・・・・・・平成24年3月・・・・・・ | |||||||||||||
「仙桂和尚」
良寛さんの詩に「仙桂(せんけい)和尚」というのがあります。 仙桂和尚 仙桂和尚は真の道者 黙して言わず 朴(ぼく)にして容(かたちづくら)ず 三十年国仙(こくせん)の会(え)にありて 禅に参ぜず経を読まず 宗文の一句だに道(い)わず 園菜(えんさい)を作って大衆に供す 当時我これを見て遇わず ああ今これに効(なら)はんとするも得(う)べからず 仙桂和尚は真の道者 仙桂和尚は、岡山県の円通寺の国仙(こくせん)和尚の弟子で、30年間師匠に仕え、文化元年(1804年)10月16日に、同寺で亡くなり、山懐にある水月庵に埋葬されました。良寛さんの兄弟子でしたが、黙々と、ただ作すべきことを作して、決して誇ることも威張ることも無く、自分を飾ったり慢心することも無かった人でした。座禅をすることも無く、お経を読むことも無く、仏道の習いらしきことをせず、ただ野菜を作っては大衆(修行僧)に供養していました。良寛さんは当時を振り返って、その当時は仙桂和尚のことを理解できなかったが、今は分かる。そうゆう仙桂和尚こそが「真実の仏道者」であったのだと。しかし、今はもうその仙桂和尚にお会いすることはできない、という詩です。 良寛さんは、座禅をすることも無く、お経を読むことも無い仙桂和尚を良しとしたわけではありません。そこに仙桂和尚の「道」があったのだと認めているのです。言葉巧みで、座禅に励み、読経に精進することに勉めていることばかりが立派ではなく、黙々と野菜を作り育てて修行僧に供している姿にも、「真実の道」があるのだというのです。己を信じ作せることを黙々と行い、他に誇ることなく、人にバカにされようと一途に行じてゆくことを「道」とい云います。 ![]() 坂村真民先生もこう述べられています。「花は一瞬にして咲くのではない。大地から芽が出て葉をつくり、葉を繁らせ、成長して、 つぼみをつくり花を咲かせ、実をつくっていく。花は一瞬にして咲くのではない。花は一筋(ひとすじ)に咲くのだ。」と。 一筋に一途にしっかりと自分の足で自分の道を歩んでいきたいものです。 合掌
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来月も予定しています。光泰九拝 |
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