正 法 眼 蔵    弁道話 (べんどうわ)  
弁 道 話

  諸仏如来、ともに妙法を単伝して、阿耨菩提を証するに、最上無為の妙術あり。これただ、ほとけ仏にさづけてよこしまなることなきは、すなはち自受用三昧、その標準なり。
  この三昧に遊化するに、端坐参禅を正門とせり。この法は、人人の分上にゆたかにそなはれりといへども、いまだ修せざるにはあらはれず、証せざるにはうることなし。はなてばてにみてり、一多のきはならむや。かたればくちにみつ、縱横きはまりなし。諸仏のつねにこのなかに住持たる、各各の方面に知覚をのこさず。群生のとこしなへにこのなかに使用する、各各の知覚に方面あらはれず。
  いまをしふる功夫弁道は、証上に万法をあらしめ、出路に一如を行ずるなり。その超関脱落のとき、この節目にかかはらむや。

  予発心求法よりこのかた、わが朝の遍方に知識をとぶらひき。ちなみに建仁の全公をみる。あひしたがふ霜華すみやかに九廻をへたり。いささか臨濟の家風をきく。全公は祖師西和尚の上足として、ひとり無上の仏法を正伝せり。あへて余輩のならぶべきにあらず。
  予かさねて大宋国におもむき、知識を両浙にとぶらひ、家風を五門にきく。つひに大白峰の浄禅師に参じて、一生参学の大事ここにをはりぬ。それよりのち、大宋紹定のはじめ、本卿にかへりしすなはち、弘法衆生をおもひとせり。なほ重擔をかたにおけるがごとし。
  しかあるに、弘通のこころを放下せん激揚のときをまつゆゑに、しばらく雲遊萍寄して、まさに先哲の風をきこえむとす。ただし、おのずから名利にかかはらず、道念をさきとせん真実の参学あらむか。いたづらに邪師にまどはされて、みだりに正解をおほひ、むなしく自狂にゑうて、ひさしく迷卿にしづまん、なにによりてか般若の正種を長じ、得道の時をえん。貧道はいま雲遊萍寄をこととすれば、いづれの山川をかとぶらはむ。これをあはれむゆゑに、まのあたり大宋国にして禅林の風規を見聞し、知識の玄旨を稟持せしを、しるしあつめて、参学閑道の人にのこして、仏家の正法をしらしめんとす。これ真訣ならむかも。
  いはく、大師釈尊、霊山会上にして法を迦葉につけ、祖祖正伝して、菩提達磨尊者にいたる。尊者、みづから神丹国におもむき、法を慧可大師につけき。これ東地の仏法伝来のはじめなり。
  かくのごとく単伝して、おのづから六祖大鑑禅師にいたる。このとき、真実の仏法まさに東漢に流演して、節目にかかはらぬむねあらはれき。ときに六祖に二位の神足ありき。南嶽の懐譲と原の行思となり。ともに仏印を伝持して、おなじく人天の導師なり。その二派の流通するに、よく五門ひらけたり。いはゆる法眼宗、 為仰宗、曹洞宗、雲門宗、臨濟宗なり。見在、大宋には臨濟宗のみ天下にあまねし。五家ことなれども、ただ一仏心印なり。
  大宋国も後漢よりこのかた、教籍あとをたれて一天にしけりといへども、雌雄いまださだめざりき。祖師西来ののち、直に葛藤の根源をきり、純一の仏法ひろまれり。わがくにも又しかあらむ事をこひねがふべし。
  いはく、仏法を住持せし諸祖ならびに諸仏、ともに自受用三昧に端坐依行するを、その開悟のまさしきみちとせり。西天東地、さとりをえし人、その風にしたがえり。これ、師資ひそかに妙術を正伝し、真訣を稟持せしによりてなり。

