伝光録 (でんこうろく)     序・巻上 
 伝光録序
自従拈起金華倒却刹竿以還。西乾東震。衣法并付。灯灯不絶者三十三人。謂之祖師也。祖師之下。衣留不伝。法遍沙界。於是五家宗匠。人人握霊蛇之珠。家家抱荊山之玉者。謂之正法眼蔵。又名大光明蔵也。至矣。大矣哉。吾総持開山仏慈禅師瑩山大和尚。甞佩無字之印下無舌之語。向従上祖師無見頂相。一一為点眼。命之曰伝光録。蓋大乗室内秘本也。近者前越某禅師。繕写其全部。以贈于余。見請之序。於是焚香敬誦之則。其書率以国字成。辞麗而理正。眼活而道深。即与永平高祖正法眼蔵。相表裡者矣。余乎昔以為。真歇氏之道流于東海。而称大得人。然恨以門風極尚質故。其言語無伝于世。学人未縁取則。今此書之流布也。洞宗多幸。其誰可不歓喜讃歎哉。而読者庶勿為国字以藐此書焉。何則所謂。正法眼蔵涅槃妙心者。固已離文字言語則。何必漢文唐言而後得之哉。其義之所在亦明矣無隠費杜多拝題

瑩山瑾禅師伝略考
文永五戊辰誕生師諱紹瑾。号瑩山。姓藤氏。越前州多祢郡人也。母夢呑日光有孕。自此毎日詣観音像前。礼三百三十三拝。課普門品三十三卷。願生聖子。及誕果丰姿秀拔。八歳投徹通和尚鏟髮。十三依孤雲和尚奉戒作僧。雲察其志輒歎曰。此子有大人之作。他日成人天師必也。雲示寂後。又依通于大乗。精思苦研。須臾無間断。一朝聞通上堂挙趙州平常心是道話。豁然大悟。云我会也。通云。汝作麼生会。師云。黒漆崑崙夜裏奔。通云。未在更道。師云。逢茶喫茶。逢飯喫飯。通笑云。這漢向後大起祖風。尋後既得請住阿州城満寺。未幾奉通之命董大乗之席。於是升堂。拈払。機語。宏旌。四方聞師道音来謁請益。有伝光録等。正和二年。能州滋野信直室。敬重師徳施洞谷山。藤原家方興造伽藍経営始。弗多羅尊者現来。告衆以吉祥。諸堂已成。号曰永光寺。継而加州檀信建立浄住寺。延師莅之。又能之総持寺旧為律院。住持定賢律師慕師風化。革而為禅居。以師為開山之祖。随処盛興礼楽。丕正規矩。故諸州叢席。咸取為矜式。元亨間。帝垂十種疑問。師奏対詳明。帝大悦。特賜総持為賜紫出世道場。正中二丑八月初。示微疾。至十五夜半召門人曰。吾化縁已既。泥洹時至。当鳴鐘集衆。師垂示已。復書偈坐脱火浴。得舍利。塔於大乗・永光・浄住・総持四処。閲世五十八年。坐四十六夏。謚仏慈国師。師微言・法語・拈提・頌古。不堪具記

凡例
一、この録は、瑩祖、阿州より加の大乗に移住したまう。翌正安二年庚子の正月十二日、始て請益と見ゆ。祖寿三十三歳にて、このとき介祖は八十二歳なるべし。まだ御有生にて、定光院に退閑あられたるなるべし。この録中に、当寺東堂老和尚、また当寺老和尚介公等、処々に見ゑたり

一、余三方のとき、何国の旅僧ともいはず。途中路銭に尽る由にて、祖録あまた出して、この中所望の書あらば、些しの路資に易えんといふ。その中この録五册を所望し、少しの資料を進ずれば、その僧、謝詞満悦の顏にて揖別す。余その已前、加の大乗に夏を過し。あらゆる法宝を拝見すれども。値遇の未熟にや。秘蔵のこの録、名だも聞かず。偶ま旅中に感得すること、ああ縁か時か、実にかの旅僧は瑩祖にあらずやと感喜にたゑず。爾来諸方にてこの録の事を問訊するに、この録の名だも聞知する人は、万に一両個のみ。此をもて、同志の師僧に広く拝感あらまぼしとおもい、これ新刻の来由と芥誠となり

一、その後なお追慕し。加の大乗・能の洞谷、両古刹に拝登し、秘在の本を懇請し、拝看対校し、及び諸方の古刹或は名徳書写の数本と校讐するに、差異まちまち、只一二の三豕のみにあらず。此におゐて、これに従事すること殆んど十有余年、爾れより、二十年来、住持事繁く、繕写に暇なふして、慊慊たり。今隠栖に洎んで、又三周余、逐行校正し、漸く完璧を得たり

一、大乗の秘本は、二册にして全部なり。上卷と下卷と、手跡も册紙も異なり。また洞谷の秘本を拝看するに、元本は焼失して、今は外より写して秘在と承る。全部五册なり。諸方の数本多く五册なり。今刻二册となす。これ大乗秘在の古を存し、且つ多きは缺げやすきを恐れてなり

一、諸方の秘本に記文等あれども今刻に載せず。只ある古写本の尾に、無隠禅師序文と。瑩祖略伝あり。校鑑するに正当なり。仍て是を載す。敢て今刻の序跋にはあらず。只この録の源委を知らんずるの、一助となすのみ。この録初め迦文仏の章より、終り孤雲祖の章まで、悉く章章不昧光光無礙にして、仏仏祖祖の身心頂相皮肉骨髄なり。忝くも仏祖の兒孫たるものは、常に奉持頂戴せざるべけんや。願ふ所は祖訓親密の五語、これを悠久に伝ゑんと欲す。あに一言隻字も私淑をその間だに入んや
維時安政四丁巳年 遠孫小子仙英謹白
瑩山和尚伝光録
卷上
侍者編 師於正安二年正月十二日始請益

釈迦牟尼仏。見明星悟道曰。我与大地有情。同時成道。
それ釈迦牟尼仏は、西天の日種姓なり。十九歳にして子夜に城をこへ、檀特山にして断髮す。それよりこのかた苦行六年、つゐに金剛座上に坐して、蛛網を眉間にいれ、鵲巣を頂上に安じて、葦坐をとふし、安住不動、六年端坐し、三十歳臘月八日、明星のいでしときたちまち悟道し、最初獅子吼するにこの言あり。しかしよりこのかた、四十九年、一日も独居することなく、暫時も衆のために説法せざることなし、一衣一鉢缺ぐことなし。三百六十余会、時時に説法す。つゐに正法眼蔵を摩訶迦葉に付嘱す。流伝して今におよぶ。実に梵・漢・和の三国に流伝して、正法修行することこれをもて根本とす。かの一期の行状をもて遺弟の表準たり。設ひ三十二相八十種好を具足するといへども、かならず老比丘のかたちにして、人人にかはることなし。ゆへに在世よりこのかた、正像末の三時、かの法儀をしたふもの、仏の形儀をかたどり、仏の受用を受用して、行住坐臥、片時も自己を、さきとせざることなし。仏仏祖祖、単伝しきたりて正法断絶せず。今の因縁分明に指説す。たとひ四十九年、三百六十余会、指説すること異なりといへども、種種因縁、譬諭、言説、この道理をすぎず。
いはゆる我といふは釈迦牟尼仏にあらず。釈迦牟尼仏もこの我より出生しきたる。ただ釈迦牟尼仏出生するのみにあらず、大地有情もみなこれより出生す。大綱をあぐるとき、衆目悉くあがるがごとく、釈迦牟尼仏成道するとき、大地有情も成道す。ただ大地有情成道するのみにあらず。三世諸仏もみな成道す。恁麼なりといへども、釈迦牟尼仏におゐて、成道のおもいをなすことなし。大地有情の外に、釈迦牟尼仏をみることなかれ。たとひ山河大地、森羅万像、森森たりといへども、ことごとくこれ瞿曇の眼睛裏をまぬかれず。汝等諸人また瞿曇の眼睛裏に立せり。ただ立せるのみにあらず、いまの諸人に換却しおはれり。また瞿曇の眼睛肉団子となりて、人人の全身箇箇壁立万仭せり。ゆへに亙古亙今、明明たる眼睛歴歴たる諸人とおもふことなかれ。諸人すなはちこれ瞿曇の眼睛なり。瞿曇すなはちこれ諸人の全身なり。もし恁麼ならば、なにをよんでか成道底の道理とせん。且問す大衆、瞿曇の諸人とともに成道するか、諸人の瞿曇とともに成道するか、もし諸人の瞿曇とともに成道するといひ、瞿曇の諸人とともに成道するといはば、全くこれ瞿曇の成道にあらず。因て成道底の道理とすべからず。成道の道理親切に会せんとおもはば、瞿曇諸人一時に払却して、はやく我なることをしるべし。我の与なる大地有情なり。
与の我なるこれ瞿曇老漢にあらず。子細に点検し、子細に商量して、我をあきらめ、与をしるべし。たとひ我をあきらめたりといふとも、与をあきらめずんば、また一隻眼を失す。然りといへども、我と与と一般にあらず。両般にあらず。正に汝等の皮肉骨髄ことごとく与なり。屋裏の主人公これ我なり。皮肉骨髄を帯せず。四大五蘊を帯せず。畢竟していはば、欲識庵中不死人、豈離而今這皮袋、然れば大地有情の会をなすべからず。たとひ春夏秋冬に転変しきたりて、山河大地時とともに異なりといへども、しるべし、これ瞿曇老漢の揚眉瞬目なるゆへに、万像之中独露身なるなり。撥万像也、不撥万像也。法眼曰、説甚麼撥不撥、また地蔵曰、喚甚麼作万像。しかあれば横三竪三し、七通八達して、まさに瞿曇の悟処をあきらめ、自己の成道を会すべし。恁麼の公案子細に見得し、一一に胸襟より流出して、前仏及び今時の人の語句をからず、次の請益の日をもて下語説道理すべし。山僧またこの一則下に卑語を、つけんことをおもふ、諸人要聞麼。
一枝秀出老梅樹 荊棘与時築著来

第一祖。摩訶迦葉尊者。
因世尊拈華瞬目。迦葉破顏微笑。世尊曰。吾有正法眼蔵涅槃妙心。付嘱摩訶迦葉摩訶迦葉尊者。姓は婆羅門、梵には迦葉波。こヽには飲光勝尊といふ。尊者生るるとき、金光室にみちて、光りことごとく尊者の口にいる。因て飲光と称す。その身金色にして、三十一相を具足せり。ただ烏瑟白毫のかげたるのみなり。多子塔前にしてはじめて世尊にあひたてまつる。世尊善来比丘とのたもふに、鬚髮すみやかにおち、袈裟体にかかる。すなはち正法眼蔵をもて付嘱し、十二頭陀を行じて、十二時中むなしくすごさず。ただ形ちの醜悴し、衣の麁陋なるをみて、一会ことことくあやしむ。これによりて処処の説法の会ごとに、釈尊座をわかち迦葉を居らしむ。然しより衆会の上座たり。ただ釈迦牟尼仏一会の上座たるのみにあらず、過去諸仏の一会にも不退の上座たり。しるべし、これ古仏なりといふことを。ただ諸の声聞の弟子の中に排列することなかれ。しかるに霊山会上、八万衆前にして世尊拈華瞬目す。みな心をしらず黙然たり。時に摩訶迦葉独破顏微笑す。世尊曰、吾有正法眼蔵涅槃妙心円明無相法門、ことごとく大迦葉に付嘱すと。
いはゆるかの時の拈華は祖祖単伝しきたりて、みだりに外人をしてしらしむることなし。ゆへに経師・論師おおくの禅師のしるべきところにあらず。実にしりぬ、その実処をしらざることを。しかも恁麼なりといへども、恁麼の公案霊山会上の公案にあらず。多子塔前にして付嘱せし時のことばなり。伝灯録・普灯録等にのするところは、これ霊山会上の説といふこと非なり。最初に仏法を付嘱せしとき如是の式あり。ゆへに仏心印を伝ふる祖師にあらされば、かの拈華の時節をしらず。またかの拈華をあきらめず。諸禅徳子細に参到し、子細に見得して、迦葉の迦葉たることをしり、釈迦の釈迦たることをあきらめ、ふかく円明の道を単伝すべし。
拈華は暫らくおく、かの瞬目せしところ、人人あきらめきたるべし。汝等よのつね揚眉瞬目すると。またこれ瞿曇の拈華瞬目せしと一毫髮もへだたらず。汝等語話微笑せしと。摩訶迦葉破顏微笑せしと。全く毫髮も異なることなし。然れどもかの揚眉瞬目せしものをあきらめざれば、西天に釈迦あり。迦葉あり。自心に皮肉骨髄あり。許多の眼華、多少の浮塵、無量劫来未会解脱、未来劫もまた沈淪すべし。もし一度かの主人公を識得せば、摩訶迦葉まさに汝諸人の鞋裏にありて動指することをゑん。しらずや、瞿曇揚眉瞬目せしところに、瞿曇すなはち滅却しおはることを。迦葉破顏せしところに、迦葉すなはち得悟しきたることを。これすなはち吾有にあらずや。正法眼蔵却て自己に付嘱しおはりぬ。ゆへに喚て迦葉とすべからず。喚て釈迦となすべからず。かつて一法の他にあたふるなく、一法の人にうくるなく、これを喚で正法とす。かれをあらはさんがために、華を拈じ不変なることを知らしめ、破顏して長齡なることをしらしむ。恁麼に師資相見、命脈流通す。円明了知不渉心念、まさしく意根を坐断して鶏足山にいり、はるかに慈氏の下生をまつ。ゆへに摩訶迦葉いまに入滅せず。
諸人もし親く学道して子細に参徹せば、迦葉不滅のみにあらず。釈迦もまた常住なり。ゆへに汝等諸人、未会生より直指単伝して、亙古亙今、築著磕著す。ゆへに諸人、二千年前の昔を思慕することなかれ。ただ急に今日に弁道せば、迦葉鶏足にいらず。正に扶桑国にありて出世することをゑん。ゆへに釈迦の肉身今猶暖かに、迦葉微笑また更に新たならん。恁麼の田地にいたりゑば、汝ぢら却て迦葉につぎ、迦葉却て汝ぢらにうけん。七仏より汝ぢらにいたるのみにあらず、汝ぢらまさに七仏の祖師たることをゑん。無始無終古来今を絶して、すなはちこれ正法眼蔵付嘱有在ならん。これによりて、釈迦も迦葉の付嘱を得て、兜卒天に今に有在なり。汝ぢらも霊山会上にして、有在不変易なり。
不見道、常在霊鷲山、及余諸住処、大火所焼時、我此土安穩、天人常充満と。ただ霊山会上のみ所住処といふにあらず。あに梵・漢・本朝もまたもるることあらんや。如来の正法流転して、一毫髮も缺ぐることなし。もし然れば、この会はこれ霊山会たるべし。霊山はこれこの会たるべし。ただ諸人の精進と不精進とによりて、諸仏頭出頭沒せるのみなり。今日も頻りに弁道し、子細に通徹せば、釈尊直に出世なり。ただ汝ぢら自己不明によりて、釈尊昔日入滅す。汝ぢらすでに仏子たり、なんぞ仏をころすべけんや。ゆへに急に弁道して、すみやかに慈父と相見すべし。よのつね釈迦老漢、汝ぢらとともに行住坐臥し、汝ぢらとともに言語伺候して、一時もあひはなるることなし。恰も㔁隠峯の洞山の背にあるが如し。一生もしかの老漢をみずんば、諸人悉くみな不孝の人たらん。すでに仏子といひ、もし不孝のものたらば、千仏の手もおよばず。今日大乗の子孫、また恁麼の道理を指説せんとするに卑語あり。諸人聞かんと要すや。
可知雲谷幽深処 更有霊松歴歳寒

