正 法 眼 蔵    典 座 教 訓 (てんぞきょうくん)  
典座教訓

観音導利興聖宝林禅師道元撰
仏家に本より六知事有り。共に仏子 ()りて、 (とも)に仏事を作す。
就中、典座の一職 (いっしき)は、是れ衆僧 (しゅぞう)弁食 (べんじき) (つかさど)る。
『禅苑清規』に云く、「衆僧を供養するが故に典座有り」と。
古より道心の師僧、発心の高士充て来の職なり。蓋し一色の弁道の (ごと)きか。
若し道心無きは、徒に辛苦を労して畢竟益無し。
『禅苑清規』に云く。「須く道心を (めぐ)らして、時に随って改変し、大衆をして受用安楽ならしむべし」と。
昔日 (そのかみ)、潙山。洞山等之を勤め、其の余の諸大祖師も、曽て経来れり。所以に世俗の食厨子 (じきずし)、及び饌夫 (せんぷ)等に同じからざる者か。
山僧在宋の時、暇日、前資勤旧等に咨問するに、彼等 (いささ)見聞 (けんもん) ()して、山僧の為に説く。此の説似 (せつじ)は、古来有道の仏祖の遺す所の骨髄なり。大抵須らく『禅苑清規』を熟見すべし。然して後に須らく勤旧子細之の説を聞くべし。
所謂、当職 (とうしき)一日夜を経す。先ず斎時罷、都寺、監寺等の (あたり)に就いて、翌日の斎粥の物料を ()す。所謂米菜等なり。
打得し ()わらば、之を護惜 (ごしゃく)すること眼睛 (がんせい)の如くせよ。保寧 (ほねい) (ゆう)禅師曰く、「眼睛なる常住物を護惜せよ」と。
之を敬重 (きょうじゅう)すること御饌草料 (ぎょせんそうりょう)の如くせよ。
生物熟物 (しょうもつじゅくもつ) (とも)に此の意を存せよ。
次に (もろもろ)の知事、庫堂に在りて商量すらく、明日 (なん)の味を喫し、 (なん)の菜を喫し。 (なん)の粥を設けん等と。
『禅苑清規』に云く、「物料並に斎粥の味数 (みすう)を打するがごときは、並びに預先 (あらかじめ)庫司知事と商量せよ。
所謂知事には都寺、監寺、副司、維那、典座、直歳あるなり。
味数を議定し (おわ)らば、方丈・衆寮 (しゅりょう)等の厳浄牌 (ごんじょうはい)に書呈せよ。然して後に明朝の粥を設弁 (せつべん)す。
(べい) ()ぎ菜を調 (ととの)うる等は、自ら手ずから親しく見、精勤誠心 (しょうごんじょうしん)にして ()せ。
一念も踈怠緩慢 (そたいかんまん)にして、一事をば管看 (かんかん)し、一事をば管看せざるべからず。
功徳海中、一滴も () (あたう)ること (なか)れ。善根山上、一塵も亦積むべきか。
『禅苑清規』に云く、「六味 (ろくみ) (くわ)しからず、三徳 (そなわ)らざるは、典座の衆に ()する所以 (ゆえん) (あら)ず」と。
先ず (べい)を看んとして便ち (いさご)を看、先ず砂を看んとして便ち米を看る。 (しんさい)看来り看去りて、放心すべからず。自然 (じねん)に三徳円満し、六味具に備わらん。
雪峰 (せっぽう)、洞山に在って典座と ()る。一日、米を ()ぐ次いで、洞山問う。「砂を淘り去って米か、米を淘り去って砂か」。峰云く、「砂米一時に去る」。洞山云く、「大衆 ()什麼 (なに)をか喫す」。峰盆 (はち)覆却 (ふくきゃく)す。山云く、「 (なんじ) ()後、別に人に (まみ)え去ること在らん」と。
上古 (じょうこ)有道の高士、自ら手すから (くわ)しく至り、之れを修すること (かく)の如し。後来の晩進之れを怠慢すべけんや。
先来 (せんらい)云う、「典座は (ばん)を以て道心と為す」と。米砂誤まりて淘り去ること有るが如きは、自ら手ずから検点 (けんてん)せよ。
