伝光録 | 序・巻下 |
瑩山和尚伝光録 卷下 第二十八祖。菩提達磨尊者。 因二十七祖般若多羅尊者問。於諸物中何物無相。師曰。不起無相。祖曰。於諸物中何物最大なる。師曰。法性最大師者刹利種也。本名菩提多羅。南印度。香至王第三子也。彼王崇重仏法度越倫等。有時以無價宝珠施般若多羅。王有三子。一月浄多羅。二功徳多羅。三名菩提多羅。尊者欲試太子智恵。以所の施宝珠を示三王子曰。能及此宝珠もの有や否や。第一第二皆云。此の珠は七宝の中の尊也。固に踰るものなし。尊者の道力に非んば。誰か能是を受ん。第三菩提多羅曰。此は是れ世宝也。未だ上とするに足らず。諸宝の中に於ては。法宝を上とす。此は是れ世光也。未だ上とするに足らず。諸光の中に於ては。智光を上也とす。此は是世明也。未だ上とするに足らず。諸明の中に於ては。心明を上也とす。此の珠の光明は自ら照すこと不能。必ず智光を借りて光弁於此。既に此を弁じ了ば。即是珠なる事を知る。既に此の珠を知れば。即その宝なることを明む。若その宝なることを明むれば。宝自ら宝に非す。若その珠を弁ずれば。珠自ら珠に非ず。珠自ら珠に非ざることは。必ず智珠を假りて世珠を弁ずれば也。宝自ら宝に非ざることは。必ず智宝を假りて法宝を明むれば也。師の道智宝なるゆへに。いま世宝を感ず。然則師有道其宝即現。衆生有道其宝即現。衆生有道心宝亦然なり。祖其の弁説を聞て。聖降なることを知り。定て法嗣なることを弁ずれども。時未到をもて。黙して混ぜしむ。即問曰。於諸物中何物無相。師曰。不起無相。祖曰。於諸物中何物最高。師曰。人我最高。祖曰。於諸物中何物最大。師曰。法性最大也。如是問答して。師資心通ずといへども。しばらく機の純熟をまつ。後に父王崩御す。衆みな号絶するに。菩提多羅独り柩の前にして入定。七日をへて出づ。すなはち般若多羅の処にゆきて出家を求む。般若多羅時のいたることを知て出家受具せしむ。後に師般若多羅の室にして七日坐禅す。般若多羅広く坐禅の妙理を指説す。師ききて無上智を発す。すなはち般若多羅示曰。汝於諸法已得通量。夫れ達磨者通大之義也。宜名達磨。因改号菩提達磨。師出家伝法して。ひざまづきて問ていはく。われすでに得法す。まさに何れの国にいたりてか仏事をなすべき。時に般若多羅示曰。汝得法すといへども。しばらく南天にとどまりて。わが滅後六十七載を待て。まさに震旦にゆきて大器接すべし。師又曰。彼の土に大士の法器となるをうべしや。一千年の後又難おこることあるべしや。般若多羅示曰。彼の士に菩提をゑんものあげてかぞふべからず。小難ありておこることあらん。宜善自降。汝至時勿住南方。彼唯好有為功業不見仏理。即示偈曰。路行跨水復逢羊。独自栖栖暗渡江。日下可憐雙象馬。二株嫩桂久昌昌。林下見一人。まさに道果をうべし。又曰。震旦雖濶無別路。要假兒孫脚下行。金鶏解銜一粒粟。供養十方羅漢僧。受如是子細印記。執侍左右四十年。般若多羅入滅後。同学仏大先は般若多羅の印記を受て。祖と化を並べ。仏大勝多更分徒而為六宗。師六宗を教化して。名十方に仰き。六十余載に向んとするに。震旦縁熟するを知て。異見王のところにゆきて告て曰。三宝を敬重し。以て利益を繁興すべし。われ震旦の縁熟せり。事了なばすなはちかへるべし。異見王涕涙悲泣して曰。この国何の罪かある。彼の土何の祥かある。然れども震旦の事すでにはてなば。速にかへりたまふべし。父母の国を忘ることなかれ。王躬から送りて。直に至海堧。師汎重溟。三周をへて。南海にとつぐ。梁の大通元年丁未歳九月二十一日なり。或普通八年ともいふ。三月に改元す。これに因て最初梁武帝に相見す。云云。南みにとどまることなかれといふ是れなり。これによりてすでに魏にゆく。一葦をうかぶといふ。尋常人おもはく。一葦といふは一つのあしなりと。これによりて一枝の葦の葉のうへに。祖の身をのするは非なり。いはゆる一葦といふは。渡りの小船なり。あしにはあらず。其の形ちあしに似たり。復逢羊といふは梁の武帝なり。暗に渡江といふは楊州の江なり。如是して急に嵩山の少林寺にとつぐ。則少林寺の東廊に居す。人是を測ることなし。終日打坐す。因て壁観婆羅門といふ。すなはち喧しくとかず。やすくしめさずして九年をへたり。九年の後道副・道育・総持・恵可等。四人の門人に皮肉骨髄を付してより。その機已に熟せることを知りぬ。時に菩提流支・光統律師といふ二人の外道あり。師の道徳天下にしき。人悉く帰敬するを見て。そのいきどをりにたへず。すなはち石をなげて当門の牙齒を缺ぐのみにあらず。五度大毒をたてまつる。祖すなはちその毒薬を六度の時。盤石の上にをきしかば。すなはち石さけき。吾が化縁すでに尽きぬと。すなはちおもはく。吾先師の印記をうけて。神且赤縣にしておほきなる。氣象をみき。定て知りぬ。大乗の法器ありと。然れとも梁の武帝相見以来。機かなはず。人をえず。徒に冷坐せしに。独の大士神光を得て。わが所得の道悉く以て伝通す。事すでに弁し。縁すなはち尽きぬ。逝去すべしといひて端坐して逝す。葬熊耳峯。後に葱嶺にして宋雲にあひあふといふ説あれども。実には葬熊耳峯。これ正説なり。夫れ達磨はまさに二十七祖の記によりて。震旦の初祖なり。その最初太子の時。宝珠を弁ぜし。因て尊者問曰。於諸物中何物無相。師曰。不起無相なりと。実にそれたとひ空寂といふとも。実にこれ無相なるにはあらず。これによりていふ。不起無相なりと。然れば壁立万仭と会し。明明たる百草と会得して。物物他にあらず。ただをのれと住法位すと識得せん。すなはちこれ不起底にあらず。然れば無相にあらず。いまだ天地をも分たず。なにいはんや聖凡をも弁ぜんや。這箇の田地すべて一法のきざすべきなし。一塵のけがしうるあらず。然ればこれ本来ものなきにあらず。まさに虚廓霊明にして。惺惺として。くらからず。このところにものヽ比倫するなく。会て他の伴ひ来ることなき故に。最大にして最大なり。故曰大名不可思議。亦不可思議を名て法性といふ。たとひ無價の宝珠も比するにたへず。明白の心光もかたどるべからず。故に此は是れ世光なり。いまだ上とするにたらず。智光を上なりとすと。如是了別し来る。実にこれ天至の智恵の所説なりと雖ども。二度び七日坐禅の中にして。坐禅の妙旨を説聆て。無上道智を発しき。然れば知るべし。子細に弁得して恁麼の田地に精到し。まさに仏祖の所証あることをしり。先仏の已証を明め得て。すべからくこれ仏祖の兒孫なるべきこと。この尊者にをひて殊にその例証あり。すでに自然智恵のごとくなりといへども。重て無上道智を発しき。後なを未来際護持保任すべき用心を参徹し。四十年左右に給士し。委悉に究弁す。来記を忘れず。六十年をおくり。三周の寒暑を巨海の波濤にへき。終に不知の国に至りて。冷坐九年の中に大法器をゑて。はじめて如来の正法を弘通し。先師の洪恩を報じ。艱難はいづれよりも艱難なり。苦行はいづれよりも苦行なり。然るを近来諸の学人。時すでに澆薄にして。機もと昧劣なるに。なほゑやすからんことをねがふ。おそらくはかたのごとくのたぐひ。未得謂得の類。増上慢人退亦佳矣の輩たるべし。諸人者適来の因縁を子細に参徹して。いよいよ高き事を知り。心を碎き身を捨て。親切に弁道せば。諸仏の冥薫ありて。直に仏祖の所証にかなふことあらん。一智半解に足れりとおもふことなかれ。又卑語あり。要聞麼。 更無方所無辺表 豈有秋毫大者麼 第二十九祖。大祖大師。 参持二十八祖。一日告祖曰。我既息諸縁。祖曰。莫成断滅去否。師曰。不成断滅。祖曰。何以為験。師曰。了了常知。故言之不可及。祖曰。此是諸仏所証心体更勿疑也師者武牢之人也。姓姫氏。父寂。未有子時。常自思。我家嵩善豈無令子。祷久。一夕異光室をてらすことを感ず。其母因て孕む。長するにをよびて。照室の瑞をもて名けて光といふ。幼より志氣不群。久く伊洛に居して。ひろく群書をみる。不事とせ家産。好遊山水。常に歎じて曰く。孔老の教は礼術の風規なり。荘易の書は未尽妙理。龍門香山宝静禅師に依て出家受具し。講肆に浮游して。あまねく学大小乗義。一日仏書般若をみて。超然として自得す。然しより昼夜宴坐して。すでに八載をへしに。寂黙の中におひてひとりの神人をみる。告て曰く。将欲受果。何滯此耶。大道匪遙。汝其南矣。光知神助因改名神光。翌日頭痛如刺。其師これを治せんとするに。空中に声ありて曰く。これすなはち換骨なり。常の痛にあらず。光卒に以見神事師にまふす。師その頂骨をみるに。五峯の秀出せるがごとし。即曰。汝が相吉祥なり。まさに所証あるべし。神令汝南者。斯則少林の達磨大士也。必ず汝が師ならん。光受教。嵩山少林寺にいたる。大通二年窮臘九日なり。大師入室をゆるさず。師窓前に立つ。其夜大に雪ふる。雪中に立て明るを待つ。積雪腰を埋み。寒氣骨に徹る。落涙滴滴凍る。涙を見るにいよいよ寒きことをます。密に惟き。昔人求道敲骨取髄。刺血濟饑。布髮掩泥。投崖飼虎。古尚若此。我又何人。かくのごとくおもひて。こころざしをはげましてたゆむ事なく。堅立不動。遲明大師よもすがら雪の中に立をみて。あはれみて問て曰く。汝久立雪中。当求何事。師曰。惟願和尚慈悲。開甘露門。広度群品。大師曰。諸仏無上妙道。曠劫精勤難行。能行。非忍而忍。豈以小徳小智軽心慢心。欲冀真乗徒労勤苦といひて。又顧眄せず。時に師慈誨をききて。涕涙ますますながし。求道の志いよいよ切なり。ひそかに利刀をとりて。自ら左臂を断ず。大師これ法器なりとして。示曰。諸仏最初求道。為法忘形。汝今断臂吾前。求亦可在。師遂因与易名曰恵可。終に入室をゆるす。爾しより左右に給士して八年をおくる。有時師問大師曰。諸仏法印可得聞乎。大師曰。諸仏法印匪従人得。有時示曰。外息諸縁。内心無喘。心如牆壁可以入道。師尋常説心説性不契道理。大師秪遮其非不為説無念心体。室中玄機曰。有時侍達磨大師登少室峯。達磨問。道向何方去。師曰請直進前是。達磨曰。若直進不得移一歩。師聞契悟。有時告大師曰。我既息諸縁乃至更勿疑也。卒衣法共附して曰。内伝法印以契証心。外附袈裟以定宗旨。因て大師円寂してより。師継闡玄風。法を僧璨に附して曰く。われまた宿累あり。いま必ずこれを酬んと。付嘱し已りて。即於鄴都随宜説法。四衆帰依。如是積三十載韜光混跡変易儀相。或入諸酒肆。或過屠門。或習街談。或随厠役。或人問曰。師是道人何故如是。師曰。我自調心。何関汝事。後於筦城縣匡救寺参門下。開演法要四衆。如林会時有弁和法師者。於寺中講涅槃経。聞師演法。徒衆漸引去。弁和不能其憤。興謗于邑宰翟仲侃。仲侃惑其邪説。加師以非法。師怡然委順。即隋開皇十三年癸丑歳二月十六日也。抑師は諸祖の尊徳。いづれも勝劣なしといへども。重きが中に重く。貴きが中に貴し。所以者何となれば。達磨たとひ西来すとも。師もし伝通せずんば。宗風いまにをよびがたし。艱難誰れよりも勝れ。志求何れよりも超たり。初祖も真機を待ちて久くとかず。殊に二祖の為に指説せず。ただいはく。外息諸縁内心無喘。心如に牆壁もて道にいるべしといふ。実にかくのごとく慮をやむれば。すなはち心体をあらはすなり。かくのことくいふをききて。牆壁のことく無心ならんとす。これ親く心を見得せず。すなはち曰く。了了常知と。よくかくのことくなれば。諸仏の所証といふ。然れは外諸縁をやむれば。内万慮なし。惺惺として不昧。了了として本明なり。古今をわかたず。自他をへだてず。諸仏の所証。諸祖伝心毫末もたがはず。和同し来るか故に。西天と東土と伝通し。漢朝と和国と融接す。古も如是。今も如是。たた古をしたふことなかれ。今をすごさず修すべし。聖を去ること時遠しと思ふことなかれ。おのれをすてずあきらむべし。例によりて下語せんとするに卑語あり。要聞麼。 空朗朗地縁思尽 了了惺惺常廓明 第三十祖。鑑智大師。 参二十九祖。問曰。弟子身纒風恙。請和尚懺罪。祖曰。将罪来。与汝懺。師良久曰。覓罪不可得。祖曰。我与めに汝の懺罪竟。宜依仏法僧住師者不知何許人也。初以白衣謁二祖。歳四十余也。不言名氏。聿来設礼。而問祖曰。弟子纒身風恙乃至宜依仏法僧住。師曰。今見和尚已知是僧。未審何名仏法。祖曰。是心是仏。是心是法。法仏無二。僧宝亦然。師曰。今日始て知。罪性不在内。不在外。不在中間。如其心然。仏法無二也。祖深器之。即為剃髮曰。是吾宝也。宜名僧璨。其年三月十八日。於光福寺受具。自茲疾漸愈。執侍経二載。祖乃告曰。達磨大師竺乾よりこの土にきたりて。衣法共に吾附。吾又汝附。又曰。汝已雖得法。しばらく深山に入りて行化すべからず。当有国難。師曰。師既預知。願垂示誨。祖曰。非吾知也。斯乃達磨伝般若多羅懸記曰。心中雖吉外頭凶是也。吾校年代正在于汝。当諦思前言勿罹世難。然しより皖公山にかくれて十歳余をへたり。すなはち周の武帝仏法を廢せしときなり。是によりて司空山往来し。居するに無常処。かたちまた変易す。かくのごとくして沙弥道信を接して。のちにつげていはく。先師われに伝通してよりのち。鄴都にゆきて三十年をへたり。今吾得汝。何滯此乎。即適羅浮山後還旧址。士民奔趨大設檀供。師四衆のためにひろく宣心要訖。於法会大樹下合掌終。その語信心銘等を録して。いまに流伝しきたる。後ちに鑑智大師の号をおくる。その最初参見のとき。身風恙にまつはるといふは癩病なり。しかれども祖師に参見せしに。業病たちまちに消除せし因縁別の樣子なし。罪性不可得なることを了知し。心法本清浄なることを学悟す。これによりて仏法に二つなしときき。心法如然なりといふ。実に本来心を識得せんとき。なほ死此生彼差異なし。なにいはんや。罪悪善根の弁別あらんや。これによりて四大五蘊ついに不存せ。皮肉骨髄もとより解脱す。故に風恙の病消除し。本来の心現前す。終に第参の祖位につらなる。法要をひろく説くに曰く。至道無難唯嫌揀擇といふより。言語道断非古来今と説く。実にこれ内外なく。中間なし。なにをかゑらび。なにをかすてん。とることもゑず。すつることもゑず。すでに憎愛なく。洞然明白なり。時として缺たるところなく。物として余る法なし。雖然如是。子細に参徹して不可得のところを得来。不思議のきはにいたりもてゆく。断滅にをなじふすることなく。木石にひとしきことなく。よく空をたたひてひびきをなし。電をつなひでかたちをなし。沒蹤跡のところに。子細に眼を著け。更に蔵身することなくんばよし。もし恁麼ならば。他はこれ目前の法にあらず。耳目の所到にあらずといふとも。一絲毫の礙滯なく見得し。一微塵の異路なく了得すべし。且くいかんが弁別し。此の因縁に著語することをゑん。 性空無内外 罪福不留蹤 心仏本如是 法僧自曉聡 第三十一祖。大医禅師。 礼鑑智大師曰。願和尚慈悲乞与解脱法門。祖曰。誰縛汝。師曰。無人縛。祖曰。何更求解脱乎。師於言下大悟師諱道信。姓司馬氏。世居河内。後徒於蘄州之広濟縣。師生而超異也。幼慕空宗諸解脱門。宛如宿習。年始十四参参祖大師曰。願和尚慈悲乃至師於言下大悟。服労九載。後於吉州に受戒侍奉尤謹。祖屡試以玄微。知其縁熟乃附衣法。師続祖風。攝心無寐。脇不至席者。僅六十年。隋大業十参載領徒衆抵吉州。値郡盜圍城七旬不解。万衆惶怖。師愍之教令念摩訶般若。時賊衆望雉堞間。若有神兵。乃相謂曰。城内必有異人。不可攻。稍稍引去。唐武徳甲申歳。師却返蘄。春住破頭山。学侶雲臻。一日。黄梅路上親接弘忍。牛頭頂上横出一枝。時貞観癸卯年。太宗皇帝。嚮師道味欲瞻風彩。詔赴京。師上表遜謝。前後三返終以疾辞。第四度命使曰。如果不起即取首来。使至山諭旨。師引頚就刃。神色儼然使異之迴以状聞。帝弥如歎慕。就賜珍繒。以遂其志。迄高宗永徴辛亥歳閏九月四日。忽垂誡門人曰。一切諸法。悉皆解脱。汝等各自護念流化未来。言訖安坐而逝。寿七十有二。塔于本山。明年四月八日。塔戸無故自開。儀相如生。爾後門人不敢復閉。後賜号大医禅師。まさに諸師の行状いづれも勝劣なしといへども。幼より空宗をしたふ。あだかも宿習のごとしといへとも。一期王臣にちかづかず。弁道修練して。一志不退なり。最初解脱の法門を宣説し。あまつさへ死期に解脱の法門をひらき。遂に生死の縛することなきことをしらしむ。実にそれ千歳の一遇。超絶の異人なり。空門の修練もとより解脱の法門と号す。所以者何。生仏なを汝を縛することなし。更に何の生死のあひあづかるべきかあらん。然れば身心をもて論量すべきにあらず。迷悟をもて弁別すべきにあらず。説心説境。煩悩菩提と説くとも。悉くこれ自の異名なり。故に山河隔なく。依正別異なし。これによりて寒時寒殺闍黎。熱時熱殺闍黎なり。更に此の関を一超する時。又這箇の道理にあらず。いはゆる無縛無解。無彼無此。故二箇箇名を立せず。物物形を分たず。故功勳を及尽す。あに偏正にかかはらんや。当堂遂に正坐の分なし。縦横両頭の機にとどまることなかれ。若し恁麼に見得すれば。なほ解脱の名をもちゐず。あに繋縛の事をいとはんや。然も汝実に光明あり。是を見三界といふ。汝が舌余味あり。是を調六味と名く。故に処処放光し。時時調饍す。味来るとも。滋味なきところにふかき滋味あり。見来り見去るとも。色塵なきところに真色あり。故に王臣にちかづくべきなく。身心の坐臥すべきなし。もしよく這箇の田地にいたりえば。四祖大師すなはちこれ汝諸人。なんじ諸人まさに四祖大師ならん。これ悉皆解脱門なるにあらずや。これ流化未来なるにあらずや。無縫塔戸窓。忽然としてひらけ来る。平生の相貎雍容としてあらはれもちきたる。しばらく今日又卑頌あり。適来の因縁を指注せんとおもふ。大衆要聞麼。 心空浄智無邪正 箇裏不知縛脱何 縦別五蘊及四大 見聞声色終非他 第三十二祖。大満禅師。 於黄梅路上逢参十一祖。祖問曰。汝何姓。師曰。性即有。