「阿弥陀如来」
阿弥陀さまは、諸仏の中で、もっとも代表的な仏さまです。
三回忌を努める導師で、真言は、「オン アミリタ テイセイ カラウン」で、「威光の無量光明の如来よ、永遠の命を与えたまえ」という意味です。「アミダ」は、サンスクリット語で「アミターユス」と表現されていたものが中国に伝えられ「阿弥陀」と音写されました。「アミターユス」は、「無限の寿命をもつ者」「無限の光明をもつ者」という意味。阿弥陀仏の支配する世界を「極楽浄土」と言いますが、「極楽」は、サンスクリット語では「スカーバティー」と言って、「幸福のあるところ」という意味です。「浄土」とは、清らかな苦しみのない幸せに満ちた「仏国土」ということです。
仏さまにはそれぞれが担当する浄土があるといわれ、その数なんと百千億といわれます。その中で、薬師如来が治める「東方浄瑠璃の世界」、大日如来が治める「密厳浄土」などで、、釈迦牟尼仏の治める世界を「娑婆世界」といいます。娑婆世界といえば、我々が今住んでいるこの現世の世界のことです。すなわち「四苦八苦」、「一切皆苦」の世界のことであり、「忍土」や「穢土」(えど)とも呼ばれています。その穢土(えど)となっている娑婆世界を本来の浄土にすべく毘盧舎那仏(法身仏)の仏身より遣わされたのが釈迦牟尼仏(応身仏)なのです。法身仏(ほっしん)とは、宇宙真如そのものを表す仏さまであり、応身仏とは、この世に実在された仏さまのことで、化身仏とも言われ、阿弥陀如来は報身(ほうじん)仏といわれます。観音さまや地蔵菩薩など、お釈迦さまが"創造"された諸仏がそれに当たりますが、そのまさに代表格が阿弥陀さまです。娑婆世界とは、本来は「浄土」であるべきなのですが、「穢土」と化してしまっているこの現世の娑婆世界に出世され今なお説法されているのが釈迦牟尼仏です。
法華経「如来寿量品」には、「大火に焼かるると見る時も、我が此の土は安穏である」と説かれ、お釈迦さまにとって娑婆世界は、まさに「我が国土」で、我々人間にとっては、この現世こそ掛け替えのない仏国土なのです。この世の「穢土」を本来の「浄土」に化するというのが釈迦如来の本願で、釈迦牟尼仏を本尊とする禅宗の立場は、自ら発心して、この世で救われなければならないとする、いわゆる「自力本願」なのです。この世で救われることこそ「現世利益」とする考えです。
これに対して、現世で救われない者は誰でも阿弥陀仏にすがれば必ずや来世で救われるとするのが浄土門の立場です。来世で救われることこそ「来世利益」なのです。浄土真宗の宗祖親鸞上人は、歎異抄の中で、「善人なおもて往生をとぐ、いわんや悪人をや」という有名な「悪人正機説」を唱えられました。また、「善人は自己の能力で悟りを開こうとし、仏に頼ろうとする気持ちが薄いが、煩悩にとらわれた凡夫(悪人)は、仏の救済に頼るしかないとの気持ちが強いため、阿弥陀仏に救われる」と説かれています。極楽往生には厳しい戒律生活や修行などは要求されません。阿弥陀如来の本願を信じて、ただひたすら阿弥陀さまを念仏すれば、どんな人でも確実に極楽浄土に往生できるというのです。この「他力本願」の信仰はたちまち多くの人々の帰信するところとなり、阿弥陀仏の浄土に往生して悟りを得る教えを「浄土門」と称します。
合掌
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