第二祖。阿難陀尊者。
問迦葉尊者曰。師兄。世尊伝金襴袈裟。外別伝箇什麼。迦葉召阿難。阿難応諾。迦葉曰。倒却門前刹竿著。阿難大悟。
それ阿難尊者は王舍城の人也。姓は刹帝利、父は斛飯王、実に世尊の徒弟なり。梵語には阿難陀といひ、ここには慶喜といひ、または歓喜といふ。如来成道の夜にうまる。容顏端正にして、十六大国も隣とするなし。みるごとに歓喜す。ゆへに名とす。多聞第一にして、聡明博達なり。仏の侍者として二十年、仏の説法として宣説せざるなく、仏の行儀として学しきたらざることなし。世尊迦葉に正法眼蔵を伝付せしきざみ、おなじく阿難に付嘱して曰く、副貳伝化すべしと。これによりて迦葉にしたがふこと亦二十年して、所有正法眼蔵ことごとく通達せずといふことなし。
それ祖師の道の他家に類せざること、これをもて証本とすべし。阿難すでに多聞第一、広学博達なり。仏まのあたり聴許しましますことおおし。然れどもなほ正法を伝持し、心地を開明することなし。迦葉畢婆羅窟にして如来の遺教を結集せんとせしとき、阿難未証果なるによりてかの室に入ることをゑずゆるさず。時に阿難密に思惟して、すみやかに阿羅漢果を証す。而して入んとするに迦葉のいはく、すでに証果せば神通を現じてるべしと。時に阿難小身を現じて、かぎの穴よりいる。終に畢婆羅窟にいる。諸弟子ことごとくいはく、阿難は仏の給士として多聞にして広学なり。一器の水を一器に伝ふるがごとし。すこしも遺漏なし。ねがはくは阿難を請して再説せしめん。迦葉阿難につげていはく、衆ことごとく汝ぢをのぞむ。汝ぢふたヽび座にのぼり、請ふ宣説せよ。時に阿難密に如来の付嘱を護し、また迦葉の所請をうけて、ついに立て衆の足を礼し、座にのぼりて、如是我聞一時仏住と宣説して、一代の聖教ことごとく宣説す。迦葉諸弟子につげて曰く、如来の所説とかわれりやいなやと。諸弟子曰く、如来の所説と一字もかわれるなしと。諸弟子はみなこれ三明六通の大羅漢なり。きヽもらすことなし。異口同音に曰く、しらずこれ如来再来しましますか。これ阿難所説かと疑がふ。仏法大海水流入阿難身と讃歎す。如来の所説いまに流伝す。阿難の所説なり。実にしる、この道は多聞によらす、証果によらざることを、これをもて拠とすべし。然もなお迦葉にしたがふこと二十年、いまの因縁のところにしてはじめて大悟す。すでに如来の成道の夜うまれし人なり。華厳等はきかざる所なり。しかれども仏の覚三昧をゑて、所不聞を宣説す。然れとも祖師道におひて不入なることは、我等が不入と全くもて一同なり。抑も阿難は乃往過去のむかし、空王のみもとにして、今の釈迦仏と同時に阿耨多羅三藐三菩提心を発しき。阿難は多聞をこのむ。ゆへにいまだ正覚を成ぜず。釈迦仏は精進を修しき。これによりて等正覚を成じたまふ。実にしる、多聞は道の障礙たることこれその証拠なり。ゆへに華厳経に曰く、譬如貧窮人算他宝自無半銭分、多聞亦復如是。親切にこの道に訣著せんとおもはヾ、多聞をこのむことなかれ。直に勇猛精進すべし。然るに敢保すらくは、伝衣の外更に事あるべしと。因てある時問曰、師兄、世尊伝金襴袈裟、外別伝箇甚麼、迦葉時いたることをしりて、召阿難、阿難応諾。迦葉こゑに応じていはく、倒却門前刹竿著と。阿難こゑに応じて大悟す。仏衣自然に阿難の頂上に来入す。その金襴の袈裟といふは、まさしく七仏伝持の袈裟なり。【是より以下十行は注なるべし。一本に有之故に。爰にのせおくなり】かの袈裟に三の説あり。一つは如来胎内より持すと。一つは浄居天より奉ると。一つは猟師これを奉ると。また外に数品の仏袈裟あり。達磨大師より曹溪所伝の袈裟は、青黒色にて屈眴布なり。唐土にいたりて青きうらをうてり。いま六祖塔頭におさめて国の重宝とす。これ智論にいはゆる、如来著麁布僧伽黎と、これなり。かの金襴は金なり。経曰、仏姨母手自紡金袈裟持上仏と、これなり。是多品中の一二のみ。その霊験のごときは、数多の因縁経書にあり。むかし婆舍斯多尊者、悪王の難にあふて、火中に五色の光明をはなつ。火滅して後仏袈裟安然たり。仏衣なることを信ず。【上の十行は瑩祖の自注なるべし】慈氏に伝授する、それこれなり。
正法眼蔵両人に付嘱なし。たヾ迦葉一人如来の付嘱をうる。また阿難二十年給士して正法を伝持す。然ればこの宗教外別伝あることをしりぬべし。然るに近来おろそかにして一同とす。もし一同ならば、阿難はすなはち三明六通の羅漢、如来の付嘱をうけて、第二祖阿難といはん。いま経教を会せんこと、阿難にまさる人あらんや。もし阿難に超過する人あらばゆるすべし。教意一なりと。もしたヾに、一なりといはば、なんぞ煩らはしく二十年給士し、いま倒却刹竿著のところにしてあきらめん。しるべし、経意・教意もとより祖師の道とすべからず。仏の仏ならざるにあらず。給士してたとひ侍者たりといへども、仏心に通処なくんば、いかでかその心印を伝ん。多聞広学によらざることしるべし。たとひ心さとく耳ときによりて、諸口の書藉聖教をもて、一字も遺落するところなく聞持すといへども、心もし通ぜずんば、徒にとなりの宝らを算ふるがごとし。うらむらくは経教にそのこヽろなきにはあらず。然れども阿難未通によりてなり。なにいはんや、東土日本依文解義、経のこヽろをゑざるをや。更にしるべし、仏道ゆるかせならざることを。一代聖教に通ずる阿難、如来の弟子として宣説せんに、たれかしたがはざらん。然れども迦葉に給士し、したがひて大悟の後、再び宣説せしことを。しるべし、恰も火の火に合するがごとく。明かに実道に参ぜんとおもはヾ、己見旧情憍慢我慢をすて、初心を迴し、仏智を会すべし。いはゆるいまの因縁、ひごろは金襴の袈裟を伝へて、仏弟子たるの外さらに別なしとおもへり。然れども迦葉にしたがひて、したしく給士してのち、さらに通ずることあることを。迦葉時すでにあひかなふことをしりて召阿難、あだかも谷神のよぶにしたかひ響をなすがごとし。阿難すなはち応ず。石火の石をはなれて出るがごとし。
それ阿難と召すも阿難をよぶにあらず。ひヾき応じ答ふるにあらず。倒却門前刹竿著といふは、西天の法に、仏弟子および外道等論義せんとするとき、両方にはたをたて、もし一方まくるとき、すなはちこのはたをおりたおす。まくるとき鼓鐘をならさずしてまくるを表す。いはゆる今の因縁も、迦葉と阿難とあひならんではたをたてるがごとし。こヽにいたりて阿難すでに出身すれば、迦葉はたをまくべし。一出一沒なり。然れども今の因縁しかにあらず。迦葉もこれ刹竿、阿難もこれ刹竿、もし刹竿ならばこの理あらはるべからず。刹竿一度倒るヽとき、刹竿すなはちあらはるべし。迦葉倒却門前刹竿著と、指説するに、阿難師資の道通ずるによりて、言下に大悟す。大悟ののち、迦葉もすなはち倒却し、山河みな崩壊す。これによりて、仏衣自然に阿難の頂上に来入す。然れどもこの因縁をもて、赤肉団上壁立千仭にとヾむることなかれ。浄潔にとヾまることなかれ。すヽんで以て谷神のあることをしるべし。諸仏番々出世し、祖師代々指説す。たヾこれこの事なり。心をもて心をつとふ。ついに人のしるところにあらず。たとひあらわれたる赤肉団、迦葉・阿難もこれ那人の一面、両面に出世するなりといへども、迦葉・阿難をもて那人とすることなかれ。いま汝等諸人箇々壁立万仭せる。かの那人の千変万化なり。もし那人を識得せば、諸人一時に埋却せん。もししからば、倒却刹竿を我外に求むべからず。今日大乗子孫また著語せんとおもふ。諸人要聞麼。
藤枯樹倒山崩去 溪水瀑漲石火流

第三祖。商那和修尊者。
問阿難陀尊者。何物諸法本不生性。阿難指和修袈裟角。又問、何物諸仏菩提本性。阿難又取和修袈裟角引。時和修大悟師は摩突羅国の人なり。梵には商諾迦といひ、此には自然服といふ。和修うまれしとき、衣をきてうまる。それよりこのかた、夏は涼き衣となり、冬は暖かなる衣となる。すなはち発心出家せしとき、俗服おのづから袈裟となる。仏在世蓮華色比丘尼のごとし。たヾ今生恁麼なるのみにあらず。和修むかし商人たりしとき、百仏に百丈をたてまつる。それよりこのかた、世々生々のあひだ自然服を著す。おヽよそ一切の人、本有をすて当有にいたらざる間を、名づけて中有とす。そのときのかたち悉くみな衣をきず。今和修尊者のごときは、中有にしても衣を著す。また商那和修といふは、西域の九枝秀といふ草の名なり。聖人うまるヽとき、この草浄潔の地に生ずるなり。和修うまれしとき、この草また生じき。これによりて名とす。在胎六年にしてうまれき。むかし世尊一の青林を指して阿難につげて曰く、この林地を優留荼となづく。われ滅後一百年に比丘商那和修といふものあらん。このところにして妙法輪を転ぜんと。一百年後、いま師こヽにうまる。つゐに慶喜尊者の付嘱をうく。すなはちこの林にとヾまる。法輪を転じて火龍を降す。火龍帰伏して、この林をたてまつる。これ実に世尊の来記たがはず。然るに和修尊者はもと雪山の仙人なり。阿難尊者に投じて、いまの因縁あり。いはゆる何物是諸法本不生性と、実にこれ人所未問なり。和修ひとりとふ。たれか諸法本不生性なからん。然れども有ことをしらず、またとふことなし、なんとしてか不生の性といふ。万法諸法ことごとくこの処より出生すといへども、この性つゐに出生するものなし。ゆゑに不生の性といふ。故にことごとく本不生なり。山これ山にあらず。水これ水にあらず。ゆへに阿難和修の袈裟角をさす。
それ袈裟といふは梵語。此には壊色といひ、不生色といふ。実にこれ色をもてみるべきにあらず。またかみ諸仏よりしも一切の螻蟻蚊虻にいたるまで、その依報正報ことごとくこれ色なり。一辺の所見かくのごとし。然れどもすなはち、またこれ声色にあらず。ゆへに三界のいづべきなく、道果の証すべきなし。かくのごとく会すといへども、和修再問、何物諸仏菩提の本性なると。曠大劫よりこのかた、錯らざること恁麼なりといへども、一度び有ることをしらざれば、徒に眼にさへらる。ゆへに諸仏出生の処を明らめんと、恁麼にとふ、よぶにしたがひて応じ、たヽくにしたがひていづることをしらしめんとして。ことさらに和修の袈裟の角をとりてひきしらしむ。時に和修大悟す。
実にそれ無量劫よりこのかた。あひ錯らざることかくのごとくなりといへども、一度築著せざるがごときは、自己の諸仏の智母なることをも知るべからず。これによりて諸仏番々出世し、祖師代々指説す。かつて一法の人に授くべきなく、さらに一法の他に受くべきなしといへども、自面にさぐりて鼻孔にさはるがごとくなるべし。参禅は須自参悟、さとりおはりてはにあふべし。もし人にあはずんば、徒に依草附木なり。実に参禅いたづらにすべからず。一生むなしくすべからざること。今の和修の因縁をもてあきらめつべし。徒に自然天然の見を発すべからず。己見旧見をさきとすべからず。またおもふべし。仏祖の道は人をゑらび機をゑらぶ。われらがたへるところにあらずと。恁麼の所見実にこれ愚劣の中の愚劣なり。昔人いづれかこれ父母所生の身にあらざる。いづれかこれ恩愛名利の人ならざりし。然れども一度すでに参ぜしとき、かならず参徹しき。ゆへに天竺よりわが朝にいたるまで、正像末の三時異なるとも、証果の聖賢山をしめ海をしむ。然れば汝等諸人、見聞を具足すること、すでに古人に異ならず。たとひいづれのところにいたるとも、ことごとくいふべし。汝等この人なりと。迦葉・阿難と四大・五蘊かはれるところなし。何によりてか道におきて古人にかはるべき。たヾ究理弁道せざるによりて、徒に人身を失却するのみにあらず。つゐに己れあることをしらず。かくのごとくむなしくすべからずと相承して、阿難もかさねて迦葉を師とし、阿難陀また和修を接し、師資の道伝通す。かくのごとく流通しきたる。正法眼蔵涅槃妙心仏の在世と異なることなし。ゆへに仏生国にうまれざることをうらむることなかれ。仏在世にあはざることをかなしむことなかれ。昔し厚植善根、深く般若の良縁をむすぶ。これによりて大乗の会裡にあつまる。実にこれ迦葉と肩をならべ、阿難と膝を交ゆるごとし。然れば一日は賓主たりとも、終身すなはち仏祖たらん。みだりに古今の情に封ぜらるヽことなかれ。声色の法にとヾこふることなかれ。夜間をも日裡をも、むなしくわたることなかれ。子細に弁道功夫して、古人の徹処にいたり。今時の印記をうくべし、適来の因縁をあかさんとおもふに。また卑頌あり。要聞麼。
万仭巌上無源水 穿石払雲湧沸来 散雪飛花縦乱乱 一條白練絶塵埃

第四祖。優婆毱多尊者。
執事和修尊者三載。遂為落髮作比丘。尊者因問曰。汝身出家耶心出家耶。師曰。実是身出家。尊者曰。諸仏妙法豈拘身心。師乃大悟師は吒利国の人なり。また優波崛多と名く。姓は首陀。十五歳より和修尊者に参ず。十七歳にして出家し。二十二歳にして証果す。行化して摩突羅国にいたる。得度の者はなはだおヽし。これによりて魔宮震動し。波旬愁怖す。証果の人をうることに。四指の籌を石室に投ず。その室縦十八肘。広十二肘。充満其間。一肘は二尺なり。かの一生のあいだの得度しゑたる籌をばもて茶毘す。得度の人おヽきこと。あだかも如来在世のごとし。ゆゑに世挙つて号して無相好仏といふ。波旬いきどふりをなして。入定の時節をうかヾひ。遂にその魔力をつくして。もて正法を害せんとす。尊者すなはち三昧に入て。その所由を観ず。波旬またうかごふて。密に瓔珞を持して。これを頚にかく。ときに尊者またかれを伏せんとおもふ。定より起て。すなはち人狗蛇の三屍を取て。化して華鬘となす。軟言をもて波旬を慰諭して曰。汝ぢわれに瓔珞を与ふ。甚だこれ珍妙なり。われ華鬘あり。もてあい報酬奉せん。波旬大に喜て。延頚てこれを受く。すなはち変じて三種の臭屍となる。蟲蛆壊爛せり。波旬厭悪して。大ひに憂悩を生ず。おのが神力をつくして。不得捨。不得解。不能移動。乃昇六欲天。告諸天主。又詣梵天。求其解脱。彼各告曰。十力弟子所作神変。我輩凡陋。何能去之。波旬曰。然則奈何。梵王曰。汝可帰心尊者。即能除断。乃為説偈。令其迴向曰。若因地倒還因地起。離地求起終無其理。還依十力弟子。可求解脱。波旬受教已。即下天宮礼尊者足。哀露懺悔。尊者曰。汝自今後。於如来正法更作嬈害否。波旬曰。我誓迴向仏道永断不善。尊者曰。若然者汝可自唱口言帰依三宝。魔主合掌三唱。華鬘悉除。かくのごとく仏法威験を施し。あだかも如来在世のごとし。十七歳落髮のきざみ和修問曰。汝身出家するや。心出家するや。それ仏家もとより身心の二出家あり。いはゆる身出家すといふは。恩愛をすて家郷をはなれて。髮をそり衣をそめ。奴婢をたくはへず。比丘となり比丘尼となり。十二時中弁道しきたる。ゆへに時としてむなしく過ることなふして。ほか所願なし。ゆへに生をもよろこばず。死をもおそれず。心如秋月皎潔。眼如明鏡無翳。心を求めず。性をのぞまず。聖諦なをなさず。いはんや世執をや。かくのごとくし来て。凡夫地にもとどまらず。賢聖位にもかかはらず。うたヽ無心道人たり。これすなはち身出家人なり。いはゆる心出家といふは。髮をそらず衣をそめず。たとひ在家にすみ。塵労にありといへども。蓮の泥にそまず。玉のちりをうけざるがごとし。たとひ因縁あり妻子ありとも。芥のごとく塵の如く覚して。一念も愛心なく。一切貪著することなく。月の空裡にかヽるがごとく。玉の盤上に走るに似て。鬧市中にして閑者をみ。三界の中にして劫外をあきらめ。煩悩を断除するも病なりとしり。真如に趣向するも邪なりとあきらむ。涅槃生死これ空華なり。菩提煩悩ともに管せず。これすなはち心出家人なり。ゆへに身出家耶心出家耶と問あり。しかもかくのごとくなからん出家はこれ出家にあらず。ゆへにこの問をなし来る。しかるに毱多答て曰。実に是身出家すと。ここに心を存せず。性と説かず。玄を談ぜず。たヾ四大五蘊の身まさにこれ出家することをしる。不運にして至り得る。故に如意足なることを明らむ。不求にして得たり。ゆへに不可得を明らむ。如是なるゆへに。実に身出家すといふ。然れども諸仏の妙法。這箇の見解をなすべからず。ゆへに和修指説するにいはく。諸仏実にこれ身出家するにあらず。心出家するにあらず。四大五蘊をもてみるべきにあらず。理性玄妙をもて証すべきにあらず。ゆへに聖凡ともに解脱し。身心おなじく脱落し来る。虚空の内外なきがごとく。海水の表裡なきに似たり。たとひ幾許の妙理。無量の法門。千差万別なりといへども。たヽ這の事をのみとき来る。然れば唯我独尊を仏といふべからず。無来無去といふべからず。誰か父母未生といひ。空劫以前といはん。このところにいたりて。生不生を超越し。心不心を解脱す。器に随ふ水のごとく。物による空のごとし。とれども手にみつることなく。さぐれども跡をうることなし。すなはちこれ諸仏の妙法なり。このところにいたりて。毱多存することなく。和修も起ることなきゆへに。動静をもてせず。去来をもてせず。たとひ是非あり彼我ありとも。水の底の声のごとく。空の中の端なきに似たり。しかも一度覚触せざれば。千万の法門。無量の妙理も徒に業識流注となる。如是指説するところ。毱多尊者たちまち大悟す。あだかも青天に忽雷の霹靂せるがごとく。大地に猛火の発生するに似たり。迅雷一度ふるふて。毱多耳根を断ずるのみにあらず。すみやかに命根を喪し。猛火たちまちやけて。諸仏の法門祖師の頂。ことごとく灰燼となりおはりぬ。恁麼の灰燼あらはれて。毱多尊者と号す。かたきこと石のごとく。くろきこと漆のごとし。幾回か人の本色を失し。全身を打碎して。徒に籌をなげて空のかずをとり。空をやきて空のあとをのこす。今日大乗の兒孫。あとを雲外にたづね。言を青天につけんとおもふ。諸人要聞麼 
家破人亡非内外 身心何処隠形来