不是常姓。祖曰。是何姓。師曰。是仏性。祖曰。汝無姓耶。師曰。性空故無。祖黙識其法器。伝附法衣師者蘄州黄梅縣之人也。先為破頭山栽松道者。嘗請於四祖曰。法道可得聞乎。祖曰。汝已老矣。若得聞夫能広化耶。若再来吾尚可遲汝。即去。往水辺而見一女子洗衣。揖曰。寄宿得否。女曰。吾有父兄。可往求之。曰諾我即敢行。女首肯。遂回策而去。女周氏季子也帰輒孕。父母大悪んでこれをおふ。女無所帰。日傭紡里中。夕宿衆舘之下。終生一子。以不祥而捨濁港中。遡流体無濡。神物護持七日不損。いはゆる神物といふは。昼は二羽の鳥ありて。羽をならべてこれをおほふ。夜るは二疋のいぬありて。ひざを屈してこれを守る。氣体鮮明にして。六根かぐることなし。母これをみて奇異なりとして鞠養す。長となるにおよんで。母と共に乞食す。人呼て無姓兒といふ。ひとりの智者ありて曰く。此の子七種の相をかぎて如来におよばず。後に黄梅路上遇四祖出遊。四祖此童子骨相奇秀。異乎常童問曰。汝何姓乃至祖黙識其法器。侍者をもて母に請て出家せしむ。時に七歳なり。すなはち受衣得度し。伝法出家せしより。十二時中一時も不礙蒲団日夜あらず。余務かぐことなしといへども。かくのごとく坐し来る。終に上元二年示徒曰。吾事すでにおはりぬ。すなはちゆくべしといひて坐化す。父にうけず。祖にうけず。仏につがず。祖につがずして姓あり。これを仏性といふ。夫参禅学道は。もとこれ根本に達し。心性を廓明せんがためなり。もし根本にいたらざれば。徒に生し。徒に死して。己にまよひ他にまよふ。いはゆる本性といふは。汝等諸人死死生生。たとひ面面形異にすとも。時時刻刻悉く了了智を具せずといふことなし。いはゆる今日の因縁をもてしるべし。昔し栽松道者法道を請して。いま七歳の童子として衣法を伝るにいたるまで。必ず生によりて心変ずるにあらず。形によりて性の改ることあらんや。宏智禅師忍大師の真讃に曰く。前後両身今古一心と。両身すでにかはれりといへども。古今別心なし。しるべし従無量劫来只恁麼なることを。もしよく此の本性体達せば。この性もとより四姓をもて弁ずべきにあらず。四姓これ同性なるが故に。水性如是ゆへに。すなはち四姓出家すれば同釈氏と称す。その差異なきことをしらしむ。実にこれ吾も不隔。汝も不隔。わづかに自他の面目を帯する。恰も前後身のごとし。かくのごとく弁別し。心をあきらめうることなふして。みだりに自己目前を称し。自身他身を分つ。これによりてものことに情執し。時と共に。迷惑す。然も一度這箇の田地をあきらめゑば。たとひ形をかへ生を転ずるとも。なんぞ己を妨げ。心を変ずることあらんや。今の道者と童子とをもてしるべし。すでに父なふして生ず。知るべし人必ず父母の血脈を受て。生ぜざることを。然ればすなはちすてに情執の所見。身体髮膚。父母にうくといへども。この身すなはち五蘊にあらずとしるべし。この身如是と会せば。すべてわれとともなふものなく。片時もをのれに異なる時なからん。故に古人曰。一切衆生従無量劫来。不出法性三昧。かくのごとく体得し。如く是の踐得せば。早く四祖と相見し。五祖と齊肩なることをゑん。和漢のへだてなく。古今の別なからん。しばらく作麼生か指注して。この道理に相応することをゑんや。 月明水潔秋天浄 豈有片雲点大清 第三十三祖。大鑑禅師。 師在黄梅碓坊服労。大満禅師有時。夜間入碓坊示曰。米白也師曰。白あれ未有篩在。満以て杖打臼を参下す。師以箕米参簸入室師者姓盧氏。其先范陽人。父行瑫。武徳中左官于南海之新州。遂占籍止焉。喪父。其母守志鞠養。及て長に家尤貧窶師樵采以給。一日負薪至市中。聞客読金剛経。至応無所住而生其心と云に感悟。師問其客曰。此何経そ。得於何人客曰。此名金剛経。得黄梅忍大師。師遽告其母。以為法尋師之意。直抵韶州遇高行士劉志略。結為交友。尼無尽蔵即志略之姑也。常読涅槃経。師暫聴之。即為解説其義。尼遂執卷問字。師曰。字不識。義即請問。尼曰。字尚不識。曷能会義。師曰。諸仏妙理非関文字。尼驚異之。告郷里耆艾曰。能是有道人。宜請供養。於是居人競来瞻礼。近有宝林古寺旧地。衆議営緝。俾師居之。四衆如雲霧集。俄成宝坊。師一日忽自念曰。我求大法。豈可中道而止。明日遂行至昌楽縣西岩室間。遇智遠禅師。師遂請益。遠曰。観子神資爽拔殆非常人。吾聞西域菩提達磨伝心印于黄梅。汝当往彼参決。師辞去直造黄梅。参謁五祖大満禅師。祖問曰。自何来。師曰。嶺南。祖曰。欲須何事。師曰唯求作仏。祖曰。嶺南人無仏性。若為得仏。師曰。人即有南北。仏性豈然。祖知是異人。乃訶曰。著槽廠去。能礼足而退。便入碓坊。服労於杵臼之間。昼夜不息経八月。祖知付授時至。遂告衆曰。正法難解。不可徒記吾言持為己任。汝等各自随意述一偈。若語意冥符。則衣法皆附。時会下七百余僧上座神秀者。学通内外。衆所宗仰。咸共推称曰。若非尊秀疇敢当之。神秀竊聆衆譽。不復思惟。作偈成已数度欲呈。行至堂前。心中恍愡遍身汗流。擬呈不得。前後経四日。一十三度呈偈不得。秀乃思惟。不如向廊下書著。従他和尚看見。忽若道好。出礼拝云是秀作。若道不堪枉向山中数年。受人礼拝更修何道。是夜参更不使人知。自執灯書偈於南廊壁間呈心所見。偈曰。身是菩提樹。心如明鏡臺。時時勤払拭。勿使惹塵埃。祖経行忽見此偈。知是神秀所述。乃讃歎曰。後代依之修行亦得勝果。各令誦念。師在碓坊忽聆誦偈。乃問同学。是何章句。同学曰。汝不知和尚求法嗣。令各述心偈。此則秀上座所述。和尚深加歎賞。必将附法伝衣也。師曰。其偈云何。同学為誦。師良久曰。美則美矣。了則未了。同学訶曰。庸流何知。勿発狂言。師曰。子不信耶。願以一偈和之。同学不答。相視而笑。師至夜告一童子。引至廊下。師自秉燭令童子於秀偈之側写一偈。曰。菩提本非樹。明鏡亦非臺。本来無一物。何処惹塵埃。この偈をみて。一山の上下皆曰。是実に肉身の菩薩の偈なり。内外かまびそしく称す。祖これ盧能が偈なりと知りて。すなはち曰く。これたれかなせるぞ。未見性人なりといひて。すなはちかきけす。これによりて一衆悉くかへりみず。夜におよんて祖竊入碓坊。問曰。米白也未。師曰。白也。未有篩在。祖以杖打臼参下。師以箕米参簸入室。祖示曰。諸仏出世為一大事故。随機大小引導之。遂有十地参乗頓漸等旨。以為教門。然以無上微妙秘密円明真実正法眼蔵。附于上首大迦葉尊者。展転伝授二十八世。至達磨。屆于此土得可大師。承襲以至于吾。今以法宝及所伝袈裟用附於汝。善自保護無令断絶。師跪受衣法。啓曰。法則既受。衣附何人。祖曰。昔達磨初至。人未信。故伝衣以明得法。今信心已熟。衣乃争端。止於汝身不復伝也。且当遠隠俟時行化。所謂受衣人命如懸絲也。師曰。当隠何処。祖曰。逢懷即止。遇会且蔵。師礼足已捧衣而出。黄梅のふもとにわたしあり。祖みづからおくりてここにいたる。師揖曰。和尚すみやかにかへるべし。我すでに得道す。まさに自渡るべし。祖曰。汝すでに得道すといへども。われなをわたすべしといひて。みつから竿をとりて彼の岸にわたしおはり。祖独り寺に帰る。一衆みなしることなし。それより後五祖不上堂。衆きたりて咨問することあれば。わか道はゆきぬ。あるが問。師の衣法何人か得る。祖曰。能者ゑたり。於是衆議すらく。盧行者名能。尋訪するに既失。懸知彼得。すなはち共にはしり逐ふ。時に四品将軍発心して恵明といふありき。為衆人先。趁大庾嶺にして及師。師曰。此衣表信。可以力争耶。置其衣鉢於盤石上。而隠草間。恵明いたりてこれをあげんとするに。力を尽せども揚らず。時に恵明おほきにおののきて曰。我為法来る。不為衣来。師遂出坐盤石上。恵明作礼曰。望行者為我示法要。師曰。不思善不思悪。正与麼時。那箇是明上座本来面目。明言下大悟。復問曰。上来密語密意外。還更有密意否。師曰。与汝語者即非密也。汝若返照。密有汝辺。明曰。恵朗雖在黄梅。実未省自己面目。今蒙指示。如人飲水冷暖自知。今行者即恵明師也。師曰。汝若如是。吾与汝同師黄梅。明礼謝してかへる。後に出世せし時。恵明を改道明。避師上字。参ずるものあれば。悉く師に参ぜしむ。師は衣法伝受の後。四縣の猟師の中にかくれて。十年をへて後。至儀鳳元年丙子正月八日屆南海。遇印宗法師於法性寺講涅槃経。師寓止廊廡間。暴風颺刹旛。聞二僧対論。一曰旛動。一曰風動。往復酬答未会契理。師曰。可容俗流輒領高論否。直以風旛非動仁者心動耳。印宗竊聆此語。竦然異之。翌日邀師入室。徴風旛之義。師具以理告。印宗不覚起立曰。行者定非常人。師為是誰。師更無所隠。直舒得法因由。於是印宗執弟子之礼。請受禅要。乃告四衆曰。印宗具足凡夫。今遇肉身菩薩。即指座下盧居士曰。即此是也因請出所伝信衣。悉令瞻礼。至正月十五日。会諸名徳為之剃髮二月八日就法性寺智光律師受満分戒。其戒壇即宋朝求那跋陀三蔵之所置也。三蔵記曰。後当有肉身菩薩在此壇受戒。又梁末真諦三蔵於壇之側。手植二菩提樹謂衆曰。却後一百二十年有大開士。於此樹下演無上乗度無量衆。師具戒已。於此樹下開東山法門。宛如宿契。明年三月八日忽謂衆曰。吾不願此居。要帰旧隠。時印宗与緇白千余人送師帰宝林寺。韶州刺史韋拠請於大梵寺転妙法輪。并受無相心地戒。門人記録目為壇経盛行世。然返曹谿雨大法雨。覚者不下千数。寿七十六沐浴して坐化す。すなはち瀉瓶の時に曰く。米白也未この米粒まさにこれ法王の霊苗。聖凡の命根。会て荒田にありてくさぎらざれども。をのづがら長ず。脱白露浄にして汚染をうけず。雖然如是尚簸ざることあり。もし簸来り簸去れば。内に通じ外に通ず。上にうごき下にうごく。臼を打つこと参下するに。米粒をのづからそろひて。心機たちまちにあらはる。米をひること参下して。祖風すなはち伝はる。爾しより打臼の夜未明。授手の日未曛。おもふに夫れ大師は嶺南の樵夫。碓房盧行者也。昔は斧伐を事として山中に遊歴し。遂ひに明窓下。古教照心の学解なかりしかども。なを一句の聞経に。無所住の心生じ。いま杵臼にたづさはりて。碓坊に勤労すといへども。かつて席末に参じて。参禅問道決擇なかりしかども。わづかに八け月の精勤に。明鏡非臺の心を照せしかば。夜半附授おこなはれ。列祖の命脈つたはる。必らずしも多年の功行によらざれども。ただ一旦精細を尽し来ることあきらけし。諸仏の成道もとより久近の時節をもてはかるべからず。祖師の伝道なんぞ古今の分域をもて弁ずることあらんや。しかも今夏九十日。横説竪説古今を批判し。麁言軟語仏祖を指注す。微にいり細にいり。二にをち参にをちて。宗風をけがし。家醜をあぐ。これによりて諸人悉く理を通ずとおもひ。力をえたりと思へり。然れども親切に未た祖意に冥符せざるがごとし。行状すべて先聖に相似ならず。宿縁多幸なるによりて如是相見す。もし一志に弁道せば。すべからく成弁すべきに。いまだ涯涘にいたらざるおをし。なを堂奧をうかがはざるあり。聖を去ること時遠く。道業いまだ成ぜず。身命たもちがたし。なんぞ後日を期せん。初秋夏末すでに或は東或は西の時節にあたれり。依旧彼に散じ。此に行ん。なんぞみだりに一言半句を記持して。わが這裏の法道といひ。わづかに一知半解を挙拈して。大乗門の運載とせんや。たとひ十分にその力をゑたりとも。家醜なを外に揚ん。なにいはんや妄称胡乱の説道をや。もし真実にこのところに精到せんとおもはば。昼夜いたづらにすてず。身心みだりにはこばざるべし。 打臼声高虚碧外 簸雲白月夜深清 第三十四祖。弘濟大師。 参曹谿会。問曰。当何所務即不落階級。祖曰。汝会作甚麼来。師曰。聖諦亦不為。祖曰。落何階級。師曰。聖諦尚不為。何階級之有。祖深器之師者吉州安城姓劉氏子。幼歳出家。毎群居論道師唯黙然。後聞曹谿法席。乃往参礼。問曰。当何所務即不落階級乃至祖深器之。会下学徒雖衆。師居首焉。亦猶二祖不言少林謂之得髄矣。一日祖謂師曰。従上衣法雙行。師資遞授。衣以表信。法乃印心。印今得人。何患不信。吾受衣以来。遭此多難。況乎後代争競必多。衣即留鎭山門。汝当分化一方無令断絶。師既得法住吉州青原山静居寺。すなはち曹谿と同く化をならべ。卒に石頭を接せしより。夥く曹谿の鱗下に投ぜしやから踵を継で来る。尤も大鑑の光明とす。すなはち唐の開元二十八年庚辰十二月十三日。陞堂告衆跏趺而逝す。後に諡弘濟大師。実に群居論道せし。殊に黙然不群の行持なり。かくのごとく功夫用心のちから。曹谿にして問来るに。まさになんの所務か階級にをちざるべきといふ。実にこれ子細に見得して。聿に趣向のところなし。祖また彼れをしてすみやかに所証を打著せんとして。為に問て曰く。汝会作甚麼来。卒に錐袋にこもらず。鋒すでにあらはれきたりて曰く。聖諦亦不為。これききがたきをきき。あひがたきにあふなり。たとひ趣向やむとも。なを自己を保任するあり。もしよくかくのごとくなれば。すなはちこれあやまりて解脱の深坑にをちぬべし。故に古今このところを名て法執とす。雲門は法身二種の病といへり。実にこのところに徹通せざるによりてなり。然るに今本分に承当するのみにあらず。透関し来る。故に祖曰。落何階級。実に幽玄のところは聿に表裏を存することなく。深極のきはにはかつて刀斧斫不開。ゆへにいはく。有什麼階級。恁麼の田地に徹通してくもりなく。究到して尽し来る。故に曰。聖諦尚不為。何階級之有。実にたとひ階級を立せんとするとも。空裏にもとより界畔なし。梯磴何処安排せん。このところを依文解義するやから。昔より一切法空の見にをち。万法泯絶の解をなす。すでに喚て聖諦尚不為といふ。あに法空にとどまるべけんや。子細に精到して見よ。この虚明の田地。杲日よりもあきらかなり。この霊廓の真性。了別にあらざれども。了了たる円明の智あり。骨髄を帯せざれども。明明として覆蔵せざる身あり。この身動静をもて弁ずべきにあらず。この知覚知をもて弁ずべきにあらず。覚知もこの智なるがゆへに。動静また他にあらず。故に階級して十地にいたる菩薩も。なを仏性を見ること明了ならず。其の故は何ぞ。仏の言く。なを法性を存するゆへに。なを行処を立する故に。仏性を見ること明了ならず。諸仏は卒に行処なく。性地あらざるゆへに。仏性を見ること了了なり大般涅槃経卷第八。如来性起品第十二曰。無量菩薩雖具足行諸波羅密乃至十住。猶未能見所有仏性。如来既説即便少見。乃至善男子。如是菩薩位階十地尚不明了知見仏性。何況声聞縁覚之人能得見耶然れば見聞によらず。境智を縁せざる時。試に其下をみよ。必ず惺惺として人に問はざる智あり。不覚証契することあらん。しばらくこの因縁をして。いかんが言を著ることをえん。この田地に至て。もししばらくこの因縁をして。いかんが言を著すことをえば。すなはち無舌人をして解語せしめん。もしこの理をきき得ることをえば。はやく無耳根をして聞持せしめて。まさに那人をして点頭語笑せしむることあらん。 鳥道往来猶絶跡 豈堪玄路覓階級 第三十五祖。無際大師。 参青原。原問曰。汝甚麼処来。師曰。曹谿来。原乃挙払子曰。曹谿還有這箇麼。師曰。非但曹谿。西天亦無。原曰。子莫会到西天否。師曰。若到即有也。原曰。未在更道。師曰。和尚也須道取一半。莫全靠学人。原曰。不辞向汝道。恐已後無人承当。師曰。承当非無。無人道得。原以払子打。師即大悟師諱希遷。端州高安陳氏子。母初懷娠不喜葷茹。師雖在孩提不煩保母。既冠。然諾自許。郷洞獠民畏鬼神多淫祀殺牛釃酒。習以為常。師輒往毀叢祠。奪牛而帰。歳盈数十。郷老不能禁。十四歳而初参曹谿。得度未具戒。六祖将示滅。師問曰。和尚百年後。希遷未審当依附何人。祖曰。尋思去。及祖順世。師毎於静処端坐。寂若忘生。時第一座南嶽懷譲和尚問曰。汝師已逝。空坐奚為。師曰。我禀遺誡。故尋思爾譲曰。汝有師兄。行思和尚といふ。今住青原。汝因縁在彼。祖言甚直。汝自迷耳。因師即礼辞祖龕。直到青原。原問曰。有人道嶺南有消息。師曰。有人不道嶺南有消息。原曰。若恁麼大蔵小蔵従何而来。師曰。尽従這裏去。原然之。然しより問答し来ること尋常なり。有時青原挙払子曰。曹谿還有這箇麼。師曰。非但曹谿。西天亦無と。古今挙払して其の端由を示し。或は機関を開き。或は人をして岐路を截断せしめ。或は人をして速に直指せしむ。青原又示す。すなはちこれ試験なり。然るを師未た這箇の事を会得せず。なを挙払のところに眼を著て。すなはち曰く。非但曹谿西天亦無と。恁麼挙払の処。更に如何なる曹溪西天か立すべき。恁麼の所見なをこれ境の話会をなす。故に青原おさへて曰く。子莫会到西天否。然れどもなをこの話を会せず。速にをのれを忘ずることなふして。また曰く。若し到即有也。たとひすでに道著すといふとも。若し有ることをしらずんば。卒にこれその人にあらず。故にまたしめして曰く。未在更道。実に大慈大悲にし来り。拕泥帯水し来て。恁麼委悉に示す。ここに自己安排のところなく。すなはち曰く。和尚也須道取一半。莫全靠学人。殊に如是相見し。如是言説せば。ともに一半を伝て。何ぞ全きを道取することあらん。たとひ乾坤すでに崩壊して。挙体ひとりあらはるるとも。これなを半路にいたるこのところなを他の手段を借るにあらず。自ら著到す。なにいはんや半路に重て一歩を進め。ひそかに密語を通ぜん時。敢て縁を借るにあらず。あに他人にしらしめんや。唯自ら却て本得することあらん。故に示曰。不辞向汝道。恐已後無人承当。たとひ痛きことを語り。辛きことを示すとも。若し他ほねに徹する分なく。舌を破る分なくんば。卒に通路なし。故に言に因て承当する分なからん。如是なるゆへに。知識は言妄りに不施。行徒に不行。恁麼に護持し来る。然るをなを物と。ともたらざるところなりと会して。密密に通処あることをしらず。細細に見取することなふして。すなはち曰く。承当非無無人道得。おそらくは希遷如是いふ。この田地にいたりて。