・・・・・・平成25年12月・・・・・・ | |||||||||||||
「正義」 やなせたかしさんは漫画界の重鎮として、晩年まで豊かな活動を続け、10 ![]() 代表作「アンパンマン」は世代を超えた人気で、東日本大震災の際は被災者向けにメッセージとイラストを描き、私も幼稚園の園舎が被災し困っていたとき、イラストを頂き励まされ、被災地ではテレビアニメの主題歌「アンパンマンのマーチ」も繰り返し放送され、多くの人に勇気を与えました。 「本当の正義の味方は、戦うより先に、飢える子供にパンを分け与えて助ける人だろう、と。そんなヒーローをつくろうと思った」 平成24年夏、「アンパンマン」の劇場版アニメの公開時、やなせさんはこう語っていた。弱い者に寄り添い、自らを犠牲にして子供を助ける。そのヒーロー像には、やなせさん自身の体験が反映されている。 昭和16年に21歳の時に徴兵され、中国へ出征、26歳まで軍隊で過ごした。終戦間際には、上海決戦に備え1000キロの行軍をした。そして飢えに苦しんだ。こうした体験からやなせは痛烈に思った。 「肉体的苦痛は、いつか慣れる。でも、ひもじさだけは何より情けなく、何よりも耐えがたい」 と。戦地では食料がなく、タンポポなどの野草を食べたこともあった。人間にとって最もつらいのは「飢え」だと痛感した。 「正義というものはいったい何か。ミサイルで相手をやっつけることなのか、あるいはそこに来た怪獣をやっつけることなのか。僕はそうでないと思ったのね。本当の正義の味方だったら、そこにお腹をすかせた子供がいたら、その子供にパンをわけて与える人が正義の味方なんだと思ったんです」。 戦争では人間魚雷の特攻隊員だった弟も亡くした。正義とは何か。敗戦をきっかけに考え、その答えが「アンパンマン」のユニークなキャラクターに結実した。自分の顔をちぎって人に食べさせる。そんな心優しきヒーロー・アンパンマンが誕生した背景には、自己の戦争体験がアンパンマンを生んだ。やなせさんのこだわる「正義」。 アンパンマンを書いたのは「本当の正義」を伝えたかったからという。 「海外にはストリートチルドレンがいっぱいいるし、次から次へと子供たちが命を落としている。それはなぜか。飢えで死んでいるんだ。食べるものがない。本当に正義の味方だったら、飢える子供を助ける方が先なんじゃないか…。 だから飢えている子供を助けるヒーローを作ろうと。その場合、一番簡単なファストフードは何か。日本でいえば、「アンパン」だと思ったんです。飢えを助けることができるし、甘いからお菓子にもなる。 それに音の響きがいいでしょ。ジャムやクリームというより、「アン」「パン」という韻を踏んだサウンド。アン、パン、マン、という音の響きの良さで選びました。 アンパン、僕自身も好きですよ。俺の子供の頃は、「アンパン」「せんべい」「キャラメル」くらいしかなかったんだよ。」 アンパンマンはヒーローだが情けない。弱点もたくさんある。そして相手を決して殺さないし、「自分はエライ」と自慢しない。 「正義を行う人は非常に強い人かというと、そうではないんですね。我々と同じ弱い人なんです」 アンパンマンは人が喜んでくれることが一番うれしい。決して最強ではないが、身近な人の幸せを願い、困った人を助けることこそが正義なのだと。一貫して「愛と勇気」を伝えたアンパンマンは今後も多くの人びとに親しまれ続けるだろう。 そんなやなせさんの“思い”が集約された名言集が遺されている。 『やなせたかし 明日をひらく言葉』(PHP文庫)はそのひとつだ。 「この社会で一番憎悪すべきものは戦争だ。絶対にしてはいけない」 「今の日本では飢えが身近にないので、実感がわきにくいかもしれない。だが、しばらく何も食べないでいれば、飢えのつらさは体験できる。本当に飢えているときには、どんな大金より、一切れのパン、一杯のスープのほうがずっとうれしい」 戦争と飢え。さらに戦争終結によってこれまで信じてきた「正義の論理」さえもがひっくり返ってしまう。 「正義は不安定なもので、ある日突然逆転する」 「正義のための戦いなんてどこにもないのだ」と。 しかし逆転しない正義もある。それが献身と愛だ。そして弱者を助けること。自分の身を削って人を助けるアンマンパンにはそんなやなせの想いが凝縮されたものだった。 「正義を行おうとすれば、自分も深く傷つくものだ。でもそういう捨て身、献身の心なくして、正義は決して行えない」 「正義に勝ち負けなんて関係ない。困っている人のために愛と勇気をふるって、ただ手をさしのべるということなのだ」 長い下積みを経て花開いた苦労人でもあった。昭和28年に漫画家として独立。作詞した「手のひらを太陽に」(いずみたく作曲)が大ヒットしたが、本業の漫画では売れない時代が続いた。昭和48年に絵本に初登場した「あんぱんまん」(当時はひらがな)は児童にとって内容が難しすぎると、当初は評論家に酷評された。 「自分の体をちぎるような残酷なものはだめだとかね。認めてくれたのは2歳くらいの子供だったんだよ。出版社でも評判が悪かったのに、幼稚園に行くと子供が奪い合って読む。アンパンマンの本だけがぼろぼろになっている。僕はあちこちの図書館へ本を寄付したんですよ。 アンパンマンの中にあるのは『献身』なんだよね。正義は(自己犠牲)自分を犠牲にしなければどうしてもできない。自分が傷つくことなしにはできない、という僕の考えが入っているんだよね。 僕はもともと幼児向けのものを描かない、描けないと思っていた。ですから、最初のアンパンマンは、スリムであまり可愛くない。幼児向けには作っていなかったんです。ヒットして、いや、驚きました。」 幼稚園では幼児たちが奪い合って読み、次第に評判が高まった。テレビアニメ化され、大ヒットしたのは昭和63年。やなせさんが69歳のときだった。平成21年には、「アンパンマン」が最もキャラクター数の多いアニメとしてギネス世界記録に認定。平成12年から24年まで日本漫画家協会の理事長を務め、漫画界の発展に尽力。24年6月の第41回日本漫画家協会賞の贈賞式では歌を披露し、受賞者の表彰も行った。 この際、 「私の人生劇場も終幕。カーテンコールも終わりました。このへんで退場させていただきます」 との文書を出席者に配布し、平成25年10月13日に逝去されました。 改めて、「正義」の意味を整理したいと思いました。
合掌 |
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来月も予定しています。光泰九拝 |
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