第五祖。提多迦尊者。
曰出家者。無我我故。無我我所故。即心不生滅故。即是常道。諸仏亦常。心無形相。其体亦然。毱多曰。汝当大悟自心通達。師乃大悟師者摩伽陀国人也。初生時。父夢金日自屋而出照耀天地。前有一大山。諸宝厳飾。山頂泉涌滂沱四方流。師参毱多尊者。初語此事。毱多尊者為解之曰。大山者我身也。泉涌者汝発智恵法無尽也。日従屋出者汝今入道之相也。照耀天地者汝智恵超越也。師元名香象。因易今名。梵曰提多迦。此曰通真量也。師聞説已。唱偈言。巍巍七宝山。常出智恵泉。迴為真法味。能度諸有縁。毱多尊者亦説偈曰。我法伝於汝。当現大智恵。金日従屋出。照耀於天地。自然師礼拝。随従卒求出家。毱多問曰。汝志求出家。身出家耶心出家耶。師曰。我来求出家。非為身心。毱多曰。不為身心。復誰出家。師曰。出家者乃至師乃大悟。実にこれ出家は無我我の我をあらはす。ゆへに身心をもて。弁ずべきにあらず。この無我我の我。すなはち常道なり。生滅をもてはかるべきにあらず。ゆへに諸仏にあらず。衆生にあらず。いはんや四大・五蘊・三界・六道ならんや。ゆへに心に形相なし。たとひ見聞あり覚知ありとも。つゐに去来にあらず動静にあらず。かくのごとく見得する。すなはちこれ心を知得する底の漢。なをこれ聞解といひつべし。ゆへに提多迦恁麼に解すといへども。毱多点して曰。汝当大悟心自通達と。あだか貿易の物に。皇帝の印を下すに似たり。王印もし題するとき。これ毒にあらず。これうたがいにあらず。またこれ公物にあらず。ゆへに人使用し来る。師資の道あひ契ふこと如是。たとひ理として通ぜずといふことなく。道としてあきらめずといふことなしといふとも。すべからく大悟してはじめてうべし。一度大悟せざれば。徒に知解の客となりて。つひに心地に通ぜず。ゆへに仏見法見いまだまぬかれず。自縛他縛いづれのときかのがれん。然ればたとへ四十九年の説。一字も遺落せず。三乗五乗一法も錯謬せずといへども。一度大悟せずは真の衲子とゆるしがたし。然ればたとひ千経万論を講得し。仏を影向せしめ。大地を震動せしめ。天華を乱墜せしむとも。はやくこれ座主の見解。いまだ本色の衲僧にあらず。然れば三界唯心と会すべからず。諸法実相と会すべからず。悉有仏性と会すべからず。畢竟空寂と会すべからず。実相なほこれ節目にかヽはる。皆空却て落空におなじし。悉有また性霊に似たり。唯心いまだ覚知をまぬかれず。然れば此の事を求めんとおもはん人。千経万論の中に求むることあらば。うらむらくは捨父逃逝の漢なり。ゆへに一一自己の宝蔵を打開して。一大蔵経を運出せんとき。聖教おのづから我有なることをゑん。もし恁麼に証得せずんば。仏祖ことごとくこれ汝ぢがあだなり。ゆへにいふ。那箇魔魅教汝出家那箇魔魅教汝行脚。道得也叉下死。道不得也叉下死と。恁麼なるゆへにいふ。出家は身心のためにあらずと。かくのごとく解すといへども。なをこれ本色の衲子にあらず。ふたヽび指出して。はじめて大悟して通ずることを得たり。然れば諸人者子細に弁道し。綿密に功夫し。文によりて義を解することなく。覚によりて霊をわきまふることなく。乾坤・大地・凡聖・依正を大に破壊して。前後に往返すといへども。一の障礙なく。上下に出入すといへども。一塵の隔歴なくして。さらに虚空に窟籠をゑり。平地に波瀾をおこして。仏面を看得し。悟道明心を識得して。胡蘆藤種胡蘆をまつい来り。一顆円光珠玉を回し来て。仏祖堂奧の事あることをしりて。はじめて得べし。適来の因縁敢て卑語を著んとおもふ。要聞麼。
得髄須知得処明 輪扁猶有不伝妙

第六祖。弥遮迦尊者。
五祖因示曰。仏言。修仙学小。似繩牽挽。汝可自知。若棄小流。頓帰大海。当証無生。師聞契悟師者中印度人也。為八千仙人長者也。一日率衆。瞻礼提多迦尊者曰。吾昔与師同生梵天。吾遇阿私陀仙人受仙法。師者遇十力弟子修習禅和。従是報分殊途已経六劫。尊者曰。支離累劫。誠哉不虚。今汝可捨邪帰正以入仏乗。師曰。昔阿私陀仙人授我記曰。汝却後六劫。当遇同学証無漏果。今也相遇。非宿縁耶。願和尚慈悲令我解脱。尊者時出家受具。余仙衆初生我慢。時尊者示大神通。仙衆於此倶発菩提心。一時出家す。ゆへに八千仙衆八千の比丘となりて。相したがひて出家せんとせしきざみ。尊者示曰。仏言。修仙学小乃至師聞契悟す。それ仙を学し。寿命長遠なることをゑ。神通妙用をうるといへども。過去八万劫・未来八万劫を通理するのみ。前後遠くかんがみることなし。非相・非非想を修して。無心想定にるといへども。かなしむらくは。非想天に生じ。長寿の天となりて。色体をうしなふことはゑたりといへども。なをこれ業識流注の分あり。仏に参ずることもゑず。道に通ずることもゑず。かの業識の報つくるとき。かへりて無間獄に墮在す。ゆへになはのひきまつうに似たり。つゐに解脱の分なし。小乗学者は初果を証し・二果を証し・三果を証し・四果を証し・独覚を証すといへとも。なをこれ身心中の修習。迷悟中の弁道なり。これによりて初果の聖者。八万劫をへて始めて初心の菩薩となる。二果の聖者は。六万劫をへて始めて初心の菩薩となる。三果の聖者は。四万劫をへて始めて初心の菩薩となる。独覚の聖者は。十千劫をへて菩薩道に入る。善因つゐに帰すといへども。うらむらくは。これによりて輪転の業なをたへず。またこれなはの牽挽するに似たり。本解脱の人にあらず。実にそれ八十八使の見思・塵沙無量の惑を破して。繊塵のとヾむべきなく。一毫の惑なしといへども。徒に有為功業にして。つゐに無漏の仏果にあらず。然れば本にかへり源にかへる。待悟為則の弁道。悉皆これに類す。ゆへに諸人者無をも要することなかれ。おそらくは落空亡の外道に同ふしつべし。空劫威音にとヾまるべからず。またこれ魂不散底の死人に似たり。妄法の空華をとヾめて。真実の本性に達せんとおもふことなかれ。却てこれ断無明証中道聖者に類す。雲なきところに雲をおこし。玼なきところに疵を生ず。あだかも伶俜他国の窮子なるべし。無明迷酔の貧客なり。おもふべし。汝はこれ誰人なれば。生前ととき・死後ととく。更になんの過・未・今をか存せん。曠劫以来片時もあひあやまることなし。従生至死たたこれ恁麼なり。然りといへども。一度築著せざれば。徒に根境に迷惑して。自己をしらざるものなるべし。目前をうとくするなり。ゆへに身心の生起するところをもしらず。万法の流出するところをもわきまへず。ゆへなくはらはんとおもひ。ゆへなくもとめんとねごふ。かくのごとくなるゆへに。仏をしてわじらはしく出世せしめ。祖師をしてねんごろに垂誡せしむ。恁麼に垂誡して手をたるといへども。なを自己の知見に迷惑せられて。あるいは不知ととき。あるひは不分ととく。真個無明なるにもあらず。親切函蓋するにもあらず。徒に思量計較の中にありて。正邪を見別し来る。しらずや汝ぢら諸人。呼にしたがひて応じ。指にしたがひていたる。これ擬慮より生ずるにあらず。覚知より起るにあらず。まさしくこれ汝ぢが主人公なり。その主人公面目なく体相なし。然れども動著してやむ時なし。これによりてこの心生じ来る。これを名けて身といふ。この身あらはれてより。然も四大・五蘊・八万四千の毛孔・三百六十の骨節。合成して汝ぢらが一身たり。玉の光りあるに似。声の響を帯するがごとし。ゆへに生来死去。一時もかげたるところなく。一時もあまれるところなし。恁麼の生滅。生ずれども生の始めなく。死すれとも死の跡なし。恰も海中の波浪おこりて痕なきがことく。また波浪の滅せざるがごとし。去り去れどもかつて別処にゆかず。たヾ海の消息としを。大波小波起つてきへず。汝ぢらが心もまたかくのごとし。動著してやむ時なし。ゆへに皮肉骨髄とあらはれ来り。四大五蘊と使用し来る。また桃花翠竹とあらはれ来り。得道明心と悟証し来る。声色品分れ。見聞道異なり。著衣喫飯と受用し。言語事業と運用す。分れ分れども差別の法にあらず。あらはしあらはるれども体相にとヾまらず。恰も幻人の諸の幻術をなすがごとく。夢中に諸の形像を出生するがごとし。鏡中に万像千変万化すといへども。只この一面の鏡なり。もしかくのごとくしらざれば。徒に仙を修し小を学し来らば解脱の期なし。諸人ことごとくこれ縛するものなし。なんそ新に脱するあらんや。迷悟もとよりなく。縛脱さきよりはなる。これ無生なるにあらずや。これ大海なるにあらずや。小流いづれのところにかある。塵刹微塵刹ことごとく法界海なり。溪流瀑漲江河旋洄する。みなこれ海上の溌転なるなり。而ふしてすつべき小流なく。とるべき大海なし。恁麼なるゆへに節目おのづから除けり。旧見一度に改まりき。仙を捨て出家す。これすなはち宿縁契発するなり。しかも諸人恁麼に三来三去し。心語即通す。実にこれ親友与親友相見し。自己与自己点頭し来る。ともに性海中に游泳して。片時も隔歴することなし。実に恁麼に感発せば。すなはちこれ宿縁あらはるべきなり。見ずや。馬大師曰。一切衆生従無量劫来。不出法性三昧。常在法性三昧中。著衣喫飯。言談祗対。六根運用。一切施為。尽是法性なりと。かくのごとく云ふをきヽて。法性の中に衆生ありと会すべからず。法性といひ衆生といふ。水と波といはんがごとし。ゆへに言によりて水ととき波ととく。あにこれ多種あらんや。今朝又説破因縁。更有卑頌。大衆要聞麼。
縦有連天秋水潔 何如春夜月朦朧 人家多是要清白 掃去掃来心未空

第七祖。婆須密多尊者。
置酒器於弥遮迦尊者前。作礼而立。尊者問曰。為是我器。為是汝器。師思惟。尊者曰。為是我器者。汝之本有性。若復汝器。我法汝当受。師聞大悟無生本性師者北印土之人也。姓頗羅墮。常服浄衣。手持酒器。遊行閭里。或吟或嘯。人謂之狂。不顯姓名。然弥遮迦尊者。遊化至北天竺国。見雉堞之上。有金色祥雲起。尊者謂徒衆曰。是道人氣也。是必有大士。為吾法嗣。言未了。師即到乃問曰。識我手中物否。尊者曰。是器而負浄者。師乃置酒器於弥遮迦尊者前乃至大悟無生本性。時酒器忽然不見。尊者謂曰。汝試自称名氏。吾当後示本因。師説偈而答。我従無量劫。至于生此国。本性頗羅墮。名字婆須密。時尊者示曰。我師提多迦説。世尊昔遊北印度。語阿難言。此国中吾滅後三百年有一聖人。姓頗羅墮。名婆須密。而於禅祖当獲第七。世尊記汝。汝応出家。師聞曰。我思往劫。嘗作檀那獻如来一宝座。彼仏記我曰。汝於賢劫釈迦牟尼仏法中。可続聖位。これによりて卒に第七の祖につらなる。師いまだ尊者のところに至らざるとき。十二時中酒器を持してすつることなし。実にこれ表準なり。この器あしたにも要し。くれにも要し。受用無礙なり。実にこれその器たることを表す。これによりて参学の最初に問て云。識我手中物否と。たとひ心これ道と会し。身是仏なりとあきらむるとも。なをこれ触器なるゆへに。もし触器ならば。かならず浄者にはまくべし。古今に亙るとも会せよ。本来具足とも知れ。皆是触器也。何の古とか説ん。何の今とか説ん。なにを始といひ。なにを末と云ん。如是の所見必ず浄者には負べし。理の最たるを聆て。師即酒器をさしをく。是即ち尊者に帰せし表準なり。是故に為是我器為是汝器と問しなり。已に古今の論にあらず。去来の見をも離。この時に到りてこれ我なりとやせん。これ汝なりとやせん。これ我にもあらず。これ汝にもあらずと。思惟せしところに。即ち示曰。為我器者。汝之本有性。然ればこれ弥遮迦の器にもあらず。若復汝器我法汝受べし。故に婆須密の器にもあらず。我与汝との器にもあらず。ゆへに器また器にあらず。ゆへに器即ちかくれぬ。実に一段始終の因縁。今人のよくしるべきところにあらず。たとひ参じ来り参じ去て。諸仏諸祖師尽力不到のところにいたるといへども。これ触器なるべし。かならず浄者にはまくべし。夫れ真箇の浄者は。浄もまた不立。ゆへに器また不立。ゆへに師資の道相契。通途無礙なるゆへに。我が法汝受べし。汝之本有性なるゆへに。一法の他にうくるなく。一法の人にさづくるなし。恁麼に参徹するとき。師ともいふべし。資ともいふべし。ゆへに子即ち師の頂にのぼり。師即ち子の足にくだる。この時両物なく分析なし。ゆへに器とも称しがたし。すなはち器かくれし。この道のまさに通ぜん表準なり。今日ももしこの田地にいたりゑば。従来の身心にあらず。ゆへに古今に亙るともいひがたし。なにいはんや。生死去来と称するあらんや。皮肉骨髄を存することあらんや。実にこれ虚凝一片の田地。つゐに表裏なく。内外なし。今日又卑語をつけて。適来の因縁を挙せんとおもふ。大衆要聞麼。
霜曉鐘如随扣響 斯中元不要空盞

第八祖。仏陀難提尊者。
値七祖婆須密多尊者曰。今来与師論義。尊者曰。仁者論即不義。義即不論。若擬論義終非義論。師知尊者義勝。悟無生理師者迦摩羅国之人也。姓瞿曇氏。頂上有肉髻。弁捷無礙。第七祖婆須密多尊者。行化至迦摩羅国。広興仏事。師於宝座前。自謂。我名仏陀難提。今与師論義。尊者曰。仁者論即不義。義即不論。実に夫れ真実の義は論ずべきにあらず。真実の論はまた義を帯せず。ゆへに論あり。義あるはこれ義にあらず。論にあらず。ゆへにいふ。若擬論義終非義論。ついに一法の義とすべきなく。一法の論とすべきなし。然も仏に二種の語なし。故に仏語をみるは仏身を見るなり。仏身を見ば仏舌を証する也。然れば縦ひ心境不二と説も。猶是れ真実の論にあらず。設ひ変易せずといふとも。猶是れ義にあらず。故に言ののぶべきなく。理のあらはすべきなしといふとも。猶是れ義通ずるにあらず。性はすなはち真なり。心はすなはち正なりと説も。又是れ何の論ぞ。然も光境ともに亡ずといふも。猶是れ真実の論にあらず。光境ともに亡ぜざるも。又是れ義にあらず。然れば賓と説き。主と説き一と説き同と説くも。かさねて是れ義の論にあらず。こヽにいたりて。文殊大士無言無説と説くも。是れ真実の宣にあらず。維摩大士拠座黙然せしも。又是れ義の論にあらず。此の処に到りて。文殊猶見錯り。維摩猶云錯と。なに況や智恵第一の舍利弗。神通第一の目犍連。此の義を見ること未夢見。あだか生盲の物色をみざるがごとし。然も仏の言。仏性は声聞縁覚の夢にも未だしらざるところなり。大般涅槃経卷八如来性品第四之五云。善男子如是仏性唯仏能知。非諸声聞縁覚所及十住の菩薩猶とほく鶴をみて。是れ水なるかこれ鶴なるかとあやまる。且く計較思惟して。良是鶴なりと見るといへども。猶是れ決定ならず。同経同品云。善男子。譬如渇人行於曠野。是人渇逼遍行求水。見有叢樹。樹有白鶴。是人迷閟不能分別是水是樹諦観不已。乃是白鶴乃以叢樹。善男子。十住菩薩於如来性知見少分。亦復如是然も十住の菩薩猶是見仏性不明了同経同品云十住菩薩雖於己身見如来性。亦復如是不大明了。然も少しく如来の所説によりて。自性あることをしりて。歓喜して曰く。我れ無量劫生死の間だに流転して。この常住なることをわきまへざりしことは。無我の為に惑乱せられてなり同経同品云。十住猶未能見所有仏性。如来既説。即便少見。是菩薩摩訶薩既得見。已咸作是言。甚奇也。世尊。我等流転無量生死。常為無我之所惑乱然も見聞を絶し。身心を忘じ。迷悟をさけ。染浄を離れたりといふとも。この義を見ること夢にも又見ること不得。故に空中に向ひて求むることなかれ。色中におきて求むること勿れ。何況や仏に求め祖に求めんや。然も諸人者曠大劫より以来今日にいたるまで。幾回か生死を経歴し。幾回か身心を起滅し来或ひはおもふべし。此の生死去来は夢幻妄想なりと。殊に笑べし。これ何の説話ぞ。抑も生死去来するものあるか。なにを真実の人体といはんや。なにを夢幻妄想なりといはん故に虚妄とも会すべからず。真実とも会すべからず。もし虚妄と会し真実と会せば。此の処にいたりて始終不是なり。故に此の一段の事。子細に須く参徹して始てえん。謾に空を擬し正を擬してもて。恁麼のところとおもふことなかれ。たとひ平坦の水の如く。清潔清浄なりとあきらめて。虚空染浄なきが如くなりといふとも。卒に未だ此のところを明らめえんや。洞山和尚潙山雲巌に参じて。たちまち万法と同参し。全身説法すといふとも。猶是れ不具なることありき。これによりて。雲巌重て慰めて曰。這事を承当せんこと子細にすべしと。此れによりて疑ひ猶のこることありて。暫く雲巌を辞し。他所へゆきしに。水を渡る時影をみて。速かに此事をえて。説偈曰。切忌随他覓。迢迢与我疎。我今独自往。処処得逢渠。渠今正是我。我今不是渠。応須恁麼会。方得契如如。如是解して。卒に雲巌の嫡子として。洞宗の根本たり。然も全身説法を会するのみにあらず。露柱灯籠塵塵爾り。刹刹爾り。法法爾り。三世一切説を会すといふとも。猶不至処ありて慰めき。なに況や。今人知見の中に会して。心是れ仏と会し。身これ仏と会し。或は仏道如何なるべしとも会せず。ただ春の華開くをみ。秋の葉散るをみ。法住法位とおもへり。是れわらふにたへたるものなり。仏法如是ならば。何によりて釈迦出世し。達磨西来せん。然るに上釈尊より唐土以来の祖師。仏祖位中に別なし。誰か是れ大悟せざりつる。人ことに依文解義もて義とし論とせば。いくそばくの仏祖かあらん。故にかれをなげすて。このところを参徹して。自ら仏祖なることをえん。故に祖師の道殊に大悟大徹せずんば。其の人にあらず。故に純清絶点にもとどまらず。虚空明白にもとどまらず。故に船子和尚曰。直須蔵身処沒蹤迹。沒蹤跡処莫蔵身。吾三十年在薬山祇明斯事。純清絶点是非蔵身処也。光境共に忘ずといふとも。猶このところに蔵身することなかれといふ。更に古今と説くべきところなし。迷悟と論ずべきことなし。恁麼に参徹する時。十方壁落なく。四面又門なし。処処脱白露浄なり。故に大須子細。卒爾なることなかれ。今朝此の因縁を説破せんとするに。卑頌あり。要聞麼。
善吉維摩談未到 目連鶖子見如盲 若人親欲会這意 鹽味何時不的当