人いかでか道得なからん。もしこの田地にいたらん。なににか承当せん。なを方外にもとめ来る。徒に内証を離却せり。ゆへにはやく恁麼の事あることをしらしめ。速に本来頭あることをしらしめん為に。払子を以て一打す。草を打て蛇を驚す故に。師すなはち大悟す。この因縁をもて。始終の学知。真箇の徹証。子細に験点し将来て見ることこまやかに。至ることしたしかるべし。すでにただ曹谿のみにあらず。西天にも亦無といふ。乾坤破裂して。全身独露する事を得るといへども。尚知己禍ひあり。これによりて恁麼に言大なることを得たり。然れども終に挙払のところに。全身独露することを知り。撃打のところに又有ことを知る。近来参禅の漢。徒に声色中に馳走し。見聞の中に求覓して。たとひ仏語祖語を諳誦し。いささか解路葛藤をなし。西天にもまたなく。曹谿にもまたなしといふとも。なを得る事なし。もし如是ならん。たとひ髮をそり衣を染て。自形を仏に似すとも。三界の獄縛卒に出ることなし。いかでか六道往来やむことをゑん。如是類。惜哉衲衣徒に木頭にかくることを。仏の言すでにこれ仏子にあらず。無所名。木頭と異なることなしといふこのこころなり梵網経遺教経取意一生空く信施をついやし果して。鉄丸を呑む憂ひをなさん時に後悔定て多からん。然れば委悉に参徹して。石頭最初にいたりし。独露全身のところにもいたりゑば。すでに曹谿西天もなきことをゑん。何処にか往来せん。恁麼の見地。卒に衲衣みだりにかけず。いはんや撃打のところに有ることを知りて。すみやかに己れをわすれ。亦己れをしる。死中に能活し。暗裏に正眼明かなり。すなはちこれ衲衣下密密の事なり。すでに恁麼に知見せし。故に師於唐天宝初。荐之衡山南寺。寺之東有石床如臺。乃結庵其土。時号石頭和尚。有時看肇論。至会万物為己者其唯聖人乎。師乃拊机曰。聖人無己。靡所不己。法身無象。誰云自他。円鑑霊照。其間万像体玄自現。境智非一。孰云去来。至哉斯語也。遂掩卷不覚寢。夢自身与六祖同乗一龜。游泳深池之内。覚而詳之。霊龜者智也。池性海也。吾与祖師同乗霊智遊性海矣。遂著参同契。天下昌に伝ふ。実に霊智すでに六祖とひとしく。青原と別なし。因如是。しかのみならず。有時上堂曰。吾之法門先仏伝受。不論禅定精進。達仏之知見。即身即仏。心仏衆生。菩提煩悩。名異体一。汝等当知。自己心霊。体離断常。性非垢浄。湛然円満。凡聖齊同。応用無方。離心意識。三界六道。唯心自現。水月鏡像。豈有生滅。汝能知之。無所不備。殊にこれ乾坤を崩壊せし独立の所見にあらすんば。恁麼なるべからず。撃打に承当し。分明に見得せしによりて。三十五祖に列す。汝等諸人の霊性あに他をへだつる事あらんや。心地なんぞ通ぜざることあらんや。ただ志を発すと発せざると。明師にあふとあはざるとによりて。昇沈形異に。苦楽の品不同。適来の因縁如何見得する。大衆要聞麼。 一提提起百千端 毫髮未会分外攀 第三十六祖。弘道大師。 参石頭問曰。三乗十二分教某甲粗知。嘗聞。南方直指人心見性成仏。実未明了。伏望和尚慈悲指示。頭曰。恁麼也不得。不恁麼也不得。恁麼不恁麼総不得。子作麼生。師罔措。頭曰。子因縁不在此。且往馬大師処去。師禀命恭礼馬祖。仍伸前問。祖曰。我有時教伊を揚眉瞬目。有時不教伊揚眉瞬目。有時揚眉瞬目者是。有時揚眉瞬目者不是。子作麼生。師於言下大悟便礼拝。祖曰。你見甚麼道理便礼拝。師曰。某甲在石頭処如蚊子上鉄牛。祖曰。汝既如是善自護持。雖然汝師石頭師諱惟儼。絳州韓氏子。年十七依潮陽西山恵照禅師出家。納戒于衡嶽希操律師。博通経論。厳持戒律。一日自歎曰。大丈夫当離法自浄。誰能屑屑事細行於布巾耶。首造石頭之室。便問。三乗十二分教某甲粗知乃至善自護持。侍奉三年。一日祖問曰。子近日見処作麼生。師曰皮膚脱落尽唯有一真実祖曰。子之所得可謂。協於心体布於四肢。既然。如是将三條篾束取肚皮。随処住山去。師曰。某甲又是何人。敢言住山。祖曰。不然未有常行而不住。未有常住不行。欲益無所益。欲為無所為。宜作舟航無久住此。師乃辞祖返石頭。一日在坐次。石頭問曰。汝在這裏作什麼。師曰。一切不為。頭曰。恁麼即閑坐也。師曰。若閑坐即為。頭曰。汝道不為不為箇甚麼。師曰。千聖亦不識。頭以偈讃曰。従来共住不知名。任運相将只麼行。自古上賢猶不識。造次凡流豈可明。後石頭垂語曰。言語動用沒交渉。師曰。非言語動用亦沒交渉。頭曰。我這裏針箚不入。師曰。我這裏如石上栽華。頭然之。後居澧州薬山。海衆雲会。適来の因縁をもて。青原・南嶽両家各別なきこと分明にしりぬべし。実にこれ曹谿両角。元是露地白牛。逈逈なるものなり。彼に参し此にあきらめ。彼に通し此につぐ。絲毫もたがはず。故に最初に問。十二分教は粗知れり。直指人心見性成仏の旨いかんと。まさにこの田地をいふに。恁麼也不得。不恁麼也不得。恁麼不恁麼総不得。ここにいたりて自も安排のところなし。他もうたごふところにあらずゆへに如是指説す。然れどもこの田地。まさに不可得のところを執しきたる。ゆへに言下に未知趣。良佇思す。時に馬師をして代て説かしめんとして。さして江西にいたらしむ。江西はたしてこの心を会せしかば。すなはち代曰。かれをして揚眉瞬目せしめ揚眉瞬目せしめず。或は是或は不是なり。時にしたがひてまちまちなることをしめす時に。このところを覚悟し。実に揚眉瞬目より。見聞覚知動用去来にいたるまで。悉く有る事をしりぬ。すなはち礼拝す。祖曰。你見甚麼道理便礼拝。師曰。某甲在石頭処如蚊子上鉄牛。觜を挿むことなし。見知つき情解失す。自ら不知といへども。すでにこれ実人なり。祖後に問曰。子近日見処作麼生。ここに一点の塵なく。繊毫の疵なきことを識得して。すなはち曰。皮膚脱落尽唯有一真実。実に参学この田地にいたり得ること大にかたし。これによりて委悉にほめて曰く。子之所得可謂協於心体布於四肢。ところとしていたらざるところなく。ものとして通ぜざるところなし。卒に一切不為の道得にいたるまで。千変万化の受用区区なりといへども。石上に華を栽に似て。蹤跡なきことをしる。実に最初に直指人心を疑ひ求むるに。揚眉瞬目するものをしめさるるに大悟し。為衆説法せしに。我今為你説這箇語顯無語底。他那箇本来無耳目等貎。実に初中善その実処あるゆへに。後善実処を示して。他の為にす。然れば諸参学の人。薬山のごとく参ずべし。祖師いづれも其徳勝劣なしといへども。特に薬山はその機を接すること高く。己れを守ること簡約なるによりて。薬山不満二十衆と云ふ。衆多からざることはその簡約なるによりて如是。人の飢寒にたへざるによりて然なり。然れども雲巌・道吾・船子・高沙弥・耳行者・李翺公にいたるまで。有道の緇素多し。然れば学者としては。尤も委悉に参得せんを先として。尤も世縁の厚薄をかへりみず。これによりて雲巌・道吾・船子等。参人志を同ふし。四十年脇席につけず。有道の会にあらざれば恁麼の衲子なし。然れば諸禅徳かの雲巌・道吾と兄弟たらんことをねがひ。馬祖・石頭に参到せんことをおもふべし。不見揚眉瞬目せしむるもの是なり不是なりと。彼の田地疑ふにあらず。人人すでに具足し来る。那処をしらんとするに。すでに耳目のかたちなし。故に見聞に弁ずべきにあらず。一切すべて不為なり。然れども従来ともに住し来りて。卒に名をしらざるものなりといへども。任運としもてきたる。しかのみならず。汝をして生ぜしめ。汝をして死せしめ。汝をして去来動用せしめ。なんぢをして見聞覚知せしむ。これまさに這箇なり。分外に正法をもとむべからず。あに他時に見性を期するあらんや。たとひ三乗十二分教も。恁麼の道理をしめす。大凡そ一切衆生も。恁麼受用不断。あに証拠を他に求むべけんや。しるべし。汝まさに揚眉瞬目なからんや。只かの見聞覚知する者を見得せば天下老和尚の舌頭を疑がはじ。しばらくいかんがこの道理を注脚し去ん。 平常活溌溌那漢 喚作揚眉瞬目人 第三十七祖。雲巌無住大師。 初参侍百丈二十年。後参薬山。山問。百丈更説甚麼法。師曰。百丈有時上堂。大衆立定。以拄杖一時趁散。復召大衆。衆回首。丈曰。是甚麼。山曰。何不早恁麼道。今日因子得見海兄。師於言下大悟師者鍾陵建昌王氏子。少出家石門。参百丈海禅師二十年。因縁不契。後謁薬山。山問。甚麼処来。師曰。百丈来。山曰。百丈有何言句示衆。師曰。尋常曰。我有一句子。百味具足。山曰。鹹則鹹味。淡則淡味。不鹹不淡是常味。作麼生是百味具足底句。師無対。山曰。争奈目前生死何。師曰。目前無生死。山曰。在百丈多少時。師曰。二十年。山曰。二十年在百丈俗氣也不除。他日侍立次。山又問。百丈更説甚麼法。師曰。有時道。三句外省去。六句外会取。山曰。三千里外且喜沒交渉。又問。更説甚麼法。師曰。有時上堂乃至師於言下大悟。夫れ参禅学道。もとより心をあきらめ。旨を悟るをもてその指要とす故に。雲巌和尚も百丈にありて参じ来ること二十年。然れども因縁不契。のちに薬山に参ず。然れば必ずしも久習修学もよみすべからず。たた心をあきらむるをもて本とす。また因縁契当すること初心によらず。後心によらず。宿縁しからしめて如是。百丈是その人ならざるにあらず。自ら因縁かなはざるのみなり。それ善知識として徒に衆をあつめ。人をはごくむにあらず。ただ人をして直に根源にとおり。すみやかに本分に承当せしめんとす。故に古人必ず何れの処よりか来るといふ。夫れ遍参は知識をこころみんとし。来処をわきまへんとす。またきたりてなにごとの為にかせんと問。其の志の浅深を明らむ。その縁の遠近をしらんとす故に。今も何れの処よりか来ると問。彼しこに参じここに参じて。徒に山水に経歴せざることをあらはさん為に。すなはち曰く。百丈より来れりと。薬山・百丈同出世して。青原・南嶽角立せり。因に百丈有何言句示衆と問。ここにをいて雲巌若しそのならば。自聞得底の事を挙説すべきに。たたきく底事を説て曰く。尋常道我有一句子。百味具足とす。那一句子具足せずといふことなく。円満せずといふことなし。然りといへども。人の那一著を聞得すやいなや。子細に知見せん為に。鹹則鹹味。淡則淡味。不鹹不淡是常味。作麼生是百味具足底の句と問。はたして聞得底の事にあらず。父母所生の耳をもて。徒に蝦の口説をきくによりて。茫然として答処をしることなし。是れ薬山行脚より以来。修道すること幾年ぞと問ふに。答云二十年と。実に是古人道の為に修錬せし。十二時中徒らなる時節なしといへども。今の如きは二十年徒に差過するに似たり。これによりて薬山曰。争奈目前生死何んと。実にこれ初心晩学一大事とすべきところなり。無常迅速生死事大なり。たとひ発心行脚して。方袍円頂の形を具すといへども。若し生死の事をあきらめず。解脱の道に達せずんば。衲衣下密密の事あることをしらず。故に三界の攀籠いづることなく。生死の窠臼まぬかれ難し。実にこれ衲衣徒かけたるがごとし。応器徒に持せるに似たり。故に古人人をして閑工夫の時節なからしむ。故に手脚おだやかにせんとして。恁麼に問に。口にまかせてすなはち曰く。目前に生死なしと。ただこれ自己安楽のところを参得し。子細に行脚の本志に達せば。恁麼の見処あるべからず。山曰。在百丈多少時。行脚より以来修道することいくとしぞと問。すなはち曰く。二十年。実にこれ古人道の為に修練せし。十二時中徒なる時節なしといへども。いまこのごときは二十年徒に蹉過せるに似たり。故に示して曰く。二十年在百丈俗氣也不除。たとひ無生死なりと会し。自他なしと見来るとも。恁麼の見処自己本来の頭を識得せず。まさに手を断崖に撒する分なし。速かに身を空劫に回さずんばなをこれ俗氣未除。故に識情未破。窂獄未破。あにかなしまざるべけんや。故に子細に打著せしめん為に問こと再参す。然れども猶覚知する分なし。設ひ六句の外に承当すとも。なを無孔の鉄鎚軌則をなさず。たとひ千差の岐路を截断する分ありとも。なを自己の本明にくらし。三千里外且喜くは沒交渉。来りて相見する。これあだか用なきに似たりと重ねて指説す。ここにいたりて百丈下堂の句を挙似すといへども。なをこれ他の舌頭にわたる。自の証処に達せず。然れども恁麼に挙著して。はやく一段の宗風異路底の事なく挙説し来る。故に曰く。何不早恁麼道。今日因子得見海兄。実にこれ大衆立定。以拄杖一時趁散せし意。実に独脱無依にして来れり。かさねて調打にわづらふべきにあらず。然れどもただ如是挙せば。たとひ塵劫を経るとも。卒に所得の分なきに似たり。因て渠をして驚ろかさしめん為に。すなはち高声に大衆と召す。南辺打著すれば北辺動し来る。故に不覚回首悟処終に思量にわたらず。点頭し来ること如是。これによりて曰く。是れ甚麼んぞと。うらむらくは百丈の会下。一箇も会せざりけるか。このところに道取なしといへども。薬山はるかに曰く。因子得見海兄。実に古人恁麼の田地に一句道著する時。すなはちいはく相見了也と。また実に千里同風に似たり。また一絲もへだてなきに似たり。故に始め百丈に参し。薬山にのぼることを得て。終に師資へだてなく。彼此参得す。この田地に承当せば。ただ自己曠劫已来の事をうたがはざるのみにあらず。三世諸仏。六代祖師。有鼻孔底の衲僧。一覰覰破し。一箚に箚破して。はやく薬山・百丈に相見し。直に雲巌・道吾に眸を合することをゑん。しばらくいかんが這箇の道理を通じ得てん。大衆要聞麼。 孤舟不掉月明進 回頭古岸蘋未搖 第三十八祖。洞山悟本大師。 参雲巌問云。無情説法什麼人得聞。巌曰。無情説法無情得聞。師曰。和尚聞否。巌曰。我若得聞汝即不得聞吾説法也。師曰。若恁麼即良价不聞和尚説法也。巌曰。我説法汝尚不聞。何況無情説法也。師於此大悟。乃述偈呈雲巌曰。也大奇也大奇。無情説法不思議。若将耳聴終難会。眼処聞声方得知。巌許可師諱良价。会稽人也。姓兪氏。幼歳従師念般若心経。至無眼耳鼻舌身意処。忽以手捫面問師曰。某甲有眼耳鼻舌等。何故経言無。其師駭然異之曰。吾非汝師。即指往五洩山礼黙禅師披剃。年二十一詣嵩山具戒。母の為に愛子として。兄亡し。弟貧し。父またさきだちて亡じき。一度空門をしたふて。ながく老母を辞して。誓曰。我道を得ずんば再ひ古郷にかへらじ。又親を拝せじと。かくのごとく誓ひて郷里を辞す。卒に参学事了て。のちに洞山に住す。母一子にはなれて他の覆育なきに似たり。日日随て師を尋ねて。卒に乞丐の中にまじはりて。経行往来す。わが子洞山に住すとききて。慕てここにゆき。見んとするに。洞山かたく辞して。方丈室を鎖して不入。相見を許さざるがため也。是によりて母恨みて終に室外にして愁死す。死して後洞山自ら往て。かの乞丐し持るところの米粒参合あり。これをとりて常住の朝粥に和して。一衆に供養せしめて。以て雲程を弔。不久して其の母洞山の為に夢につげて曰く。汝志を守ること堅くして。我を不見によりて。愛執の妄情立処に断へ。彼の善根力によりて。我忉利天に生じたりと。祖師いづれも其徳勝劣なしといへども。洞山は此の門の曩祖として。殊に宗風を興せしこと。如是親を辞し深く志を守りしちからなり。参学のそのかみ。最初参南泉会。値馬祖諱辰。修齋次泉問衆曰。来日設馬祖齋。未審馬祖還来否。衆皆無対。師出対曰。待有伴即来。泉曰。此子雖後生甚堪雕琢。師曰。和尚莫厭良為賤。次参潙山。問曰。頃聞南陽忠国師。有無情説法話。某甲未究其微。潙曰。闍黎莫記得麼。師曰。記得。潙曰。汝試挙一遍看師遂挙。僧問。如何是古仏心。国師曰。墻壁瓦礫是。僧曰。墻壁瓦礫豈不是無情。国師曰是。僧曰。還解説法否。国師曰。常説熾然説無間歇。僧曰。某甲為甚麼不聞。国師曰。汝自不聞。不可妨他聞者。僧曰。未審甚人得聞。国師曰。諸聖得聞。僧曰。和尚還聞否。国師曰。我不聞。僧曰。和尚既不聞。争知無情解説法。国師曰。頼我不聞。我若聞即齊於諸聖。汝即不聞我説法也。僧曰。恁麼則衆生無分去也。国師曰。我為衆生説。不為諸聖説。僧曰。衆生聞後如何。国師曰。即非衆生。僧曰。無情説法拠何典教。国師曰。灼然言不該典。非君子所談。汝豈不見。華厳経云。刹説衆生説。三世一切説。師挙了。潙曰。我這裏亦有。祇是罕遇其人。師曰。某甲未明。乞師指示。潙竪起払子曰。会麼。師曰。某甲不会。請和尚説。潙曰。父母所生口終不為子説。師曰。還有与師同時慕道者否。潙曰。此去澧陵攸縣。石室相連。有雲巌道人。若能撥草瞻風。必為子之所重。師曰。未審此人如何。潙曰。他会問老僧。学人欲奉師去時如何。老僧対他道。直須絶滲漏始得。他道還得不違師旨也無。老僧道。第一不得道老僧在這裏。師遂辞潙山径造雲巌挙前因縁了便問。無情説法甚麼人得聞。巌曰。無情得聞。師曰。和尚聞否。巌曰。我若聞汝即不聞我説法也。師曰。某甲為甚麼不聞。巌竪起払子曰。還聞麼。師曰。不聞。巌曰。我説法汝尚不聞。豈況無情説法乎。師曰。無情説法該何典教。巌曰。豈不見弥陀経曰。水鳥樹林。悉皆念仏念法。師於此有省。此因縁国師会興来。終著実雲巌処。乃述偈曰。也太奇也大奇乃至眼処聞時方得知。師問雲巌。某甲有余習未尽。巌曰。汝会作甚麼来。師曰。聖諦亦不為。巌曰。還歓喜也未。師曰。歓喜則不無如糞掃堆頭拾得一顆明珠。師問雲巌。擬欲相見時如何。曰問取通事舍人。師曰。見問次。曰向汝道甚麼。師辞雲巌去時。問曰。百年後忽有人。問還貎師真否。如何祇対。巌良久曰。祇這是。師沈吟。巌曰。价闍黎承当箇事。大須審細。師猶渉疑。後因過水覩影大悟前旨。有偈曰。切忌従他覓。迢迢与我疎。我今独自往。処処得逢渠。渠今正是我。我今不是渠。応須恁麼会方得契如如。洞山一生参学事了。疑滯速離。因縁正是也。抑此無情説法因縁。有南陽張濆行者。問国師曰。伏承和尚道無情説法。某甲未体其事。乞和尚垂示。師曰。汝若問無情説法。解他無情方得聞我説法。汝但聞取無情説法去。濆曰。只約如今有情方便之中。