・・・・・・平成23年2月・・・・・・ | |||||||||||||
「隻手音声」
「両手を打つと、音が響きます。しかし、片手では、どんな音がするでしょう」。 江戸時代中期の禅僧、白隠和尚が修行僧に問いかけます。 「両掌(りょうしょう)打って音声(おんじょう)あり、隻手(せきしゅ)に何の音声かある」と。 隻手とは、片手のことです。片手では、打つことが出来ません。音も響かないでしょう。その片手の音をどう聴くのでしょう。 白隠和尚は、修行者を日常的な判断や思考、思慮分別を超えた世界に導いているのです。いくら耳で聴こうとしても、不可能です。頭で考えても答えは出ません。「隻手(せきしゅ)音声(おんじょう)」に、何か意味ある答えは無いのです。理屈や分別に固執しているうちはダメだと示しているのです。言葉を超えたところに、体現できることがあります。 世の中には、言葉では説明できないことがたくさんあります。自分に向かって、声や音にならないが、無言で何かを訴えることもあります。声なき声、音の無い音、耳では聴き取れない音声があります。音や声は耳で聴くものと云う固定観念を捨て去り、音声を目や鼻や肌、全身全霊で受け止めることが大切なのだと、示してくれています。 「隻手音声」は、常識とか当たり前に、こだわりながらそれが正しいと凝り固まって生活している自分に向かう、一喝言です。 合掌 |
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来月も予定しています。光泰九拝 |
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