全超寺梅花講研修会 (新潟・良寛さんの五合庵を訪ねて・・) |
○7月8日(火曜日)梅花講の皆さんと新潟に研修旅行に行って来ました。
良寛さんの住んでいた「五合庵」を見学し、国上寺や弥彦神社などを参拝して参りました。
天気予報は雨でしたが、現地では雨にも降られず、日差しも出てきて、気温30度の真夏日になりました。
五合庵には、今年の5月にも行ったのですが、その時は沢山の参拝者でした。今回は幸いにも自分たち以外に誰もいなくて静かにゆっくと観ることができました。
この五合庵は弥彦山と寺泊の中間の国上山のあって、良寛さんが40歳から59歳までの間ここに住んでいました。大木の生い茂る山の中腹にあって、簡素な茅葺の住まいです。
さて、良寛さんが寝入っていると、この五合庵に泥棒が入ります。泥棒はあちこち物色しますが、何もない。カバン(頭陀袋)には手毬とおはじき、米びつも空っぽ、何もないんです。そこで良寛さんが敷いていた布団に手をかけます。良寛さんは、寝がえりをするように見せかけて、敷いてた布団を泥棒の方に蹴飛ばしたそうです。泥棒はその布団を持って出ていくと、良寛さんは縁側に出て月を眺めます。
月見の縁側を「月壇(げつだん)」と言いますが、その月壇にひざを抱えて、「ぬす人に 取り残されし 窓の月」と呼んだそうです。「泥棒に布団までも持っていかれたが、お月さまだけは盗られなかった。」
私には、こうゆう心のゆとりはありません。なかなかこう言えるものではないでしょう。
良寛さんたるところでしょうか・・。
みなさんは、心に月壇をもって暮らしているでしょうか?
自分の心の中に縁側をこしらえて、そこでお月さまを迎えられるようにしているでしょうか?
ゆとりを持って生活しているでしょうか?
日々の生活の中には、切ない時も、悲しい時も、苦しい時もあります。でも、心に月壇を持っているとそこに自分の居場所があって、そこに自分を座らせると心が落ち着くのでしょう。
月を待つ心のゆとりは、「ツキを生み」 「ツキあいたい人」となると言った人もいますが、そうかもしれません。
昨日は自分も、五合庵の縁側に座ってみました。
40センチほどの狭い縁でしたが、趣があって、いい体験でした。梅雨が続き、お月さまを見ることが出来ない日が多いのですが、生活の中で、心にいつもお月さまを迎えることが出来るゆとりを持ちたいいものだと思いました。 |
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