如何是無情因縁。師曰。如今一切動用之中。但凡聖両流。都無少分之起滅。便是幽幽の字伝灯国師の章に出になる。字形似たるゑへに。あやまるか。下の講解すべて幽の字にて説示し玉ふ識不属有無。熾然見覚。只聞無其情識繋執。所以六祖曰。六根対境分別非識。是即談南陽無情説法樣子也。即曰。一切動用之中。但凡聖両流。都無少分起滅。便是幽識不属有無。熾然見覚す。然るを尋常に人おもはく。無情といふは墻壁瓦礫灯籠露柱ならんと。いま国師の道取のごときは不然。凡聖の所見未分。迷悟の情執未発。いはんや情量分別の計度にあらず。生死去来の動相にあらず。幽識あり。実にこの幽識熾然として見覚す。情識の繋執にあらず。ゆへに洞山も応須恁麼会方得契如如。いたるところひとりみづからゆくとしらば。一切如如にかなはざるときなし。ゆへに古人曰。かつて如の外の智の如のために証せらるるなく。智の外の如の智のために修せらるるなし。如如不動にして。了了常知なり。ゆへにいふ。円明の了知心念によらず。熾然の見覚すなはち繋執にあらず。潙山曰。父母所生曰。終不為子説。又曰く。衆生きくことをゑば衆生にあらずと。かくのごとく諸師の提訓をうけて。真箇の無情を会せし。ゆへに一門の曩祖として恢に宗風をおこす。然れば諸人者子細に熟看して。この幽識熾然に見覚しきたる。これを無情といふ。声色の馳走なく。情識の繋縛なきゆへに。因て無情といふ。実にこれ子細にかの道理を説取せるなるべし。ゆへに無情ととくをききて。みたりに墻壁の解をなすことなかれ。ただ汝等ち情念惑執せず。見聞みだりに分布せざるとき。かの幽識明明として暗からず。了了として明らかなり。このところとらんとすれどもうることなし。色相をおびざるゆへにこれ有にあらず。捨てんとすれども離るることなし。遠劫よりともない来るゆへに無にあらず。なほ識知念度の情にあらず。なにいはんや四大五蘊をおびんや。ゆへに宏智いはく。情量分別を離て智あり。四大五蘊にあらずして身ありと。すなはち恁麼の幽識なり。常説熾然といふは。いはゆる時としてあらはれずといふことなきこれを説といふ。かれをして揚眉瞬目せしめ。かれをして行住坐臥せしむ。造次顛沛。死此生彼。飢へ来れば喫飯し。困し来れば打眠す。みな悉く説なり。言語事業動止威儀。かさねてこれ説なり。有言無言の説のみにあらず。すべて堂堂として来り。明明として覆蔵せざるものあり。蝦なき蚯蚓なくにいたるまで。一切あらはれきたるゆへに。常説熾然。説無間歇なり。子細に見得せば。かならず後日洞山高祖のごとく。他の為に模範となることをゑん。且く如何が此の道理を説取せん。 微微幽識非情執 平日令伊説熾然 第三十九祖。雲居弘覚大師。 参洞山。山問曰。闍黎名什麼。師曰。道膺。山曰。向上更道。師曰。向上道即不名道膺。山曰。与吾在雲巌時祇対無異也師者幽州玉田人也。姓玉氏。童丱出家范陽延寿寺。二十五成大僧。其師令習声聞篇聚。非其好。棄之遊方。至翠微問道。会有僧自豫章来。盛称洞山法席。師遂造焉。山問。甚処来。師曰。翠微来。山曰。翠微有何言句示徒。師曰。翠微供養羅漢。某甲問。供養羅漢。羅漢還来否。微曰。你毎日噇箇甚麼。山曰。実有此語否。師曰。有。山曰。不虚参見作家来。山問。闍黎名什麼乃至祇対無異也。師見洞水悟道。即白悟旨洞山。山曰。吾道依汝流伝無窮不爾耳。有時謂師曰。吾聞思大和尚生倭国作王是否。師曰。若是思大師仏亦不作。況国王。山然之。一日山問。甚麼処去来。師曰。蹹山来。山曰。那箇山堪住。師曰。那箇山不堪住。山曰。恁麼則国内総被闍黎占却。師曰。不然。山曰。恁麼則子得箇入路。師曰。無路。山曰。若無路争得与老僧相見。師曰。若有路即与和尚隔生去也。山曰。此子以後千人万人把不住。師随洞山渡水次。山問曰。水深浅。師曰。不濕。山曰。麁人。師曰。請師道。山曰。不乾。山謂師曰。南泉問僧。講甚麼経。曰。弥勒下生経。泉曰。弥勒幾時下生。曰。見在天宮。当来下生。泉曰。天上無弥勒。地下無弥勒。師問洞山。天上無弥勒。地下無弥勒。未審誰与安名。山被問直得禅床震動。乃曰。膺闍黎吾在雲岩。会問老人。直得火爐震動。今日被子一問。直得通身汗流。師資問答無異事。一会無齊肩者。師後結庵于参峯。経旬不赴堂。山問。子近日何不齋。師曰。毎日自有天神送供。山曰。我将謂。汝是箇人。猶作這箇見解在。汝晩間来。師晩至。山召膺庵主。師応諾。山曰。不思善不思悪是甚麼。師回庵寂然宴坐。天神自此竟尋不見。如是参日乃絶。山問師。作甚麼。師曰。合醤去。山曰用多少鹽。師曰。旋入。山曰作何滋味。師曰。得。山問天闡提人作五逆罪。孝養何在。師曰。始成孝養。自爾洞山許為室中領袖。師始止参峯其化未広。後開法雲居。四衆臻萃。実に師初め翠微にまみへてより。洞山の会に参じて。曹山と兄弟たり。適来の問答。師資の決疑。悉くもていたれり。すでに洞山の懸記あり。吾が道汝ぢによりて流伝無窮ならんと。その言ばむなしからず。展転属累して今日にをよべり。実に洞水流伝し来る。その道いまに乾爆爆たり。清白家につたへ来る。その源いまにかはかず冷湫湫たり。既に一問をいたす時。その大機をはこぶ。因て禅床震動するのみならず。通身あせながる。これ古今まれなるところなり。然どもなを参峯庵に住して。天の食をおくりしに。山曰。我将謂。汝是箇人。なを這箇の見解をなすことありといひて。晩間よびきたして。召膺庵主。即応諾す。如是応諾する者。是不可受天食者也。喚で決擇するに。不思善不思悪是甚麼。這箇の田地子細に透到し。恁麼に見得するとき。諸天卒にはなをささぐるにみちなく。魔外ひそかにうかがひもとむるにみへず。恁麼の時節。仏祖もなをこれ怨家。仏眼も竟に覰不見なり。恁麼に承当するとき。合醤しもてゆき。旋入しきたる。得得として他に不依。ゆへに大闡提の人。殺父殺母。殺仏殺祖。五逆重て作る。このとき孝養意に存するところなし。恁麼の見処を親切にこころみんとするにかくのごとし。父子之恩何在。曰始成父子之恩。曹山の道取とこれ一般なり。ゆへに室中の領袖として。入室瀉瓶をかうふる因縁。ことさらに。山問曰。闍黎名什麼。師資相見の人をみること。旧情をもてせず。因て名はなんぞととふ。しるべし洞山師の名をしらざらんや。然れどもかくのごとくとふ。これ来由なきにあらず。師答るに道膺と。たとひ千変万回問来問去すとも。なを如是なるべん。かつて来由すべからす。恁麼の見得不肯にあらすといへども。さらに他の透関逸格の機を具すやいなやといはん。ためにとふ。向上更にいへと。師すでに六根不具。七識不全。ただ破癩のごとく又芻狗に似たり。因て向上に道ば。即不名道膺。這箇の田地にいたること大に難し。それ参学いまだここにいたらざれば。作家の種草にあらず。なを解路葛藤にみださるる事あらん。この田地を保任し来ること。こまやかなるによりて。末後一大闡提人の問答あり。違背のところなし。諸人者識破せば。すなはち本色了事の衲僧ならん。今日又いかなる言ありてか。此因縁を識破しゑたりとせん。又きかんとおもふや。良久曰 名状従来不帯来 説何向上及向下 第四十祖。同安丕禅師。 雲居有時示曰。欲得恁麼事。須是恁麼人。既是恁麼人。何愁恁麼事。師聞自悟師者不知何許人。即参雲居為侍者経年。有時雲居上堂曰。僧家発言吐氣。須有来由。莫将等閑。這裏是甚麼所在。争得容易。凡問箇事也須識些子好悪。乃至第一莫将来。将来不相似。乃至若是知有底人自解護惜。終不取次。十度発言。九度休去。為甚麼如此。恐怕無利益。体得底人心如臘月扇子。直得口辺醭出。不是強為。任運如是欲得恁麼事乃至何愁恁麼事。恁麼事即難得。かくのごとくしめすをききて。師すなはちあきらめ。終に一生の事を弁じて。後に洪州鳳棲山同安寺に住す。道丕禅師なり。さかんに雲居の宗風を開演す。有時学者問。迷頭認影如何止。師曰。告阿誰。曰如何即是。師曰。従人覓即転遠。也曰。不従人覓時如何。師曰。頭在甚麼処。僧問。如何是和尚家風。師曰。金鶏抱子帰霄漢。玉兎懷胎入紫微。曰忽遇客来将何祇待。師曰。金菓早朝猿摘去。玉華晩後鳳銜来。はじめ先師の示すところによりて。真箇の田地をあきらめゑて。家風をとくに金鶏帰霄漢。玉兎入紫微といふ。また為人する時。金菓日日摘将去。玉華夜夜銜持来。参学の因縁いづれ勝劣なしといへども。適来の因縁よく子細にすべし。ゆへいかんとなれば。恁麼の事をゑんとおもはば。すなはちこれ恁麼の人なり。たとひ頭に迷ひてもとめきたりしも。すなはちこれ頭なり。いはゆる永平開山曰く。我といふは誰そ。誰そといふは我れなるゆへに。良遂座主参麻谷。谷見来便閉門。良遂敲門谷乃問阿誰。良遂答曰。良遂。纔称名忽爾契悟。乃云。和尚莫瞞良遂。良遂若不来礼拝和尚。洎合被十二部経論賺過一生。谷乃開門令通悟由。遂印可之。及帰講肆。散席告徒衆云。諸人知処良遂総知。良遂知処諸人不知。実にこの知処。風を通ぜず。然れば諸人者子細に参徹せん時。無始劫よりこのかた具足しきたる。一時もかけたることなし。たとひ思量をもてはかりもとむるとも。すなはちこれ我なり。また他にあらず。独照すとも分別にあらず。またこれ我なり。今あらたなるにあらず。いはゆる眼こをつかひ。耳をつかひ。口をつかひ。手をひらき。足をうごかす。尽くこれ我なり。元来手にとるにあらず。眼にみるにあらず。ゆへに声色の所論にあらず。耳目の所到にあらず。人人子細にせん時。必ず我あることをしるべし。をのれあることをしるべし。このところをしらんとするに。まづ一切是非をさしおきて。ものによらず他にわたらざる時。この心独り明なること。日月よりも明なり。この心清白なること。霜雪よりも清し。然れば暗昏昏にして。是非をおぼへざるにあらず。浄明明にして。自己おのづからあらはるるなり。ゆへに諸人者語黙動静をはなれ。皮肉骨髄を帯せずといふものなきとおもふことなかれ。また兀然独立して。我とも不思。他とも不言。いかにといふ心なし。株のたてるがごとく。全体ものによらず。無心なること草木のごとくとおもふことなかれ。仏道の参学あに草木とおなじかるべきや。元来自なく他なし。すべて一物なしといふ所見は外道の断見。二乗の空見に同じし。大乗極則あに二乗外道におなじくすべけんや。子細に精到してまさに落著せん時。有といふべきにあらず。空朗朗なるゆへに。無といふべきにあらず。明了了なるゆへに。これ身口意のわかつところにあらず。これ心意識のわきもふべきにあらず。いかんがこの道理を通じうることあらん。 空手自求空手来 本無得処果然得 第四十一祖。後同安大師。 参前同安曰。古人曰。世人愛処我不愛。未審如何是和尚愛処。同安曰。既得恁麼。師於言下大悟師諱観志。其行状委不録也。参先同安得処深。先同安将示寂。上堂曰。多子塔前宗子秀。五老峯前事若何。如是参挙。未有対者。末後師出曰。夜明簾外排班立。万里歌謠道大平。同安曰。須是驢漢始得。爾より同安に住す。後同安と号す。それ多子塔前宗子秀と云は。むかし釈迦牟尼仏摩訶迦葉に相見せしこと。多子塔前也。一度相見せしに衣法ともに伝附す。其後十二頭陀を行じ。後半座に居す。涅槃会上迦葉会にのぞまずといへども。一衆をもて悉く迦葉に付嘱す。すなはちこの心なり。宗子秀といふ。いま同安大師。洞山の嫡孫として。青原一家の家風。このところに逆流翻回す。示滅のきざみ其の嫡子をあらはさんとして。五老峯前事若何と。かくのごとく三たび挙するに。衆悉く不会。ゆへに衆みな不答。須弥突兀として。衆山の頂き秀て。日輪杲杲として群象の前に照すゆへに。夜明簾外排班立。実にものの比倫すべきなし。脱体無依なるゆへに。直下第二人なし。ゆへに万里に繊埃を絶し。謀臣猛将いま何くにかある。うたひうたふてみな大平なり。奇衲子なり。参学この田地にいたりて始て得べし。かくのごとく拔群の操行。超邁の得処。さきだちてその風操をあらはす。ゆへに曰く。世人愛処我不愛。未審如何是和尚愛処と。いはゆる世人の愛処といふは。自ら愛し他を愛す。この愛漸漸に長ず。すなはち依報を愛し。正報を愛す。この愛いよいよ深著しもち来り。一重の鉄枷上に一重の鉄枷をそへて。すなはち仏を愛し祖を愛す。如是愛染いよいよけがれもてきたる。終に衆生の業因連綿として不断。元来不自由のところより生じ。不自由のところにむかひて死しもちさる。ただこれ此の愛によれり。ゆへに生仏・男女・有情非情。如是なる相著の愛なり。はやく須払却。すべて軌則なく一物なく。これなになるとも不弁。すべて不知不識なる。これはこれ非相の愛処なり。すはちとどまることなかれ。なを有相執著は一度発心せば。自ら体達することもありなん。もし非相の所見を執して。無色界に随在しなば。うらむらくはいくばくの劫数を送りて天寿つきん時。かへりて無間にをちなん。いはゆるこれ無心滅想なり。この相有および無相。かさねてこれ世人の愛処なり。有相中にして己をみ他をみ。無相中にしてをのれを亡じ他を亡ず。ことごとくこれ邪なり。然れば諸禅徳初機後学。かたじけなく釈尊の兒孫仏受用を受用す。あに世人の愛処に。おなじふすへけんや。まづすべからく一切の是非善悪男女差別の妄見を解脱すべし。次に無為無事無相寂滅のところにとどまることなかれ。このところに承当せんとおもはは。他にむかひてもとめ。外にむかひてたづぬることなかれ。まさにこの身いまだうけず。この体いまだきささざりし以前にむかひて。したしく眼をつくべし。かならず千差万別。毫髮も萌すことあるべからず。暗昏昏黒山鬼窟のことくなることなかれ。この心本来妙明にして赫赫然としてくらからず。この心空豁として円照す。此の中ち終に皮肉骨髄をおびきたること一毫もなし。なにいはんや六根六境迷悟染浄あらんや。仏け汝が為に説ことなく。自から師の為に参するなし。ただ声色のわかれ来るなきのみに非ず。すなはち耳目の具し来るなし。然れども心月かがやきて円明なり。眼華ほころびて紋あざやかなり。子細に精到して須恁麼相応。諸禅徳いかんが這箇の道理を会することをゑん。便ち代て一語をつけん。早くすべからく体前に眸を附べし。 心月眼華光色好 放開劫外有誰翫 第四十二祖。梁山和尚。 参侍後同安。安問曰。如何是衲衣下事。師無対。安曰。学仏未到這箇田地最苦。汝問我道。師問。如何是衲衣下事。安曰。密。師乃大悟師不知何許人。諱縁観。参後同安。執侍四歳。充衣鉢侍者。同安有時上堂。早参可掛衲法衣。時到師捧衲法衣。同安取法衣次。問曰。如何是衲衣下事。師無対乃至師乃大悟。礼拝而感涙濕衣。安曰。汝既大悟。又道得。師曰。縁観便道得。安曰。如何是納衣下事。師曰。密。安示曰。密有密有。師これより逗機。おおく密有の言あり。住して後に学人ありて衲衣下事を問こと多し。有時学人問。如何是衲衣下事。師曰。衆聖莫顯。又有時学人問。家賊難防時如何。師曰。識得不為寃。曰識得後如何。師曰。貶向無生国裏。曰。莫是他安身立命処。師曰。死水不蔵龍。曰。如何是活水龍。師曰。興波不作浪。曰。忽然傾湫倒嶽時如何。師下座把住曰。莫教濕却老僧袈裟角。又有時問。如何是学人自己。師曰。寰中天子。塞外将軍。かくのごとく他の為にせん。悉くこれ密有を呈似す。適来の因縁に曰く。学仏未到這箇田地最苦なりと。実哉此言。たとひ定坐床をやぶり。精進疲をわすれ。高行梵行の人なりとも。若未到這箇田地。なほ三界牢獄いでがたし。四弁を具し。八音を具して。巧説きりのごとくおこり。口業海のごとくひるがへり。説法天地をおどろかして。華をふらし石を動ずとも。もしいまだこの田地にいたらずんば。閻羅老子言多きことをおそれず。たとひ日久しく。月深く修行して。念つき情しづまりて。かたち枯木のごとく。心死灰のごとくにして。一切時に於て。境にあふても心不起。事にふるるとも念不乱。遂に坐しながら脱し。立ながら死し。生死において自在自由をうるに似たりとも。なほいまだこの田地にいたらざれば。仏祖屋裏用不著なり。故に古人曰く。先達悉くこの事をもて一大事とすと。ここをもて曩祖洞山和尚。僧問。世間何物最苦。曰。地獄最苦。山曰。不然。在此衣線下不明大事是名最苦。この門人雲居角立す。すなはちこの因縁を挙して曰く。先師道。地獄未是苦。向此衣線下不明大事却是最苦。汝等乃至更著些子精彩便是。上座不屈平生行脚。不辜負叢林。古人曰。欲得保任此事。須向高高山頂立。深深海底行方有些子氣息。汝若大事未弁。且須履踐玄途。しかのみならず。釈迦牟尼仏もまた五仏の開章に。諸仏世尊。唯以一大事因縁故出現於世。いはゆる仏智見を開示悟入せしむるなり。まさにこの一段の大事因縁をあきらむるを大事とす。徒に仏弟子に似たることをばよろこばず。もし這箇の事をあきらめずんば。畢竟して在家の俗人となんのことなることあらん。ゆへいかんとなれば。眼に色をみることもことならず。耳に声をきくこともかわらず。外に境縁に対するのみにあらず。内に縁慮も忘ずることをゑず。ただこれかたちの代るのみなり。卒に別なし。畢竟して一息断し。両眼とづる時。汝が精魂徒にものに随ひて転ぜられて。三界に流注し。わづかに人中に生じ。天上に生ずること。品あるに似たるとも。車のめぐりめぐりてかきりなきに似たり。もとより人をして在家をはなれ。塵労をいださしむる心なにごとにかある。ただこれ仏智見に達せしめんが為なり。わずらはしく叢林をもふけ四衆をあつむる。ただこの事を開明せしめんが為なり。故に僧堂を名けて選仏場といふ。呼長老唱導の師とす。みだりに衆をあつめ。かまびそしくせんとするにあらず。ただ人をして悉く自己を開明せしめんが為なり。故にたとひ出家の形となりて。なまじゐに叢林にまじわるといふとも。若しこの事をあきらめずんば。徒に労して功なきのみなり。なにいはんや末代悪世の初機後学。たとひ身儀心操。