  宗門の正伝にいはく、この単伝正直の仏法は、最上のなかに最上なり、参見知識のはじめより、さらに焼香礼拝念仏修懺看経をもちゐず、ただし打坐して身心脱落することをえよ。
  もし人、一時なりといふとも、三業に仏印を標し、三昧に端坐するとき、遍法界みな仏印となり、尽虚空ことごとくさとりとなる。ゆゑに、諸仏如来をしては本地の法楽をまし、覚道の荘厳をあらたにす。および十方法界、三途六道の群類、みなともに一時に身心明浄にして、大解脱地を証し、本来面目現ずるとき、諸仏法みな正覚を証会し、万物ともに仏身を使用して、すみやかに証会の辺際を一超して、覚樹王に端坐し、一時に無等等の大法輪を転じ、究竟無為の深般若を開演す。
  これらの等正覚、さらにかへりてしたしくあひ冥資するみちかよふがゆゑに、この坐禅人、確爾として身心脱落し、従来雑穢の知見思量を截断して、天真の仏法に証会し、あまねく微塵際そこばくの諸仏如来の道場ごとに仏事を助発し、ひろく仏向上の機にかうぶらしめて、よく仏向上の法を激揚す。このとき、十方法界の土地草木、牆壁瓦礫みな仏事をなすをもて、そのおこすところの風水の利益にあづかるともがら、みな甚妙不可思議の仏化に冥資せられて、ちかきさとりをあらはす。この水火を受用するたぐひ、みな本証の仏化を周旋するゆゑに、これらのたぐひと共住して同語するもの、またことごとくあひたがひに無窮の仏徳そなはり、展転広作して、無尽、無間断、不可思議、不可称量の仏法を、遍法界の内外に流通するものなり。しかあれども、このもろもろの当人の知覚に昏ぜざらしむることは、静中の無造作にして直証なるをもてなり。もし、凡流のおもひのごとく、修証を両段にあらせば、おのおのあひ覚知すべきなり。もし覚知にまじはるは証則にあらず、証則には迷情およばざるがゆゑに。
  又、心境ともに静中の証入悟出あれども、自受用の境界なるをもて、一塵をうごかさず、一相をやぶらず、広大の仏事、甚深微妙の仏化をなす。この化道のおよぶところの草木土地、ともに大光明をはなち、深妙法をとくこと、きはまるときなし。草木牆壁は、よく凡聖含霊のために宣揚し、凡聖含霊はかへつて草木牆壁のために演暢す。自覚覚他の境界、もとより証相をそなへてかけたることなく、証則おこなはれておこたるときなからしむ。
  ここをもて、わづかに一人一時の坐禅なりといへども、諸法とあひ冥し、諸時とまどかに通ずるがゆゑに、無尽法界のなかに、去来現に、常恆の仏化道事をなすなり。彼彼ともに一等の同修なり、同証なり。ただ坐上の修のみにあらず、空をうちてひびきをなすこと、撞の前後に妙声綿綿たるものなり。このきはのみにかぎらむや、百頭みな本面目に本修行をそなへて、はかりはかるべきにあらず。
  しるべし、たとひ十方無量恆河沙数の諸仏、ともにちからをはげまして、仏知慧をもて、一人坐禅の功徳をはかりしりきはめんとすといふとも、あへてほとりをうることあらじ。

  いまこの坐禅の功徳、高大なることをききをはりぬ。おろかならむ人、うたがうていはむ、仏法におほくの門あり、なにをもてかひとへに坐禅をすすむるや。
  しめしていはく、これ仏法の正門なるをもてなり。

