・・・・・・平成24年2月・・・・・・
東司不説法

 道元禅師は『正法眼蔵』の「洗浄(せんじょう)の巻」で以下の言葉を示しています。「東司(とうす)上、不説仏法の道理を思量すべし」と。 「東司(とうす)」とは、禅寺のトイレのことで、「トイレの中で、仏法をひと言も説き語らない道理を思量(考えること)すべし」という意味になります。
 禅寺のトイレでは一言も話をすることを禁じていますが、一言も話さないばかりか仏法についても語らない意義をよくよく考えなさいと、道元禅師は説示しています。 トイレは排せつのための場所であり、その場所で言葉は不要でしょうが、そればかりではありません。古来、禅寺ではトイレは陰徳を積む大切な修行の道場とされていました。
 昔の話ですが、永平寺の森田悟由(ごゆう)禅師が正宗寺という寺に宿泊された時のことです。そのお寺で小僧をしていた山田霊林(れいりん)禅師は、真夜中に小用をもよおしてトイレに行きました。すると、そこに森田禅師が黙々とトイレを掃除している姿がありました。森田禅師はすでに高齢で、禅師という高位にありましたが、誰にも気づかれない真夜中に、自己の修行として黙々とトイレの掃除を行っていたのです。人が気づこうが気づくまいと、黙って陰徳を積んでいたのです。その姿を目の当たりにした山田禅師は大きな感銘を覚え、修業とは何かを森田禅師の無言の説法で知り、その後黙々と修行に励み、ついには禅師になられました。

合掌


来月も予定しています。光泰九拝
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