・・・・・・平成25年6月・・・・・・ | |||||||||||||
「あくがれて行く」![]() 歌人・若山牧水は、生涯旅をしました。その生涯旅した牧水の歌に「けふもまた こころの鉦(かね)をうち鳴らし うち鳴らしつつ あくがれて行く」というものがありますが、この歌の意味は、「今日もまた、巡礼者が鉦(かね)を鳴らすように、私もこころの鉦を鳴らし鳴らしながら、どこまでもあこがれの旅を続けている。」という意味でしょう。しかし、牧水の旅はこの“心の鉦”を慣らしながらの旅をするというただそれだけで、そのことによって辛くも成立していたものだったようです。まさに旅は自分を放ち、「在処離(あくが)れ」て行くことにほかならない。その旅は決して逃避ではなく、今いる場所から進むための儀式であり、「こころの鉦」は自分だけでは鳴らせない。さまざまなふれあいがあってこそ鳴るものであった。小さな旅にも、遠距離の旅行にも、新たで啓発される発見があり、「心の鉦」が鳴らされることがあるでしょう。 以下に、牧水の詩を記します。 「山ねむる 山のふもとに 海ねむる かなしき春の 国を旅ゆく」 「この国に 雪も降らねば わがこころ 乾きにかわき 春に入るなり」 「草山に 膝をいだきつ まんまろに 真赤き秋の 夕日をぞ見る」 「幾山河 越えさり行かば 寂しさの はてなむ国ぞ 今日も旅ゆく」 「安房の国 海のなぎさの 松かげに 病みたまふとぞ けふもおもひぬ」 合掌 |
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来月も予定しています。光泰九拝 |
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