  とうていはく、なんぞひとり正門とする。
  しめしていはく、
大師釈尊、まさしく得道の妙術を正伝し、又三世の如来、ともに坐禅より得道せり。このゆゑに正門なることをあひつたへたるなり。しかのみにあらず、西天東地の諸祖、みな坐禅より得道せるなり。ゆゑにいま正門を人天にしめす。
  とうていはく、あるいは如来の妙術を正伝し、または祖師のあとをたづぬるによらむ、まことに凡慮のおよぶにあらず。しかはあれども、読経念仏はおのづからさとりの因縁となりぬべし。ただむなしく坐してなすところなからむ、なにによりてかさとりをうるたよりとならむ。
  しめしていはく、なんぢいま諸仏の三昧、無上の大法を、むなしく坐してなすところなしとおもはむ、これを大乗を謗ずる人とす。まどひのいとふかき、大海のなかにゐながら水なしといはむがごとし。すでにかたじけなく、諸仏自受用三昧に安坐せり。これ広大の功徳をなすにあらずや。あはれむべし、まなこいまだひらけず、こころなほゑひにあることを。
  おほよそ諸仏の境界は不可思議なり。心識のおよぶべきにあらず。いはむや不信劣智のしることをえむや。ただ正信の大機のみ、よくいることをうるなり。不信の人は、たとひをしふともうくべきことかたし。霊山になほ退亦佳矣のたぐひあり。おほよそ心に正信おこらば修行し参学すべし。しかあらずは、しばらくやむべし。むかしより法のうるほひなきことをうらみよ。
  又、読経念仏等のつとめにうるところの功徳を、なんぢしるやいなや。ただしたをうごかし、こゑをあぐるを、仏事功徳とおもへる、いとはかなし。仏法に擬するにうたたとほく、いよいよはるかなり。又、経書をひらくことは、ほとけ頓漸修行の儀則ををしへおけるを、あきらめしり、教のごとく修行すれば、かならず証をとらしめむとなり。いたづらに思量念度をつひやして、菩提をうる功徳に擬せんとにはあらぬなり。おろかに千万誦の口業をしきりにして仏道にいたらむとするは、なほこれながえをきたにして、越にむかはんとおもはんがごとし。又、圓孔に方木をいれんとせんとおなじ。文をみながら修するみちにくらき、それ医方をみる人の合薬をわすれん、なにの益かあらん。口声をひまなくせる、春の田のかへるの、昼夜になくがごとし、つひに又益なし。いはむやふかく名利にまどはさるるやから、これらのことをすてがたし。それ利貪のこころはなはだふかきゆゑに。むかしすでにありき、いまのよになからむや、もともあはれむべし。
  ただまさにしるべし、七仏の妙法は、得道明心の宗匠に、契心証会の学人あひしたがうて正伝すれば、的旨あらはれて稟持せらるるなり。文字習学の法師のしりおよぶべきにあらず。しかあればすなはち、この疑迷をやめて、正師のをしへにより、坐禅弁道して諸仏自受用三昧を証得すべし。
  とうていはく、いまわが朝につたはれるところの法花宗、華厳教、ともに大乗の究竟なり。いはむや真言宗のごときは、毘盧遮那如来したしく金剛薩埵につたへて師資みだりならず。その談ずるむね、即心是仏、是心作仏というて、多劫の修行をふることなく、一座に五仏の正覚をとなふ、仏法の極妙といふべし。しかあるに、いまいふところの修行、なにのすぐれたることあれば、かれらをさしおきて、ひとへにこれをすすむるや。
  しめしていはく、しるべし、仏家には教の殊劣を対論することなく法の浅深をえらばず、ただし修行の真偽をしるべし。草花山水にひかれて仏道に流入することありき、土石沙礫をにぎりて仏印を稟持することあり。いはむや広大の文字は万象にあまりてなほゆたかなり、転大法輪又一塵にをさまれり。しかあればすなはち、即心即仏のことば、なほこれ水中の月なり、即坐成仏のむね、さらに又かがみのうちのかげなり。ことばのたくみにかかはるべからず。いま直証菩提の修行をすすむるに、仏祖単伝の妙道をしめして、真実の道人とならしめんとなり。
  又、仏法を伝授することは、かならず証契の人をその宗師とすべし。文字をかぞふる学者をもてその導師とするにたらず。一盲の衆盲をひかんがごとし。いまこの仏祖正伝の門下には、みな得道証契の哲匠をうやまひて、仏法を住持せしむ。かるがゆゑに、冥陽の神道もきたりし帰依し、証果の羅漢もきたり問法するに、おのおの心地を開明する手をさづけずといふことなし。余門にいまだきかざるところなり。ただ、仏弟子は仏法をならふべし。
  又しるべし、われらはもとより無上菩提かけたるにあらず、とこしなへに受用すといへども、承当することをえざるゆゑに、みだりに知見をおこす事をならひとして、これを物とおふによりて、大道いたづらに蹉過す。この知見によりて、空花まちまちなり。あるいは十二輪転、二十五有の境界とおもひ、三乗五乗、有仏無仏の見、つくる事なし。この知見をならうて、仏法修行の正道とおもふべからず。しかあるを、いまはまさしく仏印によりて万事を放下し、一向に坐禅するとき、迷悟情量のほとりをこえて、凡聖のみちにかかはらず、すみやかに格外に逍遙し、大菩提を受用するなり。かの文字の筌にかかはるものの、かたをならぶるにおよばむや。

