■大根栽培1/17■座禅会1/16 ■1月誕生会1/15 ■新年会1/9 ■春遠からじ1/24■春菊 1/23 ■向春1/22■月組保育参観 1/21 ■大寒1/20■大寒水 1/19 ■どんと焼き 1/18 ■冬将軍1/17 ■筑前煮1/24■揚げパン1/23 ■ヒジキと大豆の煮もの1/22 ■イカ焼きそば1/21 ■豚汁 1/20 ■田舎汁1/17 ■1月の予定
子どもたちは、相手のやさしい顔や、やさしい言葉が大好きであり、 それに敏感です。 いつもニコニコ笑顔でいると、不思議と周りの人たちも 笑顔になります。 笑顔は心を和ませてくれますし、新しい出会いやきっかけを作って くれます。 言葉に出して気持ちを伝えたり、心底からにじみ出た笑顔と、心から 「ありがとう」と言える和顔愛語の習慣を つけていきたいものです。
かつて皇太后・美智子様は、こんな言葉を言われました。 『「幸せな子」を育てるのではなく、どんな境遇におかれても、「幸せになれる子」を育てたい。』 幸せは、自分自身の心が決めます。他と比較して、幸せか不幸かを感じるのではなく、自分がどう感じていいるかが大切でしょう。 自己の責任を果たし、精いっぱい努力していれば成功の是非にかかわらず、満足感は得られ、幸せが訪れます。幼稚園の子どもたちには、主体性をもって、常に前を向いて努力を惜しまない「明るく、強く、こころやさしい」人に育って欲しいと願っています。「明るく、強く、こころやさしく」がひかり幼稚園の「保育の願い」です。
第二ひかり幼稚園「運動会サプライズ・歌う海賊団登場のライブ映像」がYou TubuにUP!! 第二ひかり幼稚園の運動会(10月14日)にサプライズで登場した「歌う海賊団ッ!」の様子がYou Tubeにupされていますので、ぜひ、ご覧ください。 「歌う海賊団・第二ひかり幼稚園・サプライズ」のキーワードで検索下さい。
幼児期に大切な「遊び込む」こと
学校法人ひかり学園理事長 黒田 光泰
幼稚園での子どもたちは毎日同時多発的にいくつかの遊びで盛り上がり、その楽しみ方も色々です。そうした遊び込む子どもの姿は、放っておけば生まれるのでしょうか。反対に、保護者や保育者の願いや思いに即して遊ばせれば生まれる のでしょうか。どちらでもありません。子どもの遊び込む姿は、子どもの興味・関心や問い、つぶやき等に注目し、必要な道具や素材を用意したり、環境を構成・再構成しながら、一緒に楽しみ、考え、分かったことや達成したことをともに喜ぶ保護者や保育者に支えられているのです。 そうした姿は、一言で言えば、子どもを受容し、応答していると言えます。自分が面白がっていること、喜んでいること、悲しんでいることなどを、肯定的にともに面白がり、喜び、悲しんでくれる者が身近に存在し、丁寧に応じることで、子どもは確かな安心感を得て、自分らしく探求し、気持ちを立て直したり、新たにチャレンジしたりすることができるのです。つまり、子どもの遊び込む姿の背後には、基本的な信頼関係(アタッチメント関係)が必要なのです。 では、遊び込むことで何が育つのでしょうか。今、さまざまな研究で、乳幼児期に「非認知能力」を育むことが、その後の心の健全さや幸福感を高め、さらには社会的・経済的効果も高めると注目されています。「非認知能力」とは、簡単に言えば、読み・書き・計算などの「認知的能力」ではない力、あるいは数値化しにくい能力のことです。具体的には、何かに熱中・集中して取り組む姿勢、自分の気持ちをコントロールすること、他者と協力し、コミュニケーションすること、自分を大切に思えること、といった力のことです。 つまり、「非認知能力」とは、単に小学校以降の学習にのみ繋がるものではなく、人が主体的に、対話的に生きていく上での重要な力であり、その成果が今すぐにではなく後から出てくることから、「あと伸びする力」と言われたりもしています。 子どもが好奇心にあふれ、遊び込む時、まさにそうしたことを経験していきます。つまり、遊び込むことは、「非認知能力」の育ちに繋がるのです。だからといって子どもは、それらを育むために遊び込むのではありません。今そのことが面白くて、今 そのことが不思議で、今そのことに挑戦したくて遊び込むのです。ですから、先を見越し過ぎて「非認知能力」を育てるんだという意識を持ちすぎると、おかしなことになります。「させる」ことが大事なのではないのです。むしろ、保護者や保育者が子どもの今に丁寧に応答し、子どものすることや発想に魅せられ、可能な限り子どもが自ら選び、決めるという主体性が尊重されていく時、結果として「非認知能力」を育むことになり、さらには「認知的能力」の育ちにも繋がっていくと考えられるのです。 つい私たちは、目に見える形での成果やでき栄えを求めがちです。もちろん、できることが増える ことは悪いことではありません。しかし、より多くのことを、より早くできるようにすることが幼児期の教育ではありません。幼児期の教育において子どもが遊び込むことを大事にしようとするのかを改めて考え、保育の質をより高めていきたいと 思います。