第九祖。伏駄密多尊者。
聞仏陀難提説汝言与心親。父母非可比。汝行与道合。諸仏心即是。外求有相仏。与汝不相似。欲識汝本心。非合亦非離。師乃大悟師者提伽国人也。姓毘舍羅。仏陀難提行化至提伽国城毘舍羅家。見舍上有白光上騰。謂其徒曰。此家当有聖人。口無言説。真大乗器。足不蹈地。知触穢耳。則是吾嗣。言訖。長者出投礼問。何所須。尊者曰。我求侍者。長者曰。我有一子。年已五十。口未会言。足未会履。尊者曰。如汝所説真吾弟子。尊者見之如是云を聞。師即遽起礼拝。而説偈相問曰。父母非我親。誰是最親者。諸仏非我道。誰是最道者。尊者以偈答曰。汝言与心親乃至非合非離。時師聞妙偈。即行七歩。尊者曰。此子昔会値仏悲願広大。慮父母愛情難捨故。不言不履耳云云実に父母非我親。諸仏非我道。故に正く親きことをしらんと思はば。父母に比すべきにあらず。正く道なることをしらんとをもはば。諸仏に学すべきにあらず。所以者何となれば。汝が見聞卒に他の耳目をからず。汝が手足他の動静を不用。衆生も恁麼なり。諸仏も恁麼なり。かれ是れを学び。是れかれを学ぶは。卒に是れ親きにあらず。あに道とすべけんや。恁麼の道理を護持保任する。故に口にものいはず。足ふまず。やヽ五十年をへたり。実に是れ大乗の器。触穢中にあらざらまくのみ。父母我親にあらずといふ。即是れ汝が言なり。これまさに汝が心としたしし。諸仏吾が道にあらずといひて。足遂にふまず。即汝が行なり。道に合す。然れば外に有相の仏を求むる。卒に是れ非行。此れによりて祖師門下。不立文字直指単伝して。見性成仏しもてゆく故に。人をして直指なることをしらしめんとして。単伝せしむるに他の榜樣なし。ただ人をして直に意根下を坐断して。口辺に白醭を生ぜしめもてゆく。是れ言を忌むにあらず。黙をよみするにあらず。汝が心恁麼なることをしらしめんとなり。清水の如く虚空の如し。純白清潔にして和融無礙也。故に自心の外にあらはるヽ一物なく。己霊の上に繊塵の遮るべきなし。全体明瑩にして珠玉に列せず。日月の光明をもて自己の光明に比することなかれ。火珠の光明をもて自己の眼睛に比することなかれ。不見道。人々一段の光明あきらかなること。千日並び照すが如し。くらきものは内に向ひて覓め。明かなるものは外に向ひて存せず。しづかにをもふべし。内をもて親きとすることなく。外をもて疎とすることなしと。古往今来如是なりといへとも。自倒自起し来ることなかれ。故に祖師親切に相見す。只恁麼に相逢。更に無多子。適来の因縁をもてあきらめつべし。必ずしも修証によりていたるべしといはず。三学によりて窮むべしといはず。只汝が心全く汝と親し。汝まさにこれ道なりといふ。此の外に有相の仏も求めず。無相の仏も求めず。実にしりぬ。汝ぢ誰れにか合せん。誰とか離せん。卒に合にあらず離にあらず。たとひ是れ身と説もこれ離にあらす。たとひ是れ心と説も亦これ合にあらず。恁麼の田地に到るといへども。身の外に心を覓むることなかれ。たとひ生死去来すれども。身心の作にあらず。諸仏も恁麼に保任して。三世に常に証し。諸祖も恁麼に保任して。三国にあらはれきたる。諸人者も恁麼に保任して。更に分外にすることなかれ。十二時中卒にいまだ相錯ることなし。十二因縁却てこれ転法輪なり。此の田地にいたる時。五道の輪転自ら大乗の翻軸なり。四生の受業まさに是れ自己の活計。たとひ情と説き非情と説くも。恰も眼目の異名なり。たとひ衆生といふとも。心意の別称也。心を勝れたりとして意を劣れりとすることなかれ。あに眼をいやしみて目を貴とせんや。這箇の田地卒に根塵の境界なく。心法の所見なし。故に人人悉く是れ道なり。事事すべて心ならざることなし今朝又此の因縁を指説せんとするに。卑語あり。大衆要聞麼。
莫言語黙渉離微 豈有根塵染自性

第十祖。脇尊者。
執侍伏駄密多尊者左右三年。未嘗睡眠。一日尊者誦修多羅及演無生。師聞悟道師者中印度人也。本名難生。初師将誕。父夢。一白象背有宝座。座上安一明珠。其光照四衆。既覚遂生。伏駄密多尊者。至中印度行化。時有長者香蓋。携一子而来。瞻礼尊者曰。此子処胎六十歳。因号難生。復嘗会一仙者。謂此兒非凡。当為法器。今遇尊者。当出家。尊者為落髮授戒。処胎六十年。生後八十年。都盧一百四十年也しに。始めて発心す。老耄せることいたりて老耄せり。此れによりて発心せんとせし時。人皆いさめて。汝すでに老耄す。徒に清流にあとしてこれなににかせん。出家に二種あり。一には習禅。二には誦経。汝たゆべきにあらず。師世人のそしりをききて。自誓ひていはく。我出家して若し三蔵を学通じ。三明を得ることなくは。誓脇不著席。如是ちかひて。ひるは参学誦経し。よるは安禅思惟して。卒に睡眠せず。初め出家せんとせし時。祥光燭座。仍感舍利三七粒現前。自此精進忘疲三年。遂に三蔵を学通じ。三明智を開く。一日尊者誦修多羅。演無生時。師聞悟道し。卒に第十祖に列す。可知仏祖の功業として。かくのごとく精進。つかれをわすれて参学・誦経・安禅・思惟す。祖師も又尋常に修多羅を誦し。及ひ無上をのぶ。此れ修多羅といふは。正真大乗経也。同仏説なりといへども。大乗経にあらざれば。誦することなし。了義経にあらざれば。依ることなし。此の大乗経といふは。繊塵をはらふととかず。妄想を除くといはず。了義経といふは。必ず理を尽し。妙を尽すのみに非ず。即其事を尽し来る。所謂事をつくすといふは。諸仏の発心より菩提の涅槃にいたり。三乗五乗を説き来て。劫国名号みなもてつくさずといふ事なし。此れを了義とする也。然れば仏経は如是としるべし。たとひ一句を道得し。一理を通得すといへども。一生参学の事おはらずんば。即是れ仏祖とゆるしがたし。然れば必ず精進忘疲。発心群をぬけ修行倫を絶して。子細に参到し。委悉に究弁して。夜をもて日につぎ。志をたてて力をおこし。仏祖出世の本懷。自己保任の旨趣。悉く明弁して。一生の間にをひて。理として通ぜずといふことなく。事としてつくさずといふ事なふして。即是れ仏祖なるべし。近来祖師の道すたれ。参学の実処なきによりて。卒に一言を通じ。一理を通ずるをもて。足んぬと思へり。恐くは是れ増上慢の類なるべし。大におそるべし。不見道。道は山の如く。登ればますます高し。徳は海の如し。入ればますます深し。深きに入て底をきはめ。高きに登りて頂をきはめて。始て真の仏子たらん。身心徒に放捨することなかれ。人人悉く道器なり。日日是好日なり。只子細に参と不参とによりて。徹人未徹人あり。必ずしも人をえらぶにあらず。時をえらぶにあらさること。今の因縁をもて知るべし。既に百四十余。老耄す。然れども志し無二によりて。精進疲を忘れしかば。卒に一生に参学しおはる。実に可憐老骨の身として。左右に侍する事三年。卒に不睡眠といふ。今人は殊に老ておこたることあり。はるかに往古の先聖を思ひやりて。寒苦をも寒苦とせず。暑熱をも暑熱とせずして。身命を断ずと思ふ事なかれ。心慮不及と思ふことなかれ。若し能く如是ならば。すなはち稽古の人なるべし。是れすなはち有道の士なるべし。若し稽古あり有道ならんが如きんば。たれか是れ仏祖にあらざらん。すでに修多羅を誦すといふ。夫れ修多羅を誦すること。必ずしも口に誦し。手に取りて以て転経とのみすべからず。子細に仏祖の屋裡にして。いたづらに声色の中に功夫せず。無明胎中に行履せず。処処に智恵発生し。時時心地開明して。すべからく修多羅を誦すべし。十二時中恁麼に行履し来るに。会て依倚せざらんが如きんば。即是れ無生の本性を体達せざるなかるべし。しらずや。生じ来れども従来するところなく。死し去れども亦去処なし。当処に出生し。随処に滅尽す。起滅時とともにおこたらず。故に生是れ生にあらず。死是れ死にあらず。然も参学人として。生死を以て心頭にかくることなかれ。見聞を以て自らへだつることなかれ。たとひ見聞となり。声色となるとも。自の光明蔵なり。眼根より光明を放て。色相荘厳をなし来り。耳根より光明を放て。音声の仏事をきき得たり。手裏に光明を放て。転自転他。脚下に光明を放て。進歩退歩。今日又恁麼の道理を指説せんがために。卑語をつけんと思ふ。要聞麼。
転来転去幾経卷 死此生彼章句区

第十一祖。富那夜奢尊者。
合掌立脇尊者前。尊者問曰。汝従何来。師曰。我心非往。尊者曰。汝何処住。師曰。我心非止。尊者曰。汝不定耶。師曰。諸仏亦然。尊者曰。汝非諸仏。諸仏亦非也。師聞此言。経三七日修行。得無生法忍。告尊者曰。諸仏亦非。非尊者。尊者聴許付正法師者華氏国人也。姓瞿曇氏。父宝身。脇尊者初至華氏国憩一樹下。右手指地。告衆曰。此地変金色。当有聖人入会。言訖即地変金色。時有長者子富那夜奢。合掌立云云尊者因説偈曰。此地変金色。預知聖至。当坐菩提樹覚華而成已。夜奢復説偈曰。師坐金色地。常説真実義。回光而照我。令入三摩諦。尊者知師意。即度出家。令具戒法。適来因縁。夜奢尊。元来是聖者也。これによりて我心非往我心非止。諸仏亦然と説。然も猶是両箇見。也。所以者何となれば。我心も如是諸仏も如是と会す。是によりて尊者驅耕夫之牛。奪飢人之食。真実得達の人も猶是自救不了也。なに況や諸仏を存することあらんや。是によりて汝非諸仏と説。これ理性を以てしるべきにあらず。非相を以て弁ずべきにあらず。故に諸仏の智を以て知るべきにあらず。自己の識を以てはかるべきにあらず。故に此言を聞てより。三七日の間だ修習行道して。さしおくことなし。遂に一日覚触して。まさに我心を忘し。諸仏を解脱す。これを無生法忍を悟るといふ。遂にこの理に通じて。辺表なく内外なきによりて。その得処を説に曰く。諸仏亦非尊者なりと。実にこれ祖師の道は。理をもて通ずべきにあらず。心をもて弁ずべきにあらず。故に法身法性万法一心をもて究竟とするにあらず。故に不変とも説くべからず。清浄とも会すべからず。なに況んや。空寂なりと会せんや。至理なりと弁ぜんや。故に諸家の聖者。悉くこの処にいたりて初心を回し。再び心地を開明して。直に入路を通じ。速かに己見を破す。今の因縁をもて可知。已に是聖者たるによりて。来る時地すなはち変じ。徳風ものをおどろかす力あり。然れどもなほ三七日の間だ修習して。この所に達す。故に諸人者子細に明弁して。わづかに小徳小智己見旧情をもて宗旨を定ることなかれ。大にすべからく子細にしてはぢめてうべし。今朝又此の因縁を会せんとするに。忝く卑語をもてす。大衆要聞麼。
我心非仏亦非汝 来往従来在此中

第十二祖。馬鳴尊者。
問夜奢尊者曰。我欲識仏。何物即是。尊者曰。汝欲識仏。不識者是。師曰。仏既不識。焉知是乎。尊者曰。既不識仏。焉知不是。師曰。此是鋸義。尊者曰。彼是木義。復問。鋸義者何。師曰。与師平出。又問。木義者何。尊者曰。汝被我解。師豁然省悟師者波羅奈国之人也。亦名功勝。以有作無作諸功徳最為殊勝故名焉。即三夜奢尊者処。最初問曰。我欲識仏。何者即是。尊者曰。汝欲識仏。不識者是。実参学最初。必尋ぬべきは是仏なり。三世諸仏・数代祖師。尽是学仏漢といふ。若仏を学せざれば。悉くこれ外道と名く。故に音声をもて求むべきにあらず。色相を以て求めしるべきにあらず。故に三十二相・八十種好をもて仏とするにたらず。因て我欲識仏何者即是なると問来る。即示曰。汝欲識仏不識者是なりと。いはゆる不識者といふは。まさにこれ馬鳴尊者也。豈他。未知時もしれるときも別の保任なし。他の樣子なし。故に昔しより今に及びて。只如是有時は三十二相を帯し。八十種好を具し。三頭八臂を帯し。五衰八苦に沈み。有時は被毛戴角し。有時は鉄擔架鎖す。常に三界中に居して。自己の行履を保任し。自心の中に頭出頭沒して。異面を帯し来る。故に生じきたるも是何者なりとしらず。死し去るも是何者なりとしらず。形をつけんとすれども。是造作すべき法にあらず。名を安ぜんとすれども。亦これ建立すべきことにあらず。故に劫より劫に至るまで。会てしるところなく。我にしたがひ我に共なふとも。都て弁ずることなし。適来の因縁を聴て。多く解して曰く。いかにもしることあるは。即是仏にたがはん。しることなく分つことなからん。正に是仏なるべしと云。今の不識恁麼に会せば。何ぞ煩はしく夜奢尊者恁麼に示さん。従冥入於冥に。只是のごとく都て恁麼ならざる故に。直に示して曰。不識者是也と。馬鳴なほ明らめず。只是従来の不知といふをもて今の示す処を解す故に。曰。仏既不識焉知是乎。尊者重て示して曰。既不識仏焉知不是仏。その外に求むべきにあらず。不知者即ち是仏なり。豈不是と云べけんや。師曰。此是鋸義。尊者曰。彼是木義。夜奢復問。鋸義者何。師曰。与師平出。馬鳴又問。木義者何。尊者曰。汝被我解。師豁然省悟。実に汝も如是我も如是。八字に打開し両手に分付す。汝も我も一点を受ず。吾も汝も少分をからず。これによりて平出せること恰も鋸の如し。故にいふ鋸義と。師解曰。吾是木義と。尊者曰。彼是木義。所以者何なれば。黒漫漫として総て知る処なし。更に一点をも著ず。一知をも假らず。恰も木頭の如く又露柱の如し。無心にして恁麼也。終に弁別する処なし。恁麼に会する。故に道ふ彼は是木の義と。然れ共恁麼の処解。余習なほ殘て師義を不知。此に尊者慈悲落草の故に。復問。鋸の義とは何ぞや。師曰。与師平出すと。此に至りて重て自ら道取して。又問。木義とは何ぞや。夜奢復授手分付して曰。汝我に解せらると。爰に師資の道通じ。古今情やぶれて。夢中に路をなし来り。空裏を運歩しもてく。故に曰く。汝被我解。ここに到りて無心凝結すみやかにとけ。明白の窠窟もぬけ来て。豁然として開悟。遂に第十二祖に列す。尊者謂衆曰。此大士者。昔為毘舍離国王。其国有一類人。如馬裸露。王運神力。分身為蠶。彼乃得衣。彼王後生中印度。馬人感戀悲鳴。因号馬鳴焉。如来記云。吾滅度後六百年。当有賢者馬鳴者。於波羅奈国摧伏異道。広度人天。度人無量。継吾伝化。今正に是時なりと云ひて。夜奢即付嘱如来正法眼蔵。此の一段始終のところ。みだりに不識不受のところとして。処処不識なるところとすることなかれ。即ち不識なりとも。未胞胎のところにして。子細に見得し。子細に思量して。仏面祖面を摸索すれどもえず。人面鬼畜を求覓すれどもえず。是不変なるにもあらず。是動著するにもあらず。会て空なるにもあらず。内外の論なく。正偏のへだてなし。まさに是れ自己本来の面目なることを覚知して。たとひ凡聖含霊とあらはれ来り。依正二報とわかれ来れども。全くこの中に去来し。此中に起滅す。あだかも海水のなみををこすが如く。おこりおこれども会て一水もまさず。又波の滅するが如し。滅し滅すれども一滴もうしなはず。会て人間天上の中に。しばらく諸仏と呼れ来り。兎畜と呼れ来る。恰も一面上にかりに衆面を現ずるが如し。是仏面とせんも不是。鬼面とせんも不是。然も建化門頭の事。敲唱し来り。まさに如幻三昧を修習し。夢中の仏事をなし来る。これによりて西天の化導幻術今に不断。三国流転して。転凡入聖し来るなり。よく恁麼に転変修習して。まさに自己の罪過をもうとくせず。自己の生死にもまどはされず。これ真箇本色の衲僧なるべし。今日適来の因縁を挙揚するに。例によりて卑語あり。要聞麼。
野村紅不桃華識 更教霊雲到不疑

