・・・・・・平成24年5月・・・・・・ | |||||||||||||
「行雲流水」![]() 修行僧のことを「雲水(うんすい)」と称します。これは「行雲流水」の雲と水から出来た呼び名です。定まった居場所を決めることなく、決して一か所に留まらず、佳き師匠との出会いを求め訪ねて修行を続けていくからです。 自由に生きていくことは、たやすいことではありませんが、大空を行く雲は高い山があっても、スイスイと流れていき、誰も掴めません。流れ行く水も、大きな岩があってもなんなく流れ去っていきます。そこにこだわりはなく執着がなくただ進んでいくのです。水は丸い器に入れれば、丸く収まり、四角いものに入れば四角に収まりますが、固まったわけではなく、水に形を強制することは誰にもできません。 般若心経で説く『空(くう)』のこころは、「こだわりなく、とらわれなく、かたよりなく」生きていくことだと私は理解していますが、煩わしさや悩み・苦しみの多い人生を雲が行き、水が流れる様に「こだわり、とらわれ、かたより」のない心もちで過ごしていきたいものです。「行雲、流水」は、「サラサラとスイスイと自由にこだわりなく生きていきましょう」と語りかけてくれる言葉です。 合掌
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来月も予定しています。光泰九拝 |
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