  とうていはく、三学のなかに定学あり、六度のなかに禅度あり。ともにこれ一切の菩薩の、初心よりまなぶところ、利鈍をわかず修行す。いまの坐禅も、そのひとつなるべし、なにによりてか、このなかに如来の正法あつめたりといふや。
  しめしていはく、いまこの如来一大事の正法眼蔵、無上の大法を、禅宗となづくるゆゑに、この問きたれり。
しるべし、この禅宗の号は、神丹以東におこれり、竺乾にはきかず。はじめ達磨大師、嵩山の少林寺にして九年面壁のあひだ、道俗いまだ仏正法をしらず、坐禅を宗とする婆羅門となづけき。のち代代の諸祖、みなつねに坐禅をもはらす。これをみるおろかなる俗家は、実をしらず、ひたたけて坐禅宗といひき。いまのよには、坐のことばを簡して、ただ禅宗といふなり。そのこころ、諸祖の広語にあきらかなり。六度および三学の禅定にならべていふべきにあらず。
  この仏法の相伝の嫡意なること、一代にかくれなし。如来、むかし霊山会上にして、正法眼蔵涅槃妙心、無上の大法をもて、ひとり迦葉尊者にのみ付法せし儀式は、現在して上界にある天衆、まのあたりにみしもの存ぜり、うたがふべきにたらず。おほよそ仏法は、かの天衆、とこしなへに護持するものなり、その功いまだふりず。
  まさにしるべし、これは仏法の全道なり、ならべていふべき物なし。

  とうていはく、仏家なにによりてか、四儀のなかに、ただし坐にのみおほせて禅定をすすめて証入をいふや。
  しめしていはく、むかしよりの諸仏、あひつぎて修行し、証入せるみち、きはめしりがたし。ゆゑをたづねば、ただ仏家のもちゐるところをゆゑとしるべし。このほかにたづぬべからず。ただし、祖師ほめていはく、「坐禅はすなはち安楽の法門なり。」はかりしりぬ、四儀のなかに安楽なるゆゑか。いはむや、一仏二仏の修行のみちにあらず、諸仏諸祖にみなこのみちあり。

  とうていはく、この坐禅の行は、いまだ仏法を証会せざせんものは、坐禅弁道してその証をとるべし。すでに仏正法をあきらめえん人は、坐禅なにのまつところかあらむ。
  しめしていはく、癡人のまへにゆめをとかず、山子の手には舟棹をあたへがたしといへども、さらに訓をたるべし。
  それ、修証は一つにあらずとおもへる、すなはち外道の見なり。仏法には修証これ一等なり。いまも証上の修なるゆゑに、初心の弁道すなはち本証の全体なり。かるがゆゑに、修行の用心をさづくるにも、修のほかに証をまつおもひなかれとをしふ、直指の本証なるがゆゑなるべし。すでに修の証なれば、証にきはなく、証の修なれば、修にはじめなし。ここをもて釈迦如来、迦葉尊者、ともに証上の修に受用せられ、達磨大師、大鑑高祖、おなじく証上の修に引転せらる。仏法住持のあと、みなかくのごとし。
  すでに証をはなれぬ修あり、われらさいはひに一分の妙修を単伝せる、初心の弁道すなはち一分の本証を無為の地にうるなり。しるべし、修をはなれぬ証を染汚せざらしめんがために、仏祖しきりに修行のゆるくすべからざるとをしふ。妙修を放下すれば本証手の中にみてり、本証を出身すれば、妙修通身におこなはる。
  又、まのあたり大宋国にしてみしかば、諸方の禅院みな坐禅堂をかまへて、五百六百および一二千僧を安じて、日夜に坐禅をすすめき。その席主とせる伝仏心印の宗師に、仏法の大意をとぶらひしかば、修証の両段にあらぬむねをきこえき。
  このゆゑに、門下の参学のみにあらず、求法の高流、仏法のなかに真実をねがはむ人、初心後心をえらばず、凡人聖人を論ぜず、仏のをしへにより、宗匠の道をおうて、坐禅弁道すべしとすすむ。
  きかずや、祖師のいはく、修証はすなはちなきにあらず、染汚することはえじ。
  又いはく、道をみるもの、道を修すと。しるべし、得道のなかに修行すべしといふことを。