第十三祖。迦毘摩羅尊者。
因馬鳴尊者説仏性海曰。山河大地皆依建立。三明六通由茲発現。師聞信悟師者華氏国人也。初為外道。有徒三千。通諸異論。馬鳴尊者於華氏国転妙法輪。忽有独老人。座前仆地。尊者謂衆曰。此非庸流。当有異相。言訖則不見。又俄従地涌出一金色人。復化為女子。右手指尊者而説偈曰。稽首長老尊。当受如来記。今於此地上宣通第一義。説偈訖不見。尊者曰。将有魔来。与吾校力。暫ありて風雨悪到。天地晦冥。尊者曰。魔来証也。吾当除之。即指空中。現一大金龍。奮発威神。震動山嶽。尊者嶽然於坐。魔事随滅。経七日有一小蟲。大若蟭螟。潜形座下。尊者以手取之。示衆曰。斯乃魔之所変。盜聴吾法耳。乃放之令去。魔不能動。尊者告之曰。汝倶帰依三宝即得神通。魔遂復本形。作礼懺悔。尊者問曰。汝名誰耶。眷属多少。答曰。我名迦毘摩羅。有三千眷属。汝尽神力変化若何。曰。我化巨海極為小事。尊者曰。汝化性海得否。曰。何謂性海。我未嘗知。尊者即為説性海曰。山河大地皆依建立。三明六通由茲発現。師聞信悟す。実に老人仆地より。蟭螟蟲となるにいたるまで。神力を現ずること実に無数なり。いはゆる化巨海極為小事。夫れ海を変して山となし。山を化して海となし。神力を現することきはまりなしといへども。性海未だ名をだにもしらず。何にいはんや化することあらんや。然も山河大地何物の変と覚することなきに。馬鳴すなはち説く。是れ性海の変なりと。しかのみならず三明六通これより変ず。いはゆる三昧は首楞厳等の無量三昧。天眼天耳六通これ始もきはなく。終りもきはなく。前三三後三三即是なり。正に是山河大地を建立するとき。三昧地水火風と化し。山河草木とも化す。所謂皮肉骨髄とも変じ。五体身分とも化し来る。未た一事一法として分外より来るにあらず。故に十二時中虚捨る底の功夫なく。無量生死いたづらにあらはるヽ底の相貎なし。故に眼に見ることもきはまりなく。耳に聞くこともきはまりなし。恁麼の見聞をそらくは仏智もはかるべきことあらじ。あにこれ性海の化作ならざらんや。故に法法塵塵すべてこれ涯畔なき法なり。全く是れ数量に墮せず。是即性海なり。故に如是然も今身をみるは。すなはち是れ心をみるなり。心をしるはこれ身を証するなり。全く身心二つなし。性相何ぞ分たん。たとひ今ま異道の中にありて神変を現ずるも。又是分外にあらざれども。自らしらず。これ性海なりといふことを。これによりて自をも疑惑し。他をもうたがひ来。然も其の諸有をしらざれば。総に未達根本者力らをたくらぶるにたへず。故に魔力終につきて。神変しがたし。遂に己をすて他に帰し。あらそひをやめて正をあらはす。然ればたとへ山河大地を会すとも。徒に声色の中に繋縛することなかれ。たとひ自己本性をあきらむとも。又覚知にとどまることなかれ。また覚知も一両の仏面祖面なり。いはゆる墻壁瓦礫これ也。本性はまた見聞覚知にかかはらず。動静によらず。然れども性海を建立すれば。必ず動静去来遂に断ることなし。皮肉骨髄時と共にあらはれ来る。若し根本を論ぜんがごときんば。見聞とあらはれ。声色とあらはるとも。他の為にすべきなし。然れば空を扣てひヾきをなす。故に衆声を現ず。空を化して諸物をあらはす。故に形貎区なり。故に空は是れ形なしとおもふべからず。空はこれ声なしとおもふべからず。更にこのところに到りて子細に参到する時。これ空とすべきにあらず。これ有とすべきにあらず。故に隠顯の法とすべきにあらず。自他の法とすべきにあらず。なにを呼て他とし。なにを喚て我とせん。恰も空裏に一物なきか如く。大海に諸水現するに似たり。古今会て変易せず。去来あに別路あらんや。故にあらはるヽ時も一点をも添ず。かくるヽ時も一毫をもうしなはず。衆法を合成して此の身とす。万法を泯絶して更に一心と説く。故に道を明め心を証すること。すべて分外に向ひて求覓することなかれ。只自己本地の風光現成し来れば。他このを呼て人面鬼畜とす。雪峯曰。要会此事。我這裏如一面古鏡相似。胡来胡現。漢来漢現。全くこれ如幻三昧。故に始もきはまりなく。終りもきはまりなし。故に山河大地を建立する時も皆依是。顯発三明六通時も由茲。この故に自心の外に大地寸土をみることなかれ。性性の外に河水一滴をつくることなかれ。今朝又此の因縁によりて卑語を著んと欲す。要聞麼。
良久 曰渺波濤縦滔天 清浄海水何会変

第十四祖。龍樹尊者。
因十三祖赴龍王請。受如意珠。師問曰。此珠世中至宝也。是有相耶。無相耶。祖曰。汝只知有相無相。不知此珠非有相非無相。亦未知此珠非珠。師聞深悟師者西天竺国人也。龍猛亦名龍勝。十三祖当時受度伝法。至西印土。彼有太子。名雲自在。仰尊者名請於宮中供養。尊者曰。如来有教。沙門不得親近国王大臣權勢之家。太子曰。今我国城之北有大山焉。山中有一石窟。師可禅。寂于此否。尊者曰。諾。即入彼山行数里。逢一大蟒。尊者直進不顧。蟒来遂盤繞尊者身。尊者因与授三帰依。蟒聴訖而去。尊者将至石窟。復有一老人。素服而出。合掌問訊。尊者曰。汝何所止。老人答曰。我昔嘗為比丘。多楽寂静。隠居山林。有初学比丘。数来請益。而我煩於応答。起瞋恨想。命終墮為蟒身。住是窟中。今已千載。適遇尊者。獲聞戒法。故来謝耳。尊者問曰。此山更有何人居止。曰。此北去十里有大樹。蔭覆五百大龍。其樹王名龍樹。常為龍衆説法。我亦聴受耳。尊者遂与徒衆詣彼。龍樹出迎尊者曰。深山孤寂龍蟒所居。大聖至尊何枉神足。尊者曰。吾非至尊来訪賢者。龍樹黙念曰。此師得決定性明道眼否。是大聖継真乗否。尊者触曰。汝雖心語。吾已意知。但弁出家。何慮吾触聖不聖。龍樹聞已。悔謝出家。尊者即与度触脱。及五百龍衆倶受具戒。然しより尊者に触したがひて四年をふるに。十三祖龍王の触請にをもむきしに。如意珠をたてまつる。触師問曰。此珠世中至宝也乃至師聞深悟す。触終に第十四祖に列す。夫れ龍樹は異道を触学し神通を具す。常に龍宮に行。七仏の経触書を見。その題目を見てすなはち経の心触をしり。よのねつに五百の龍を化す。いは触ゆる難陀龍王・跋難陀龍王等は皆これ等触覚の菩薩也。悉く前仏の付嘱をうけ。諸経触を安置したてまつる。今大師釈尊の経教。触人天すてに化縁つきん時も。悉く龍宮に触をさまるべし。如是大威神ありて。尋常大触龍王と問答往来すといへども。これ真実触の道人にあらず。只是外道を学する耳也。触一度十三祖に帰せしよりこのかた。まさ触に是大明眼也。然るを人人皆おもはく。龍触樹は只是祖門の十四祖なるのみにあら触す。またこれ諸家の祖師たる故に。真言も触是をもて本祖とす。天台も是をもて根本触とす。陰陽蠶養等も是もて根本とす。これ触みなむかし諸芸を習しかども。祖位に列触してのちは捨られし。諸芸弟子われも龍触樹は即本祖なりといへり。是すなはち龍樹なりとおもはん。正邪を混乱して。玉石を弁ぜざる。魔黨畜類なり。たヾ龍樹の仏法。迦那提婆のみすなはち正伝なり。余は皆すてられし諸宗なりと。今の因縁をもてしるべし。五百の龍衆を接化すといへども。猶迦毘摩羅尊者至るとき。出てむかひて礼拝し。こヽろみんとす。尊者しばらく隠密して正宗をあらはさず。龍樹黙念じて曰。是真乗をつげる大聖なりやと。心中にはかりみんとす。祖曰く。但弁出家。何慮吾之不聖。といひしかば。龍樹慚愧して。十三祖につぎ来る。今の因縁をもて明むべし。曰く此珠世中の至宝なり。是珠有相なりや。無相なりや。実に龍樹さきよりしれり。是有相なりとやせん。無相なりとやせん。頗る有無の所見を動執するなり。これによりて祖示云云実にたとひ世間の珠なりといへども。真実を論せん時。これ有相無相にあらず。只これ珠なり。いはんや力士の額にかかる珠。輪王の髻に包みし珠。龍王の珠。酔人衣裏の珠。悉く他の所見にわたらず。有相無相とも弁じがたし。然れども適来の珠は。悉く世間の珠也。全く是道中の至宝にあらず。何況や此の珠又珠にあらざることをしることあたはず。実に精細にすべし。玄沙曰。全体是珠。令誰知。又曰。尽十方世界。是一顆の明珠と。実に是れ人天の所見をもて弁ずべきにあらず。然れともたとひ世間の珠なるも。全く外より来るにあらず。悉く人人の自心より発現し来る。故に天帝釈は是を如意珠宝とも。摩尼珠宝とも受用し来る。病ある時も此の珠をおけば病すなはちいゆ。憂ある時も此の珠を戴だけば憂おのづから除く。神通変現を現することもこの珠による。輪王七宝中に摩尼宝珠あり。一切の珍宝悉くこれより出生す。受用するに無量なり。かくのごとく人天の果報にしたがひて勝劣あり。差別あり。人間の如意珠とは米粒をもなづけたり。是れを珠宝とす。是れ天上の珠に比するに造作建立とす。然も是を呼て珠とす。又如来の舍利仏法滅する時如意宝珠となり。一切をふらし。米粒ともなりて衆生をたすくべし。たとひ仏身と現し。米粒と現じ。万法とあらはれ。一顆と顯はるるとも。自心あらはれて五尺の身となり。三頭の形となり。被毛戴角の形となり。森羅万像品品となる。然も即すべからく彼の心珠を弁ずべし。昔の比丘の如く寂静をねがひ。山林に隠居することなかれ。実に是前来も如是未得道なるあやまりあり。近来も如此未得道なる錯りあり。猶諸人と肩をまじへ参来参去すること。閑静ならざる故に。独り山林に居して。しづかに坐禅行道せんと。かくのごとくいひて。ををく山谷に隠居し。みだりに修錬する類。ををくはもて邪路に趣き来る。ゆへいかんとなれば。其の真実をしらず。徒に自己を先とするゆへなり。又曰。大梅常禅師も鉄塔をいただき。松煙の中に坐す。潙山大円禅師も虎狼をともとして。雲霧の底に修す。我等もかくの如く修習すべしと。実に笑ひぬべし。古人悉く得道して。正師に印記を受け。しばらく道業を純熟せしめん為に。機縁をまつ間た。如是修せしなりと可知。大梅は馬祖の正印を受け。潙山は百丈の伝付をゑし後なり。愚見のおよぶところにあらす。隠山羅山等の古人。いづれも未得道の先に独住せしことなし。徳行を一時にふるひ。名を末代に留る。明眼の大聖得道の真人なり。徒に参ずべきを参ぜず。至るべきに至らず。山谷に居して獼猴の如くならん。もつともこれ無道心の甚しきなり。若し道眼清明ならず。自調修錬する者は声聞円覚となり。虚く敗種の者たらん。いはゆる敗種といふは。やけたるたねなり。仏種を断ず。然るに諸人者子細に叢林に修錬し。長時に知識に参尋して。大事悉く明め。自己まさに明弁しをはり。其後しはらく根を深くし。蔕をかたくせんことは。曩祖の付嘱なりといふとも。殊に此一門の中。永平開山独住を誡めらる。是れ人を邪路に趣むかせじとなり。殊に先師瑩祖初随侍孤雲祖。故曰先師。末又在之二代の示曰。我が弟子は独住すべからず。たとひ得道せりとも叢林に修錬すべし。況やまた参学の輩は一向独住すべからず。是の制に背せん者は吾門葉にあらずと。又円悟禅師曰。古人得旨之後。向深山茆茨石室。折脚鐺兒煮飯喫。十年二十年大忘人世。永謝塵寰。今時不敢望。又黄龍南曰。自ら道を守り。山林に在て老かがまらんより。何そ衆を叢林に引入するにはしかん。近代諸大宗匠みな独住を好まず。況や人の根器ことごとく昔の人よりも劣なり。たた叢林にありて修錬弁道すべし。古人も如此。猶用心疎なるによりて。猥りに寂静を好みしかば。新学の比丘来て請益せしに。可答不答。瞋恚を発しき。実にしりぬ。其の身心未調。知識に離れ。閑居独住せんこと。たとひ龍樹の如く説法すといへども。唯是業報類なるべし。諸人厚植善根なるによりて。正しく如来の正法を聞えたり。いはゆる不親近国王大臣と。独住閑居を好楽せず。ただ道業を精進し。專ら法源を透脱すべし。是れまさに如来の真口訣なり。今日適来の因縁を挙揚するにすなはち卑語あり。要聞麼。
孤光霊廓常無昧 如意摩尼分照来

第十五祖。迦那提婆尊者。
謁龍樹大士。将及門。龍樹知是智人。先遣侍者。以満鉢水。置於座前。尊者覩之。即以一針投。而進之相見。忻然契会師者南天竺国之人也。姓毘舍羅。初求福業。兼楽弁論。龍樹尊者。得法行化到南印度。彼国之人多信福業。聞尊者為説妙法。遞相謂曰。人有福業世間第一。徒言仏性。誰能覩之。龍樹曰。汝欲見仏性。先須除我慢。彼人曰。仏性大小。龍樹曰。仏性非大非小。非広非狹。無福無報。不死不生。彼聞理勝悉迴初心。其中大智恵迦那提婆。謁龍樹大士乃至忻然契会。即分半座居。恰如霊山迦葉。龍樹即為説法。不起於座現月輪相。師謂衆会曰。此是尊者現仏性相。以示我等。何以知之。蓋以無相三昧形如満月。仏性之義廓然虚明。言訖輪相即隠。復居本座而説偈言。身現円月相。以表諸仏体。説法無其形。用弁非声色。如是なる故に。師資わかちがたく。命脈即通。適来因縁これ尋常にあらず。最初に道に合し来る。龍樹も一言の説なく。提婆も一言の問なし。故に師資存じがたく。賓主いかんがたん。是に依て殊に迦那提婆宗風を挙説して。遂に五天竺の間提婆宗といはれし也。いはゆる銀盆盛雪明月蔵鷺如し。如是の故に。最初相見の時すなはち満鉢の水をもて座前におかしむ。あに表裏を存し。内外を存せんや。已に是満鉢終に虧闕なし。亦これ湛水虚明也。通徹して純清也。弥満して霊明なり。故に一針を投じて契会す。須徹底徹頂。正なく偏なし。ここにいたりて師資わかちがたし。類すれども齊きことなく。混ずれとも跡なし。揚眉瞬目をもて此の事を現ぜしめ。見色聞声をもて此のことを表す。故に声色の名づくべきなし。見聞の捨つべきなし。円明無相にして清水の虚廓なるが如し。霊理に通徹し。神鋒を求むる時に似たり。処処鋒を露し来り。明明として心を通じ。もて去る。水も流れ通じて。山を穿ち。天をひたし去り。針もふくろをとをし。芥子をさしもて来る。然も水遂にものの為にやぶれず。あに跡をなすことあらんや。針も他の為にかたきこと金剛にも過たり。恁麼の針水あに是他物にあらんや。即是汝等が身心なり。呑尽の時はただこれ一針なり。吐却の時は又是清水なり。故に師資道通達して。全く是自他なし。故に命脈即通して。まさに廓明なる時。十方におさむべきにあらず。恰も葫蘆藤種葫蘆をまつふが如し。攀来攀去。ただ是自心なるのみなり。然も諸人清水を知得たりとも。子細に覚触して底に針あることを明むべし。もしあやまりて服することあらば。果して咽喉をやぶりきたらん。雖然如是。両般の会をなすことなかれ。只すべからく呑尽吐尽して。子細に思量してみよ。たとひ清白にして虚融なりと覚すとも。まさにこれ廓徹堅固なることあらん。水火風の三災もをかすことなく。成住壊空劫もうつすことなけん。故に這箇の因縁を説破せんとするに。更に卑語あり。大衆要聞麼。
一針釣尽滄溟水 獰龍到処叵蔵身

