・・・・・・令和3年8月・・・・・・

人間好時節(じんかんこうじせつ)」

 7月法話「平常心」をさらに進め、無門禅師の頌を示します。


春に百花有り秋に月有り。
夏に涼風有り冬に雪有り。
若し閑事(かんじ)の心頭に挂(かか)る無くんば。
便ち是れ人間の好時節。


 「春には様々な花が咲き、秋は月、夏の涼風、冬の雪。もしつまらぬ事柄を心にかけることがなければ、それこそその人の生活はまさに幸せの日々である。」と、閑事(かんじ)とは「むだごと」とか「妄想」のことです。好時節とは「幸せの日々」ということで、妄想を捨て去った人はそれこそ幸せの日々であるというのです。
 ここで思い起こされるのが道元禅師の詩「春は花 夏ほととぎす 秋は月、冬雪さえて すずしかりけり」で、この詩は単なる和歌ではなく、諸法実相が詠われています。「諸法実相」とはまさに「あるがまま」ということです。「あるがまま」は「心」に限りません。「大自然」もまったく同じなのです。人の心と大自然の間には本来何の差別もないのです。花もほととぎすも月も雪もみんなあなたの心と一つなのです。
 春が来れば間違いなく草木は萌え花々はみごとに咲き誇ります。夏にはホトトギスが大空を飛び交い、秋には月が鮮やかに天空に浮かび、冬には雪が降り積もって清々しい。まさに大自然の"あるがまま"です。人の「心」も「大自然」も真実は同じ"あるがまま"です。一「切の分別妄想の無い「諸法実相」こそ「法身仏」であり「如来の姿」なのです。
 「峰の色 谷のひびきも 皆ながら 我が釈迦牟尼の 声と姿と」(道元禅師)
 分別妄想のまったく無い状態がまさに「あるがまま」です。ですから無門禅師はさいごに「妄想を捨て去った人はそれこそ幸せの日々である」と提唱されているのです。「あるがまま」に「分別」が付着することで「妄想」となるのです。真実を知ることが肝要で、真実を知ることで「心」の実体が分かります。心の実体が「無心」だと分かれば諸悪の根源である「妄想」も「無心」であり「空」であることが分かります。つまり心の実体が「空」だと悟ることで人は欲望から解放され本当の幸福を得るのです。 それがすなわち「好時節」なのです。

合掌


来月も予定しています。光泰九拝
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