  とうていはく、わが朝の先代に、教をひろめし祖師、ともにこれ入唐伝法せしとき、なんぞこのむねをさしおきて、ただをのみつたへし。
  しめしていはく、むかしの人師、この法をつたへざりしことは、時節のいまだいたらざりしゆゑなり。

  とうていはく、かの上代の師、この法を会得せりや。
  しめしていはく、会せば通じてむ。

  とうていはく、あるがいはく、生死をなげくことなかれ、生死を出離するにいとすみやかなるみちあり。いはゆる心性の常住なることわりをしるなり。そのむねたらく、この身体は、すでに生あればかならず滅にうつされゆくことありとも、この心性はあへて滅する事なし。よく生滅にうつされぬ心性わが身にあることをしりぬれば、これを本来の性とするがゆゑに、身はこれかりのすがたなり、死此生彼さだまりなし。心はこれ常住なり、去来現在かはるべからず。かくのごとくしるを、生死をはなれたりとはいふなり。このむねをしるものは、従来の生死ながくたえて、この身をはるとき性海にいる。性海に朝宗するとき、諸仏如来のごとく妙徳まさにそなはる。いまはたとひしるといへども、前世の妄業になされたる身体なるがゆゑに、諸聖とひとしからず。いまだこのむねをしらざるものは、ひさしく生死にめぐるべし。しかあればすなはち、ただいそぎて心性の常住なるむねを了知すべし。いたづらに閑坐して一生をすぐさん、なにのまつところかあらむ。
  かくのごとくいふむね、これはまことに諸仏諸祖の道にかなへりや、いかむ。
  しめしていはく、いまいふところの見、またく仏法にあらず。先尼外道が見なり。
  いはく、かの外道の見は、わが身、うちにひとつの霊知あり、かの知、すなはち縁にあふところに、よく好悪をわきまへ、是非をわきまふ。痛痒をしり、苦楽をしる、みなかの霊知のちからなり。しかあるに、かの霊性は、この身の滅するとき、もぬけてかしこにむまるるゆゑに、ここに滅すとみゆれども、かしこの生あれば、ながく滅せずして常住なりといふなり。かの外道が見、かくのごとし。
  しかあるを、この見をならうて仏法とせむ、瓦礫をにぎつて金悪とおもはんよりもなほおろかなり。癡迷のはづべき、たとふるにものなし。大唐国の慧忠国師、ふかくいましめたり。いま心常相滅の邪見を計して、諸仏の妙法にひとしめ、生死の本因をおこして、生死をはなれたりとおもはむ、おろかなるにあらずや。もともあはれむべし。ただこれ外道の邪見なりとしれ、みみにふるべからず。
  ことやむことをえず、いまなほあはれみをたれて、なんぢが邪見をすくはば、しるべし、仏法にはもとより身心一如にして、性相不二なりと談ずる、西天東地おなじくしれるところ、あへてたがふべからず。いはむや常住を談ずる門には万法みな常住なり、身と心とをわくことなし。寂滅を談ず門には諸法みな寂滅なり。性と相とをわくことなし。しかあるを、なんぞ身滅心常といはむ、正理にそむかざらむや。しかのみならず、生死はすなはち涅槃なりと覚了すべし。いまだ生死のほかに涅槃を談ずることなし。いはむや、心は身をはなれて常住なりと領解するをもて、生死をはなれたる仏智に妄計すといふとも、この領解智覚の心は、すなはちなほ生滅して、またく常住ならず。これはかなきにあらずや。
  嘗観すべし、身心一如のむねは、仏法のつねの談ずるところなり。しかあるに、なんぞ、この身の生滅せんとき、心ひとり身をはなれて、生滅せざらむ。もし、一如なるときあり、一如ならぬときあらば、仏説おのづから虚妄にありぬべし。又、生死はのぞくべき法ぞとおもへるは、仏法をいとふつみとなる。つつしまざらむや。
  しるべし、仏法に心性大総相の法門といふは、一大法界をこめて、性相をわかず、生滅をいふことなし。菩提涅槃におよぶまで、心性にあらざるなし。一切諸法、万象森羅ともに、ただこれ一心にして、こめずかねざることなし。このもろもろの法門、みな平等一心なり。あへて異違なしと談ずる、これすなはち仏家の心性をしれる様子なり。
  しかあるをこの一法に身と心とを分別し、生死と涅槃とをわくことあらむや。すでに仏子なり、外道の見をかたる狂人のしたのひびきを、みみにふるることなかれ。

