「歎異抄(たんにしょう)」
第4章「慈悲のかわりめ」
(原文)
①慈悲に聖道・浄土のかはりめあり。
②聖道の慈悲といふは、ものをあはれみ、かなしみ、はぐくむなり。しかれども、おもふがごとくたすけとぐること、きはめてありがたし。
③浄土の慈悲といふは、念仏して、いそぎ仏に成りて、大慈大悲心をもつて、おもふがごとく衆生を利益するをいふべきなり。
④今生に、いかにいとほし不便とおもふとも、存知のごとくたすけがたければ、この慈悲始終なし。
⑤しかれば、念仏申すのみぞ、すゑとほりたる大慈悲心にて候ふべきと[云々]。
(現代語訳)
①慈悲について、聖道門と浄土門とでは違いがあります。
②聖道門の慈悲とは、すべてのものをあわれみ、いとおしみ、はぐくむことですが、しかし思いのままに救うことは、きわめて難しいことです。
③一方、浄土門の慈悲とは、念仏して速やかに仏となり、その大いなる慈悲の心で、思いのままにすべてのものを救うことをいいます。
④この世に生きている限り、どれほどかわいそうだ、気の毒だと思っても、思いのままに救うことはできないのだから、その慈悲は完全なものではありません。
⑤ですから、ただ念仏することだけが本当に徹底した大いなる慈悲の心なのです。
このように聖人は仰せになりました。

合掌
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