坐禅用心記 全文⇒
「坐禅用心記」(2)
すべては心が作り出したものです。龍樹尊者は、仮に身というものを説きました。素直な心を持つと、それが大きな命の本体であると言います。この満月のありようは、欠けること無く余ることも無い。この心に即ぐなれは、便ちこれで仏です。自分で自分を照らすのです。古に燈り今にも輝く。龍が樹に変わる有り様を得て、命というものをとことん表されている。
すべては錯覚なのです。心は本体と二つでは無く、身は更に錯覚を増します。ただ心と、ただ身と、違うと同じとを兼ねるを説かず。心変じて身と成り、身露れて相分る。だから今生きてる間に、真相を体験してみることです。
「一波わずかに動けば万波随って来たり、心識わずかに起れば万法競い来る。」
(自然の働き)地・水・火・風、(生き物の働き)物質・感受作用・表象作用・意志作用・認識作用、が遂に和合し、(総じて十八支の四静慮。初静慮には、①尋・②伺・③喜・④楽・⑤心一境性の五支がある。第二静慮には、①内等浄・②喜・③楽・④心一境性の四支、第三静慮には、①行捨・②正念・③正慧・④受楽・⑤心一境性の五支。第四静慮には、①不苦不楽受・②行捨清浄・③念清浄・④心一境性の四支ある・・・四支)と信・精進・念・定・慧、もたちまちに現成して心一境となります。以て三十六物・十二因縁、造遊作遷流し、展転相続します。難しい言葉はいいから、すなわち空(くう・全ての要素)になる。
「但、衆法を以て合成して有り。所もちいて言うに、心は海水のよう、身は波浪のようなものです。坐禅すれば、海水の外一点の波無きが如し、波浪の外、一滴の水無きが如し。水波別無く、動静異ならず。故に云う、生死去来真実の人、四大五蘊不壊の身と。」
(禅に目ざめて命と心が一つになる)すなわちこの世ともあの世とも現在過去未来ともひとつにつながります。つながるがゆえに、はっきりと判ってくるのです。頭で考える分かるではなく、心身を以って判るのです。坐れば判ります。理屈をこねずに直感で、あらゆるものの特質をよく判るには、最も単純明快にすることです。脊髄をまっすぐ伸ばし、深く息を吐き、これを続けるのもそう。祖師が水や空に生命のまことことわりを観察したのは頭で考えることをやめたときに、判るのです

合掌
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