  とうていはく、この坐禅をもはらせむ人、かならず戒律を厳浄すべしや。
しめしていはく、持戒梵行は、すなはち禅門の規矩なり、仏祖の家風なり。いまだ戒をうけず、又戒をやぶれるもの、その分なきにあらず。

  とうていはく、この坐禅をつとめん人、さらに真言止観の行をかね修せん、さまたげあるべからずや。
  しめしていはく、在唐のとき、宗師に真訣をききしちなみに、西天東地の古今に、仏印を正伝せし諸祖、いづれもいまだしかのごときの行をかね修すときかずといひき。まことに、一事をこととせざれば一智に達することなし。

  とうていはく、この行は、在俗の男女もつとむべしや、ひとり出家人のみ修するか。
  しめしていはく、祖師のいはく、仏法を会すること、男女貴賎をえらぶべからずときこゆ。

  とうていはく、出家人は、諸縁すみやかにはなれて、坐禅弁道にさはりなし。在俗の繁務は、いかにしてか一向に修行して無為の仏道にかなはむ。
  しめしていはく、おほよそ、仏祖あはれみのあまり、広大の慈門をひらきおけり。これ一切衆生を証入せしめんがためなり、人天たれかいらざらむものや。ここをもて、むかしいまをたづぬるに、その証これおほし。しばらく、代宗順宗の帝位にして、万機いとしげかりし、坐禅弁道して仏祖の大道を会通す。李相国、防相国、ともに輔佐の臣位にはむべりて、一天の股肱たりし、坐禅弁道して仏祖の大道に証入す。ただこれこころざしのありなしによるべし、身の在家出家にかかはらじ。又ふかくことの殊劣をわきまふる人、おのづから信ずることあり。いはむや世務は仏法をさふとおもへるものは、ただ世中に仏法なしとのみしりて、仏中に世法なき事をいまだしらざるなり。
  ちかごろ大宋に馮相公といふありき。祖道に長ぜりし大官なり。のちに詩をつくりてみづからをいふに、いはく、
   公事之余喜坐禅、  公事の余に坐禅を喜む、
   少曽将脇到牀眠。  曽て脇を将て牀に到して眠ること少し。
   雖然現出宰宦相、  然しか宰宦相と現出せりと雖も、
   長老之名四海伝。  長老の名、四海に伝はる。
  これは、宦務にひまなかりし身なれども、仏道にこころざしふかければ、得道せるなり。他をもてわれをかへりみ、むかしをもていまをかがみるべし。
  大宋国には、いまのよの国王大臣、士俗男女、ともに心を祖道にとどめずといふことなし。武門文家、いづれも参禅学道をこころざせり。こころざすもの、かならず心地を開明することおほし。これ世務の仏法をさまたげざる、おのづからしられたり。
  国家に真実の仏法弘通すれば、諸仏諸天ひまなく衛護するがゆゑに、王化太平なり。聖化太平なれば、仏法そのちからをうるものなり。
  又、釈尊の在世には、逆人邪見みちをえき。祖師の会下には、獦者樵翁さとりをひらく。いはむやそのほかの人をや。ただ正師の教道をたづぬべし。