先仏の方規のごとくまなばんとすとも。天性迂曲にして学得することあたはず。近来の僧手をさだめ足をくだすことおだやかなをず。大小威儀内外心術。悉くまなばんとせず。ゆへに僧儀なきがごとし。たとひ身儀心操むかしのごとくなりとも。若心地をあきらめずんば。人天の勝果にて有漏の因縁。なにいはんや心地あきらめず。身儀ととのはず。徒に信施をうけ来る。皆是墮獄の類なり。然れども先徳曰く。世下り人疎にして。たとひ身儀心操古聖のごとくなくとも。精細綿密にして一大事をあきらめゑば。おそらくは三世諸仏と差ふことなからん。六代祖宗歴代古聖。悉く兄弟ならん。もとより三界の出べきなし。あに六道の迴るべきあらんや。然れば精細に功夫し。綿密に参学して。衲衣下の事をあきらむべし。この一大事因縁。正像末の時へだてなく。梵漢和国ことならず。故に末法悪世とかなしむことなかれ。遠方辺地の人ときらふことなかれ。この事もとより千仏きそひきたりて。あたゑんとすといふとも。仏力も終にをよびがたからん。然れば子に授る道にあらず。父に受る道にあらず。但自修自悟自身自得すべし。無量塵劫の修行なりとも。自証自悟せんことは。一刹那のあひだ。一度憤発の勢をなさば。尽乾坤一毫もゑきたらず。一度このところに到りなば。曠大劫来昧からず。豈諸仏の授るあるあらんや。故に子細に此のところにいたらんとおもはば。先須捨万事。なほ仏祖の境界をももとむることなかれ。なに況んや。自他憎愛あらんや。ただ毫髮の知解をおこさずして。すなはち直下を見よ。必ず皮肉なきものあり。体虚空のごとくにして別色なし。あだかも清水の徹底あきらかなるがごとし。廓然明白にして。ただ了了として知るのみなり。且く道へ。這箇の道理いかんがあらはしゑんや。 水清徹底深沈処 不待琢磨自瑩明 第四十三祖。大陽明安大師。 因問梁山和尚。如何是無相道場。山指観音像曰。這箇是呉処士畫。師擬進語。山急索曰。這箇是有相底。那箇是無相底。師於言下有省師諱警玄。載伝灯等処。依時皇帝御名警延。然実諱是警玄也。江夏張氏子。依智通禅師出家。十九為大僧。聴円覚了義。講席無能及者。遂遊方初到梁山問。如何是無相道場乃至師遂有省。便礼拝。倚本位立。山曰。何不道取一句。師曰。道即不辞。恐上紙筆。山笑曰。此語上碑去在。師獻偈曰。我昔初機迷学道。万水千山覓見知。明今弁古終難会。直説無心転更疑。蒙師点出秦時鏡。照見父母未生時。如今学了何所得。夜放烏鶏帯雪飛。山謂。洞山之宗可倚。一時声價籍籍。山沒辞塔至大陽。謁堅禅師。堅譲席使主之。それより洞山一宗盛に興世。人悉く走風。師神観奇偉。有威重。従兒稚時日祇一食。自以先徳附授之重。足不越限。脇不至席。至年八十二猶如是。終に陞座辞衆終焉。実にそれ参学もとも切要とすべきは。すなはちこれ無相道場なり。かたちをおびず名をうけず。故に言にあづからずといへども。必ず果然としてあきらかなるところあり。いはゆる父母未生の時の形貎なり。ゆへにこの田地をしめさんとするに。呉処士がゑがくところの観音の像をさす。あだかも鏡をしめすがごとし。いはゆる眼あれどもみず。耳あれどもきかず。手あれどもとらず。心あれどもはからず。鼻あれどもかがず。舌あれどもあじはひず。足あれどもふまず。六根悉く用なきがごとく。全体すべて閑家具なり。あだかも木人のごとく鉄漢のごとし。この時見色聞声はやくまぬかれおはりぬ。ここに進語せんとせしに。木橛にとどまらざらしめんとして。急索曰。這箇是有相底。那箇是無相底と。この不用底をもて無面目をしらしむ。明鏡をみておのれをしるがごとし。むかし秦時に鏡ありき。彼の鏡にむかへば。身中の五臟六腑。八万四千の毛孔。三百六十の骨頭。みなことごとくみるがごとし。耳目あれども用ひざるところに。身心を帯せざるところを看見す。有相の千山万水。悉くやぶれ来るのみにあらず。無心無分別の暗昏。すみやかにやぶれ。天地ともわかれず。万像すべてきざさず。了然として円具す。実にこれ洞上の一宗。一時の声價如是なるのみにあらず。累祖見得するみなもてかくのごとし。この旨を会せしよりのち。大陽にして有僧。問曰。如何是和尚家風。師曰。満瓶傾不出。大地沒饑人。実にこれこの田地。傾とも不出。おせども不闡。挑れども不起。触ども跡なし。故に耳目の至る処にあらず。語黙動静にともなひ来れども。かつて動静にさへられず。この事たヾ祖師独り具足するのみにあらず。尽大地の人一箇も具せざるなし。ゆへにいふ。うゑたるなしと。然れば諸禅徳幸ひに洞家の兒孫となりて。すでに古仏の家風にあへり。精細綿密に参到して。父母未生。色空未起の時の自己に承当して。已に一毫ばかりも相状なきところにいたりて。すでに微塵ばかりも外物なきところを見得して。千生万劫。摸すれども四大五蘊得不来。十二時中一時も缺少なきところをあきらめゑば。まさにこれ洞家の兒孫。青原の枝派ならん。且くいかんが此の這箇の道理を通ずることをゑん。要聞麼。 円鑑高懸明映徹 丹艧尽美畫不成 第四十四祖。投子和尚参円鑑。 大陽鑑陽令看外道問仏不問有言不問無言因縁。経三載一日問曰。汝記得話頭麼。試挙看師擬対。鑑陽掩其口。師了然開悟師諱義青。青社李氏子。七齡頴累。往妙相寺出家。試経十五得度。習百法論。未幾歎曰。参祗塗遠。自困何益。乃入洛聴華厳。義如貫珠。嘗読諸林菩薩偈至即心自性。猛省曰。法離文字。寧可講乎。即棄游宗席。時一円鑑禅師居会聖巌。一夕夢畜青色鷹為吉徴。屆且師来。鑑礼延之。令看外道問仏話乃至師了然開悟。遂礼拝。鑑曰。汝妙悟玄機耶。師曰設有須吐却。時資侍者在傍曰。青華厳今日如病得汗。師回顧曰。合取狗口。若更忉忉我即便嘔。自此復経三年。鑑時出洞下宗旨示之。悉皆妙契。附以大陽頂相皮履布直綴属曰。代吾続某宗風。無久滯此。善宜護持。遂書偈送曰。須弥立大虚。日用輔而転。群峯漸倚他。白雲方改変。少林風起叢。曹溪洞簾卷。金鳳宿龍巣。宸苔豈車碾。如来の正法輪東西密密として伝来し。五家森森として唱へ。かまびそしヽ。関捩まちまちにして。家風いさヽか異なり。鳳凰あり。龍象あり。ともに群せず。いづれも劣ならず。青華厳・機語大陽に契ふ。まさにこれ洞家の兒孫といヽつべし。遠録公は宗旨を葉縣につげり。是正に臨濟下の流なり。龍巣に鳳子を止むべからず。ゆへにをくりて令依円通秀禅師。至彼無所参問。唯嗜睡而已。執事白通曰。堂中有僧。日睡。当行規法。通曰。是誰。曰執事青上座。通曰。未可。待与按過。通即曳杖入堂見師正睡。乃撃床呵曰。我這裏無閑飯与上座喫了打眠。師曰。和尚教某何為。通曰。何不参禅去。師曰。美食不中飽人喫。通曰。争大有人。不肯上座。師曰。待肯堪作甚麼。通曰。上座会見甚麼人来。師曰。浮山。通曰。怪得恁麼頑懶。遂握手相笑帰方丈。由是道声籍甚。初住白雲。次遷投子。是誌五灯会元処也。又続古尊宿録曰。師鑑禅師に得法す。円鑑はさきに大陽明安大師に参ず。機語相契。卒に宗旨をつたへ。皮履布直裰を附せんとす。円鑑辞して曰く。すでにさきに得処あり。安歎して曰く。わが一枝人の伝るなし。時に円鑑もふして曰く。洞上の宗風尽て挙しがたし。和尚尊年にまします。もし人のつたふるなくば。某甲まさに衣信を持して。和尚の為に永く人に転じて相付嘱せん。安ゆるして曰く。われ偈を書してとヽむ。証明とせよ。すなはち書していはく。陽広山頭草。憑君待價燉。異苗繁茂処。深密固霊根。その末にいはく。得法のもの潜衆十年。まさに可闡揚。のちに遠与師あひあふ。洞下の宗旨大陽の真像衣信。偈をもて付嘱していはく。吾にかはりて大陽の宗風をつげと。後果して十年にまさに出世し。大陽につぐ。上に陽広山といふは大陽山なり。異苗繁茂処とは今の青禅師なり。價燉といふは円鑑をいふなり。来記たかはず終に出世し。拈香曰。此一弁香。大衆還知来処麼。非天地所産。非陰陽所成。威音王以前不落諸位。然灯之後七仏伝来直至曹谿。分派大夏。山僧向治平初。在浮山円鑑禅師。親手伝得寄附其宗頌。委証明。慈旨曰。代吾続大陽宗風。山僧雖不識大陽禅師。浮山宗法識人。以為嗣続如是。更敢不違浮山和尚法命付嘱之恩。恭為郢州大陽山明安大和尚。何故父母諸仏非親。以法為親。従爾開演大陽宗風。即得芙蓉楷禅師嗣続。夫浮山円鑑禅師。臨濟和尚七代。所謂葉縣帰省和尚嫡嗣也。昔日投参嵩交和尚出家。幼為沙弥。見僧入室請問趙州庭柏因縁嵩詰其僧。傍明。参諸師皆相契。謁汾陽葉縣皆蒙印可。卒葉縣之嫡嗣。然又太陽に参す。大陽また機縁あひかなふ。故に宗旨をつたゑんとせしに。法遠辞して曰く。さきに得処ありと。因てみづから伝受せずといへども。大陽卒に人なきゆへに。寄付して断絶せず。後にその機をゑて密に付す。こヽにいたりてしるべし。青原南嶽もとよりへだてなしといふことを。実に大陽の一宗地に落なんとせしを悲て。円鑑代て大陽の宗旨をつたふ。然るを自家の門人は曰く。南嶽の門下は劣なり。青原の宗風は勝れりと。又臨濟門下は曰く。洞山の宗旨はすたれたりき。臨濟門下にたすけらると。いづれも宗旨くらきがごとし。自家他家もし実人ならば。ともにうたがふべからず。ゆへいかんとなれば。青原・南嶽ともに曹谿の門人。牛頭の両角のごとし。ゆへに薬山は馬祖にあきらめて石頭につぐ。丹霞も馬祖に明らめて却て石頭につぎヽ。実に兄弟骨肉ともに勝劣なし。然るにたヾわが祖師を称して嫡嗣とし。余を旁出とす。しるべし臨濟門下も尊貴なり。自家門下も超邁なり。もし臨濟にいたらざるところあり。劣なるところあらば。円鑑すでにもて大陽につぐべし。若し大陽劣なるところあり。あやまる処あらば。円鑑なんそ投子に付せん。然も諸人者五家七宗と対論することなく。ただまさにこヽろをあきらむべし。これすなはち諸仏の正法なり。あに人我をもてあらそはんや。勝負をもて弁ずべからず。然るに洪覚範作せる石門林間録曰。古塔主去雲門之世無慮百年而称其嗣。青華厳未始識大陽。特以浮山遠公語。故嗣之不疑。二老皆以伝言行之自若。其於己甚重。於法甚軽。古之人於法重者。永嘉・黄檗是也。永嘉因閲維摩経悟仏心宗。而往見六祖曰。吾欲定宗旨也。黄檗悟馬祖之意而嗣百丈。いまの説を考るに。洪覚範なをしらざるところあるに似り。ゆへいかんとなれば。大陽の仏法円鑑に寄付す。あにうたがふべけんや。いはんや人をゑん。その証拠をのこす。末後来記におよぶこともたがはず。もし円鑑にあへるをうたがふべくんば。大陽つたへけるともうたがふべし。祖師訓訣し来るとここ。胡乱の世情に不可比。世人すら実ある人の言を証拠とすることおほし。いはんや円鑑知法の人として大陽面授あり。機語相契。覚範は投子円鑑の言をうたがはざるとそしる。円鑑すでに葉縣の嫡嗣として。臨濟の正流なり。古人これをうたがはず。仏祖あに妄称あるべけんや。累祖の印記をうくるによりて尊重し来る。なにをもてか投子円鑑をうたがふべきや。大陽今に存せるがごとし。仏祖の命脈通じてはじめなくをはりなし。はるかに三世を超越し。まのあたり師資たがはず。悉くこれ打成一片なり。葫蘆藤種の葫蘆をまつふがごとし。遂に別物なしといふべし。これ大陽・円鑑および投子にいたるまで。大陽一人にし来る。乃至釈迦一人連綿として今日にをよべり。仏祖堂奧の事かくのごとし。あに円鑑をうたがふべけんや。もし円鑑をうたがふべくば。迦葉なんぞ釈迦をうたがはざる。二祖なんぞ達磨をうたがはざる。祖師あざむくべからず。仏法に私なきことをたつとぶゆへに嗣続し来り。大陽も円鑑をたのむ。投子も円鑑をうやまふて。命をうたがはず。法を重くす。参師ともに曩祖の宗旨を遺落せず。後代にひさしく洞山の家風を属累し来る。実にこれわが家の奇特。仏法の秘蔵なり。いまも現前その器をゑざらん時。達人につけをくこともあるべきなり。洪覚範委悉にせず。青華厳を古塔主に例す。いくばくのあやまりぞ。夫れ薦福承古を古塔主といふ。棲止雲居弘覚禅師塔前。雲門より後。百年に一出たり。わづかに雲門の言に解するところあるをもて。すなはち曰く。黄檗の見処不円。古今あにへだつべけんや。馬祖の言をあきらめながら。馬祖につがず。われ雲門の言をあきらむ。すべからく雲門につぐべしといふて。終に雲門につぐと称す。諸録悉く雲門の嗣にのす。これ録者のあやまりなり。わらひぬべし。香厳撃竹にあきらむ。なんぞ翠竹につがざる。霊雲桃花にあきらむ。なんぞ桃華につがざる。あはれむべし。承古は仏祖屋裏。嗣承あることをしらず。若覚範も義青和尚をうたがはヾ。屋裏の相承をしらざるがごとし。ゆへになんぢおのれにをきてかろく。法にをきていたらずといふべし。然れば林間録の記もちゆべからず。適来の因縁は外道ほとけにとひたてまつる。不問有言不問無言と。尋常説黙にをちざる道なるがゆへに。世尊良久しまします。これ隠顯にあらず。自他にあらず。内外なく正偏なし。あだかも虚空のごとく。海水のごとくなることをあらはししめされしに。外道忽ちに会し。礼拝して曰く。世尊大慈大悲。開我迷雲令我得入といひてさりぬ。実に片雲つきて虚天いさぎよく。風波消して巨海しづかなりしがごとくなることをゑたりき。然るを阿難しらずして。仏にとひたてまつりて曰く。外道有何所証而言得入。仏曰。如世良馬見鞭影而行。実にこれ祖師の機関。したしく庫蔵を打開せしむるに。一機をかへさず。一言をいださざるところに覚了しきたり。明徹にもてゆく。鞭影をみて正路にいたるがごとし。然れば非思量のところにとヾまらず。なをまなこをつけてみよ。無言説のところにとヾこふらず。更に心をあきらめよ。この良久のところ。人おほくあやまりて会す。あるは一念不生にして全体現ず。離名字相にして独露し来る。雲つき山あらはるヽがごとく。突兀としてものによらず。正当恁麼なりと。従前知解を発して。向外馳求せしに比すれば。すこしき休歇せるに似たれども。皮肉いまだ亡ぜず。識陰なをさらず。このところに相応せんとおもはば。まさに絶氣息。命根を断じ去てみよ。なにものかあらはるるとかせん。あに非思量なりとせんや。すでになんともすべからず。いかんぞ黙黙然なりとせん。たヾ一息断じ。両眼とづるのみにあらず。百骸潰散じて。皮肉あとをとどめざるところにむかひてみよ。明暗に属せず。男女にあらざる一物あり。いかんがこの道理を通ぜん。 嵯峨万仭鳥難通 剣刃軽氷誰履踐 第四十五祖。芙蓉山道楷禅師。 参投子青和尚。乃問。仏祖言句如家常茶飯。離之外別有為人処也無。青曰。汝道。寰中天子勅。還假堯舜禹湯也無。師欲進語。青以払子撼師口曰。汝発意来。早有三十棒分。師即開悟師諱道楷。自幼喜閑静而隠伊陽山。後遊京師籍名術臺寺。試法華得度。謁投子於海会。乃問。仏祖言句乃至師即開悟再拝便行。子曰。且来闍梨師不顧。子曰。汝到不疑之地。師即以手掩耳。後作典座。子曰。厨務勾当不易。師曰。不敢。子曰。煮粥耶蒸飯耶。師曰。人工淘米著火。行者煮粥蒸飯。子曰。汝作甚麼。師曰。和尚慈悲放閑他去。一日侍投子遊菜園。子度拄杖与師。師接得便随行。子曰。理合恁麼。師曰。与和尚提鞋挈杖。也不為分外。子曰。有同行在。師曰。那一人不受教。子休去。至晩問師。早来説話未尽。師曰。請和尚挙。子曰。卯生日。戌生月。師即点灯来。子曰。汝上来下去総不徒然。師曰。在和尚左右理合如此。子曰。奴兒婢子誰家屋裏無。師曰。和尚年尊闕他不可。子曰。得恁麼慇懃。師曰。報恩有分。かくのごとく低細綿密に。那一著子をあきらめ来る。はじめ仏祖の言句は如家常茶飯。離此之外別有為人処也無ととふこヽろ。今ま尋常行履の外にさらに別に。仏祖のしめすところありやいなやと。すこぶる所解を呈するに似たり。然るに子曰。汝道寰中天子勅。還假堯舜禹湯也無と。実にこれ当今の令を下すに。卒にむかしの堯王舜王の威をからず。唯一人慶あるときは万民おのつから蒙るのみなり。しかの如くたとひ釈迦老子世出し。達磨大師現在すとも。人人他のちからをかるべからず。たヾ自肯自証して少分相応あり。ゆへに道理をとき滋味をつけん。なをこれ他をみる分あり。趣向をまぬかれず。ゆへに進語せんとせしに。以払子撼師口。ここにもとよりこのかた具足して。かげたることなきことをしめすに曰。汝発意来。早有三十棒分といふ。これ証明にはあらず。一度発意とは。それ心とは如何なるものぞ。仏とはなにものぞと求め来りしより。早くおのれにそむひて他にむかひ来る。たとひ自ら説き得て全体あらはれたり。自然に明らかなりといひ。心と説き性ととき。禅ととき道と説かん。悉く趣向をまぬかれず。もしこれ趣向のところあらば。早く白雲万里なり。己れに迷ふこと久しし。あに三十棒のみならんや。千生万劫なんぢを棒すとも。罪過まぬかれがたし。ゆへに言下にすなはち開悟し。再拝して便ち行く。あへてかふべをめぐらさず。うたがはざるところにいたるやと問に。更になんぞうたがはざるところにいたるべきかあらん。早く関山万里をへだて来るゆへに。仏祖の言句もし耳にふるヽ時。早くわが耳をけがしおはりぬ。千生万劫あらひきよむともきよまりがたし。ゆへに手をもて耳を掩て一言をいれず。このところを子細に見得せしゆへに。典座の時もすなはち曰く。放閑他ならしむと。煮飯するものにあらず。把菜するものにあらず。ゆへに柴をはこび水をはこぶ。みな行者人工の動著なり。卒に典座分上にあらず。絆をかけ釜をきよむる底。十二時中間断なきに似たりといへども。ついに手を下す分なく。物にふるヽ理なし。ゆへに放閑他去れといふ。かくのごとく見得し来るといへども。精熟せしめんとして菜園にいるに。子度拄杖与師。師接得便随行。子曰。理合恁麼。これ和尚手づから持すべきものにあらず。ものを提げざるものあることをしらしむ。すなはち熟見し来る。ゆへにいふ。与和尚提鞋挈杖也不為分外。こヽに和尚鞋履に指を動じ。