清規に云く、造食 (ぞうじき)の時、 (すべか)らく親しく自ら照顧して、自然 (じねん)に精潔なるべしと。
其の淘米の白水 (はくすい)を取りて、亦た (むなし)く棄てざれ。古来漉白水嚢 (ろうはくすいのう)を置いて、粥米 (しゅくべい)の水を弁ず。
() () (おわ)れば、心を留めて護持し、老鼠 (ろうそ)等をして触誤 (しょくご)し、竝びに諸色の閑人 (かんじん)をして見触せしむること莫れ。
粥時の菜を調ふる次に、今日斉時に飯羮等に用うる所の盤桶 (ばんつう)並に什物調度 (じゅうもつちょうど)打併 (たびゃう)して、精誠浄潔 (せいせいじょうけつ)洗灌 (せんかん)し、彼此 (ひし)高処 (こうじょ)に安ずべきは高処に安じ、低処に安ずべきは低処に安ぜよ。高処は高平に、低処は低平。
梜杓 (きょうしゃく)等の類、一切の物色 (もつしき)、一等に打併して、真心 (しんしん)に物を (かん)し、軽手 (けいしゅ)取放 (しゅほう)す。
然して後に明日の斉料 (さいりょう)理会 (りえ)せよ。先ず米裏に蟲有らんを択べ。緑豆 (りょくず)糠塵 (こうじん)・砂石等、精誠に択べ。
米を択び菜を択ぶ等の時、行者 (あんじゃ)諷経 (ぶぎん)して竈公 (そうこう)に囘向す。
次に菜羮 (さいこう)を択び物料 (もつりょう)調弁 (ちょうべん)す。
庫司に随いて打得 (たとく)する所の物料は、多少を論ぜず、麤細 (そさい)を管せず、唯だ是れ精誠に弁備するのみ。切に忌む。色を作して口に料物の多少を説くことを。
竟日 (ひねもす)通夜 (よもすがら)、物来りて (むね)に在り、 (むね)帰して物に在り。一等に佗の (ため)に精勤弁道す。
三更 (さんこう)以前は、明曉 (みょうきょう)の事を管し、三更以来は、做粥 (さしゅく)の事を管す。
当日の粥了 (おわ)らば、 ()を洗い飯を蒸し (こう)を調う。
斉米 (さいべい) (ひた)すが如きは、典座水架 (すいか)の辺を離るること ()れ。明眼 (めいげん)に親しく見て、一 (りゅう)を費さず。如法に淘汰せよ。
鍋に納れて火を焼き飯を蒸す。
古に云く、「飯を蒸す。鍋頭を自頭と為し、米を淘る。水は是れ身命なりと知れ」と。
飯を蒸し了らば、便 (すなわ)ち飯籮裏 (はんらり)に收め、及ち飯桶 (はんつう)に收めて、擡槃 (ばんだい)の上に安ぜよ。
菜羮 (さいこう)等を調弁 (ちょうべん)すること、応に飯を蒸すの時節に当るべし。
典座親く飯羮 (はんこう)調弁の処在を見、或は行者を使い、或は奴子 (ぬす)を使い、或は火客 (こか)を使い、什物 (じゅうもつ)を調えしめよ。
近来は大寺院に、飯頭 (はんじゅう)羮頭 (こうじゅう)有り。然れども是れ典座の使う所なり。
古時は飯頭羮頭等無く、典座一管 (いっかん)す。
(およ)物色 (もつしき)を調弁するに、凡眼 (ぼんがん)を以て観ること莫れ。凡情を以て (おも)うこと莫れ。
一茎艸 (いっきょうそう) (ねん)じて、宝王刹 (ほうおうせつ)を建て、一微塵 (いちみじん)に入いて、大法輪を転ぜよ。
所謂、 (たと)莆菜羮 (ふさいこう)を作るの時も、嫌厭軽忽 (けんえんきょうこつ)の心を生ずべからず。縦え頭乳羮 (ずにゅうこう)を作るの時も、喜躍歓悦 (きやくかんえつ)の心を生ずべからず。既に耽著 (たんじゃく)無し、 (なん)悪意 (おい)有らん。然らば則ち麁に向うと雖も全く怠慢無く、 (さい) ()うと雖も (いよいよ)精進有るべし。
切に物を遂うて心を変ずること莫れ。人に (したが)いて (ことば)を改むるは、是れ道人に非ざるなり。
