・・・・・・平成23年5月・・・・・・
百不知、百不会
 「百不知(ひゃくふち)百不会(ひゃくふえ)」『無文印語録』。
 これは中国・宋代に無文禅師が示した言葉で、「何も知らない、何も理解しない」と云う意味ですが、その意義はもっと深いところにあります。  
 私たちは学校や社会でたくさんの事を体験し、学び深めます。さらに努力し苦労して、さまざまな知識や見識を身につけます。しかし、そうして身に付けた知識や見識を、他に自慢しひけらかす様では本物ではないというお示しです。極めれば、究めるほど人間は謙虚になり、慢心が小さくなっていくものです。一流の選手は常に謙虚で、優れた知識人はおのれの才能を披歴することはありません。たとえ優れた能力や才能があっても、それを自慢することがない。「百不知、百不会」とは、悟りを得ても、まるで何も知らない、何も理解できてないかのように超然としていることです。修行で得た知識を抱え込まずに、それを超越し、澄み切った心を持っていることです。  
 「味噌の味噌くさきは上味噌にあらず」と云いますが、本物はその臭みも無くなっていくのです。人間も同じように、自分の力や知識をひけらかすのは、大物ではなく、小物のやること。利口ぶったり、偉ぶったりする人間は、その臭いが鼻につきます。サラサラと清らかな水が流れるように、獲得した力や知識を抱え込まないで、カラリと澄んだ人間になりましょう。
 「花は無心に咲き、蝶は無心に花を尋ねます」。

合掌


来月も予定しています。光泰九拝
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