・・・・・・平成25年4月・・・・・・
少欲
 あるところに二人の男がいました。一人は大金持ちですが、もう一人はきわめて貧しい男でした。この二人の男の前に物乞いが現れて、こう言います。
 「何でもいいから私に何か恵んで下さい」と。すると、二人の男はともに悩み苦しみました。
 金持ちの男は、自分の財産が少しでも減るのは惜しいと悩み苦しみます。貧しい男は、この物乞いに何か恵んであげたいが、何もあげることが出来ない。どうしたらこの物乞いに恵んであげることが出来るだろうかと、悩み苦しみます。
 お釈迦様はこのことについて次のように説いています。
 「かくの如き二人、憂苦(ゆうく)同じといへども、果報(かほう)各々異なれり。貧しふして悲念ある者は、天人の中に生れて無量の富楽を受け、慳貪なる者は餓鬼(がき)の中に生れて無量の苦を受くべし。」『大丈夫論』
 金持ちも苦労して貯めたお金であれば、物乞いに恵むことは1円でも惜しいと思うでしょう。これも苦しみです。また、恵みたいと思っても与えることのできないことも苦しみです。お釈迦様は、「与える人」は来世に無限に富楽を受ける者となり、「与えない人」は来世に無限の苦を受ける者となると示されました。与えることが幸福につながり、与えないことは不幸につながるのでしょうか。本当の幸せは何かと考えさせられます。
 その答えは、お釈迦さまの最後の教え『八大人覚経』で教えてくれています。
 「仏のたまわく、多欲は苦なり、生死の疲労は貪欲より起こる。少欲にして無為なれば、身心自在なりと覚知せよ
 大切なことは、表面的な「やり方」ではなく、「心のあり方」なのでしょう。

合掌


来月も予定しています。光泰九拝
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