励志至心 (しいしん)に、浄潔 (じょうけつ)なること古人に (まさ)れ、審細 (しんさい)なること先老に超えんことを庶幾 (こいねがふ)べし。
其の運心道用 (どうゆう) (てい)たらくは、古先は縦ひ三錢を得るときは、而莆菜羮を作るも、今ま吾れ同く三錢を得るときは、而ち頭乳羮を作らんと。
此の事 (なん) ()り。所以 (ゆえ) (いか)ん。今古殊異 (しゅい)にして、天地懸隔 (けんかく)なり。<豈に肩を齋しくすることを得る者ならんや
然れども審細 (しんさい)に弁肎するの時は、古人を下視 (あし)するの理、 (さだ)んで之れ有り。
此の理、必然なるすらを、猶お未だ明了ならざるは、思議紛飛 (しぎふんぴ)して、其の野馬 (やば)の如く、情念奔馳 (ほんち)して、林猿 (りんえん)に同じきを卒由 (もつて)なり。
若し彼の猿馬 (えんば)をして、一旦退歩返照 (たいほへんしょう)せしめば、自然 (じねん)打成一片 (だじょういっぺん)ならん。是れ (すなわ)ち物の所転 (しょてん) (こうむ)るとも、 ()く其の物を転ずるの手段なり。
此の如く調和浄潔にして、一眼両眼を失すること (なか)れ。
一茎菜を拈じて丈六の金身と作し。丈六の金身を請して一茎菜を作す。
神通及び変化、仏事及び利生する者なり。
已に調ひ調へ了て已に弁じ、弁じ得て那辺 (なへん)を看し這辺 (しゃへん) ()け。
(みょう) () (みょう) (しょう)には、衆に随い (さん)に随い、朝暮の請参 (しょうさん)、一も虧闕 (きけつ)すること無れ。
這裏に却来 (きゃらい)せば、直に須らく目を閉じて堂裏幾く員の単位ぞ、前資勤旧 (ごんきゅう)独寮等幾く僧ぞ、延寿、安老、寮暇等の僧、幾箇 (いくこ)人か有る、旦過 (たんが)に幾く板の雲水ぞ、菴裏に多少の皮袋 (ひたい)ぞと諦観すべし。
此の如く参じ来り参じ去りて、如し纎毫ぞの疑猜 (ぎさい)有らば、他の堂司 (どうす)及び諸寮の頭首 (ちょうしゅ)、寮主、寮首座 (しゅそ)等に問ひ、来るべし疑を (しょう)し。
便ち商量すらく。一粒米を喫するに、一粒米を添え、一粒米を分ち得れば、却て両箇の半粒米を ()。三分四分一半両半あり。他の両箇の半粒米を添れば、便ち一箇の一粒米と成る。又九分を添うるに、剩り幾分と見、今九分を收めて、佗幾分と見る。
一粒の盧陵米を喫得して、便ち潙山僧を見、一粒の盧陵米を添得して、又水牯牛を見、水牯牛潙山僧を喫し、潙山僧水牯牛を牧す。吾れ量得すや也た未だしや、你算得すや也た未しやと。
検し来り点じて来り、分明に分曉し、機に臨んで便ち説き、人に対して即ち ()え。
且恁功夫 (しばらくかくのごときのくふう)、一如二如、二日三日、未だ暫くも忘るべからざるなり。
施主院に入て財を捨し斉を設けば、亦た当に諸の知事一等に商量すべし。是れ叢林の旧例 (きゅうれい)なり。
囘物 (えもつ)俵散は、同く共に商量せよ。権を (おか)し職を乱することを得ず。
斉粥如法に弁じ了らば、案上に安置し、典座袈裟を搭け坐具を展べ、先づ僧堂を望んで、焚香九拝し、拝し了て、及ち食を発すべし。
一日夜を経し、斉粥を調弁し、虚しく光陰を度ること無れ。
実の排備有らば、挙動施為、自ら聖胎長養の業と成り、退歩飜身、便ち是れ大衆安楽の道なり。
而今 (いま)我が日本国、仏法の名字、聞くこと (すで)に久しし。然あれども僧食 (そうじき)如法作 (にょほうさ)の言、先人記せず。先徳教えず。況んや僧食九拝の礼、未だ夢にだも見ざること在り。国人僧食の事を謂ふ。僧家作食 (さじき)法の事は、宛も禽獣の食法の如しと。実に憐みを生ずべし。実に悲しみを生ずべし。
