・・・・・・平成21年12月・・・・・・
一滴水(いってきすい)
  山から湧き出た一滴の水を水源として、小川ができ、やがてそれが大河となって広大な土地を潤し、また大きな流れをつくり大海に注ぎこんでいきます。始めは、一滴です。たかが一滴、されど一滴です。
 六祖・慧能(えのう、達磨大師から数えて六代目の祖師)は、禅宗の基本を大成した人です。慧能を禅宗の源流に譬え、「曹源の一滴水」という言葉があります。慧能は、唐代に曹渓(中国広東省)にいたので、「曹源」とは曹渓の源流の意味と、同時に慧能本人をさします。慧能の示した禅の教えが源流となり、その教えの一滴一滴が伝承され、発展してきました。今日の日本の禅宗も、「曹源の一滴水」をもとに発しています。
 江戸末期、宜牧(ぎぼく)という僧が、岡山の曹源寺の儀山(ぎざん)和尚のもとで修業していました。入門して間もない頃、風呂たきの当番となった宜牧は和尚に、「風呂が熱いので、うめよ」と言われ、手桶の残り水を捨て、新しい水を汲んできました。それを見た和尚は、「そんなことではいくら修行をしても、禅者にはなれね」と一喝し、「残り水をなぜ植木の根にでもかけぬのか。そうすれば、植木も水も生きるのではないか」とさとしました。宜牧は和尚の言葉を心に刻み、自らを「滴水」と号して悟りを得て、京都・天龍寺の名僧と呼ばれるまでになりました。
 一滴の水にも、一人の教えにも、大きな可能性が秘められているのです。

合掌

来月も予定しています。光泰九拝
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