・・・・・・平成25年9月・・・・・・
月かげ
 鎌倉時代に浄土宗を開かれた法然(ほうねん)上人(1133〜1212)の歌があります。

月かげの いたらぬさとは なかれども ながむる人の こころにぞすむ

 9月は月が美しく見える季節です。この歌は、月の光は、地上の一切に降りそそぎますが、心を寄せ、思いを寄せる人の心にこそ澄みわたるものですと、示されています。何事も心が向かわなければ、見ても見えず。聞いても聞こえないものでしょう。ただその前を過ぎていくだけで、心に落ちることはありません。この歌の「月かげ」とは、仏さまのお慈悲の光です。仏を信じ敬い、すがる心があってこそ、その仏さまの光は見え、響いて、その人の心に済み(住む)わたることでしょう。

 法然上人について、吉田兼好(よしだけんこう)は『徒然草』(39段)に、次のように記しています。
 『ある人、法然上人に「念仏の時、ねむりにをかされて行(ぎょう)を怠りはべること、いかがしてこの障りをやめはべらん」(お念仏の修業中に、眠たくなって、ついつい修業を怠ってしまいます。こんな時、このさまたげを除くのにはどうしたらよいでしょうか)と、申しければ、「目のさめたらむほど、念仏したまへ。」(眠い時にはお念仏の修業をやめて、目が覚めたら念仏をされたらよいでしょう)と、答へられける』。

 そして、兼好法師は『いと尊かりける』「この答えは、なんと尊いお答えであろうか」と書いています。目をつむれは月かげ(月の光)は見えないけれど、目を開け、修行を行えば、月かげの中にいることでしょう。仏さまの光は、いつでも私たちを照らし導いてくれています。目が覚めたら、また行じればそれでいいのですと、やさしく答えられたのです。この答えを聞いた『ある人』は、どれほど心が安らいだことでしょう。 月を仰ぎ、月の光を浴びると、仏さまのお慈悲を感じる季節です。

合掌


来月も予定しています。光泰九拝
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