如何んぞや。
山僧天童に在りし時、本府の (ゆう)典座職に充てりき。予 (ちなみ)斉罷 (さいは)に東廊を過ぎ、超然斉に赴くの路次、典座仏殿前に在りて苔を晒す。手に竹杖を携へ、頭に片笠無し。天日熱し、地甎熱す。汗流れて徘徊すれども、力を励め苔を晒す。 (やや)苦辛を見る。背骨弓の如く、龍眉 (ほうび)鶴に似たり。
山僧近前して、便ち典座の法寿を問ふ。座云く、「六十八歳」。
山僧云く、如何ぞ行者人工 (にんく)を使わざる」。座云く、「佗は是れ吾にあらず」。
山僧云く、「老人 (ろうにん) ()如法なり。天日且つ (かくのごとく)熱す。如何ぞ恁地なる」。座云く、「更に (いず)れの時をか待たん」と。
山僧 (すなわ)ち休す。
廊を歩する脚下、 (ひそか)に此の職の機要為ることを覚ふ。
嘉定 (かてい)十六年、癸未 (きび)、五月中。慶元の舶裏 (はくり)に在りて、倭使頭説話 (せつた)次、一老僧有り来。年六十許歳 (ばかり)。一直に便ち舶裏に到り、和客に問ふて倭椹 (わじん) (たず)ね買う。
山僧他を (しょう)して茶を喫せしむ。佗の所在を問へば、便ち是れ阿育王山の典座なり。
佗云く、「吾は是れ西蜀の人なり。郷を離るること四十年を得たり。今年是れ六十一歳。向来粗ぼ諸方の叢林を ()たり。先年 ()りに孤雲裏に住し、育王を討ね得て掛搭 (かた)し、胡乱に過ぐ。
然あるに去年解夏 (かいげ) (りょう)。本寺の典座に充てらる。明日五日なれども、一 () (すべ)て好喫無し。麺汁を (つく)らんと要するに、未だ (じん)の在らざる有り。 (よっ)て特特として来る。椹を討ね買いて、十方の雲衲に供養せんとす」と。
山僧佗に問ふ、「幾ばく時か (かしこ)を離れし」。座云く、「斉了 (さいりょう)」。
山僧云く、「育王這裏を去ること多少の路か有る」。座云く、「三十四五里」。山僧云く、「幾ばく時か寺裏に廻り去るや」。座云く、如今 (いま)椹を買ひ了らば便ち (さら)ん」。
山僧云く、「今日期せずして相ひ会し、且つ舶裏に在て説話 (せった)す。豈に好結縁 (こうけつえん)に非ざらんや。道元典座禅師を供養せん」。
座云く、「不可なり。明日の供養、吾れ若し管せずんば、便ち不是 (ふぜ)にし (おわ)らん」。
山僧云く、「寺裏何ぞ同事の者斉粥を理会する無からんや。典座一位、不在なりとも、什麼 (なん)欠闕 (かんけつ)か有らん」。
座云く、「吾れ老年に此の職を (つかさど)る。及ち耄及 (ぼうぎゅう)の弁道なり。何を以て佗に譲る可けんや。又た来る時未だ一夜宿の暇を請はず」。
山僧又典座に問ふ、「座尊年、何ぞ坐禅弁道し、古人の話頭を看せざる。煩く典座に充て、只管に作務す、 (なん)の好事か有る」と。
座大笑して云く、「外国の好人、未だ弁道を了得せず。未だ文字を知得せざること在り」と。
山僧佗の恁地 (かくのごとき)の話を聞き、忽然として発慚驚心 (ほつざんきょうしん)して、便ち佗に問ふ、「如何にあらんか是れ文字。如何にあらんか是れ弁道」と。
座云く、「若も問処を蹉過せずんば、豈に其の人に非ざらんや」と。
山僧当時 (そのかみ)不会 (ふえ)
座云く、若し未だ了得せずんば、佗時 (たじ)後日、育王山に到れ。一番文字の道理を商量し去ること在らん」と。
恁地 (かくのごとく) (かた)り了って、便ち座を起って云く、「日晏れ () (いそ) (いな)ん」と。便ち帰り去れり。