拄杖を提げたるところをしれりといへども。なを挙手動足分外とせずと会得せし。すこしきそのあやしみあり。ゆへに試てすなはち曰。有同行在。従来ともに住して名をしらざるのみにあらず。面をしらざる老漢なり。すなはちこれ同行なり。早く見得し来ることしし。ゆへに師曰。那一人不受教。然れどもなほいたらざるところあり。ゆへいかんとなれば。すでに那一人ありて。挙手にともなはず。動足にふれざることをしるとも。ただかくのごとくあることをのみしらば。なをうたかはしきことあり。ゆへに投子其時理未尽休去。すなはち至晩問師曰。早来説話未尽。時に師すでにあることをしりて。うたがふべきにあらず。なんぞいたらざるところかあらんと。いふに曰く。請和尚挙し来れと。時に投子示曰。卯生日。戌生月。ことに夜氣過ぎさりて。星移月暗。白雪横青山。いまだあらはれず。然れども更に不群生ずる底の日あり。日勢西山に沒して。万像かげあらはれず。往来人なくして。路頭わきまへずとも。また更に空ぜざる底の事あり。ゆへに月を生ず。この田地設ひ一片に打成して。余物をもまじへず。他見なしといへども。おのづから霊霊爀爀のところあり。早く暗昧を照破す。ゆへに師すなはち点灯来る。実にいたることこまやかに。みることあきらかなり。ゆへにしめして曰。上来下去総不徒然。すでにこのところにしたしき時。実に十二時中閑功夫の時節なし。ゆへに曰。有和尚左右理合如此と。見来ることこまやかなりといへども。妙用底に会しけるに似たり。故にかさねてこヽろみんとて曰。奴兒婢子誰家屋裏無と。使ひ来り使去る。やつこ誰が家にかなからんと。師曰。和尚年尊闕他不可也と。すでに老老大大として俗塵に混ぜざるものあり。その体妙明にして卒にあひはなれず。ゆへにいふ。和尚年尊闕他不可なりと。恁麼に見来ること。実に精到ならずといふことなし。故に曰。得恁麼慇懃と。広大劫よりこのかた擔来しもてゆき。しばらくもあひはなれず。恩力をうけ来ること多時なり。この恩を比せんとする。鉄圍大須弥も比することあたはず。この徳を抗らぶるに四海九州も比する事あたはず。そのゆへはなんぞ。迷盧・日月・大海・江河。悉く時うつりもてゆく。この老和尚の恩卒に成敗にあらず。ゆへに時としてそのめぐみをかふむらざる時なし。徒に生じ徒に死して。一度尊顏を拝したてまつらざる。ながく不孝のものとして。久しく生死海に沈淪す。もし精細にして。わづかに見得せば。千生万劫の洪恩。一時に報じつくしおはりぬ。ゆへに曰く。報恩有分と。かくのごとく見来ること。精細なるによりて。住後僧問。胡茄曲子不墮五音。韻出青霄。請師吹唱。師曰。木鶏啼夜半。鉄鳳叫天明。曰。恁麼則一句曲含千古韻。満堂雲水尽知音。師曰。無舌童兒能継和。かくのごとく純熟して。眼をおほふ青山なく。耳をあらふ清泉なし。ゆへに利をみ名をみること。眼中に屑を著るに似たり。色をみ声をきくこと。石上に華を栽ゆるに似たり。ゆへに足卒に門閫をこへず。ちかひて不赴齋。他の来るをもいとはず。去るをもいとはず。その衆時にしたがひて多少さだまらず。日食粥一盂なり。作粥不るときは足則ただ米湯のみなり。洞家の宗旨こヽにいたりて繁興す。その見来る事したしく保持あやまらざるによりて。先聖の付嘱をわすれず。古仏の家訓を学し来ること如是なりしに。猶道山僧行業無取。忝主山門。豈可坐費常住頓忘先聖付嘱。今者輒㩭古人為住持体例乃至山僧毎至説著古聖做処。便覚無地容身。慚愧後人軟弱。そもそも忝く九代の法孫として。なまじゐに宗風をとなへ。二六時中の行履。後人の表榜とするにたらず。四威儀の中用心。悉くもて迂曲なり。何の面ありてか三箇五箇の雲衲に対し。一句半句を施説することあらん。可恥可恥。可恐可恐。曩祖照覽先聖冥見。雖然如是。諸参学人。かたじけなく芙蓉楷禅師の遠孫として。すでに永平門下の一族なり。すべからく子細に心地を明弁して。低細に用心し。一毫髮の名利のおもひなく。一微塵の憍慢の心なくして。したしく心術をさだめ。こまやかに身儀をとヽのへて。到るべきに到り。きはむべきをきはめて。一生参学の事を弁じ。曩祖属累の事をわするヽことなくして。あゆみを先聖につぎ。まなじりを古仏にまじへて。たとひ末世澆運なりといへども。市中に虎を見る分あるべし。若しは笠下に金を得る人あるべし。至祷至祷。且道へ。如何んが適来の因縁を挙著せん。 紅粉不施醜難露 自愛瑩明玉骨粧 第四十六祖。丹霞淳禅師。 問芙蓉曰。如何是従上諸聖相授底一句。蓉曰。喚作一句来。幾埋沒宗風。師於言下大悟師諱子淳。剣州賈氏子。弱冠出家。徹証於芙蓉之室。初住雪峯。後住丹霞。其最初咨問曰。如何是従上諸聖相授底一句。仏仏祖祖。換面回頭し来れども。必ず背面なく。上下なく。辺表なく。自他なく。相授底あり。これを喚て不空の空となづく。すなはちこれ諸人実帰の処なり。箇箇悉く具足円満せずといふことなし。然るを学者おほくあやまりて。本来ものなしとおもひ。更に口にいふべきことなく。心に存すべきことなしと。夫れかくのごとくなるを名けて。古人落空亡の外道とす。塵沙劫をふるといへども。すべて解脱の分なし。故に精細綿蜜にして。すべからく一切みな尽て空空なりといへども。更に空ずることゑざる底のものあり。子細に参徹して。若し一度覰得破せば。必ず弄得一句通し来ることあらん。故に相授底の一句といふ。時に芙蓉示曰。喚作一句来。幾埋沒宗風。実にこれ這箇の田地。喚で一句とすべきにあらず。あやまりて名言を下す。雪上に鳥跡あるに似たり。ゆへにいふ。蔵身のところにあとなしと。実に見聞覚知悉くやみ。皮肉骨髄みなつきて後。更になにものヽあととすべきかあらん。もしよく一毫髮もあとをなさざれば。果然としてあらはれ来る。他のしるところにあらず。故に相授るのところにあらず。然れどもこの田地会得する時。喚で以心伝心といふ。この時これ君臣道合すといふ。妙叶兼帯なり。且く道へ。この田地いかなる形段なりとかせん。 清風数匝縦搖地 誰把将来為汝看 第四十七祖。悟空禅師。 参丹霞。霞問如何是空劫已前自己。師擬対。霞曰。你閙在且去。一日登鉢盂峯豁然契悟師諱清了。道号曰真歇。悟空禅師号也。師母抱懷襁褓入寺。見仏喜動眉睫。咸異之。年十八講法華。得度往成都大慈。習経論領大意。出蜀至江沔漢。扣丹霞室。霞問。如何是空劫已前自己乃至豁然契悟。径帰侍立霞。霞一掌曰。将謂你知有。師欣然拝之。翌日霞上堂曰。日照孤峯翠。月臨溪水寒。祖師玄妙訣莫向寸心安。便下座。師直前曰。今日陞座。更瞞某甲不得。霞曰。你試挙我今日陞座来看。師良久。霞曰。将謂你瞥地。師便出後游五臺。之京師。浮汴直抵長蘆謁祖照。一語契投。命為侍者。踰年分座。未幾。照称疾退閑。命師継席。学者如帰。建炎末游四明至補陀。台住天封。閩之雪峯。詔住育王。徙温州龍翔。杭住径山慈寧皇太后命開山皐寧崇先。実に襁褓のむかしより不群にして他に異なり。然も尚参禅のこヽろざしをはこぶに。功夫なをいそがしきことあり。ゆへに空劫已前の自己をとひし時。こたへんと擬す。丹霞うけがふことなし。しばらくらしむ。一日鉢盂峯頂にのぼりて。十方壁落なく。四面また門なし。十方目前なる時にいたりて承当す。ゆへにかへり来りて一言を通ぜず。且く侍立す。丹霞かれがあることをしりぬる事を知りて。将謂你知有。時によろこんで礼拝す。丹霞卒に上堂して証明す。のちに出世して上堂曰。我於先師一掌下。伎倆倶尽覓箇開口処不可得。如今還有恁麼快活不徹底漢麼。若無銜鉄負鞍。各自著便。実に夫れ祖師の相見するところ。劫前に歩みをはこび。早く本地の風光をあらはし来る。もしいまだこの田地を看見しゑずんば。千万年のあひだ坐してものいふことなく兀兀として枯木のごとく。死灰のごとくなりともこれ何の用ぞ。然も空劫已前といふをききて。人人あやまりておもふことあり。いはゆる自もなく他もなく。前もなく後もなく。生滅もなく。生仏もなし。よんでつともいふべからず。二ともいふべからす。同とも弁せじ。異ともいはじ。かくのごとく商量計度して。一言もいひゑば。早くたがひぬとおもひ。一念もかへせば。すなはちそむくべしとおもふて。みだりに枯鬼死底をまもり。死人のごとくなるあり。あるひはなにごととしても。あひたがふことなし。山ととくもうべし。河と説もうべし。我と説もうべし。他と説もうべし。又曰く。山といふも山にあらず。河といふも河にあらず。ただこれ山なり。ただこれ河なり。かくのごとくいふ。これ何の所要ぞ。悉く皆な邪路におもむく。あるひは有相に執著し。あるひは落空亡の見におなじくし来るなり。この田地あに有無におつべけんや。故に汝が舌をさしはさむところなく。汝が慮をめぐらすところなし。且つ天によらず。地によらず。前後によらず。脚下ふむところなくして著眼みよ。必ず少分相応のところあらん。あるひはいふ。軌則を絶す。あるひはいふ。氣息を通ぜずと。悉皆趣向辺の事。つゐにをのれにそむきをはりぬ。なにいはんや。月ととき雪ととき。水ととき風ととく。皆おそらくは自の目にまげありて。空華みだれおつ。なにをよんで山とすべき。卒に一法をみず。なににふれてか冷暖とせん。つゐに一法の汝にあたふるなし。ゆへに木につき草につく。世法仏法一時に払ひすてをはりて。更に見来れば。はたしてうたがはじ。内にむかひてみることなかれ。外にむかひて求むることなかれ。念をしづめんとおもふことなかれ。形をやすからしめんとおもふことなかれ。ただしたしくしり。したしく解し。一時に截断して。暫時坐してみよ。四方に一歩をあぐべきところなしといふとも。乾坤に身をさしはさむところなしといふとも。果して汝他のちからをかるべからず。如是して見る時き。皮肉骨髄なんぢが為に分布するなし。生死去来なんぢを改変するなし。皮膚脱落して。ただ一真実のみあり。古に輝き今に耀て。数量時劫をわきまへず。あにただ空劫已前といふのみならんや。すべてこのところ前後をわきまふべきところあらず。ゆへいかんとなれば。この田地成住壊空にうつされず。自他共に無因とわきまふべけんや。外に境界をわすれ。内に縁慮をすて。青天なを棒を喫し。浄裸々なり。赤洒々なり子細に見得し来れば。虚にして霊に。空にして妙なり。いまだ子細にせざれば。終にこのところにいたることなし。実に塵劫の事をほがらかにすること。一彈指のあひだにあり。暫時片時なりとも。擬議の情なく。知解をきざさす。驀面に突眼して見よ。必ず独脱無依ならん。然るを諸参学人。心頭を回してすでにあやまりて趣向す。ただ毫末のたがひとおもふともしるべし。恁麼なれば。千生万劫休歇の分なし。子細に思量し。精到してみよ。他によらず。廓然として開悟せんこと。虚空のごとくならん。且く道へ。いかんがこの道理を少分も通ずることをゑん。古澗寒泉人不窺 浅深未聴客通来 第四十八祖。天童玨禅師。 久為悟空侍者。一日悟空問曰。汝近日見処如何。師曰。吾又要道恁麼。空曰。未在更道。師曰。如何んそ未。悟空曰。汝不道道来未。未通向上事。師曰。向上事道得。空曰。如何向上事。師曰。設雖向上事道得。為和尚不能挙似。空曰。実汝未道得。師曰。伏願和尚道取。空曰。汝問吾道。師曰。如何是向上事。空曰。吾又要道不恁麼。師聞開悟。空即印証師諱宗玨。久為悟空侍者。昼三夜三。横三竪三。然猶有所不徒。空問曰。汝近日見処如何。師曰。吾又要道恁麼。空曰。未在更道。実に今ま恁麼なりといふ。いまだしきところあり。所謂恁麼に来ることを会すといへども。不恁麼に来るものあることをしらず。然るを全体露現してかくすことなし。何の不足のところかあらんとおもふゆへに。曰如何未。かくのごとく解する底。白雲散じつきて。青山ひとりたかきがごとくなることをうれども。なを更に山よりもたかき山あることをいまだしらず。故に曰。汝不道道来未。未通向上事。かくのごとく参じ来る。ことごとくこれ向上の事なりといへども。なをあることをしらざるとがあり。ゆへに曰。実に汝未道得と。なを一言を出し。心慮をめぐらして恁麼いふも。二にをち参にをつ。一点をもつけざるところありと。ゆへにいふ。設雖向上事道得。為和尚不能挙得。自己いまだしらず。なを節目にかかはるゆへに。悟空曰。実に汝未道得。時にいきすでにつき。ちからまさにきはまりて。請問して曰。如何是向上事。空曰。吾又要道不恁麼。先来の道と只だ今の道と。天地の論にもおよばず。水火の喩へよりもへだたれり。宗玨のおもはくは全体あらはれたりと。悟空は不然。ただ恁麼なりといふ。ただ孤明歴然たるのみなり。初て非をしり得処ありて印証をうく。然しより出世し。為人説話するに。僧問。如何是道。師曰。十字街頭休斫額。有時上堂曰。劫前運歩世外横身。妙契不可以意到。真証不可以言伝。直得虚静歛氣。白雲向寒巌而断。霊光破暗。明月随夜船而来。正与麼時。作麼生履踐。偏正不会離本位。縦横那渉語因縁。実に虚静にきはなく。舌頭談ずれどもへだたらず。向上事を識得せんこと。如是なるべし。なを心ととき。性ととくこと。悉くこれ向上事にあらず。ただ又た山はこれ山。水はこれ水。これを向上事とをもへり。直にこれあやまりなり。洞山曰。体得仏向上事。方さに有些子語話分。僧便問如何是語話。山曰。語話時闍黎不聞。又盤山曰。向上一路千聖不伝と。実に尋常にいひ来る。任性逍遙底にあらず。又僧悟空禅師問曰。向上事作麼生。空曰。妙在一漚前。豈容千聖眼。いまいふところの一漚とは。己身きざしてよりこのかたなり。不萠以前これをなづけて向上の事といふ。ゆへに芙蓉の真子。枯木法成禅師上堂知有仏祖向上事方有語話分。諸禅徳且道。那箇是仏祖向上事。有箇人家兒子六根不具七識不全。是大闡提無仏種性。逢仏殺仏。逢祖殺祖。天堂收不得。地獄攝無門。大衆還識此人麼。良久曰。対面不仙陀。睡多饒寐語。実に向上の事は。仏来るとも。たちまち喪身失命し。祖いたるとも。全身百雜碎す。天堂にいたらんとすれば。天堂すなはち崩壊す。地獄にむかへば。地獄たちまち破裂す。いづれのところか天堂とし。いづれのところをか地獄とせん。なにをよんでか万像とせん。先より蹤跡なし。ただ睡時の事のごとし。自なをしらず。他あにわきまふべけんや。来由なく。ただ明々として無悟法なるのみなり。まさにこれ高祖の語話なり。もし向上の事をしらば項門のまなこひらけて。この時少分相応のところあり。且く道へ。如何ならんか此の道理。 宛如上下橛相似 抑不入兮拔不出 第四十九祖。雪竇鑑禅師。 宗玨主天童時。一日上堂挙。世尊有密語。迦葉不覆蔵。師聞頓悟玄旨。在列流涙。不覚失言曰。吾輩為什麼不従来。玨上堂罷。呼師問曰。汝在法堂。何為流涙。師曰。世尊有密語。迦葉不覆蔵。玨許可曰。何非雲居懸記師諱智鑑。滁州呉氏子。兒時母与洗師手瘍問曰是甚麼。対曰。我手似仏手。長失持怙。依真歇於長蘆。時宗玨首衆。即器之。後遯象山。百怪不能惑。深夜開悟。求証於延寿。然復玨和尚に参ず。宗玨時に天童に住しき。師をして書記にあてしむ。玨一日さきの因縁を挙す。夫れこの因縁は涅槃経よりいでたり如来性品第四之二いはゆる。爾時迦葉菩薩。白仏言。世尊如仏所説。諸仏世尊有秘密語。是義不然。何以故。諸仏世尊唯有密語。無有密蔵。譬如幻主機関木人。人雖覩見屈伸俯仰。莫知内而使之然。仏法不爾。咸令衆生悉得知見。云何当言諸仏世尊有秘密蔵。仏讃迦葉。善哉善哉。善男子。如汝所言。如来実無秘密之蔵。何以故。如秋満月処空顯露清浄無翳。人皆覩見。如来之言亦復如是。開発顯露清浄無翳。愚人不解。謂之秘蔵。智者了達則不名蔵。然しよりこの語。祖師門下にもちゐ来ることひさしし。ゆへに今も挙するに智鑑開悟。実に覆蔵せず。夫れ一切の言をきかんに。必ず心を会すべし。言にとどこふることなかれ。火といふこれ火にあらず。水といふ水にあらず。ゆへに火をかたるにくちをやかず。水をかたるにくちをうるをさず。しりぬ水火実に言にあらず。石頭和尚曰。承言須会宗。自勿立規矩。又薬山曰。更宜自看。不得絶言語。我今為汝説這箇語。顯無語底。他那箇本来無耳目等貎。又長慶曰。二十八代皆説伝心。不説伝語。又雲門大師曰。祇此れ箇の事。若在言語上。三乗十二分教。豈是無言語。因什麼道教外別伝。若従学解機智。祇如十地聖人。説法如雲如雨。猶被訶責ひ見性如隔羅穀。以此故知。一切有心天地懸殊。雖然如是。若是得底人道火何会焼口。終日説事未甞挂著唇齒。未会道著一字。ゆへに諸人言のなきのみにあらず。またくちなきものあることをしるべし。あに口なきのみならんや。眼もなく。四大六根もとより一毫もなし。かくのごとくなりといへども。これ空なるにあらず。ものなきにあらず。いはゆる汝等物を見も声を聞も。この眼の見にあらず。耳の聞にあらず。これ箇の無面目の漢の如是なるなり。汝等の身心とそなゑ来るところ。これ箇の漢のなし来るところなり。ゆへにこの身心悉くこれ造作の法にあらず。ここにいたらずして。すなはちおもはく。あるひは父母縁起の身と。また業報所生の身と。ゆへに赤白二滴の身なりとおもひ。皮肉を帯せる身なりとおもふ。悉く自己をあきらめざるに依りてかくのごとし。故に此のところをしらしめんとして。知識無量の方便手段をもて。六根悉く亡ぜしめ。一切みなやましむ。この時更に亡じゑざるものあり。やぶれゑざるものあり。必ず識得し来るに。空有にをちず。明暗にあらず。ゆへに迷へるものともいひがたし。悟れるものともいひがたし。ゑへにこの田地を仏ともいはず。法ともいはず。心ともいはず。性ともいはず。ただ赫赫々たるひかり。明々とあるばかりなり。ゆへに火光水光にもあらず。ただ廓然として明々たるのみなり故にうかがはんとすれどもうかがはれず。ゑんとすれどもゑられず。惺々たるのみなり。ゆへに火水風の三災おこり。