  とうていはく、この行は、いま末代悪世にも、修行せば証をうべしや。
  しめしていはく、教家に名相をこととせるに、なほ大乗実教には、正像末法をわくことなし。修すればみな得道すといふ。いはむやこの単伝の正法には、入法出身、おなじく自家の財珍を受用するなり。証の得否は、修せむもの、おのづからしらむこと、用水の人の冷煖をみづからわきまふるがごとし。
  とうていはく、あるがいはく、仏法には、即心是仏のむねを了達しぬるがごときは、くちに経典を誦せず、身に仏道を行ぜざれども、あへて仏法にかけたるところなし。ただ仏法はもとより自己にありとしる、これを得道の全圓とす。このほかさらに他人にむかひてもとむべきにあらず。いはむや坐禅弁道をわづらはしくせむや。
  しめしていはく、このことば、もともはかなし。もしなんぢがいふごとくならば、こころあらむもの、たれかこのむねををしへむに、しることなからむ。
  しるべし、仏法はまさに自他の見をやめて学するなり。もし、自己即仏としるをもて得道とせば、釈尊むかし化道にわづらはじ。しばらく古徳の妙則をもて、これを証すべし。

  むかし、則公監院といふ僧、法眼禅師の会中にありしに、法眼禅師とうていはく、則監寺、なんぢわが会にありていくばくのときぞ。
  則公がいはく、われ師の会にはむべりて、すでに三年をへたり。
  禅師のいはく、なんぢはこれ後生なり、なんぞつねにわれに仏法をとはざる。
  則公がいはく、それがし和尚をあざむくべからず。かつて峰の禅師のところにありしとき、仏法におきて安楽のところを了達せり。
  禅師のいはく、なんぢいかなることばによりてか、いることをえし。
  則公がいはく、それがしかつて峰にとひき、いかなるかこれ学人の自己なる。
  峰のいはく、丙丁童子来求火。
  法眼のいはく、よきことばなり。ただしおそらくはなんぢ会せざらむことを。
  則公がいはく、丙丁は火に属す。火をもてさらに火をもとむ、自己をもて自己をもとむるににたりと会せり。
  禅師のいはく、まことにしりぬ、なんぢ会せざりけり。仏法もしかくのごとくならば、けふまでつたはれじ。
  ここに則公懆悶して、すなはちたちぬ。中路にいたりておもひき、禅師はこれ天下の善知識、又五百人の大導師なり。わが非をいさむる、さだめて長処あらむ。禅師のみもとにかへりて懺悔礼謝してとうていはく、いかなるかこれ学人の自己なる。
  禅師のいはく、丙丁童子来求火と。
  則公、このことばのしたに、おほきに仏法をさとりき。
  あきらかにしりぬ、自己即仏の領解をもて仏法をしれりといふにはあらずといふことを。もし自己即仏の領解を仏法とせば、禅師さきのことばをもてみちびかじ、又しかのごとくいましむべからず。ただまさに、はじめ善知識をみむより、修行の儀則を咨問して、一向に坐禅弁道して、一知半解を心にとどむることなかれ。仏法の妙術、それむなしからじ。

  とうていはく、乾唐の古今をきくに、あるいはたけのこゑをききて道をさとり、あるいははなのいろをみてこころをあきらむる物あり、いはむや、釈迦大師は、明星をみしとき道を証し、阿難尊者は、刹竿のたふれしところに法をあきらめしのみならず、六代よりのち、五家のあひだに、一言半句のしたに心地をあきらむるものおほし。かれらかならずしも、かつて坐禅弁道せるもののみならむや。
  しめしていはく、古今に見色明心し、聞声悟道せし当人、ともに弁道に擬議量なく、直下に第二人なきことをしるべし。