第十六祖。羅睺羅多尊者。
執侍迦那提婆。聞宿因感悟師者迦毘羅国之人也。所謂宿因といふは。迦那提婆尊者受度行化到迦毘羅国。彼有長者。曰梵摩浄徳。一日園樹生大耳。如菌味甚美。唯長者与第二子羅睺羅多。取而食之。取已随長。尽而復生。自余親属皆不能見。時迦那提婆尊者。知其宿因。遂至其家。長者問其故。尊者曰。汝家昔会供養一比丘。彼比丘然道眼未明。以虚霑信施故報為木菌。惟汝与子精誠供養得以亨之。余即否矣。又問。長者年多少。答曰。七十有九。尊者乃説偈曰。入道不通理。復身還信施。汝年八十一。此樹不生耳。長者聞偈。弥加歎伏。且曰。弟子衰老。不能事師。願捨次子。随師出家。尊者曰。昔如来記此子。当第二五百年為大教主。今之相遇。蓋符宿因。即剃髮列第十六祖。古今学道人無慚無愧にして。徒に清流にまじはり。無知無分にして。空しく信施を受るを諫るに。多く此因縁を引来る。実にこれによりてはづべし。比丘として家を捨て道にいりぬ。居処も是吾地にあらず。食法全く是我物にあらず。衣服も全く我わざにあらず。一滴水・一莖草。すべて是受用すべきものにあらず。ゆへいかんとなれば。汝諸人悉皆国土にはらまる。一天下・国土上。悉く是国王の水土にあらすといふことなし。然るに家にあれは親につかへ。国に侍べれば君につかふまつる。如是なる時。天地加護ありて。自ら陰陽のめくみをうく。然もなまじひに仏法をねがはんと号して。可仕親にも仕へず。つかふまつべき君にもつかふまつらず。なにをもてか父母生成の恩を報じ。なにをもてか国王水土の恩を報ぜんや。道に入りて道眼なからん。恰かも国賊といひつべし。既に棄恩入無為。三界を出といふ。然も出家してより後。父母をも礼せず。国王をも礼せず。已に形を仏子にかり。身を清流にやどす。たとひ妻子の施す所を受と云とも。全く是世俗にありてうけんには同ふせず。悉く是信施にあらずといふことなし。然も古人曰。道眼未明。一粒をも咬破しがたし。もし道眼清明なる時。たとひ虚空を鉢にして。須弥を飯として。日日夜夜受来るとも。是信施にまくることあらず。然るに道眼の具足と不具足と顧りみず。猥りに僧となりては人の供養を受来らんとおもひ。供養すくなければ徒に人倫にのぞむ。をもふべし。汝等家をすて郷をはなれし時。一粒の蓄へなく。一絲をもかけず。孤露にして遊行す。只道眼の為に身をまかせ。法の為に命をすつべし。あに最初発心。徒に名利の為衣食の為にせんや。然れば人人問ふに及ばず。但自己最初の発心を顧みて。自ら是処をかへりみ。又不是処をかへりみよ。故にいふ。終りをつつしむこと始の如くすることかたしと。実に初心の如くせんに。誰か道人にならざらん。是によりてみな僧となり。比丘尼となるといへども。徒に国賊となるのみなり。何以むかしの比丘は道眼未明といへども。修行退転なきによりて。是を報ずる故に木菌ともなれり。今の比丘の如きんば。一生已にをはらん時。閻老汝を許すことあたはず。今の粥飯は或は鉄湯となり。あるひは鉄丸となりて。是を呑ん時身心紅爛しもて行くことあらん。然も雲峯悦禅師曰。不見祖師道入道不通理。復身還信施。此是決定底事。終不虚也。諸上座光陰可惜時不待人。莫待一朝眼光落地。緇田無一箕功。鉄圍陷百刑之痛。莫言不道。諸人者幸に辱く如来の正法輪にあへり。市中に虎にあはんよりも稀なり。優曇華一現するよりもまれなるへし。子細に用心し。子細に参学して。須く道眼清明なるべし。不見今日の因縁を。有情といひ無情といひ。依報とわかち正報とわかつことなかれ。まさに前生の比丘。今日木菌となれり。木菌の時も我これ比丘となれりとしらず。比丘の時も我是万法とあらはれたりとしらず。然れば今有情にして少く覚知あり。いささか痛痒を弁ずといへども。木菌と殊なることなし。ゆへいかんとなれば。木菌の汝をしらざること。あに是無明にあらざらんや。汝が木菌をしらざることも。全くもてをなじ。是によりて有情無情のへだてあり。依報正報のしなあり。若し自己を明たん時。何をか有情といひ。なにをか無情といはん。古来今にあらず。根境識にあらず。能断なく所断なく。自作なく他作なく。大子細に参徹して。身心脱落して見べし。徒に僧形となるに誇り。乱りに塵家を出しに止まること勿れ。設ひ水難をのがるといへども。火難にわづらひぬべし。たとひ塵労をやぶり去るとも。仏にありても又免れがたし。何に況や如是ならざらん。人の物にしたがひ他に迷ふ。軽毛のごとく浮塵に同くして。東西に馳走し。朝野に昇降して。足実地をふまず。心実処に到らざらん類。只一生を賺過するのみに非ず。亦累世を虚く過しもてゆかん。しらずや昔しより今に及ぶまで。会て相あやまらず。会てへだてなきことを。汝未知有故に。徒に浮塵となる。今日若し尽却せずんば。何れの時をかまたん。適来因縁をのべんとするに。卑語。要聞麼。
惜哉道眼不清白 惑自酬他報未休

第十七祖。僧伽難提尊者。
因羅睺羅多以偈示曰。我已無我故。汝須見我我。汝既師我故。知我非我我。師聞心意豁然即求度脱師者室羅筏城。宝荘厳王之子也。生而能言。常讃仏事。七歳即厭世楽。以偈告其父母曰。稽首大慈父。和南骨血母。我今欲出家。幸願哀愍故。父母固止之。遂終日不食。乃許其在家出家。号僧伽難提。復命沙門禅利多為之師。積十九載未会退倦。師毎自念言。身居王宮。胡為出家。一夕天光下。偶見一路坦平。不覚徐行。約十里許至大巌前。有石窟。乃燕寂于中。父王既失子即擯禅利多。出国訪尋其子。不知所在。経十年。羅睺羅多尊者。行化到室羅筏城。有河名曰金水。其味殊美。中流復現五仏影。尊者告衆曰。此河之源凡五百里。有聖者僧伽難提。居於彼処。仏記一千年後当紹聖位。語已領諸学衆。沂流而上。至彼見僧伽難提。安坐入定。尊者与衆伺之。経三七日方従定起。尊者問曰。汝身定耶心定耶。師曰。身心倶定。尊者曰。身心倶定何有出入。実に身心もし。定なりといはば何有出入。もし身心に向て定を修せば。是なを真定にあらず。もし真定にあらずんば即是出入あらん。もし出入あらばこれ定にあらずといふべし。定のところに向て身心をもとむることなかれ。参禅は本より身心脱落なり。何にを呼てか身とし。なにをよんでかとせん。師曰。雖有出入。不失定相。如金在井。金体常寂。尊者曰。若金在井。若金出井。金無動静何物出入。其金に動静あり。出処あり入処あらば。これ真金にあらず。然も猶此道理に通ぜず。師曰。言金動静何物出入。許金出入。金非動静。金に動静なし。出入ありといはば猶是両箇の見あり。故に尊者曰。若し金在井出者非金。若金出井在者何物外終に放入せず。内亦放出せず。いづればいで尽き。いればいり尽く。何そ井にあり。又井を出。故に出者非金。在者何物ぞといふなり。この理に達せず。師曰。金若出井在者非金。若在井非出物。此言実に金の性をしらず。故に尊者曰。此義不然。実に定にありて理を通するに似たりといへども。師猶物我の見あり。故に曰。彼理非著。然もこの義真実なし。軽毛の風にしたがふが如し。真実ならざるゆへに。尊者曰。此義当墮。師の言によりていふ。師曰。彼の義不成。尊者大慈大悲の深きによりて。重て曰。彼の義不成我義成矣。然れどもみだりに無我を解する故に。師曰。我義雖成法非我故。尊者曰。我義已成。我無我故に。実に法法皆無我なることをしるといへども。なをこれ真実をしらず。師曰。我無我故に。復成何義。したしく汝をしらしめんとして。尊者曰。我無我故に成汝義。実に四大悉く我にあらず。五蘊もとより有にあらず。如是無我なるところに我あることを。すこしく思量分別し。わきまゑる故に。師問曰。仁者師於何聖得是無我。師資の道猥ならざることをしらしめん為に。尊者曰。我師迦那提婆大士。証是無我。師曰。稽首提婆師。而出於仁者。仁者無我故。我欲師仁者。尊者答曰。我已無我故。汝須見我我。汝若師我故。知我非我我。実に夫れ真実我を見得する人は自己なを存せず。あに万法の眼にさへぎることを得んや。見聞覚知終にわかたず。一事一法更にわかつことなし。故に聖凡へだてなく。師資道合す。この道理を見得する時。すなはち仏祖相見すとす。故に自己をもて師とし。師をもて自己とす。刀斧斫どもひらけず。恁麼の道理豁然としてかなふ故に。即求度脱。尊者曰。汝心自在。非我所繋語已。尊者即以右手金鉢。挙至梵宮。取彼香飯将齋大衆。而大衆忽生厭悪之心。尊者曰。非我之咎。汝等自業也。即命僧伽難提。分座同食。衆訝之。尊者曰。汝不得食。皆由此故当知与吾分座者。即過去娑羅樹王如来也。愍物降迹。汝輩亦荘厳劫中已至三果未証無漏者也。衆曰。我師神力斯可信矣。彼云過去仏者即竊疑焉。師知衆生慢。乃曰。世尊在日世界平正。無有丘陵。江河溝洫水悉甘美。草木滋茂国土豐盈。無八苦。行十善。自雙樹示滅八百余年。世界丘墟樹木枯悴。人無至信。正念軽微。不信真如。唯愛神力言訖。以右手漸展入地。至金剛輪際取甘露水。以瑠璃器持至会所。大衆皆見皆帰伏悔過す。かなしむべし。如来在世より八百年尚を如是。何況や後百歳の今。わづか仏法の名字を聞くとも。道理いかなるべしともわきまへず。いたれる身心なき故に。いかなるべきぞとたづぬる人なし。いささかその道理を得ることあれども。護持し来ることなし。たとひ知識ありて。大慈大悲の教誡によりて。いささか覚知覚了ありといへども。或は懈怠にをかされて真実の信解なし。故に真実の道人なければ。真実発心する者なし。実に末世の澆運。宿業のつたなきによりて。如此の時分にあへり。愧ても悔ても余りあり。然も諸人者正法像法に生ず。師としても資としても可悲といへども。思ふべし。仏法東漸して。末法に至りて。我朝如来の正法をきくこと。わづかに五六十年也。這の事初めなりといひつべし。仏法いたるところに興らずといふことなし。汝等が勇猛精進にして志を発し。吾我を吾我とせず。直に無我を証し。速に無心なることをゑて。身心の作に拘ることなく。迷悟の情に封ぜらるることなく。生死窟に留ることなく。生仏のつなにむすぶることなく。無量劫来尽未来際。会て変易せざる我あることをしるべし。著語に曰、
心機宛転称心相 我我幾分面目来

第十八祖。伽耶舍多尊者。
執侍僧伽難提尊者。有時聞風吹殿銅鈴声。尊者問師曰。鈴鳴耶風鳴耶。師曰。非風非鈴。我心鳴耳。尊者曰。心復誰乎。師曰。倶寂静故。尊者曰。善哉善哉。継吾道者非子而誰。即付法蔵師者摩提国人也。姓欝頭籃。父天蓋母方聖。嘗夢大神持鑑。因而有娠。凡七日而誕。肌体瑩如瑠璃。未嘗洗浴自然香潔也。生時より一円鑑ありて現ず。尋常此の童子にとものふ。童子常に閑静を好む。都て世縁に染ず。所謂此の円鑑。童子坐する時は面前にあり。古今の仏事。都て此の鑑に浮はずと云ことなし。恰も聖教によりて照心するよりも猶明かなり。童子若し去る時は。此の鑑後ろにしたがふこと円光の如し。然も童形かくれず。童子臥すときは。此鑑床の上に天蓋の如くにしておほへり。すべて行住坐臥。この鑑あひ随がはずといふことなし。しかるに僧伽難提尊者。行化して到摩提国。忽有凉風襲衆。身心悦適非常。而不知其然。尊者曰。此道徳風也。当有聖者出世嗣続祖灯乎。言訖以神力攝諸大衆遊歴山谷。食頃至一峯下。謂衆曰。此峯頂有紫雲如蓋。聖人居之矣。即与大衆徘徊久之。見山舍一童子持円鑑。直造尊者前。尊者問曰。汝幾歳耶。曰。百歳。尊者曰。汝年尚幼。何言百歳。曰。我不会理。正百歳耳。尊者曰。汝善機耶。曰。仏言。若人生百歳不会諸仏機。未若生一日而得決了之。尊者曰。汝手中者当何所表。童子曰。諸仏之大円鑑。内外無瑕翳。両人同得見。心眼皆相似。父母聞子語。即捨令出家。尊者携至本処。受具戒訖名伽耶舍多。有時聞風吹殿銅鈴声乃至即付法蔵終列十八祖。彼の円鑑童子出家せし時忽然としてみへず。実にそれ人人一段の光明。今円鑑の内外瑕翳なきが如し。悉皆相似たり。かの童子うまれてより此の方。常に仏事をほめ俗事に混ぜず。明鑑対し古今の仏事を看見す。真に心眼皆相似たることをしるといへども。なほおもふに諸仏の機を会せず。故に百歳といふ。假ひ一日なりといへども。若し諸仏の機を会せんが如きんば。ただ百歳をこゆるのみにあらず。無量の生をもこゆべし。此の故に終に円鑑をすつ。実にこれ諸仏一大事因縁。ゆるかせにせす。たやすからざること此の因縁にてもしるべし。実に諸仏の大円鑑を解会す。のこるところあるべけんや。然れともなほ是れ真実底にあらず。更に何ぞ諸仏の大円鑑あるべき。又何ぞ両人同得すべきかあらん。又何の内外瑕翳なきかあらん。なにを呼でか瑕翳とせん。心眼とは何ぞ。あにあひ似たるべけんや。ゆへに円鑑を失す。あに是童子の皮肉を失するにあらずや。然もたとひ所見今の如く。心眼あひへだたらず。両人同得見と会すとも。真箇これ両箇の所見なり。更に真自己を明むる底にあらず。然れば汝諸人円相の所見をなすことなかれ。身の相をなすことなかれ。大ひに須く子細に参徹して。急に依報正報一時に破烈し。自己又不了なることをうべし。若し此の田地にいたらずんば。ただ是業報の衆生未だ諸仏の機を会せるにあらず。如斯懺悔礼謝し。遂に出家受具して。後に僧伽難提に執侍して年をおくる。有時聞風吹殿銅鈴声。尊者問師曰。鈴鳴耶風鳴耶云云この因縁実に子細にすべし。尊者遂に鈴をみず風をみずとも。更にこのなに事をしらしめん故に。恁麼に鈴鳴耶風鳴耶と問ふ。是れなに事ぞ。風鈴をもて解会すべからず。尋常の風鈴にあらず。即堂殿角にかけたる鈴なり。鈴鐸といふ。今南都堂閣寺に悉く皆かけ来れり。此れをもて人家と堂舍と弁別す。北京となりてよりはじめつかたは。堂舍に鈴鐸をかくといへども。近代は土風すたれて義なし。然れども西天の義も如是。この鈴鐸を風の吹く時。此の公案ありき。然も師答て曰。非風非鈴。我心鳴耳と。実に知ぬ。すべて一塵の辺表を出し来ることなし。これによりて非風鳴非鈴鳴。また鳴と思へば即ち鳴なりと。恁麼の所見もなほ是心倶に寂静にあらず。これによりてすなはち曰。わが心なるなりと。この因縁をききて人皆邪解。必しも風の鳴にあらす。唯心鳴と覚ゆと。故に伽耶舍多如是いふと。若天真天然として一切発せざらん時。豈鈴鳴に非ずともいふべけんや。故に我心鳴也と。伽耶舍多より六祖にいたるまで。時代はるかにへだたれり。然れども更にへだたらず。故に風幡動にあらず。仁者心動なりといふ。今汝諸人も其の心地徹通する時。三世もとよりへだたらず。証契古今に連綿たり。何の同異を弁ぜん。尋常の所見に弁ずることなかれ。風鳴にあらず。鈴鳴にあらざるをもて。始めてしるべし。此のなに事をしらんとおもはば。すべからく我心鳴なりとしるべし。その鳴姿は。山の突兀と高く。海の平沈と深きが如し。草木森森たるも。人人眼目の分明なるも。心のなるすがたなり。然れば声の鳴るとおもふべからず。声も又心のなるなり。四大五蘊一切万法。都盧皆これ心鳴なり。此の心すべてならざる時なし。故に遂にひびきをおびず。更に又耳をもてきかるるにあらず。耳これ鳴が故にいふ。倶に寂静と恁麼に見得する時。すべて万法出頭のところなし。故に山の形なく。海の形なし。更に一法の形貎を帯するなし。恰も夢に蘭舟を浮べ滄溟に行が如し。竿をあげて波瀾をわかつも。舟を留めて水勢をそらんずるも。うかぶ空なく。しづむ底なし。更に何の山海の外に立すべきかあらん。更に何の自己の船中に游戲するかあらん。故に恁麼に指説す。眼あれども聞くことなく。耳あれども見ることなし。故に六根互融すといふべからず。六根の帯すべきなし。故に倶に寂静なり。とらんとするに六根なく。すてんとするに六根なし。根塵ともに脱し。心境ふたつながらともに忘ず。子細に見れば脱すべき根塵なく。泯ずべき心境なし。真箇寂寂にして同異の論にあらず。内外の情にあらず。実に恁麼の田地にいたる時。即諸仏の法蔵を受持して。正に仏祖の位に排列す。若しかくの如くならずんは。たとい万法不錯と会すとも。猶是自己を存し。他を談じて。遂に法法隔歴す。もし隔歴せば。何ぞ仏祖に即通せん。恰も空裏に界墻をつくが如し。空あにさゆべけんや。自ら界障をなすのみなり。若し界畔一度やぶる時。なにを内外とせん。ここにいたりて釈迦老子も始めにあらず。汝諸人も又をはりにあらず。すべて諸仏の面目なく。諸人の形貎なし。如斯なる時。恰も清水波濤をなすが如く。仏祖出興しもてゆく。これ増にあらず。減にあらずといへども。水流れ浪激しもてゆかん。然れば子細に参徹して。恁麼の田地に至りうべし。曠劫以来及未来永際。且く界畔をなして三世を排列すといへども。総に従劫至劫唯如是。這箇明白の本性を会得せんに。皮肉をもてわづらひ。身の動静をもてわきもふべきにあらず。すべて此の田地。身心をもてしるべきにあらず。動静をもてわきもふべきにあらず。子細に参徹し。自休自歇し。自ら承当して始めてうべし。若し恁麼に明めずんば。徒に十二時中。身心を擔ひ持きたらん。恰も重擔を肩にをくが如く。身心遂にやすかるべからず。若し身心を放下して。心地空廓廓地にして。尤も平生なることをゑん。雖然如是。適来の因縁心鳴るところを道得して明らめゑずんば。諸仏の出興をもしらず。衆生の成道をもしらず。故に心鳴を道得せんに。卑語を付んと思ふ。要聞麼。
寂寞心鳴響万樣 僧伽伽耶及風鈴