世界壊する時。このものやぶれず。三界六道おこりて。万像森羅儼然たる時。このもの変ぜず。ゆへに仏もいかんともせず。祖師もいかんともせず。諸人者まづこのところにしたしくいたらんとおもはば。しばらく両眼をとぢ。一息たへて。この身おゑて。をほふべき家なくして。一切の用処ことごとくもて要とせず。あだかも青天に雲なきがごとく。大海に波浪なきがごとくにして。少分相応あり。この時又なんぢをして。いかんともするなしといへども。更に一段の光明あり。これ青天に月あり。日あるがごときにあらず。漫天これ月なり。すべてものをてらすことなし。尽界これ日なり。あへてかがやくところなし。子細にして承当すべし。若しこのところを見得せずんば。徒に僧俗男女にまよへるのみにあらず。三界六道に輪回す。仏弟子としてかたちを僧形にそなへながら。なを閻羅老子の手にかからん。あに耻辱にあらざらんや。釈尊の仏法沙界にみちみちて。いたらざるところなし。参到せんになんぞいたらざらん。この人身たやすく受るところにあらず。むかしの善根力によりてうけ来るところなり。もし一度このところにいたらば。悉く解脱せん。男女にあらず。神鬼にあらず。凡聖にあらず。僧俗にあらず。おさめんとするにところなし。みんとするにまなこいたらず。もしこの田地にいたりゑば。僧なりといへども僧にあらず。俗なりといへども俗にあらず。六根にまどはされず。六識につかはれず。若しいたらずんば。如是事に悉くまどひしばられもてゆかん。あにあしからざらんや。元来具足す。なをいとなみていたるべくは。ちからをついやすべし。なにいはんや。人人にかげたるところなしといへども。一度眼見にまどひしより。いくばく流転をうくることかなしむべし。ただ根境を亡じ。心識によらず。低細にしてみよ。必ずいたるべし。ただ漸漸にいたるべきにあらず。一度憤発の勢ひをおこして契ふべし。暫時なりといへども。一知半解をおこすことなく。真に根源を識得していたるべし。一度いたりなば。四稜蹈地にして。八風吹不動。古人曰。学道如鑚火。逢煙且莫休。一度ちからをつくす時火をうるなり。いはゆる煙といふはこれいづれのところぞ。若し知識の好手にあふ時。一念不起のところ。これ煙にあふ時節なり。ここにとどこほりて。やがてやむは。これあたたかなるにやむるがごとし。然れば進て火をみるべし。いはゆる不起一念なるものをよくしるなり。もし自己を識得せずんば。今は休するに似たりとも。これをもて枯木のごとくなりとも。魂不散底の死人なり。ゆへにこのところに。したしく承当せんとおもはば。参徹してうべし。坐定によらず。蝦の語をなさず。いかならんかこれこの密語覆蔵せざる道理可謂。 金剛堅密身其 身空廓明明哉 第五十祖。天童浄和尚。 参雪竇。竇問曰。浄子不会染汚処。如何浄得。師経一歳余。忽然豁悟曰。打不染汚処師者越上人事也。諱如浄。従十九歳捨教学。参祖席。投雪竇会。便経一歳。尋常坐禅拔群。有時因望浄頭。時竇問曰。不会染汚処。如何浄得。若道得汝充浄頭。師無措。経両三箇月。猶未道得。有時請師到方丈。問曰。先日因縁道得乎。師擬議。時竇示曰。浄子不会染汚処。如何浄得。師不答。経一歳余。竇又問曰。道得。師未道得。時竇曰。脱旧窠当得便宜。如何不道得。従然師聞得力勵志功夫。一日忽然豁悟。上方丈即曰。某甲道得。竇曰。這回道得。師打不染汚処。声未畢。竇即打。師流汗礼拝。竇即許可。後浄慈に有て。彼開発の因縁を報ぜん為に。浄頭たり。有時羅漢堂の前をすぎしに。異僧ありて。師にむかひて曰く。浄慈浄頭浄兄主。報道報師報衆人といひおはりて。忽然としてみへず。大臣丞相ききてうらなふて曰く。聖の浄慈に主たることを許す兆なり。のちに果して浄慈に主たり。諸方皆ないふ。師の報徳実にいたれり。十九歳の時発心してより。のち叢林に掛錫して。ふたたび郷里にかへらず。しかのみならず。郷人とものがたりせず。すべて諸寮舍にいたることなし。また上下肩隣位にあひかたらず。只管打坐するのみなり。ちかひて曰く。金剛坐を坐破せんと。かくのごとく打坐するによりて。有時臀肉のうがてる時もあり。然もなを坐をやめず。初発心より天童に住するに。六十五歳におよぶまで。未礙蒲団日夜あらず。はじめ浄慈に住せしより。瑞巌をよび天童にいたるまで。その操行他に異なり。いはゆるちかひて僧堂に一如ならんといふ。故に芙蓉よりつたはれる衲衣ありといへども搭せず。上堂入室ただ黒色の袈裟裰子を著く。嘉定の皇帝より紫衣師号を賜まはるといへども。上表辞謝す。なを神秘して平生卒に不顯嗣承。終焉のきざみ法嗣の香をたく。ただ世間愛名をうとくするのみにあらず。また宗家の嘉名をもおそるるなり。実に道徳当世にならびなく。操行古今に不群なり。つねに自称して曰く。一二百年祖師の道すたる。ゆへに一二百年よりこのかた。わがごとくなる知識いまだいでずと。ゆへに諸方悉くをそれおののく。師はかつて諸方をほめず。よのつねにいはく。われ十九歳よりこのかた発心行脚するに。有道の人なし。諸方の席主。おほくは祇管に官客と相見し。僧堂裏都て不管なり。つねに曰く。仏法は各自理会すべし。かくのごとくいふて衆をこしらふことなし。いま大刹の主たる。なをかくのごとく胸襟無事なるをもて道とおもひ。かつて参禅を要せず。他の那裏になんの仏法かあらん。もし渠れが道がごとくならば。なんぞ尋常訪道の老古錐あらんや。わらひぬべし。祖師の道夢にもみざることあり。平侍者が日録に。おほく師の有徳をしるせる中に。稍提挙州府につきて上堂を請せしに。一句道得なかりしゆへに。一万鋌の銀子。卒にうくることなくしてかへしき。一句道得なき時。他の供養をうけざるのみにあらず。名利をもうけざるなり。ゆへに国王大臣に親近せず。諸方の雲水の人事すらうけず。道徳実に人に群せず。故に道家の流の長者に道昇といふあり。徒衆五人ちかひて師の会に参ず。われ祖師の道を参得せずんば一生古郷にかへらじ。師こころざしを随喜し。あらためずして入室をゆるす。排列の時に。すなわち比丘尼の次に著しむ。世にまれなりとする処ろなり。また善如もいひしは。われ一生師の会にありて。卒に南にむかひて一歩をはこばじと。かくのごとくこころざしをはこんで。師の会をはなれざるたぐひをほし。普園頭といひしはかつて文字をしらず。六十余にてはじめて発心す。しかれども師低細にこしらひしによりて。卒に祖道をあきらめ。園頭たりといへども。をりをり奇言妙句をはく。ゆへにあるとき上堂曰。諸方の長老普園頭におよばずと。うつして蔵主となす。実に有道の会には。有道の人おほく。道心の人おほし。よのつねただ人をして打坐をすすむ。常に云。不用焼香礼拝念仏修懺看経。秖管打坐と示して。ただ打坐せしめしのみなり。つねに曰く。参禅は有道心。これはじめなり。実にたとひ一知半解ありとも。道心なからんたぐひ。所解を保持せず。卒に邪見に墮在し。若苴放逸ならん。附仏法の外道なるべし。ゆへに諸人者第一道心の事をわすれず。一一に心をいたらしめ。実をもつはらにして。当世に群せず。すすんで古風を学すべし。実にかくのごとくならば。みづからたとひ会得せずといふとも。本来不会染汚人ならん。もしこれ不会染汚ならば。あにこれ本来明浄人にあらざらんや。故にいふ。本来染汚せず。このなにをかきよめん。旧窠を脱して便宜をゑたりと。それ古仏のまふけ。もとより一知半解をおこさしめず。一処に修練せしめ。こころざしを一義にして私せず。ゆへに十二時中浄穢の所見なく。おのづからこれ不染汚なり。しかれどもなを染汚の所見をまぬかれず。掃箒をもちゆる眼あり。あきらめずして一歳余をふるに。一度皮膚のもぬくべきなく。身心の脱すべきなきことをゑて。打不染汚処といふ。なを恁麼なりといへども。早く一点をつくる。ゆへに道ふ声いまだをはらざるに。すなはち打す。時に通身にあせながれて。早く身をすて。ちからをゑおはりぬ。実にしりぬ。本来明浄にして。すべて染汚をうけざることを。故に尋常に曰く。参禅は身心脱落と。且く道へ。如何んが是れ這の不染汚底。 道風遠扇堅金剛 匝地為之所持来 第五十一祖。永平元和尚。 参天童浄和尚。浄一日後夜坐禅示衆曰。参禅者身心脱落也。師聞忽然大悟。直上方丈焼香。浄問曰。焼香事作麼生。師曰。身心脱落来。浄曰。身心脱落。脱落身心。師曰。這箇是暫時伎倆。和尚莫乱印某甲。浄曰。我乱不印汝。師曰。如何是乱不印底。浄曰。脱落身心。師礼拝。浄曰。脱落脱落。時福州広平侍者曰。外国人得恁麼地。実非細事。浄曰。此中幾喫拳頭。脱落雍容又霹靂。師諱道元。俗姓源氏。村上天皇九代苗裔。後中書王八世之遺胤也。正治二年初て生る時に。相師見奉て曰。此子聖子也。眼に重瞳あり。必ず大器ならん。古書に曰。人聖子を生ずる時は。其母命あやうし。この兒七歳の時。必ず母死せん。母儀是を聞て驚疑せず。怖畏せず。増愛敬を加ふ。果して師八歳の時。母儀即ち死す。人悉く道ふ。一年違ひ有と雖とも。果して相師の言に合すと。即ち四歳の冬。初て李嶠が百詠を祖母の膝上に読み。七歳の秋。始て周詩一篇を慈父の閣下に獻ず。時に古老名儒悉く道く。此の兒凡流に非ず。神童と称すべしと。八歳の時。悲母の喪に逢て哀歎尤も深し。即ち高雄寺にて香煙の上るを見て。生滅無常を悟り。其より発心す。九歳の春。始て世親の倶舍論をよむ。耆年宿徳云。利如文殊。真の大乗の機なりと。師幼稚にして耳の底に是等の言をたくはへて苦学を作す。時に松殿の禅定閤は関白攝家職の者也。天下に並なし。王臣の師範也。此人師を納て猶子とす。家の秘訣を授け。国の要事を教ゆ。十三歳の春。即ち元服せしめて。朝家の要臣となさんとす。師独り人にしられずして。竊に木幡山の荘を出て。叡山の麓に尋ね到る。時に良観法眼と云あり。山門の上綱顯密の先達也。即ち師の外舅也。彼の室に到て出家を求む。法眼大に驚て問て曰。元服の期ちかし。親父猶父定て瞋り有んか如何。時に師曰。悲母逝去の時属して曰。汝ぢ出家学道せよと。我も又如是思ふ。徒に塵俗に交らんとおもはず。但出家せんと願ふ。悲母及ひ祖母姨母等の恩を報ぜんが為に出家せんと思ふと。法眼感涙を流して許入室。即留学横川首楞厳院般若谷千光房。卒に十四歳。建保元年四月九日。座主公円僧正を礼して剃髮す。同十日延暦寺の戒檀院にして菩薩戒をうけ比丘となる。然しより山家の止観を学し。南天の秘教をならふ。十八歳より内に一切経を披閲すること一遍。後に参井の公胤僧正同く又外叔なり。時の明匠世にならびなし。因て宗の大事をたづぬ。公胤僧正示曰。吾宗の至極いま汝が疑処なり。傅教・慈覚より累代口訣し来るところなり。この疑をしてはらさしむべきにあらず。遙かに聞く。西天達磨大師。東土に来てまさに仏印を伝持せしむと。その宗風いま天下にしく。名けて禅宗といふ。もしこの事を決擇せんとおもはば。汝建仁寺榮西僧正の室に入て。その故実をたづね。はるかに道を異朝に訪ふべしと。因て十八歳の秋。建保五年丁丑八月二十五日に。建仁寺明全和尚の会に投して。僧儀をそなふ。彼の建仁寺僧正の時は。もろもろの唱導。はじめて参ぜしには。三年をへて後に衣をかへしむ。然るに師のいりしには。九月に衣をかへしめ。すなはち十一月に僧伽梨衣をさづけて。以て器なりとす。かの明全和尚は顯密心の三宗をつたへて。ひとり榮西の嫡嗣たり。西和尚建仁寺の記を録するに曰。法蔵はただ明全のみに属す。榮西が法をとふらはんとおもふともがらは。すべからく全師をとふろうべし。師其室に参じ。重て菩薩戒をうけ。衣鉢等をつたへ。かねて谷流の秘法。一百三十四尊の行法。護摩等をうけ。ならびに律蔵をならひ。また止観を学す。はじめて臨濟の宗風をききて。おほよそ顯密心三宗の正脈みなもて伝受し。ひとり明全の嫡嗣たり。やや七歳をへて。二十四歳の春。貞応二年二月二十二日。建仁寺の祖塔を礼辞して。宋朝におもむき。天童に掛錫す。大宋嘉定十六年癸未の暦なり。在宋の間だ諸師をとふらひし中に。はじめ径山琰和尚にまみゆ。琰問云。幾時到此間。師答曰。客歳四月。琰曰。随群恁麼来。師曰。不随群。恁麼来時作麼生。琰曰。也是随群恁麼来。師曰。既是随群恁麼来。作麼生是。琰一掌曰。者多口阿師。師曰。多口阿師即不無。作麼生是。琰曰。且坐喫茶。又造台州小翠巌。見卓和尚。便問。如何是仏。卓曰。殿裏底。師曰。既是殿裏底。為什麼周遍恒沙界。卓曰。遍沙界師曰。話墮也。かくの如く諸師と問答往来して。大我慢を生じて日本大宋にわれにおよぶ者なしとおもひ。帰朝せんとせし時に。老璡と云ふものあり。すすめて曰。太宋国中ひとり道眼を具するは浄老なり。汝まみゑば必ず得処あらん。かくのごとくいへども。一歳余をふるまで。参ぜんとするにいとまなし。時に派無際去て後ち。浄慈浄和尚天童に主となり来る。即ち有縁宿契なりとおもひ。参じてうたがひをたづね。最初にほこさきをおる。因て師資の儀とす。委悉に参ぜんとして。即ち状を奉るに曰。某甲幼年より菩提心を発。本国にして道を諸師にとふらひて。いささか因果の所由をしるといへども。いまだ仏法の実帰をしらず。名相の懷標にとどこふる。後ちに千光禅師の室にいりて。初めて臨濟の宗風をきく。今全法師にしたがひて大宋にいり。和尚の法席に投ずることをゑたり。これ宿福の慶幸なり。和尚大悲。外国遠方の小人。願は時候に不拘。威儀不威儀を擇らばず。頻頻に方丈に上り。法要を拝問せんとおもふ。大慈大悲哀愍聴許したまへ。時に浄和尚示曰。元子いまより後ちは著衣衩衣をいはず。昼夜参問すべし。われ父子の無礼を恕するが如し。然しより昼夜堂奧に参じ。親く真訣を受く。ある時師を侍者に請せらるるに。師辞して曰。われは外国の人なり。かたじけなく大国大刹の侍司たらんこと。すこぶる叢林の疑難あらんか。ただ昼夜に参ぜんとおもふのみなり。時に和尚いはく。実に汝がいふところもつとも謙卑なり。そのいひなきにあらず。因て只問答往来して。提訓をうくるのみなり。然るに一日後夜の坐禅に。浄和尚入堂。大衆のねむりをいましむるに曰。参禅心身脱落也。不要焼香礼拝念仏修懺看経。祇管打坐始得と。時に師きひて忽然として大悟す。今の因縁なり。おほよそ浄和尚にまみへてより。昼夜に弁道して。時しばらくもすてず。ゆゑに脇席にいたらず。浄和尚よのつね。示曰。汝古仏の操行あり。必ず祖道を弘通すべし。われ汝ぢをゑたるは。釈尊の迦葉をゑたるがごとし。因て宝慶元年乙酉。日本嘉祿元年。たちまちに五十一世の祖位に列す。即ち浄和尚属して曰。早く本国にかゑり。祖道を弘通すべし。深山に隠居して。聖胎を長養すべしと。しかのみならず。太宋にて五家の嗣書を拝す。いはゆる最初広福寺前住惟一西堂といふにまみゆ。西堂曰。古蹟の可観は人間の珍玩なり。汝ぢいくばくか見来せる。師曰。未会見。ときに西堂曰。吾那裏に一軸の古蹟あり。老兄が為にみせしめんといひて。携来るをみれば。法眼下の嗣書なり。西堂曰。ある老宿の衣鉢の中より得来れり。惟一西堂のにはあらず。そのかきようありといへども。くわしく挙するにいとまあらず。又宗月長老は天童の首座たりしに。ついて雲門下の嗣書を拝す。即ち宗月に問て曰。今五家の宗派をつらぬるに。いささか同異あり。そのこころいかん。西天東土嫡嫡相承せば。なんぞ同異あらんや。月曰。たとひ同異はるかなりとも。ただまさに雲門山の仏法は。如是くなりと学すべし。釈迦老子なにによりてか尊重他なる。悟道によりて尊重なり。雲門大師なにによりて尊重他なる。悟道によりて尊重なり。師この語をきくに。いささか領覽あり。又龍門の仏眼禅師。清遠和尚の遠孫にて。伝蔵主といふ人ありき。彼の伝蔵主また嗣書を帯せり。嘉定のはじめに。日本の僧隆禅上座。かの伝蔵主やまひしけるに。隆禅ねんごろに看病しける勤労を謝せんが為に。嗣書をとりいだして礼拝せしめけり。みがたきものなり。汝ぢが為に礼拝せしむといひけり。それより半年をへて。嘉定十六年癸未の秋のころ。師天童山に寓止するに。隆禅上座ねんごろに伝蔵主に請して師にみせしむ。これは楊岐下の嗣書なり。又嘉定十七年甲申正月二十一日に。天童無際禅師了派和尚の嗣書を拝す。無際曰。この一段の事少得見知。如今老兄知得。便是学道之実帰也。時に師喜感無勝。又宝慶年中。師台山雁山等に雲遊せし序に。平田の万年寺にいたる。時の住持は福州の元鼐和尚なり。人事の次てに。むかしよりの仏祖の家風を往来せしむるに。大潙仰山の令嗣話を挙するに。元鼐曰く。会看我箇裏嗣書也否。師曰く。いかにしてみることをゑん。鼐自らたちて嗣書をささげて曰。這箇はたとひ親き人なりといへども。たとひ侍僧のとしをへたるといへども。これをみせしめず。これ即ち仏祖の法訓なり。しかあれども。元鼐ひごろ出城し。見知府の為に在城の時。一夢を感ずるに曰。大梅山法常禅師とおぼしき高僧あり。梅華一枝をさしあげて曰。もしすでに船舷をこゆる実人あらんには。華をおしむこと勿れといひて。梅華をわれにあたふ。元鼐おぼゑずして。夢中に吟じて曰。未跨船舷好与三十棒。しかあるに不経五日与老兄相見。いはんやすでに船舷に跨り来る。この嗣書また梅華綾にかけり。大梅のおしふるところならん。夢中と符合するゆへにとりいだすなり。老兄もしわれに嗣法せんともとむや。たとひもとむともおしむべきにあらず。師信感おくところなし。嗣書を請すべしといふとも。ただ焼香礼拝して。恭敬供養するのみなり。時に焼香侍者法寧といふあり。はじめて嗣書をみるといひき。時に師ひそかに思惟しき。この一段の事。実に仏祖の冥資にあらざれば見聞なをかたし。辺地の愚人として。なんのさいはひありてか。数番これをみる。感涙霑袖。この故に。師遊山の序に。大梅山護聖寺の旦過に宿するに。大梅祖師来りて。