎ」にはいろんな呼び方があります。
「なかめしグルリあん」もその一つです。
単独で呼称すると、外国の料理みたいな名前ですが・・・。中(なか)はご飯(めし)で、その回りをグルッと餡子(あん)が包んでいるのでそう呼ぶようです。
おはぎのお米は、杵でつきません。すり鉢でこねて、潰します。「半殺し」とか「皆殺し」といって、お米を好みですりつぶします。個人的には、米粒が残っている半殺しの餅が好みです。また、餡子もつぶ餡とこし餡がありますが、自分はつぶ餡のほうが好きです。
この餅のこね方は、お餅のように「ペッタン、ペッタン」と音がしないので、家でおはぎを作っていることが隣の家に知られません。そこで、「となりしらず」とも呼ぶそうです。
秋は「おはぎ」で、春は「ぼた餅」。秋は萩の花、春はボタンの花だから・・・。
夏や冬にも呼び方があります。
夏は「夜船」と呼ぶようです。「搗(つ)いているいるのが知られない」「搗(つ)き知らず」から「着き知らず」となり、夜は船がいつ着いたのか分からないことから「夜船」とも呼ばれるようになったようです。夏の夜船。月を水面に浮かべて波間を行き交う屋形船などを思い起こせばいいのでしょうか。なんとなく夏と夜船がシックリくるところが不思議です。
冬は「北窓」。北窓と言われてピンときますか?これも夏の強引な展開で「夜船」に持っていっているのと同様に、なかなか難しいです。
おはぎは餅つきと違い、杵でつかないので「ペッタンペッタン」と音がしない。だから、いつついたのか分からない、までは同じです。ここからの変化が違います。漢字に注目です。「搗(つ)き知らず」が、「月知らず」となるのです。北向きの窓からは、月が見えないので「北窓」となったとのこと。
寒い冬に北の窓。雪がシンシンと降り積もる外を北窓から眺めている状況でも想像してみましょうか。 |
■(H17〜H19) |
○ 黒田光泰住職による「ご法話」が、
大本山総持寺のテレフォン法話「ニコニコ法話」で、5月21日より27日まで放送。
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○ 平成17年11月21日 本堂落慶式を、謹んで執り行いました
●落慶式パンフレット⇒ @法要⇒ A一般焼香・表彰・後席⇒ B城鍬舞⇒ |