・・・・・・平成24年1月・・・・・・
本来の面目

  新しい歳を迎え、それぞれが
健やかで充実した一年となります様、
ご祈念申し上げます。
 


 人間は、一人ひとりが「本来の面目」を備えて生きています。禅の言葉に、「明々たる百草頭(ひゃくそうとう)明々たる祖師意(そしい)」と言う言葉があり、「春の野山に咲き乱れている花々には、どの花にもそれぞれに春が現成している」ことを言った言葉です。人間も同じです。値打ちのある生き方も、値打ちの無い生き方もありません。(この喩えは、教えて頂いたことですが、)水槽に泳ぐ魚は、水面近くを泳ぐ魚もあれば、底のほうばかり泳ぐのもあります。魚は、それぞれが自由に泳いでいますが、人間は底のほうばかりにいるのはつまらないから、もっと上のほうを泳がなければ意味がないと考えてしまう。つまらない迷いの中に放り込まれてしまうのです。上を泳ごうが、下を泳ごうが、ちゃんと生きているのだからそれでいいのに。
 達磨大師から三代目の僧璨(そうさん)和尚は『信心銘』の中で「至道は無難なり、ただ揀択(けんじゃく)をきらう」という一文があります。「揀択をきらう」と言うのは、選り好みをしないことです。選り好みをしなければ、難なく道に至るのです。人生を振り返って「あの時こうしていれば・・・」などと言うことはありません。選ぶことはできません。いまある以外の生き方も人生もありません。「何のために生きてきたのか」ではなく「何かのために生きてる」のが人間です。こう生きることのほうが値打ちがあるのではありません。そこに生きているだけで十分な存在価値があるのが人間です。全てが「本来の面目」を備えているのです。何のために生きているかを思い悩まずに、目の前にあること、足元の現実をしっかりと見つめて、日々を大切に生きていきましょう。

合掌


来月も予定しています。光泰九拝
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