開華せる一枝の梅華をさづくる霊夢を感ず。師実に古聖とひとしく道眼をひらく故に。数軸の嗣書を拝し。冥応のつげあり。如是諸師の聴許をかふむり。天童の印証を得て。一生の大事を弁し。累祖の法訓をうけて。大宋宝慶三年。日本安貞元年丁亥歳帰朝し。はじめに本師の遺跡。建仁寺にをちつき。しばらく修練す。時に二十八歳なり。其後勝景の地をもとめ。隠栖をとするに。遠国畿内有縁檀那の施す地を歴観すること一十三箇処。皆意にかなはず。しばらく洛陽宇治郡深草の里。極楽寺の辺に居す。即ち三十四歳なり。宗風漸くあをぎ。雲水あひあつまる。因て半百にすぎたり。十歳を経て後越州に下る。志比の荘の中。深山をひらき。荊棘を払ふて。茅茨をふき。土木をひきて。祖道を開演す。いまの永平寺これなり。興聖に住せし時。神明来て聴戒し。布薩ごとに参見す。永平寺にして。龍神来て八齋戒を請し。日日回向に預んと願ひ出見ゆ。これによりて日日に八齋戒をかき回向せらる。いまにいたるまでおこたることなし。夫れ日本仏法流布せしより七百余歳に。はじめて師正法をおこす。いはゆる仏滅後一千五百年。欽明天皇一十三壬申歳。はじめて新羅国より仏像等わたり。十四歳癸酉に。すなはち仏一像二軸をいれて渡す。然しより漸く仏法の霊験あらはれて後。十一年といひしに。聖徳太子仏舍利をにぎりてうまる。用明天皇三年なり。法華勝鬘等の経を講ぜしよりこのかた。名相教文天下に布く。橘の太后所請として。唐の齊安国師下の人。南都に来りしかども。その碑文のみ殘りありて。兒孫相嗣せざれば。風規つたはらず。後覚阿上人瞎堂は。仏眼遠禅師の真子として。帰朝せしかども。宗風おこらず。又東林惠敞和尚の宗風。榮西僧正相嗣して。黄龍八世として宗風を興さんとして。興禅護国論等をつくりて。奏聞せしかども。南都北京よりささへられて。純一ならず。顯密心の三宗をおく。然るに師その嫡孫として。臨濟の風氣に通徹すといへども。なを浄和尚をとふらひて。一生の事を弁し。本国にかへり正法を弘通す。実にこれ国の運なり。人のさひはいなり。あだかも西天二十八祖。達磨大師はじめて唐土にいるがごとし。これ唐土の初祖とす。師またかくのごとし。大宋国五十一祖なりといへども。今は日本の元祖なり。ゆへに師はこの門下の初祖と称したてまつる。そもそも正師大宋にみち。宗風天下にあまねくとも。師もし真師にあふて参徹せずんば。今日いかんが祖師の正法眼蔵を開明することあらん。時澆運にむかひ。世の末法にあふて。大宋も仏法すでに衰微して。明眼の知識まれなり。ゆへに派無際琰浙翁等。みな甲刹の主となるといへども。なほいたらざるところあり。ゆへに大宋にも人なしとおもふて。帰朝せんとせしところに。浄和尚ひとり洞山の十二世として。祖師の正脈を伝持せしに。なを神秘してもて嗣承をあらはさずと雖とも。師にはかくすところなく。親訣をのこさず。祖風を伝通す。実にこれ奇絶なり。殊特なり。しかもさいはひにかの門派として。かたじけなく祖風をとふらはん。あだかも震旦の三祖四祖に相見せんがごとし。宗風未落地。三国にあとありといへども。その伝通するところ。毫末もいまだあらたまらず。参徹するむね。あに他事あらんや。先須明心。いはゆる師最初得道の因縁。参禅者身心脱落也。実にそれ参禅は身をすて心をはなるべし。もしいまだ身心を脱せずんば。即ちこれ道にあらず。まさにおもへり。身はこれ皮肉骨髄と。子細に見得せし時。一毫末もゑ来る一氣なし。今おもふところの心といふはあり。一つには思量分別。この了別識を心とおもゑり。二つには寂湛として不動。一知なく半解なし。この心すなはちこれ精明湛然なるを心とおもへり。しらずこれはこれ識根未だまぬかれざることを。古人これをよんで精明湛不搖のところとす。汝等ここにとヾまりて。心なりとおもふこと勿れ。子細に見得する時。心といひ意といひ識といふ。三種の差別あり。それ識といふは。いまの憎愛是非の心なり。意といふは。いま冷暖をしり痛痒をおぼゆるなり。心といふは。是非をわきまへず。痛痒をおぼへず。墻壁のごとく。木石のごとし。よく実に寂寂なりとおもふ。この心耳目なきがごとし。ゆへに心によりていふ時。あたかも木人のごとく鉄漢の如し。眼こあれどもみず。耳あれどもきかず。ここにいたりて言慮の通ずべきなし。かくのごとくなるは即ちこれ心なりといへども。これはこれ冷暖をしり。痛痒をおぼゆる種子なり。意識ここより建立す。これを本心とおもふこと勿れ。学道は心意識をはなるべしといふ。これ身心とおもふべきにあらず。更に一段の霊光歴劫長堅なるあり。子細に熟看して。必ずやいたるべし。もしこの心をあきらめゑば。身心の得来るなく。敢て物我の携来るなし。故にいふ。身心もぬけおつと。ここにいたりて熟見するに。千眼を回しみるとも。微塵の皮肉骨髄と称すべきなく。心意識とわくべきなし。いかんが冷暖をしり。いかんが痛痒をわきまへん。なにをか是非し。なにをか憎愛せん。ゆへにいふ。みるに一物なしと。このところに承当せし。すなはち曰。身心脱落し来ると。すなはち印して曰。身心脱落。脱落身心卒に曰。脱落脱落と。一度この田地にいたりて。無底の籃子のごとく。穿心の椀子に似て。もれどももれどもつきず。いれどもいれどもみたざることを得べし。この時節にいたるとき。桶底を脱し去るといふ。もし一毫も悟処あり得処ありと思はば。道にあらず。ただ弄精魂の活計ならん諸人者子細に承当し。委悉に参徹して。皮肉骨髄を帯せざる身あることをしるべし。この身卒に脱せんとすれども脱不得なり。すてんとすれども捨不得なり。ゆへにこのところをいふに。一切みなつきて空不得のところありと。もし子細にあきらめゑば。天下の老和尚。三世の諸仏の舌頭をうたがはじ。いかならんかこの道理。要すや聞んと麼. 明皎皓地無中表 豈有身心可脱来 第五十二祖。永平奘和尚。 参元和尚。一日請益次。聞一毫穿衆穴因縁。即省悟。晩間礼拝。問曰。一毫不問。如何是衆穴。元微笑曰。穿了也。師礼拝師諱懷奘。俗姓藤氏。所謂。九條大相国四代孫。秀通孫也。投叡山円能法印之房。十八歳落髮。然しより倶舍成実の二教を学し。後に摩訶止観を学す。ここに名利の学業はすこぶる益なきことをしりて。ひそかに菩提心をおこす。然れどもしばらく師範の命にしたがひて。学業をもて向上のつとめとす。然るにある時。母儀のところにゆく。母すなはち命じて曰。われ汝ぢをして出家せしむるこころざし。上綱の位を補して。公上のまじはりをなせとおもはず。ただ名利の学業をなさず。黒衣の非人にして。背後に笠をかけ。往来ただかちよりゆけとおもふのみなり。時に師ききて承諾し。忽に衣をかゑてふたたび山にのぼらず。浄土の教門を学し。小坂の奧義をきき。後ち多武の峯仏地上人。遠く仏照禅師の祖風をうけて。見性の義を談ず。師ゆきてとふらふ。精窮群に超ゆ。有時首楞厳経の談あり。頻伽瓶喩のところにいたりて。空をいるるに空増せず。空をとるに空減ぜずと云にいたりて。深く契処あり。仏地上人曰く。いかんが無始曠劫よりこのかた。罪根惑障悉く消し。苦みみな解脱しおはると。時に会の学人三十余輩。みなもて奇異のおもひをなし。皆ことごとく敬慕す。然るに永平元和尚。安貞元丁亥歳。はじめて建仁寺にかへりて修練す。時に大宋より正法を伝て。ひそかに弘通せんといふきこへあり。師きひておもはく。われすでに参止・参観の宗にくらからず。浄土一門の要行に達すといへども。なをすでに多武の峯に参ず。すこぶる見性成仏の旨に達す。何事の伝へ来ることかあらんといひて。試におもむきてすなはち元和尚に参ず。はじめて対談せし時。両三日はただ師の得処におなじし。見性霊知の事を談ず。時に師歓喜して違背せず。わが得所実なりとおもふて。いよいよ敬歎をくはふ。やや日数をふるに。元和尚すこぶる異解をあらはす。時に師おどろきて。ほこさきをあぐるに。師の外に義あり。ことごとくあひ似ず。ゆへに更に発心して。伏承せんとせしに。元和尚すなはち曰。われ宗風を伝持して。はじめて扶桑国中に弘通せんとす。当寺に居住すべしといへども。別に所地をゑらんで止宿せんとおもふ。もしところをゑて草庵をむすばば。即ちたづねていたるべし。ここにあひしたがはんこと不可なり。師命にしたがひて時をまつ。然るに元和尚深草の極楽寺のかたわらに。はじめて草庵をむすびて一人居す。一人のとふらふなくして両歳をへしに。師すなはちたづねいたる。時は文暦元年なり。元和尚歓喜して。すなはち入室をゆるし。昼夜祖道を談ず。やや三年をすぐるに。今の因縁を請益に挙せらる。いはゆるこの因縁は。一念万年。一毫穿衆穴。登科任汝登科。拔萃任汝拔萃。これをききて師即省悟す。聴許ありしより後ちあひしたごふに。一日も師をはなれず。影の形ちにしたがふが如くして。二十年をおくる。たとひ諸職を補すといへども。必ず侍者をかぬ。職務の後はまた侍者司に居す。ゆへに予瑩山祖受戒於孤雲祖。奉侍年久也二代和尚の尋常の垂示をききしに曰く。仏樹和尚の門人数輩ありしかども。元師ひとり参徹す。元和尚の門人またおおかりしかども。われひとり函丈に独歩す。ゆへにのきかざるところをきけることはありといへども。他のきけるところをきかざることなし。卒に宗風を相承してより後。尋常に元和尚師をもて重くせらる。師をして永平の一切仏事をおこなはしむ。師その故をとへば。和尚示曰。わが命ひさしかるべからず。汝ぢわれよりひさしくして。決定わが道を弘通すべし。ゆへにわれ汝を法の為に重くす。室中の礼あだかも師匠のごとし。四節ごとに太平を奉まつらるること。如是義をおもくし。礼をあつくす。師資道合し。心眼ひかりまじはり。水に水を入。空に空を合するに似たり。一毫も違背なし。ただ師ひとり元和尚の心をしる。他のしるところにあらず。いはゆる深草に修練の時。すなはち出郷の日限をさだめらるる牓に曰。一月両度。一出三日也。然るに師の悲母最後の病中に。師ゆきてみることすでに制限をおかさず。病すでに急にして。最後の対面をのぞむ。使ひすでにかさなるゆへに。一衆悉くゆくべしといふ。師すでに心中におもひきはむといへども。また一衆の心をしらんとおもふて。衆をあつめて報じて曰く。母儀最後の相見をねがふ。制をやぶりてゆくべしやいなや。時に五十余人みないふ。禁制かくのごとくなりといへども。今生悲母ふたたびあふべきにあらず。懇請してゆくべし。衆心悉くそむくべからず。和尚なんぞゆるさざらん。事すでに重し。小事に準すべからず。衆人の儀みな一同なり。この事上方にきこゆ。和尚ひそかに奘公の心。定ていづべからず。衆儀に同せじと。はたして衆儀をはりて後。師衆に報して曰。仏祖の軌範。衆儀よりも重し。まさしくこれ古仏の礼法なり。悲母の人情にしたがひ。古仏の垂範にそむかん。すこぶる不孝のとがなんぞまぬかれんや。ゆへいかんとなれば。今まさに仏の制法をやぶらん。これ母最後の大罪なるべし。夫れ出家人としては。親をして道にいらしむべきに。今一旦人情にしたがひ。永劫沈淪をうけしめんやといひて。卒に衆儀にしたがはず。ゆへに衆人舌をまく。はたして和尚の所説にたがはず。諸人讃歎して。実にこれ人おこしがたき志なりと。かくのごとく十二時中。師命にそむかざるこころざし。師父もかがみる。実に師資の心通徹す。しかのみならず。二十年中師命によりて療病せん時。師顏に向はざること。首尾十日なり。南嶽懷譲六祖に奉侍せしこと。未徹以前八年。已徹して以後八年。前後十五秋の星霜をおくる。その外三十年四十年。師をはなれざる。おほしといへども。師のごとくなる古今未見聞なり。しかのみならず。永平の法席をつぎて十五年のあひだ。方丈のかたはらに先師の影を安じて。夜間に珍重し。曉天に和南して。一日もおこたらず。世世生生奉侍を期し。卒に釈尊阿難のごとくならんとねがひき。なほ今生の幻身も。あひはなれざらん為に。遺骨をして先師の塔の侍者の位にうづましむ。別に塔をたてず。塔はもて尊を表するをおそれてなり。同寺において。わが為に別に仏事を修せんことをおそれて。先師忌八箇日の仏事の。一日の回向にあづからんとねがひ。果して同月二十四日に終焉ありて。平生の願楽のごとく。開山忌一日をしむ。志氣の切なることあらはる。しかのみならず。義を重くし。法を守ること一毫髮も開山の会裏にたがはず。ゆへに開山一会の賢愚老少悉く一帰す。今諸方に永平門下と称する。みなこれ師の門葉なり。かくのごとく法火熾然として。とふくあらはるるが故に。越州大野郡にある人夢みらく。北山にあたりて大火たかくもゆ。人ありてとふて曰く。これいかなる火なれば。かくのごとくもゆるぞと。答曰。仏法上人の法火なりと。夢さめて人にたづぬるに。仏法上人といひし人。うざかのきたの山に住して。世をさりて年はるかなり。その門弟いま彼の山に住すとききて。不思議のおもひをなし。わざと夢をしるして恣参しき。実に開山の法道を伝持して。永平に弘通する事。開山の来記にたがはざるゆへに。兒孫いまにをよびて。宗風未断絶。これによりて。当寺老和尚价公。まのあたりかの嫡子として。法幢をこのところにたて。宗風を当林にあぐ。因て雲兄水弟。飢寒をしのび。古風を学て。万難をかへりみず。昼夜参徹す。これ然しながら師の徳風のこり。霊骨あたたかなるゆへなり。夫れ法ををもんずること。師の操行のごとく。徳をひろむること。師の真風のごとくならば。扶桑国中に宗風いたらざるところなく。天下遍ねく永平の宗風になびかん。汝等今日の心術。古人のごとくならば。未来の弘通。大宋のごとくならん。そもそも一毫穿衆穴のこころは。師已に一毫不問。如何是衆穴と問。繊毫の立すべきなく。一法のきざすべきなし。ゆへに古人曰。実際理地に不受一塵。一亘の清虚に毫髮のきざし来るなし。かくのごとく会得せし時。元老すなはち許可するに。穿了也といふ。実に百千の妙義。無量の法門。一毫頭上に向て穿却しをはりぬ。終に微塵の外より来るなし。ゆへに十方界畔なく。三世へだてなし。玲玲瓏瓏として。明明了了たり。この田地千日ならび照すとも。なほ其の明におよばず。千眼回しみれども。そのきはをきはむべからず。然れども人人ことごとくうたがはず。覚悟了了たり。ゆへに寂滅の法にあらず。差別の相にあらず。動なく静なく。聞なく見なし。子細に精到し。恁麼に覚了すや。もしこのところに承当せずんば。たとひ千万年の功行あり。恒河沙の諸仏にまみゆとも。ただこれ有為の功行のみなり。一毫もいまた祖風を弁へず。故に三界苦輪まぬかるべからず。四生の流転断ずることなからん。汝等ら諸人。かたじけなく仏の形儀をかたどり。仏の受用をもちいる。もしいまだ仏心に承当の分なくは。十二時自己を欺誑するのみにあらず。諸仏を毀破す。ゆへに無明地をやぶることなく。業識蘊に流浪す。たとひしばらく善根力によりて。人天の果報を感じ。自ら有為の快楽にほこるとも。車輪しはらくしめれるところにをし。かはけるところにをすがごとし。をはりなくはじめなく。ただ流転業報の衆生ならん。然ればたとひ三乗十二分教を通利すとも。八万四千の法門を開演すとも。畢竟これねづみをうかがふねこのごとし。かたちしづまれるに似たれども。心はもとめやむことなし。たとひ修行綿密なりとも。十二時中心地いまだをだやかならず。これによりて疑滯いまだはれず。きつねのはやく走るといへども。かへりみるによりて。すすむことおそきがごとし。野狐精の変怪。未断弄精魂の活計なり。然れば多聞をこのむことなかれ。広学をいとなむことなかれ。ただ暫時なりといへども。刹那なりといへども。こころざしを発すること。大火聚の繊塵をととめざるがごとく。太虚空の一針をもかけざるがごとくに似て。たとひ思量すといへども。必ず思不到のところにいたらん。たとひ不思量なりとも。必ず空不得のところにいたらん。もしよくかくのごとく志し実ありて。志しすでにかたからん時。人人悉く通徹して。三世仏の所証と絲毫もへだつべからず。ゆへに永平開山曰。人道をもとむること。世にたかきいろにあはんとおもひ。こはきかたきをうたんとおもひ。堅城をやふらんとおもふがごとくなるべし。志しすでにふかきによりて。このいろに終にあはざることなし。彼の城やぶらざることなし。この心をもて道にひるがへさん時。千人は千人ながら。万人は万人ながら。みな是悉く得道すべし。然れば諸人者。道は無相大乗の法。かならず機をゑらぶ。初機後学のいたるべきにあらずと。おもふことなかれ。このところにすべて利鈍なく。すべて所務なし。一度憤発して深く契処あるべし。且道。如何是這箇道理。さきにすでに衆に呈す。虚空従来不容針。廓落無依有誰論せん。この田地にいたる時。一毫の名を立せず。なにいはんや。衆穴あることあらんや。然れども万法泯ずといへども。泯ぜざるものあり。一切つくすといへども。つきゑざるものあり。得得としておのづから杲然たり。空空としてもとより霊明なり。故に浄裸裸といひ。赤洒洒といひ。惺惺歴歴地といひ。明明皎皎地といふ。繊毫の疑慮なく。毫髮の浮塵なし。百千万の日月よりもあきらかなり。ただこれ白といふべからず。赤と云べからず。あだかも夢のさめたる時のごとし。己に活活たるのみなり。これをよんて活活といふ。惺惺といふは。すなはちさめさめたるのみなり。明明といふは。またあきあきとなるのみなり。内外なしといふべきにあらず。古にわたるともいふべからず。今にわたるともいふべからず。ゆへに莫謂。一毫穿衆穴。なんの徹了かあらん。よんで一毫とすれば。すでにこれ二代和尚の所得底。更にいかんがこれ一毫の体。要聞麼。 虚空従来不容針 廓落無依有誰論 莫謂一毫穿衆穴 赤洒洒地絶瘢痕 伝光録終 |