・・・・・・平成25年7月・・・・・・
花無心
 良寛さんの詩を味わってみましょう。
『花無心』
花 無心にして 蝶を招き、 蝶 無心にして 花を訪ぬ。花 開くとき 蝶来たり、 蝶 来たるとき 花開く。
(われ)もまた 人を知らず。 人もまた 吾を知らず。知らずして 帝則(ていそく)に従う。
(花は、蝶を招こうとして咲いているのではなく。蝶に、花を訪ねようという心があるのでもない。花が咲くと、蝶が飛んできて、蝶が飛んでくる時に花が咲いている。自分も、他の人々のことは知らないが、他の人々も自分のことを知らない。互いに知らないながら、天地の道理に従って生きている)
 花は意志をもって蝶を招くのではなく、蝶も意志をもって花を訪ねてはいない。花は、咲く時節がきたら咲き、蝶は飛ぶ時節がきたなら飛ぶのです。ただそれだけのことで、それが自然の摂理なのです。蝶は花から蜜をもらい、蝶は花から花に花粉をつけてやります。自然とその関係で互いの子孫の繁栄につながっていくのです。それこそ自然の仕組みの見事さなのです。
 中国の尭の時代の言葉に、「不知 不知 帝則に従う」とあります。「知らない、知らない、ただ自然の摂理に任せるだけ」という意味でしょうか。人間の小さな計らいなどどうにもならない大自然の仕組みの中で、私もあなたも、人間は生かされている。一人ひとりのつまらない思惑などどうでもよい。「花開くとき蝶来たり、蝶来るとき花開く」春に花が咲き、秋に実を結ぶ自然の中で、つまらない考えなど、どうでもよいことなのでしょう。

合掌


来月も予定しています。光泰九拝
・・・・最新法話

ページ先頭へ

Copyright©2004-2013 Zenchoji Temple.Allrightsreserved.