同年7月、山僧天童に掛錫 (かしゃく)す。時に彼の典座来りて得相見して云く、「解夏了 (かいげりょう)に典座を退き、郷に帰り去らんとす。 (たまた)兄弟 (ひんでい)の老子が在りと説くを箇裏に聞く。如何ぞ来りて相見せざらんや」と。山僧喜踊 (きゆう)感激して、佗を接して説話 (せった)するの次で前日舶裏に在りし文字弁道の因縁を説き出す。
典座云く、「文字を学ぶ者は、文字の故を知らんことを (ほっ)す。弁道を務る者は、弁道の故を (うけが)わんことを要す」と。
山僧佗に問う、「如何にあらんか是れ文字」。座云く、「一二三四五」。
又問う、「如何にあらんか是れ弁道」。座云く、「徧界会て蔵さず」と。
其の余の説話 (せった)多般 (たはん)有りと雖も、今緑せざる所なり。
山僧 (いささ)か文字を知り、弁道を了するは、及ち彼の典座の大恩なり。
向来一段の事、先師全公に説似す。公甚だ随喜するのみ。
山僧後に雪竇の頌有り僧に示して「一字七字三五字。万像窮め来るに ()りどころ (あら)ず。夜 ()け月白うして滄溟に下り、驪珠 (りじゅ)を捜り得るは多許 (そこばく)か有る」と云を看る。
前年彼の典座の云ふ所と、今日雪竇の示す所と、自ら相ひ符合す。 (いよいよ)知る彼の典座は是れ真の道人なることを。
然あれば則ち従来看る所の文字は、是れ一二三四五なり。今日看る所の文字も、亦た六七八九十なり。
後来の兄弟 (ひんでい)、這頭従り那頭を看了し、那頭従り這頭を看了す。 (かくのごとき)功夫を作さば、便ち文字上の一味禅を了得し去らん。
若し是の如くならずんば、諸方の五味禅の毒を被りて、僧食を排弁するに、未だ好手たることを ()べからざらん。
誠に夫れ当職は先聞現証 (せんもんげんしょう)。眼に在り耳に在り。文字有り道理有り。正的 (しょうてき)と謂つべきか。
(すで)に粥飯頭の名を (かたじけの)うせば、心術も亦た之に同ずべきなり。
禅苑清規に云く、「二時の粥飯、理すること合に精豐なるべし。四事の供、須らく闕少 (けっしょう)せしむること無なるべし。世尊二千年の遺恩、兒孫 (じそん)蓋覆 (がいふ)し、白毫光 (びゃくごうこう)一分の功徳、受用不尽」と。
然あれば則ち。
()だ衆を奉することを知って、貧を憂ふべからず。
若し有限の心無んば、自ら無窮の福有らん」と。蓋し是れ衆に (ぐう)ずるは住持の心術なり。
供養の物色を調弁するの術は、物の細を論ぜず、物の麁を論ぜず、深く真実心敬重 (きょうじゅう)心を生するを詮要と為す。
見ずや、漿水の一鉢も。 (また)十号に供ずれば、自と老婆生前 (しょうぜん)の妙功徳を得、菴羅 (あんら)の半果も、 (また)一寺に捨すれば、能く育王最後の大善根を萌し、記別 (きべつ)を授り大果を感ぜり。
仏の縁と雖も、多虚は少実に ()かず。是れ人の行なり。
所謂醍醐味を調ふるも、未だ必ずしも上と為さず、莆菜羮 (ふさいこう)を調ふるも、未だ必ず下と為さず。フ菜を捧げフ菜を択ぶの時、真心、誠心、浄潔心ならば、醍醐味に準ずべし。
所以 (ゆえ) (いかん)となれば、仏法の清浄の大海衆に朝宗するの時、醍醐味を見ず、フ菜味を存せず、唯一大海味のみ。
況や復た道芽を長じ、聖胎を養ふの事、醍醐とフ菜と、一如にして二如無きをや。
比丘の口 (かまど)の如しの先言有り。知らずんばあるべからず。
想ふべしフ菜能く聖胎を養ひ、能く道芽を長ずることを。賎しと為すべからず。軽しと為すべからず。人天の導師、フ菜の化益 (けやく)を為すべきものなり。
又た衆僧の得失を見るべからず。衆僧の老少を顧るべからず。
() ()ほ自の落処を知らず、 () (いかで)か佗の落処を識ることを得んや。自の非を以て佗の非と為す。豈に誤まらざらんや。
耆年 (ぎねん)晩進 (ばんしん)と、其の形異なりと雖も、有智 (うち)愚朦 (ぐもう)も、僧宗是れ同じ。
