・・・・・・平成22年12月・・・・・・
掬水月在手
 中国の詩「春山夜月」の一節に、「掬水月在手(みずをきくすれば つき てにあり)」とあります。この句は、「弄花香満衣(はなをろうすれば かほり ころもにみつ)」と対句になっていて、禅宗でよく用いられる言葉です。
 天空に光る月の明かりは、偏ることなく全てを照らしてくれます。月の光は、地上のすべてのものに平等に注がれています。月の光は、まさしく仏さまの慈悲であり、仏法そのものでもあります。月の輝く夜、水を両の手で掬して(すくって)みれば、その手の中の水面に月が現われ、キラキラと輝くでしょう。その手の中の月も、天空の月と同じく、仏さまの慈悲であり、仏法そのものです。月は、はるか遠く、自分とかい離したところにある存在でなく、いつでも月を自分の中に獲得することは可能です。ただ、月を遠くにある美しいものとして眺めているだけでは、そのことに気づくことはできません。「水を掬する(手ですくう)」という、自分自身の働きかけ(「行」「修行」)があって、はじめて月は、自身の心に入り、自分のものとして感じられるのです。
 世の中に対し、不公平にできているのではないかと思いはじめると、他人をひがんだり、ねたんだりして自分をちっぽけにしてしまいます。さらに、自分一人だけ得をしい、儲けたいという我欲が強くなって、悩み苦しみが大きくなっていきます。月は常に平等に人々を照らしてくれています。自らが「水を掬して」、偏ることない月の存在を実感してみて下さい。

                                    合掌

来月も予定しています。光泰九拝
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