「目連尊者」
目連(モッガーラーナ)尊者は、幼い頃より舎利弗(サリープッタ)尊者とは大の仲良しの間柄でした。祭りに興じている人々を見て無常を感じ、二人して出家を決意しました。二人は幼なじみで、ほんとうに仲の良い親友同士でした。性格こそ対照的な二人でしたがいつも一緒で、亡くなったのもほぼ同じ頃で、師の釈尊よりも短命だったのです。十大弟子の中でも最も早くに弟子となり、力を合わせて初期の教団をまとめていかれたのです。釈尊もそんな二人をたいへん頼りにされておりました。「智慧第一」と称せられた舎利弗尊者に対して、目連尊者は「神通第一」と称せられました。「神通」とは一種の超能力のことで、肉眼では見えない処を見抜く力のことです。
こんな逸話が残されています。釈尊がある法座に臨まれました。しかし、いつまで経っても説法が始まりません。侍者の阿難尊者が、「世尊よ、夜も更けましたので、どうかお始めください」と申されますと、釈尊は、「この法座の中に不浄の者がいるので、法を説くことはできない」と申されました。そこで目連尊者が他心通という神通力をもって不浄な比丘を見つけ、その法座から追放し、改めて釈尊に説法を願ったということです。
そして「盂蘭盆会」は有名な話です。ある日、目連尊者が父母の恩に報いるために修行で得た神通力で亡き両親を探していました。すると仏界に居るはずと思っていた母がなんと餓鬼界に堕ちていました。骨と皮ばかりに痩せ細って逆さ吊りにされていたのです。
それを見た目連尊者は食べ物を鉢に入れて母に差し出すのですが、母が食べようとするとその食べ物はたちまち火に変わってしまい食べることが出来ません。目連尊者は悲嘆のあまり号泣し、釈尊のところに行かれ、ことの実情を説明し救済を求めたのです。釈尊の示されたところによりますと、目連尊者の母が餓鬼界に堕ちたのは過去世の罪過によるものであり、それを救うには多くの出家者に百味の 飲食を供養することでした。そして、7月15日の萬行のあと多くの僧侶の供養を受けて目連の母は救われました。「もし、後の世の人々がこのような行事をすれば、たとえ地獄にあろう者でも救われるでしょうか」と尋ねた目連尊者に、釈尊は「もし孝順心をもってこの行事を行うならば必ずや善きことがおこるであろう」と答えられました。お盆(盂蘭盆会)の起源はこの曰く因縁によるものであり、お盆こそまさに「先祖供養」の原点なのです。仏教徒にとって、孝順心によるご先祖供養こそ報恩感謝の証なのです。
さて、目連尊者は教団のボディガード的存在でもあり、釈尊の説法を守るために異教徒に対して厳しい対応をしていたので、異教徒からはとくに憎まれる存在になっていました。目連尊者の最期は悲惨で、目連尊者を憎む異教徒達に襲われ惨殺されてしまったのです。瀕死の目連尊者のもとにかけつけたのは親友の舎利弗尊者でした。「神通力第一の君がどうしてこんな目に・・・」と嘆く舎利弗尊者に、目連尊者は釈尊への最後のお別れの言葉を託して息を引きとりました。
合掌
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