第十九祖。鳩摩羅多尊者。
因伽耶舍多尊者示曰。昔世尊記曰。吾滅後一千年有大士。出現於月支国紹隆玄化。今汝値吾。応斯嘉運。師聞発宿命智師者月支国之人也。姓婆羅門。昔為自在天人欲界第六天見菩薩瓔珞。忽起愛心。墮生忉利欲界第二天聞憍尸迦説般若波羅蜜多。以法勝。故昇于梵天色界以根利故善説法要。諸天尊為導師。以継祖位時至遂降月支。十八祖化度到月支国。見一婆羅門舍有異氣。尊者将入彼舍。師問曰。師是何徒。尊者曰。是仏弟子。師聞仏号。心神竦然即時閉戸。尊者良久扣其門。師曰。此舍無人。尊者曰。答無者誰。師聞語知是異人。遽開関延接。尊者曰。昔世尊記曰乃至発宿命智。此因縁須く子細にすべし。名字道を明らめ。若しは生死去来真実の人体と明むとも。自己本性の虚明霊廓なることを明らめずんば。諸仏の所証をしらず。故に菩薩の放光を見ておどろき。諸仏の相好を見ても愛すべし。ゆへいかんとなれば。貪瞋癡等の三毒未だまぬかれざる故に。今師の往因をみるに。愛によりて退墮して忉利天に下る。然も宿因によりて帝釈の説法にあふて梵天に昇り。月支国に降生す。積功累徳空しからず。終に十八祖にあふて宿命智を発す。いはゆる宿命智といふは。尋常過去をしり未来をしることと思へり。是れ何にかせん。ただ本来不変の自性。聖凡なく迷なきことを看得すれば。百千の法門。無量の妙義。総に心源にあり。故に衆生顛倒も諸仏成道も。自己方寸の中にあり。全く根塵の法にあらず。心境の相にあらず。ここにいたりてなにをか古とし。なにをか今とせん。何れか是諸仏。何れか是衆生。一法の眼に遮るなく。一塵の手にふるるなし。但虚明一片にして。廓落無際なるのみなり。即久遠実成の如来。不昧本来の衆生也。如是悟りしる時も増さず。如是しらざる時も減ぜず。久遠劫来恁麼也と覚触するを。宿命智を発すといふ。もし此の田地にいたらずんば。徒に迷悟の性情にみだされ。去来の相に移され。遂に自己ある事をしらず。本心あやまらざることを明らめず。故に諸仏をしてわづらはしく出世せしめ。祖師をしてはるかに西来せしむ。出世の本懷西来の本意。只此の事の為也。更に他事にあらず。須く低細用心して。霊霊として不昧。明明として不蔵なる事をしるべし。本来一段の光明ある事をしるを宿命智といふ也。今日又卑語あり。いささか些子の理を通ぜんとおもふ。大衆要聞麼。
推倒宿生隔歴身 而今相見旧時漢

第二十祖。闍夜多尊者。
因十九祖示曰。汝雖已信三業。而未明業従惑生。惑因識有。識依不覚不覚依心。心本清浄。無生滅。無造作。無報応。無勝負。寂寂然霊霊然。汝若入此法門可与諸仏同矣。一切善悪有為無為皆如夢幻。師聞承言領旨。即発宿恵師者北天竺国之人也。智恵淵沖化導無量。当時中印度逢十九祖問曰。我家父母素信三宝。而嘗縈疾瘵。凡所営作皆不如意。而我隣家久為旃陀羅行。身常勇健所作和合。彼何幸而我何辜。尊者曰。何足疑乎。且善悪之報有三時焉。凡人恒見仁夭暴寿逆吉義凶。便謂亡因果虚罪福。殊不知影響相随毫釐靡惑。縦経百千万劫。亦不磨滅。因縁必相値。時師聞是語已。頓釈所疑。尊者曰。汝雖已信三業乃至即発宿恵。上来の因縁実に学人として一一精細に見得すべし。いはゆる素信三宝。而嘗縈疾瘵。凡所営作皆不如意。而我隣家久為旃陀羅行。而身常勇健所作和合すと。ここにいたりておもふ。われ仏法に帰依して年久し。仏法のちからによりて其身つねに無恙。其事心にかなふべきに。悉く心にかなはず。身又病にまどわる。是何の罪ぞ。旃陀羅もとより悪事を行ず。すべて善種を修せず。然るに事にふるること吉祥にして身勇健なり。これ何の幸かあると。今人も如是おもへり。出家猶是の心あり。況や在家は皆如是。いはく汝何ぞ疑ふにたらん。しばらく善悪の報に三時あり。おほよそ人の仁ある者中夭あり。卒暴なる者寿命ながし。逆罪するも吉祥也。義ふかき者凶悪なるをみて。過去をも明らめず。未来をも会せず。ただ眼前の境にまとはされて。即因果なし罪福空ししとおもふ。是すなはち愚癡のはなはだしき也。学道おろかなるゆへ如是也。三業とは。一順現業。今生善悪業を修するに。即一生涯の中に報を受。是順現業となぞく。二順次生受業。今生業を修して次の生に果報を受く。五逆七遮等は必す順次生に報をうく。三順後業。今生業因を修して。次の三生四生乃至無量生の間に業果を受く。然れば過去の善業によりて。今生の善を受くといへども。或ひは往業によりて今果不同なり。いはゆる純善悪業因の者は。今生純善悪業果を感ず。雜善悪業の者は。雜善悪業を受る也。又仏法修行の力ら転重受転。転軽今はなからしむる也。曰く過去劫の悪因未来に重苦感得すべきが。今生修行の力らによりてかろく受ることあり。或ひは病にまつはれ。あるひは事として心にかなはず。或ひは言を出せば人にかろしめらる。是悉く未来の重苦を今生に軽く受る也。然れば仏法修行の力らいよいよたのみあるべし。過去遠遠に修せし報は。ただ勇猛精進せば悉皆かるからしむべし。然も参学の人として随分道を解すといへども。或ひは悪名をうけ。或ひは営作心にかなはず。身も勇健ならざる事あり。即転重受軽とおもふて。人ありて憎悪すとも。会てうらむることなかれ。人ありて謗毀すとも。会てとがむることなかれ。彼の謗人あまつさい敬礼することはありとも。厭悪することなかれ。道業日日に増長し。宿業時時に消滅す。然も須く子細に参得修行すべし。汝既に三業を信ずといへども。未た業の根本をしらず。業といふは善悪の報わかれ。凡聖のしな異也。三界六道・四生九有。ならびに業報なり。此の業は迷より発す。夫れ迷といふは憎愛すべからざるを憎愛し。是非すべからざるを是非す。其の惑といふは。男にあらざるを男と知り。女にあらざるを女としり。自をわかち他をへだつ。其の不覚と云は。自己の根源をしらず。万法の生処をしらず。一切処に智恵をうしなふ。これを無明と名く。これは思慮なく縁塵なし。是の心本清浄にして。余縁にそむくことなし。此の心の一変するを不覚といふ。此の不覚を覚知すれば。自己心本清浄なり。自性霊明なり。如是明らめ得れば。無明即やぶれて。十二輪転終に空し。四生六道速に亡ず。人人本心如是し。故に生滅のへだてなく。造作の品なし。故に憎なく愛なく。増なく減なし。ただ寂寂然たり。霊霊然たり。諸人者本心を見得せんとおもはば。万事を放下し。諸縁を休息して。善悪を思はず。しばらく鼻端に眼をかけて。本心に向ひてみよ。一心寂なる時。諸相みな尽く。其の根本の無明既にやぶるる。故に枝葉業報すなはち存せず。故に無分別の処にとどこほらず。不思量の際に拘らず。常住にあらず。無常にあらず。無明あるにあらず。清浄なるにあらず。諸仏のへだてなく。衆生のわかちなし。清白円明の田地にいたりて。始て本色の衲僧たるべし。若如是ならば。諸仏とおなじかるべし。ここにいたりて一切有為無為。皆つきて夢幻の如し。とらんとすれども手虚しく。見んとすれども目拘はることなし。此の田地にいたりぬれば。諸仏も未た出世せざる旨を明らめ。衆生も未た顛倒せざる処に達す。参学未た此の田地にいたらずんば。十二時中礼仏し。四威儀中に身心を調るとも。唯是人天の勝果。有漏の業報なり。影の形に随ふが如し。有といへども実にあらず。故に人人精彩をつけて本心を明らめよ。例によりて卑語をつく。要聞麼。
豫章従来生空裏 枝葉根莖雲外榮

第二十一祖。婆修盤頭尊者。
因二十祖曰。我不求道亦不顛倒。我不礼仏亦不軽慢。我不長坐亦不懈怠。我不一食亦不雜食。我不知足亦不貪欲。心無所求。名之曰道。時師聞已発無漏智師者羅閲城人也。姓毘舍佉。父光蓋。母厳一。家富而無子。父母祷千仏塔而求嗣焉。一夕母夢呑明暗二珠。覚而有孕。経七日有一羅漢。名賢衆。至其家。光蓋設礼。賢衆端坐受之。厳一出拝。賢衆避席曰。迴礼法身大士。光蓋罔測其由。遂取一宝珠。跪獻賢衆。試其真僞。賢衆即受之。殊無遜謝。光蓋不能忍。問曰。我是丈夫致礼不顧。我妻何徳尊者避之。賢衆曰。我受礼。納珠貴福汝耳。汝婦懷聖子。生当為世灯恵日。故避之。非重女人也。賢衆又曰。汝婦当生二子。一名婆修盤頭。則吾所尊者也。二名芻尼此云野鵲子昔如来在雪山修道。芻尼巣頂上。仏既成道。芻尼受報為那提国王。仏記曰。汝至第二五百年。生羅閲城毘舍佉家。与聖同胞。今無爽矣。後一月果産二子。尊者婆修盤頭。年至十五礼光度羅漢出家。咸毘婆訶菩薩与之授戒。然二十祖闍夜多尊者。行化至羅閲城。敷揚頓教。彼有学衆。唯尚弁論。為之首者名婆修盤頭此云遍行常一食不臥。六時礼仏。清浄無欲。為衆所帰。尊者将欲度之。先問彼衆曰。此遍行頭陀能修梵行。可得仏道乎。衆曰。我師精進。何故不可。尊者曰。汝師与道遠矣。設苦行歴於塵劫。皆虚妄之本也。衆曰。尊者蘊何徳行而譏我師。尊者曰。我不求道乃至発無漏智。歓喜讃歎。尊者又語彼衆曰。会吾語否。吾所以然者。為其求道心切。夫絃急即断故吾不讃。令其住安楽地入諸仏智。この因縁殊にこれ学道のもつとも秘訣なり。ゆへいかんとなれば。仏の成ずべきあり。道のうへきありとおもふて。あるひは持齋梵行。長坐不臥。礼仏転経して。一切の功徳をかさねて。この得道のためにせんと。悉これ華なき空に華をふらし。穴なきところに穴を生ず。たとひ塵劫微塵劫をふるとも。解脱の分なからん。まさにとかく心にねがふところなき。これをなづけて道といふ。然れば欲知足かへりて貪欲の本なり。かならず長坐をこのむも。これ身にとどこほるとがあり。一食ならんとする。これまた見食の分あり。また礼仏転経せんとする。これすなはち眼に華を生ず。故に一一の行業殊にこれ虚妄の本。またく自己本分の事にあらず。長坐もし道なるべくんば。生る時みな十月坐し来る。これすなはち道なるべし。何ぞふたたびもとめん。持齋もし道なるべくんば。ここに病することあらんとき。食時さだまらず。このときこれ道人ならざるべきか。もつとも大にわらふべし。仏弟子樣樣の清規をたて。仏祖の操行を示すことかくのごとし。然るを執して偏ならは却て煩悩なるべし。然も生死去来をいとひ。さらに道をもとむべくんば。汝無始よりいまに死此生彼断ずべからず。いづれのところにか道をうる時節とせん。然もかくの如く諸事にかかはりて。すなはち道をもとめんとおもふ。ことごとくこれあやまりて会するなるべし。さらに何の仏の成ずべきをかみん。何の衆生の迷べきをかみん。ゆへに一人として迷ふ人なく。一法として悟るべき法なし。このゆへに迷を転じて悟となし。凡を転じて聖となすといふも。悉く皆な未悟の人の言なり。さらに何の凡の転ずべきかあらん。何の迷のさとるべきかあらん。ゆへに夾山和尚曰。明明無悟法。悟法却迷人。長舒両脚睡。無僞亦無真。実にこれ道の体かくのごとし。雖然如是。初機後学子細に参じ。かくのごとく平穩の地にいたるべし。ゆへいかんとなれば。自己もし実地するところなければ。或は人の言によりて惑はさる。ゆへに眼をあげて見んと思。仏魔のためにおかさる。今日たとへ如是の所説を聞て。尤うべき所ろなしと解すと云とも。更に或は知識ありて。法の得べきありとも説き。もし仏魔来つて更に修すべき法ありといはば。果して心覚動しかゑつて顛倒せん。今諸仏の正訓をうけ。子細に参徹して。須らく自己安楽の地に至るべし。一度安楽の処ろに至る如き。人は恰も食に飽る人の如し。王膳なりと云ふとも。すなはち希望すべからず。故に云ふ。美食飽人の喫するにあたらず。古人の云く。一度煩らひてやがて安しと。子細に見来んに。自己本分の心仏を見ず。衆生をみず。あに迷と厭ひ悟と求むべけんや。その人をして直に見せしめんとして。祖師西来よりこのかた。有智無智をいわず。旧学新学をいわず。一片に端坐せしめて。自己に安住せしむ。すなはちこれ大安楽の法門なり。ゆへに諸人者曠劫よりこのかた今日にいたるまで。錯まらざるを錯りと思へり。徒らに他人門上の霜をのみ管して。自己屋裡の宝を忘ることなかれ。故にいま親友まさに汝等相あへり。遙に成道を他日に期することなかれ。只須く衲衣をひるがへし。まさに自己方寸の中に向つて。子細に検点将来して。須く他に向つて求むべからず。もし如是ならば。百千の法門も無辺の仏事も。悉く是れより流出し。蓋天蓋地し以て行かん。切に忌む道を求むることを。只自己を保任すべきのみなり。曠劫より以来た。将来り将去り。片時もはなるることなしと云ふとも。すべて自己あることを知らずんば。あだかも手に持ちながら。東西に求るがごとし。これ幾の錯とかせん。是只自己を忘れたるのみ。今日委悉に見来るに。諸仏の妙道も。祖師の単伝も。ただこの一事にあり。あへて疑ふべからす。諸人恁麼の地に至らんとき。あへて天下の老和尚の舌頭を疑はざるべし。上にいふ。聞已て無漏智を発す。無漏地を発せんとおもはば。ただすべからく自己を保任すべし。もし自己を保任せんと思はば。生より老に至る。ただこれ這箇なりと知ん。すべて一塵のすつべきなく。一法のもるべきなし。更に別に無漏智を発せんと思ふことなかれ。今日例によりて卑語あり。適来の因縁を演んと思ふ。要聞麼。
風過大虚雲出岫 道情世事都無管

第二十二祖。摩拏羅尊者。
問婆修盤頭曰。何物即是諸仏菩提。尊者曰。心本性即是。師又曰。如何是心本性。尊者曰。十八界空是。師聞開悟師者那提国常自在王之子也。年三十遇婆修祖師。婆修盤頭行化到那提国。彼王名常自在。有二子。一名摩訶羅。次名摩拏羅。王問尊者曰。羅閲土風与此何異。尊者曰。彼土会三仏出世。今王国有二師化導。曰二師者誰。尊者曰。仏記。第二五百年有一神力大士。出家継聖。即王之次子。摩拏羅是其一也。吾雖徳薄敢当其一。王曰。誠如尊者所言当捨此子作沙門。尊者曰。善哉大王。能遵仏旨。即与受具。それよりこのかた婆修盤頭に給士す。有時問曰。何物是諸仏菩提。尊者曰。心本性即是也。実に学道の最初にとふべきは。即はちこの問なり。いはゆる菩提といふは道なり。ゆへにこの問の意は。如何是道ととふなり。今人虚心にして法をとふことなく。初心にして師に参ぜざるゆへにこの問なし。もし真実の道念あらん時。しかあるべからず。先づ問べし。如何是仏と。次に問べし。如何是仏道と。ゆへに今この問あり。しかるに示して曰。心の本性是なりと。なをこころざし二つなく。毫髮のたくはえなきによりて。すなはち問。如何是心の本性と。答曰。十八界空是なりと。時にすなはち開悟す。夫れ仏といふは即心の本性なり。本性終に知不得見不得。まさにこれ無上道なり。然れば心かたちなく立処なし。なにいはんや仏といひ道といふ。みなこれしひてなづけ来るゆへに。仏も覚知にあらず。道も所修にあらず。心も識知にあらず。この田地境なく根なく。識いづれのところにか立せん。ゆへにいふ十八界空是と。然れば這箇の田地心境と論ずること勿れ。識知とわきまへることなかれ。ここにいたりて諸仏卒にかたちをあらはさず。妙道また修持をもちひず。然も見聞覚知はたとひこれ蹤跡なしといへども。声色動搖また界畔あるべきにあらず。ゆへにいふすなはち是即見聞非見聞。更声色無可呈君。此中若了全無事。体用何妨。分不分と実にこれ声は宮商角徴の解をなすことなかれ。色は青黄赤白の会をなすことなかれ。見は眼光の縁とすることなかれ。聞は耳根なりとおもふことなかれ。人人すべて眼の色に対するなく。耳の声に待するなし。若耳の声に類するあり。眼色を縁するありといはば。これ声にもあきらかならず。また眼にもくらし。ゆへいかんとなれば。もし所対の法ありといひ。所待の物ありといはば。声あに耳にいり。色あにまなこにみんや。ゆへに空の空に合し。水の水に合するがことくならずんは。きくことも断へず。みることもたへじ。不爾ゆへにまなこは色に通じ。耳は声に通ず。和融してへだてなく。混合して蹤跡なし。かくのごとくなるゆへに。たとひ天をひびかし。地を響かす声なりといへども。わづかに方寸の耳にいる。あに極大同小にあらずや。そづかに方寸のまなこをもて尽界をてらす。あに極小同大にあらずや。あにまなこの色なるにあらずや。また声の耳なるにあらずや。かくのごとく知てかくのごとくわきまふる。此心界畔辺表なし。ゆへにまなこもとよりうることなし。色もわかつことをゑず。この参科これみな空なるにあらずや。ゆへにこの田地にいたる時。声ととくもゑたり。眼と説もゑたり。識ととくもゑたり。恁麼も得たり。不恁麼も得たり。恁麼不恁麼総ゑたり。繊塵の外より来るなく。毫末のへだてもてゆくなし。ゆへに声ととくときは聴説声中に弁別し。色ととく時は能所色中に安排す。更に分外底なし。然るを諸人この道理に達せず。あるひはおもはく。声色は妄りに立する虚假なり。すべからくはらひはらふべし。本心は本来常住なり。さらに変動すべからずと。もつとも笑ふべし。このところさらになにものか変不変あらん。なにものか実不実あらん。故にこの事をあきらめずんば。ただ声色にくらきのみにあらず。また見聞にも達せず。故に眼を挙め不見思ひ。耳をふさげて聞ざらんとす。是れすなはち無繩自縛し。穴なきにまたおち将て行く。ゆへに情塵漏まぬかれがたし。然れば子細に参到して。もし底に徹して見得明白ならば。頂に徹しても到亦無礙。又卑語。此因縁指説思。要聞麼。
舜若多神非内外 見聞声色倶虚空

