「火自ら涼し」
戦国時代、織田信長は甲斐(山梨)の武田家を滅ぼしました。織田信長によって甲斐が侵攻された時、信長に追われた武将をかくまったという理由で恵林寺が焼き討ちされます。
その時、火をかけられた恵林寺の山門上で、快川紹喜和尚は、
「安禅 必ずしも山水を須いず 心頭 滅却すれば 火も亦た涼し」
という辞世の句を残して端坐焼死したとされます。
これは有名な逸話ですが、この句の意味は、「禅の修行をすれば炎の中でも平気になる」という話ではありません。
この句は、もともと唐代の詩人・杜筍鶴の「夏日題悟空上人院( 夏日悟空上人の院に題す)」という詩の、
三伏閉門披一衲 〔 三伏 門を閉ざして一衲を披る〕
兼無松竹蔭房廊 〔 兼ねて松竹の房廊に蔭をする無し〕
安禅不必須山水 〔 安禅 必ずしも山水を須いず〕
滅却心頭火自涼 〔 心頭 滅却すれば 火 自ら涼し)〕
によります。その意味は、「炎暑三伏の候に寺門を閉ざして、きちんと僧衣を着る。この寺には、部屋や廊下を覆う松や竹もない。(しかし)、安らかに座禅を組むには、必ずしも山水の地を必要としない。無念無想の境地に達すれば、火もまた自ずと涼しく感じるものだ。」。
今、直面する処(苦悩)から逃げるのではなく、暑さなら暑さ、寒さなら寒さに徹底して自分全て同化させてしまえば、自己は一体となり苦悩は自ずと消滅するでしょう。
高校野球で、炎天下を投げ抜きインタヴューに答えた投手が、「暑さは全然気にならなかった」と話していました。炎天下、マウンド上の気温が40度近くなっても、一球一球に集中し全力でプレイする球児には、炎暑も炎暑ではないのです。私たちも、暑さや寒さに振り回されずに、なすべきことに集中していれば苦悩が苦悩でなくなることでしょう。今・ここになすべきことを全力で集中して行じていきたいものです。
合掌 |
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