・・・・・・平成27年5月・・・・・・

  「修証しゅうしょう
 道元禅師が宋に渡り二人の典座 (てんぞ)和尚から学んだ融通無碍 (ゆうづうむげ)なる心は、天童山如浄 (にょじょう)禅師の下での猛修行の結果「身心脱落 (しんじんだつらく)」の大悟徹底されたその基になった心であり、同時にそれはすべての人にとっての修行の心であり悟りの心であるのです。
 一人目の典座和尚との出逢いは寧波にんぽうの港に椎茸を買いに来た阿育王寺の老典座でした。その時の様子は1月法話で紹介しました。そこで、文字とは何か修行とは何かを学びました。禅師は「自分がいささか文字を知って仏道修行の何たるかを理解できたのは「 (すなわ)ち彼の典座の大恩なり」(典座教訓)と述懐されています。
 二人目の典座和尚との出逢いは天童山での修行中のことでした。そこで「他は是れ吾に非ず(他人は自分ではない)」「更にいずれの時をか待たん(今やらなければいつやるのか)」というまさに修行の原点を学ばれたのです。そのときの様子がつぶさに「教訓」に述べられていますので紹介しましょう。

「私がかつて宋の天童山景徳寺で修行していた頃のことです。地元寧波出身のゆうという名の老僧が典座職に就いていました。私が昼食をすませ、東側の廊下を通って超然齋ちょうねんさいという建物に向かう途中、この老僧が仏殿前の庭で茸を干しているところに出会いました。
 老僧は竹の杖を突き、頭に笠さえかぶっていない。強い日差しが照りつけ、庭の敷瓦は焼けつくような熱さです。老僧はしたたり落ちる汗をぬぐおうともせず、一心にきのこ干しの仕事をしている。いかにも辛そうに見えます。背中は曲がり、長い眉は真っ白です。
 私は老典座に近づいて、お年を尋ねました。典座は『六十八です』と答えました。
 そこで、私が『どうして、見習い僧か下働きの人を使わないのですか』と言ったところ、老僧は『他人にやってもらったら、わたしがやったことにはならないではないですか』と言いました。
 私は、『たしかにご老僧のおっしゃるとおりです。しかし、こんなに日差しの強い時にどうしてそこまでなさるのですか』と尋ねました。すると、老僧はこう答えたのです。『いまやらなければ、いつやるというのですか』と。
 私はなにも言えなくなりました。廊下を歩きながら、典座という職のたいせつさを思い知らされた次第です。」(典座教訓)

 
 真の仏法を求めて命がけで宋に渡った若き道元禅師にとって二人の典座和尚から学んだものはまさに修行の原点、否仏道そのものであったのです。
 やがて禅師は悟りによって二人の老典座の教えが本物であったことを認識され、いよいよ典座老宗師への感謝の念を深められたのです。「典座」は禅師にとってまさに大恩の「人」であり「職」で、その想いから「典座教訓」が著されたと言っても過言ではないでしょう。そこでさらに肝腎なことは、典座という職務が何も特別だということではないということです。
 「典座」は一つの例であって、どんな役職であれそれ自体かけがえのない修行の実践なのです。また仕事の大小に拘わらず同じ大事≠ネものであるという、つまりどんな仕事であれそれ自体が修行であると同時に悟りであるという、禅者はそこに「修証一如」の大宗乗があることを見逃してはなりません。「そもそも、修と証とが別のことであると思っているのは、とりもなおさず外道の考え方である。仏教では、修と証とはまったくおなじものである。いうまでも証のうえの修なのであるから、初心の学道がそのままもとから証のすべてである。」(正法眼蔵・弁道話)
 「また、大宋国においてまのあたりに見たところによれば、諸方の禅院には、すべて坐禅堂があって、五百六百から千人二千人におよぶ僧を収容して、日夜坐禅をすすめていた。その主席には、仏の心印を伝える師匠があって、つねに仏法の大意をくわしく聞くのであるから、修と証とが別のものではないことがよく理解されていた。」(正法眼蔵・弁道話)
 言うまでもなく、「修」は修行のことであり、「証」は悟りのことで、「初心の学道がそのままもとから証のすべてである」とは、ひたすら修行することそれ自体がそのまま悟りの姿であるということです。だから「仏法の大意は修と証とが別のものではないこと」になるのです。 入宋当初の若き道元禅師にとって、修行とは坐禅することであり、古則公案に対峙することであり、それ以外のことは修行とは関係のないものだったのです。寧波の港で出逢った典座に対して言った禅師の言葉がそれを如実に表しています。
 「座、尊年、何ぞ坐禅弁道し、古人の話頭を看せずして、煩わしく典座に充てられて、只管に作務す。甚んの好事か有る。」 (そのようなご高齢の身で、ひたすら坐禅修行に専念されたり、古人の公案などを勉強されておられればよろしいのに、どうしてわざわざ面倒な典座職に就かれ、炊事のお仕事に精を出されておられるのですか。それでなにかよいことがありますか。)
 それに対して典座が大笑して言いました。「外国の好人、未だ弁道を了得せず、未だ文字を知得せざること在り。」 (外国から来られた好青年よ、まだ修行というものがおわかりでないようですな。文字というものをご存知ない。)
 「山僧便ち休す。」(自分は何も言えなくなった。)「潜かに此の職の機要たることを覚えゆ。」(典座という職務の大事さを思い知らされた。)
 禅師にとってこの時の心の衝撃は相当のものであったことが伺われます。「修証一如」というまさに正伝の仏法に出逢った瞬間でもあったのです。曹洞宗の経本「修証義」はまさにこの教義をタイトルとして編纂されたものなのです。

合掌


来月も予定しています。光泰九拝
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