「一行三昧」
NHKの大河ドラマ「天地人」をご覧になっている方は多いでしょう。私も毎週楽しみに見ています。石田三成という武将が登場しました。秀吉の家臣で、ドラマでは重要な役どころでしたが、「関ヶ原の戦い」に敗れ、三成はとらえられて処刑されます。この石田三成という武将について、皆さん方、それぞれいろいろなイメージをお持ちだろうと思いますが、三成が秀吉に認められ家来になる時のエピソードがあります。
ある時、秀吉が鷹狩りに出かけます。すっかり喉が渇いた秀吉が、休憩所にいた当時・茶坊主の石田三成に一服のお茶を所望されます。石田三成は、少しぬるめのお湯を使ってお茶を点ててさし上げる。これが秀吉にはたいそう美味かった。鷹狩りで喉が渇いていたから、お茶の味わいより、喉をうるおすように、一気に飲みたかったのです。それで、あまりにうまかったものだから、「もう一服」と言います。石田三成、今度は少し熱い湯を使って、濃いお茶にしました。これがまた秀吉をうならせる。最初の一服で喉が潤っているから、二服目の渋みが何とも言えない。秀吉は、「この茶坊主、なかなかやりおるわい。茶坊主にしておくには惜しい」と、こう思ってすぐさま自分の家来にしていまい、やがて三成は豊臣の旗頭にまでなっていきます。三成の生き様は、「自分の役目」にひたすらであったということです。
禅の言葉でこれを「一行三昧(いちぎょう ざんまい)」と言います。そのことだけに没頭する。他のことは考えない。「一行」も「三昧」も同じ意味です。一つの行い(行)に命をかけていくことです。「座禅三昧」といったら座禅だけ。「庭掃き三昧」といったら一心に庭を掃くだけ。「読書三昧」なら読書だけ。そのものになりきることです。他のことはいっさい考えない。それでないと「一行三昧」とは言えません。
石田三成は、茶坊主という役目をいただいて、鷹狩りの後の秀吉に、どんなお茶がいいか、それを考えたわけです。お茶を入れるだけで、大出世できるのです。ここで大切なのは、相手の心をくみとることです。相手の気持ちを考えないといけません。「一行」も「三昧」も大切なことは、「まごころ」なんです。
相手の心を考えることは、機械ではできません。 この人は熱いお茶が好きなんだと思って、熱いお茶を入れる。渋いのが好きだと思ったら、渋いのをいれる。相手を見て、その人の気に入る様に行うのです。三成は几帳面で、生真面目で親しい友は少なかったようですが、ひたすら秀吉に仕え、常に「心を配って」忠義を貫きました。
「心を砕く」とか、「心をかける」とか、そういった「まごころ」に生きる生き方の大切さを学びます。
合掌
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