亦た昨は非なるも今は ()聖凡 (しょうぼん) (なんぞ)知らん。
禅苑清規に云く、「僧は凡聖と無く、十方に通会す」。
若し一切の是非莫管 (まつかん)志氣 (しいき)有らば、 (なん)ぞ直趣無上菩提の道業に非ざらんや。
如し向来の一歩を (あやま)らば、便及 (すなはち)対面して蹉過せん。
古人の骨髄、全く (かくのごとき)功夫を作すの処に在り。
後代当職を (つかさど)るの兄弟 (ひんでい)も、亦た (かくのごとき)功夫を作して始て得てん。
百丈高祖の規縄 (きじょう)豈に虚からんや。
山僧帰国より以降 (このかた)錫を建仁に (とど)むること一両三年。
彼寺 (おろ)かに此の職を置けども。唯だ名字のみ有て、全く入の実無し。
未だ是れ仏事なることを識らず、豈に敢て道を弁肎せんや。
真に其の人に遇はず、虚く光陰を度り、 (みだり)道業を破ることを憐憫すべし。
(かつ)て彼の寺を看るに此の職の僧、二時の斉粥、 (すべ)て事を管せず。一りの無頭脳、無人情の奴子 (ぬす)を帯して、一切大小の事、総に佗に説向す。正を作得すも、不正を作得すも、未だ会て ()いて看せず。
鄰家に婦女有るが如くに相ひ似たり。若し ()いて得佗を見れば、及ち恥とし及ち (きず)とす。
一局を結構して、或は偃臥し、或は談笑し、或は看経 (かんきん)し、或は念誦して、日久しく月深けれども、鍋辺 (かへん)に到らず。
(いわん)や什物を買索 (ばいさく)し、味数を諦観するは、豈に其の事を存せんや。
(いか)に況や両節の九拝未だ夢にだも見ざること在り。
時至れども童行 (ずんなん)に教ることも ()た未だ会て知らず。
憐むべく悲むべし。無道心の人。未だ会て有道徳に遇見せざるの (ともがら)、宝山に入ると雖も、空手にして帰り、宝海に到ると雖も、空身にして還ること。
応に知るべし佗未だ会て発心せずと雖も、若も一本分人に (まみ)へば、則ち其の道を行得せん。
未だ本分人に見へずと雖も、若し是れ深く発心せば、則ち其の道を行膺せん。
既に (すで)に両つながら ()かば、何を以てか一の益あらん。
大宋国の諸山、諸寺、知事頭首の職に居るの (やから)を見るが如きんば、一年の精勤為りと雖も、各三般 (さんぱん)の住持を存し、時と (とも)に之を營み、縁を競ふて之を励む。
已に他を利するが如く兼て自利を豐にす。叢席を一興し高格を一新す。肩を (ひとし)うし頭を竸ひ踵を継ぎ蹤を重んず。
是に於て応に (つまびらか)にずべし。自を見ること佗の如くなるの癡人 (ちにん)有り。佗を顧ること自の如くなるの君子有りことを。
古人云く、「三分の光陰二早く過ぐ、霊台一点も揩磨 (かいま)せず。生を貧り日を遂ふて区区 (くく)として去る。 ()べども頭を囘らさず爭奈何 (いかん)せん」と。
(すべから)く知るべし未だ知識に (まみ)えんざれば、人情に奪は ()ることを。
憐むべし愚子長者所伝の家財を運出 (うんすい)して、 (いたづら)に佗人面前の塵糞と作すことを。
今は乃ち然かあるべからざるか。
(かつ)て当職を観るに前来の有道、其の掌其の徳自から符す。
大イの悟道も、典座の時なり。洞山の麻三斤も、亦た典座の時なり。
若し事を貴ぶべき者ならば、悟道の事を貴ぶべし。若し時を貴ぶべき者ならば、悟道の時を貴ぶべき者か。
事を慕ひ道を (たのし)むの跡、 (いさこ)を握て宝と為する、猶ほ其の (しる)し有り。形を模して (らい)を作す。 (しばし)ば其の感を見る。
(いか) (いわん)や其の職是れ同じく、其の (しょう)是れ一なるをや。
