中国の唐代の名僧・趙州(じょうしゅう)の問答です。
一人の修行僧が趙州和尚に問いかけます。
「朝顔の花はその花に朝露を溜めています、青桐の葉が色付き秋を示しています。この現われている現実からいったいどのような真理が得られるのでしょうか」と、
趙州和尚は答えて、
「不雨花猶落、無風絮自飛(雨ならずして花猶落つ、風無くしていと自から飛ぶ)」。
「雨が降らなくても花は落ちるし、風が無くても柳のいとは飛んでいくものだ」
これらはごく当たり前のことがあるのだと。
花は雨にうたれても、うたれなくても落ちる時は落ちるし、柳の種(柳絮)は風があっても無くてもひとりでに飛んでいく、それが真理なのだと。
「目の前の現象は全て真理の現われであるのに、どうしてそれをしっかり見ていないのだ」と、示しています。現実を受けとめ、あるがままに見ようとしない弟子をたしなめています。
さらに趙州和尚は、厳陽(ごんよう)という僧の「私はすべてを捨てました。さらにどのような修行をすればよいのでしょうか」という質問に対し、「放下著(ほうげじゃく)・捨ててしまえ」と即答したといわれます。
すべて捨てたといってもまだ「捨てたという意識」があったのです。その執着を捨てろと示しています。
執着・先入観など自分よがりの考えを捨てた時に、ありのままな真理の現われが見えてくるのでしょう。
美しい錦秋の山々、澄んだ空気、高い空、、、、無心に受け止めたいものです。
合掌
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