第二十三祖。鶴勒那尊者。
因摩拏羅尊者示曰。我有無上大法宝。汝当聴受化未来際。師聞契悟師者月支国之人也。姓婆羅門。父千勝。母金光。以無子故祷于七仏金幢。即夢須弥山頂一神童持金環云我来。覚而有孕。年七歳遊行聚落。覩民間淫祀。乃入廟吒之曰。汝妄興禍福幻惑人。歳費牲牢。傷害斯甚。言訖廟貎忽然而壊。由之郷黨謂之聖子。年二十二出家。三十遇摩拏羅尊者。師を鶴勒那といふ。勒那梵語。鶴即華言。梵漢引合て鶴勒那と云。もろもろの鶴ありて師にしたがふ。これによりて名とす。然るに摩拏羅にあひたてまつる。はじめ種種の奇特。一一に挙すべしといへども。ただその一因縁を挙せん。師問尊者曰。我有何縁而感鶴衆。尊者曰。汝第四劫中嘗為比丘。当赴会龍宮。汝諸弟子咸欲随従。汝観五百衆中。無有一人堪任妙供。時諸子曰。師常説法。於食等者於法亦等。今既不然。何聖之有。汝即令赴会自汝捨生赴生転化諸国。其五百弟子以福微徳薄生於羽族。今感汝之恵。故為鶴衆相随。師聞語曰。以何方便令彼解脱。尊者曰。我有無上法宝乃至実に食等法等の道理。聖凡ともにへだてなし。然るに理のおすところ。師資ともに龍宮の請におもむくといへども。福微に徳薄きの身をもて。妙供をうくるにたへざるによりて羽族となりぬ。この因縁尤も学人の用心としつべし。それ説法も差別なし。食も等同なるべし。然るにあるひは信施を消すあり。あるひは信施にをかさるるあり。ここにいたりて齊等ならざるに似り。尤も差別といふつべし。ゆへいかんとなれば。もし食をみ法をみば。たとひ齊等とみるといへども。一同なりと会すといへども。すでに法をみる分あり。食をみる分あり。両箇の見のがれず。貪求の心に惑はされて。師にしたがひてをもむきしによりて。遂に羽族となれり。しりぬ食等法等の理に達せず。まさしく名字有相に縛せられけり。いまいふ無上の大法のごときは。なにをか食といひ。なにをか法といはん。いづれかこれ聖。いづれかこれ凡。すでに形影のいたるべきものにあらず。なを心性ともなづけがたし。この法なを仏にうけず。祖にうけず。子にさづけず。父につたへず。自他といふべき物なし。食法の名いづくよりかゑきたらんや。いはんや赴請のところあらんや。鶴衆となることあらんや。ゆへに子細に眼をつけ。委悉に功夫して先ず。すべからく自心本性の霊廓妙明なることをしりて。よく保持し。ふかく純熟して。更に仏祖伝灯の事あることをしりて。はじめてうべし。たとひ自己本性の旨をあきらめて。解脱するところすでに仏祖にをなじといへども。更にまた聴受すべき無上の大法宝あり。よく未来際を化す。これ本性の道理にあらず。いはんや見聞の境界ならんや。はるかに古今の情を超越し。もとより生仏のきはにとどまることなし。故にこの人をよんで仏とすることもゑず。凡とすることもゑず。堂にありて正坐せざれば。両頭の機にわたることなし。故に影をもとむれどもゑず。あとをたづぬれどもえず。このきはにいたりぬれば。心性とは何物ぞ。菩提とは何物ぞ。一嘔に嘔尽し。一屙に屙尽す。かくのことくなる時。これ沒量の大人なり。恁麼のところにいたらずんば。なをこれ凡夫終に流転の衆生なり。この故に諸人者子細に見得して。無上の大法宝を荷擔せんとおもふべし。これすなはち釈迦老子肉身暖なるべし。ただこの名にとどこほり。形に労することなかれ。参学かならず真実を弁ずべし。這箇の道理を指注せんとおもふに卑語あり。
粉壁挿雲巨嶽雪 純清絶点異青天

第二十四祖。師子尊者。
問二十三祖曰。我欲求道。当何用心。祖曰。汝若求道無所用心。師曰。既無用心。誰作仏事。祖曰。汝若有用。即非功徳。汝若無作即是仏事。経曰。我所作功徳而無我所故。師聞是言已即入仏恵師者中印度之人也。姓婆羅門。本学異道。博達強記也。後参二十三祖。有今問答。直当無所用心処頓入仏恵。時二十三祖忽指東北問曰。是何氣象。師曰。我見氣如白虹貫乎天地。復有黒氣五道。横亙其中。祖曰。其兆云何。師曰。莫可知矣。祖曰。吾滅後五十年。北天竺国当有難起。嬰在汝身。雖如是汝伝持吾法宝。可化未来際。時に師この密記をうけ。すなはち罽賓国に行化す。すなはち婆舍斯多を接して謂之曰。吾師密有懸記難ありて我が身にかからんと。いやしくもまぬかるべからず。ゆへにわれここにとどまらん。なんぢまさにわが道を持し。他国にゆきて演化すべしと。衣法ともにさづく。時に罽賓国王仏法を帰敬することふかしといへども。なをこれ有相にとどこほる。然もかの国に有外道二人。一名摩目多。二名都落遮。学者幻法欲共謀乱。乃盜為釈子形像潜入王宮。且曰。不成即罪帰仏子。乃至事既敗。王果怒曰。吾素帰心三宝。何乃搆害一至于斯。即命破毀伽藍。袪除釈衆。又自秉剣至師子尊者所。問曰。師得蘊空否。師曰。已得蘊空。王曰。離生死否。師曰。已離生死。王曰。既離生死可施我頭。師曰。身非我有。何惜於頭。王即揮刃断師頭。涌白乳高数尺。王之右臂旋亦墮地。七日而終。師始終如是。其最初師資相見時。先問曰。我欲求道。当何用心。祖曰。汝若求道無所用心。真実に求道せんとき道あに用心にかかはるべけんや。死此生彼。処処に道をこころざし。法をもとむとも。いまその実帰なきことは。もとこの心をもちいるによりてなり。然るに頓に仏恵に相応せんことをおもはば。ただ四倒三毒をはなるるのみにあらず。またすべからく三身四智をも離却すべし。恁麼に游踐する時。はたして凡夫地にも安排しがたし。また仏位にも敬重しがたし。はるかに聖凡の情域をこへ。すみやかに異同の論量をはなる。ゆへにいふ。玄妙のところ仏祖なをいたりがたし。ただ仏祖いたりがたきのみにあらず。もとよりこのところを論する時。仏祖卒に存せず。恁麼の田地にいたるを実に求道の為体なりとす。もしいまだかくのごとくならざれは。たとひ天華をあめふらし。大地を動じ。心性と説き玄妙と談ずとも。真箇の妙道にをきて。毫髮もうかがひみることなし。然も諸禅徳。恁麼幽玄のところに証到して。列祖荷擔の事を分明にすべし。些子の道理を説得せんとするに。例によりて卑語あり。要聞麼。
若欲顯空須莫覆 冲虚浄泊本来明

第二十五祖。婆舍斯多尊者。
二十四祖示曰。如来正法眼蔵今転附汝。汝応保護普潤来際。師顯発宿因。密伝心印師者罽賓国之人也。姓婆羅門。父寂行。母常安楽。初母夢得神剣因而有孕。師子尊者遊方到罽賓国。有波利迦者。本習禅観故。有禅定・知見・執相・捨相・不語之五衆。尊者既攝五衆名聞遐邇。方求法嗣遇一長者。引其子問尊者曰。此子名斯多。当生便拳左手。今既長矣。而終未能舒。願尊者示其宿因。尊者覩之。即以手接曰。可還我珠。童子遽開手奉珠。衆皆驚異。尊者曰。吾前報為僧有童子。名婆舍。吾嘗赴西海齋受珠附之。今還吾珠理固然矣。長者遂捨其子出家。尊者即与受具。以前縁故名婆舍斯多。終嗣続曰。如来の正法眼蔵今授汝。善保護可及来際。宿因を顯発すといふは。いはゆる前生すでに婆舍童子といふ。尊者の珠をあつける。いま胎内にいりをよび。長者の家に生るるまで。なをこれを保持し。卒に尊者にたてまつる。これによりてしるべし。この因縁かならずしも肉身やぶれ。ただ真身のみありといふへきにあらず。もしこの身これ壊身となるならば。珠いかんがいま保持せん。然もしるべし。捨生受生もとよりこれ壊身にあらず。ここにいたりて百骸倶潰散。一物鎭長霊也といふべからず。是いかなるものか長霊なるべきぞ。ただ捨身を現じ。受身を現ずるのみなり。ゆへにいふつべし。前後両箇にあらずと。古今別異なし。然れば是れ身といふべきにあらず。是れ心といふべきにもあらざるなり。身心とわかれざれは。古今とわかつべきにあらず。ゆへに恁麼なり。婆舍のみ如是なるにあらず。真実をいはば。人人みな悉くかくのごとくなり。ゆへに無生所無死所。時にしたがひて頭をかへ面をかへすのみなり。かならず四大をかへ五蘊をあらたにするにはあらず。すべて一片肉団のをほひ来るなく。かつて絲毫の骨頭のささへ来るなし。たとひ千種の形あり。万般の品あるも。悉くこれ本来の心光なり。この道理をしらずして。これを幼少とおもひ。かれを老大とおもふ。すべて老体なく。本来幼少なし。もしかくのごとくならば。なにによりてか生死を判し。前後をわかたん。これによりて前世の婆舍今日の斯多。両箇の身にあらずと指説する。これすなはち宿因なり。ゆへに如来の正法眼蔵を伝附し。未来際をうるほす。然ればしるべし。一切諸仏諸祖もとよりかつてさとらず。一切の愚癡諸人卒に迷はず。有時は修行し。有時は発心す。菩提発心もとをはりなくはじめなし。衆生諸仏もとより劣にあらず勝にあらず。只恁麼縦横なるのみなり。然れば曠劫以来かつてかくのごとく保任して宿因をわすれざるのみなり。今朝又這箇の因縁を指注するに。例によりて卑語あり。
開華落葉直彰時 薬樹王終無別味

第二十六祖。不如密多尊者。
太子時二十五祖問曰。汝欲出家当為何事。師曰。我若出家不為別事。祖曰。不為何事。師曰。不為俗事。祖曰。当為何事。師曰。当為仏事。祖曰。太子智恵天至。必諸聖降迹。祖即許出家師者南印度。得勝王之太子也。二十五祖始中印度伏無我尊外道。即到南印度。時彼国王名天徳。迎請供養。王有二子。一凶暴而色力充盛。一柔和而長嬰疾苦。祖乃為陳因果。王頓釈所疑。王天徳崩後。太子得勝即位。復信外道致難于祖。太子不如密多以進諫被囚。王遽問祖曰。予国素絶妖怪。師所伝者当是何宗。祖曰。王国昔来実無邪法。我所伝者即是仏宗。王曰。仏滅已千二百載。師従誰得耶。祖曰。飲光大士親受仏印。展転至二十四世師子尊者。我従彼得。王曰。予聞。師子比丘不能免於刑戮。何能伝法後人。祖曰。我師難未起。密授我信衣法偈。以顯師承。王曰。其衣何在。祖即於嚢中出衣示王。王命焚之。五色相鮮薪尽如故。王即追悔致礼。師子真嗣既明。乃赦太子。太子遂求出家。祖問太子曰。汝欲出家。当為何事乃至祖許出家。然しより執事すること六年。後に如来の正法眼蔵を伝付するに。いはく。如来より嫡嫡属累していまにいたる。まさに伝持してよく群有を化すべし。師密記をうくる時。身心釈然たり。上来の因縁即ちその事の為に非ざることを示す。故に問て曰く。汝欲出家。当為何事。いはく。我為仏事。事といふは俗事。実に出家はもとより事の為にあらざること。ここをもて知識しつべし。それ事といふは自の事にあらず。他の事にあらす。ゆへにいふ俗事の為にあらずと。たとひ髮をそり衣をそめて。かたちを仏子に似せたりとも。なを自見他見をまぬかれず。もし男女の相をはなれずんは。悉くこれ俗事なり。仏事にあらずは。しばらく人人の本心によりて談する時。すべて仏事なく。俗事なしといへども。未知本心。しばらく俗事といふ。すでに本心をあきらめ得るをこれを仏事と名く。本心知得の時なを生相なく。滅相なし。なにいはんや迷人なり。悟人ならんや。かくのごとく見得する時。四大五蘊なを存せず。三界六道あに立することあらんや。ゆへに家としてすつべきところなく。身としてをくべきところなきゆへに出家といふ。住すべきところなきがゆへに家破れ人亡しぬ。故に生死涅槃ともにはらはざるにをのづからつき。菩提煩悩すてざるに本来はなる。今日ただかくのごとくなるのみにあらず。劫より劫にいたるまで。もとより成住壊空の四劫にもうつされず。生住異滅の四相にも縛せられず。廓然として空の内外なきがごとく。清浄にして水の表裏なきに似たり。人人の本心悉皆かくのごとし。然も在家とをそるべからず。出家とをごるべからず。只外に向ひてもとむることをやめて。すべからくをのれに向て弁ずべし。こころみに汝諸人しばらく心を東西に散ぜず。眼を前後にめぐらさずして。子細に見来らば。此の時なにをよんでかわれとし。なにをよんでかかれとせん。已でに自他あひむかふことなし。更になにをなづけてか善悪といはん。もし恁麼ならば。本心もとよりあらはれて明かなること日月のごとし。幽としててらさずといふところなし。すなはち適来の因縁挙似せんとするに。また卑語あり。きくべし。
本地平常無寸草 宗風何処作安排

第二十七祖。般若多羅尊者。
因二十六祖曰。汝憶往事否。師曰。我念遠劫中。与師同居。師演摩訶般若。我転甚深修多羅。今日之事蓋契昔因師者東印度人也。時不如密多。到東印度。彼王名堅固。奉外道師長爪梵志。曁尊者将至。王与梵志同覩白氣貫于上下。王曰。斯何瑞也。梵志預知尊者入境。恐王遷善乃曰。此是魔来之兆耳。何瑞之有。既鳩諸徒衆議曰。不如密多将入都城。誰能挫之。弟子曰。我等各有呪術。可以動天地入水火。何患哉。尊者至先見宮墻有黒氣乃曰。小難耳。直詣王所。王曰。師来何為。尊者曰。将度衆生。曰以何法度。尊者曰。各以其類度之。時梵志聞言不勝其怒。即以幻法化大山尊者頂上。尊者指之。忽在彼衆頭上。梵志等怖懼投尊者。尊者愍其愚惑再指之。化山随滅乃為王演説法要。俾趣真乗。又謂王曰。此国当有聖人継於我。是時有婆羅門子。二十許。幼失父母不知名氏。或自言瓔珞。故人謂之瓔珞童子。遊行閭里。丐求度日。若常不軽之類。人問汝何行急。即答曰。汝何慢。或問何姓。乃曰。与汝同姓。莫知其故。後王与尊者同車而出。見瓔珞童子稽首於前。尊者曰。汝憶往事否乃至蓋契昔因。尊者又謂王曰。此童子非他。即大勢至菩薩是也。此聖之後出二人。一人化南印度。一人縁在震旦。四五年内欲返此方。遂以昔因故名般若多羅。夫れ伝仏心印の祖師。心地開明の聖者。あるひは羅漢。あるひは菩薩なることは。不昧本来の道なる故に。久遠成の如来なるもあり。たとひ初機後学に似たりとも。一念もし機を迴せば。本来具徳をあらはして。一毫もすべてかげたることなし。如来と同共し。諸尊と和合す。一出一沒するにあらざれども。共に出一隻手にあらず。多種なく別條なし。ゆへに今日をみるは久遠をみるなり。久遠をかへりみれば今日をまほるなり。なんぢと同生せり。われと同居せり。絲毫もはなるることなく。片時もともなはずといふことなし。這箇の田地にいたりうる時。古来今の法にあらず。根境識の事にあらず。ゆへにいふ。嗣法は三際を超越し。証契は古今に連綿たり。かくの如くなるゆへに。金針玉線密密として串通す。子細に見来れば。いづれかこれかれ。いつれかこれわれ。繊機もあらはれず。機鋒もあらはすことなし。ここにいたりて得坐せざるなし。かならずかたはらにわかち来る。ゆへに適来の因縁にも。師は演説摩訶般若。我転甚深修多羅。もし色清浄なれば一切智智清浄なり。異もなく別もなし。衆生すなはち仏性也。仏性すなはち衆生。かれも外物をいれず。これも内法をはこばず。両機恁麼にわかれたりといへども。多数終に不異。故般若多羅といふ。上の婆舍斯多のごとし。古今わかつべからず。空有あに異ならんや。ゆへに古人曰。此中若了全無事。体用何妨分不分。虚空を借て森羅万像の体とすれば。一絲一毫の面目に対する底なし。森羅万像を借りて虚空の用とすれば。一絲一毫の異路なし。ゆへに爰にいたりて。師資道伝。仏祖の印可なを多種なりと解するも。節目あるに似たり。両般なしと会するも。なをこれ擔板漢なり。子細に験点商量すれば。鷺鶿立雪非同色。明月蘆華不似他。恁麼に游踐して。銀椀盛雪もてゆき。明月蔵鷺もてゆく。適来の因縁を弁別せんとするに。たまたま卑語あり。
大衆きかんと要すや。
潭底蟾光空裏明 連天水勢徹昭清 再参撈漉縦知有 寛廓旁分虚白成

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