「阿那律尊者」
阿那律尊者(アヌルッダ)は釈尊と同じ釈迦族の出身で釈尊の従弟だといわれています。ある日、釈尊が祇園精舎で説法されている最中に阿那律尊者はつい居眠りをしまいました。釈尊に「あなたは道を求めて出家したのではありませんか。それなのに説法中に居眠りをするとは、一体出家の決意はどうしたのですか」と、叱責されてしまいました。それ以後阿那律尊者は釈尊の前では決して眠らないことを誓い不眠不臥の修行をしました。その厳しい修行のせいか阿那律尊者は失明してしまいました。釈尊は眠ることをすすめたのですが固辞したのです。そのかわりに阿那律尊者は、肉眼では見えないものを見通す力、即ち「天眼」(智慧の眼)を得、「天眼第一」と称せられるようになりました。
こんな逸話が残されています。ある日阿那律尊者が衣のほころびを繕おうとして、針に糸を通そうとするのですが、どうしても通りません。阿那律尊者は「どなたか私のために針に糸を通してくださいませんか」とお願いしました。すると、「私が功徳を積ませていただきましょう」と釈尊ご自身が申し出られたそうです。
さて、『さとり』とはなんでしょうか、釈尊は阿那律尊者を諭します。「『さとり』は単なる目的ではない、『目的』は達成すればその時点で終わりになる。だから、さとりが目的になれば、さとった時点で修行が必要でなくなるということになる。さとりに終わりがあっては決してならない、人間は生きている以上生活に終わりがないように、終わりのない『さとり』の実践がなければならない。その『終わりのないさとり』の実践こそ『智慧』と言うのであり、私自身も、私の弟子達も毎日修行を重ねている。悟りだけを法とは言わない。法とはさとりの実践、つまり智慧を言うのであり、私が説く法こそ智慧である。」
「田を耕す者が秋に収穫を得るために、まず春のうちに田を耕し、種をまき、水をやり、雑草を取り除き、日々に大切に育てるように、真の悟りを求める者は、必ず戒律・禅定・智慧の三学を学ばなければならない」と、説いたと伝えられています。
合掌
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