其の情其の業、若し伝ふべき者ならば、其の美其の道、豈に来らざらんや。
凡そ諸の知事頭首 (ちょうしゅ)、及び当職作事作務の時節、喜心、老心、大心を保持すべき者なり。

所謂喜心とは、喜悦の心なり。
想ふべし我れ若し天上に生れば、楽に著め (ひま)無く、発心すべからず。修行未だ便 (べん)ならず。何かに況や三宝供養の食を作るべけんや。
万法の中、最尊貴なるは三宝なり。最上勝なるは三宝なり。天帝も喩ふ (べか)らず。輪王も比せず。
清規に云く、「世間の尊貴、物外 (もつがい)優間 (ゆうげん)、清浄無為なるは、衆僧を最と為す」と。
今吾幸に人間に生れて、此の三宝受用の (じき)を作ること、豈に大因縁に非ずや。尤も以て悦喜すべき者なり。
又た想ふべし、我れ若し地獄、餓鬼、畜生、修羅等の趣に生れ、又自余の八難処に生れば、
僧力の覆身 (ぶしん)を求むること有りと雖も、手ら自ら供養三宝の浄食を作るべからず。
其の苦器に依て苦を受け、身心を縛すればなり。
今生既に之を作る。悦ぶべきの生なり。悦ぶべきの身なり。曠大劫の良縁なり。 ()つべからざるの功徳なり。
願くは万生千生を以て、一日一時に攝し、之を弁すべく之を作るべし。
能く千万生の身をして良縁を結ば使 (しめ)んが為めなり也。
此の如き観達の心、乃ち喜心なり。
誠に夫れ縦ひ転輪聖王の身作るも、供養三宝の食作ら ()る者は、終に其益無し。唯是れ水沫泡炎 (すいまつほうえん)の質なり。

所謂老心とは、父母の心なり。譬へば父母の一子を念ふが (ごと)し。三宝を存念すること、一子を念ふが如くせよ。
貧者窮者 (ぐうしゃ)、強いて一子を愛育す。其の志如何ん。外人識らず。父と作り母と作て (まさ)に之を識る。
自身の貧富を顧みず。偏に吾子の長大ならんことを念ふ。
自の寒きを顧みず、自の熱きを顧みず、子を (おほ)ひ子を (おほ)ふ。
以て親切切切の至りと為す。
其の心を (おこ)す人、能く之を識る。其の心に慣ふ人、方に之を覚る者なり。
然あれば乃ち水を看穀を看るに、皆な子を養ふの慈懇を存すべき者か。
大師釈尊猶ほ二千年の仏寿を分て、末世の吾れ等を蔭ひたまふ。其の意如何ん。唯だ父母の心を垂るるのみ。
如来は全く果を求むべからず。亦た富を求むべからず。

所謂大心とは、其の心を大山 (だいせん)にし、其の心を大海にす。 (へん)無く (とう)無き心なり。
両を (ひさげ)て軽しと為なず、鈞を ()げて重しとすべからず。
春声 (しゅんせい)に引か ()て、春沢 (しゅんたく) (あそ)ばず。
秋色を見ると雖も、更に秋心無し。
四運 (しうん)一景 (いっけ)に竸ひ、銖両 (しゅりょう)を一目に視る。
是の一節に於て大の字を書すべし。大の字を知るべし。大の字を学すべし。
夾山 (かつさん)の典座、若し大字を学せずんば、不覚の一笑もて、大原を度すること莫らん。
大イ禅師、大字を書せずんば、一茎柴 (いっきょうさい)を取て、三たび吹くべからざらん。
洞山和尚、大字を知らずんば、三斤の麻を拈じて、一僧に示すこと莫らん。
応に知るべし向来の大善知識は、倶に是れ百艸頭上に、大字を学し来て、今乃ち自在に大声を作し、大義を説き、大事を了し、大人を接し、者箇 (しゃこ)一段の大事因縁を成就する者なり。
住持。知事。頭首。雲衲。阿誰 (たれか)此の三種の心を忘却する者ならんや。

(とき)に嘉禎三丁酉春。 ()して後来学道の君子に示す。
観音導利興聖宝林禅寺住持伝法沙門道元 (しる)す。


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