・・・・・・令和3年9月・・・・・・

安心(あんじん)」

 今月は公案、無門関第四十一則「達磨安心」(だるまあんじん)をとりあげます。「心を安心させてください」という願いに対して、達摩大師が「その"心"をもってこい」という公案です。
本則
達磨面壁す、二祖雪に立ち、臂を断つて云く、弟子、心未だ安んぜず、乞う師安心せしめたまえ。
磨云く、心を将(も)ち来たれ、汝が為に安ぜん。
祖云く。心をもとむるに了(つ)いに不可得なり。
磨云く、汝が為に安心せしめ。竟(おわ)んぬ。


 達磨は少林寺に留まって日々面壁坐禅をしていました。そこへ修行中の神光がやってきて、雪降る中に長く立ち、自ら臂を切断し、達磨に差し出して言いました。
「私は、心が未だ不安であります。どうか私のために安心させてください。」と。すると達磨は、「それではおまえさんの心をここへ持ってきなさい。安心させてあげるから。」と答えました。
 神光は、「その心を探しているのですが、とんと見つかりません。」と言いました。達磨は「さあ、もうちゃんと安心させてあげたよ。」と言いました。
 達磨は梁の武帝との会見に失望し、揚子江を渡って北魏に入り、崇山の少林寺に留まり、日々坐禅をしていました。そこへ神光(のちの二祖慧可大師)がやってきました。神光は儒教や道教に関する深い研鑽を積んでいたのですが、その教えにあきたらず、四十歳にして達磨大師が少林寺におられることを聞いてやってきたのです。神光は教えを仰いだのですが、達磨は面壁端坐して一向に何の言葉もくれません。その日、十二月九日の夜は大雪となりましたが、神光はその中庭に立ち続けました。二祖は思いました。昔人は道を求むるのに命がけで向かわれたのだから自分もその覚悟を要するのだと。
 積雪は膝を越す位になったとき、達磨はやっと口を開いて問いました。「汝は久しく雪中にいるが、一体何をもとめているのか」と。神光はこの言葉を聞いて感激の涙にしたりつつ、「和尚、大慈悲をもって甘露の法門を開いて、御導きください」と懇請したのです。達磨は応えました。「諸仏の無上の妙道は、精進行じ難きをよく行じ、忍び難きを忍ばねばならぬ。ささいな徳や智慧、軽心や慢心をもって、真実の教えに向かってもそれは徒に苦労するだけである」と。
 神光はこの言葉を聞いて、にわかに刀を取り出して自らの左臂を断って達磨の前に置いたといわれています。達磨はこの神光の覚悟の程を受け、改めて入門を許し、名を「慧可」と改めました。その後の修行の中での出来事が今回の問答なのです。
 この問答の前には次のような問答があったとされています。
慧可曰く、「諸仏の法印、得て聞く可しや」(仏さまの悟りについて教えて頂けましょうか。)
達磨曰く、「諸仏の法印、人に従って得るにあらず」(悟りは他人によっては得られない)
 このあとに「本則」がくるのですが、再度その要点を看てみましょう。
二祖「弟子の私は、心が安らかではありません。どうか老師、私を"安心"させてください」
達磨「ではその"心"を持ってこい。おまえのために"安心"させてあげよう」
二祖「"心"を求めましたが、まったく得ることはできませんでした」
達磨「おまえのためにちゃんと"安心"させてやったぞ」
 主題は「安心」(あんじん)です。「安心」とは、言うまでもなく「悟り」によって得られる一切の迷いから解放された大自由の心、これを「安心」というのです。この公案の狙いはその「安心」の"実体"を悟ることにあるのです。達磨が「その"心"をここに持って来い」と言ったのに対して、二祖が「心不可得」(心が見付けられませんでした)と言いました。その「心不可得」の一言にこの公案の答えが秘められています。
 「心不可得」"そのもの"の「実体」とは「無心」です。無心とは心が無いと書きますが、文字通り「心」を無くした境地のことで、「心不可得」(心が得られません)と一心に成りきって言葉に出して言うとき、言葉の意味を考えながら言う人はいません。言っている瞬間は「無心」の筈です。"そこ"です。「そこ」に答えがあるのです。
「心不可得」という一言を慧可は「無心」で言い、その「無心」こそ「心の実体」なのです。そこに間髪入れず「そーら安心しただろう」と達磨が言ったのです。慧可は「心不可得」それ自体が元々「心可得」だったと気付き、「それ自体」が「心」だったと悟ったのです。「心不可得」が「心」であれば、それは同時に「心可得」も同じこと。こうして慧可は「心」の「実体」を悟り本物の「安心」を了得したのです。

合掌


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