・・・・・・平成22年9月・・・・・・
一日不作 (いちじつなさざれば) 一日不食 (いちじつくらわず)
 今月の法話に、「一日不作 一日不食」を示します。
 「いちじつなさざれば いちじつくらわず」と読みますが、この意味は「仕事をしないものは食事をするべきではない」とか、「働かざる者食うべからず」と読んでしまいがちですが、そうした他に対する命令の言葉ではありません。この言葉は、自分自身に向けて発せられた自発的な言葉で、人として生きるということには、勤労が大切であり、それが出来ないなら食べることは出来ない(食べる資格がない)という、自分自身を律した言葉です。
 今日の社会の中で、食べないことを想像することは難しいことです。稼ぎが悪いと、好きなものが買えないくらいが実感です。この言葉は、禅の修行生活の中から生まれました。禅修行に励む僧侶にとって、労働は一番大切な修行です。掃除をし、畑を耕し作物を作ること、食事の準備をすることなどは、読経や座禅と同様に大切な修行と考えます。自分の務めるべき労働を果たしてこそ、食事を食べる資格があるのだと、自らに言い聞かせ、自分を律して修行に励むのです。
 さらにこの「不作 不食」の言葉にあえて「一日(いちじつ)」が付してあることが重要です。「一日働いて、一日分食べる」のです。次の日も、一日働いて一日分食べる。その日に二日分働いて、明日の労働は無しというのではありません。働きの溜め置きは無く、食事の溜め置きもありません。毎日を勤勉に務め励むことこそが禅の修行の日々における肝要なのです。「一日不作 一日不食」は、働きの溜めは無く、食い溜めもない毎日を、「今・ここ」でなすべきことを全力で行じる生活を鼓舞する言葉です。

合掌

来月も予定しています。光泰九拝
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