  とうていはく、西天および神丹国は、人もとより質直なり。中華のしからしむるによりて、仏法を教化するに、いとはやく会入す。我朝は、むかしより人に仁智すくなくして、正種つもりがたし。蕃夷のしからしむる、うらみざらむや。又このくにの出家人は、大国の在家人にもおとれり。挙世おろかにして、心量狹少なり。ふかく有為の功を執して、事相の善をこのむ。かくのごとくのやから、たとひ坐禅すといふとも、たちまちに仏法を証得せむや。
  しめしていはく、いふがごとし。わがくにの人、いまだ仁智あまねからず、人また迂曲なり。たとひ正直の法をしめすとも、甘露かへりて毒となりぬべし。名利におもむきやすく、惑執とらけがたし。しかはあれども、仏法に証入すること、かならずしも人天の世智をもて出世の舟航とするにはあらず。仏在世にも、てまりによりて四果を証し、袈裟をかけて大道をあきらめし、ともに愚暗のやから、癡狂の畜類なり。ただし、正信のたすくるところ、まどひをはなるるみちあり。また、癡老の比丘黙坐せしをみて、設斉の信女さとりをひらきし、これ智によらず、文によらず、ことばをまたず、かたりをまたず、ただしこれ正信にたすけられたり。
  また、両教の三千界にひろまること、わづかに二千余年の前後なり。刹土のしなじななる、かならずしも仁智のくににあらず。人またかならずしも利智聡明のみあらむや。しかあれども、如来の正法、もとより不思議の大功徳力をそなへて、ときいたればその刹土にひろまる。人まさに正信修行すれば、利鈍をわかず、ひとしく得道するなり。わが朝は仁智のくににあらず、人に知解おろかなりとして、仏法を会すべからずとおもふことなかれ。いはむや、人みな般若の正種ゆたかなり、ただ承当することまれに、受用することいまだしきならし。

  さきの問答往来し、賓主相交することみだりがはし。いくばくか、はななきそらにはなをなさしむる。しかありとも、このくに、坐禅弁道におきて、いまだその宗旨つたはれず、しらむとこころざさむもの、かなしむべし。このゆゑに、いささか異域の見聞をあつめ、明師の真訣をしるしとどめて、参学のねがはむにきこえむとす。このほか、叢林の規範および寺院の格式、いましめすにいとまあらず、又草草にすべからず。
  おほよそ我朝は、龍海の以東にところして、雲煙はるかなれども、欽明用明の前後より秋方の仏法東漸する、これすなはち人のさいはひなり。しかあるを名相事縁しげくみだれて、修行のところにわづらふ。いまは破衣裰盂を生涯として、巖白石のほとりに茅をむすむで、端坐修練するに、仏向上の事たちまちにあらはれて、一生参学の大事すみやかに究竟するものなり。これすなはち龍牙の誡敕なり、鶏足の遺風なり。その坐禅の儀則は、すぎぬる嘉禄のころ撰集せし普勧坐禅儀に依行すべし。
  曽礼、仏法を国中に弘通すること、王敕をまつべしといへども、ふたたび霊山の遺嘱をおもへば、いま百万億刹に現出せる王公相将、みなともにかたじけなく仏敕をうけて、夙生に仏法を護持する素懐をわすれず、生来せるものなり。その化をしくさかひ、いづれのところか仏国土にあらざらむ。このゆゑに、仏祖の道を流通せむ、かならずしもところをえらび縁をまつべきにあらず、ただ、けふをはじめとおもはむや。
  しかあればすなはち、これをあつめて、仏法をねがはむ哲匠、あはせて道をとぶらひ雲遊萍寄せむ参学の真流にのこす。

ときに、寛喜辛卯中秋日 入宋伝法沙門道元記

弁道話


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