伝光録 | 序・巻上 |
伝光録序 自従拈起金華倒却刹竿以還。西乾東震。衣法并付。灯灯不絶者三十三人。謂之祖師也。祖師之下。衣留不伝。法遍沙界。於是五家宗匠。人人握霊蛇之珠。家家抱荊山之玉者。謂之正法眼蔵。又名大光明蔵也。至矣。大矣哉。吾総持開山仏慈禅師瑩山大和尚。甞佩無字之印下無舌之語。向従上祖師無見頂相。一一為点眼。命之曰伝光録。蓋大乗室内秘本也。近者前越某禅師。繕写其全部。以贈于余。見請之序。於是焚香敬誦之則。其書率以国字成。辞麗而理正。眼活而道深。即与永平高祖正法眼蔵。相表裡者矣。余乎昔以為。真歇氏之道流于東海。而称大得人。然恨以門風極尚質故。其言語無伝于世。学人未縁取則。今此書之流布也。洞宗多幸。其誰可不歓喜讃歎哉。而読者庶勿為国字以藐此書焉。何則所謂。正法眼蔵涅槃妙心者。固已離文字言語則。何必漢文唐言而後得之哉。其義之所在亦明矣無隠費杜多拝題 瑩山瑾禅師伝略考 文永五戊辰誕生師諱紹瑾。号瑩山。姓藤氏。越前州多祢郡人也。母夢呑日光有孕。自此毎日詣観音像前。礼三百三十三拝。課普門品三十三卷。願生聖子。及誕果丰姿秀拔。八歳投徹通和尚鏟髮。十三依孤雲和尚奉戒作僧。雲察其志輒歎曰。此子有大人之作。他日成人天師必也。雲示寂後。又依通于大乗。精思苦研。須臾無間断。一朝聞通上堂挙趙州平常心是道話。豁然大悟。云我会也。通云。汝作麼生会。師云。黒漆崑崙夜裏奔。通云。未在更道。師云。逢茶喫茶。逢飯喫飯。通笑云。這漢向後大起祖風。尋後既得請住阿州城満寺。未幾奉通之命董大乗之席。於是升堂。拈払。機語。宏旌。四方聞師道音来謁請益。有伝光録等。正和二年。能州滋野信直室。敬重師徳施洞谷山。藤原家方興造伽藍経営始。弗多羅尊者現来。告衆以吉祥。諸堂已成。号曰永光寺。継而加州檀信建立浄住寺。延師莅之。又能之総持寺旧為律院。住持定賢律師慕師風化。革而為禅居。以師為開山之祖。随処盛興礼楽。丕正規矩。故諸州叢席。咸取為矜式。元亨間。帝垂十種疑問。師奏対詳明。帝大悦。特賜総持為賜紫出世道場。正中二丑八月初。示微疾。至十五夜半召門人曰。吾化縁已既。泥洹時至。当鳴鐘集衆。師垂示已。復書偈坐脱火浴。得舍利。塔於大乗・永光・浄住・総持四処。閲世五十八年。坐四十六夏。謚仏慈国師。師微言・法語・拈提・頌古。不堪具記 凡例 一、この録は、瑩祖、阿州より加の大乗に移住したまう。翌正安二年庚子の正月十二日、始て請益と見ゆ。祖寿三十三歳にて、このとき介祖は八十二歳なるべし。まだ御有生にて、定光院に退閑あられたるなるべし。この録中に、当寺東堂老和尚、また当寺老和尚介公等、処々に見ゑたり 一、余三方のとき、何国の旅僧ともいはず。途中路銭に尽る由にて、祖録あまた出して、この中所望の書あらば、些しの路資に易えんといふ。その中この録五册を所望し、少しの資料を進ずれば、その僧、謝詞満悦の顏にて揖別す。余その已前、加の大乗に夏を過し。あらゆる法宝を拝見すれども。値遇の未熟にや。秘蔵のこの録、名だも聞かず。偶ま旅中に感得すること、ああ縁か時か、実にかの旅僧は瑩祖にあらずやと感喜にたゑず。爾来諸方にてこの録の事を問訊するに、この録の名だも聞知する人は、万に一両個のみ。此をもて、同志の師僧に広く拝感あらまぼしとおもい、これ新刻の来由と芥誠となり 一、その後なお追慕し。加の大乗・能の洞谷、両古刹に拝登し、秘在の本を懇請し、拝看対校し、及び諸方の古刹或は名徳書写の数本と校讐するに、差異まちまち、只一二の三豕のみにあらず。此におゐて、これに従事すること殆んど十有余年、爾れより、二十年来、住持事繁く、繕写に暇なふして、慊慊たり。今隠栖に洎んで、又三周余、逐行校正し、漸く完璧を得たり 一、大乗の秘本は、二册にして全部なり。上卷と下卷と、手跡も册紙も異なり。また洞谷の秘本を拝看するに、元本は焼失して、今は外より写して秘在と承る。全部五册なり。諸方の数本多く五册なり。今刻二册となす。これ大乗秘在の古を存し、且つ多きは缺げやすきを恐れてなり 一、諸方の秘本に記文等あれども今刻に載せず。只ある古写本の尾に、無隠禅師序文と。瑩祖略伝あり。校鑑するに正当なり。仍て是を載す。敢て今刻の序跋にはあらず。只この録の源委を知らんずるの、一助となすのみ。この録初め迦文仏の章より、終り孤雲祖の章まで、悉く章章不昧光光無礙にして、仏仏祖祖の身心頂相皮肉骨髄なり。忝くも仏祖の兒孫たるものは、常に奉持頂戴せざるべけんや。願ふ所は祖訓親密の五語、これを悠久に伝ゑんと欲す。あに一言隻字も私淑をその間だに入んや 維時安政四丁巳年 遠孫小子仙英謹白 |
瑩山和尚伝光録 卷上 侍者編 師於正安二年正月十二日始請益 釈迦牟尼仏。見明星悟道曰。我与大地有情。同時成道。 それ釈迦牟尼仏は、西天の日種姓なり。十九歳にして子夜に城をこへ、檀特山にして断髮す。それよりこのかた苦行六年、つゐに金剛座上に坐して、蛛網を眉間にいれ、鵲巣を頂上に安じて、葦坐をとふし、安住不動、六年端坐し、三十歳臘月八日、明星のいでしときたちまち悟道し、最初獅子吼するにこの言あり。しかしよりこのかた、四十九年、一日も独居することなく、暫時も衆のために説法せざることなし、一衣一鉢缺ぐことなし。三百六十余会、時時に説法す。つゐに正法眼蔵を摩訶迦葉に付嘱す。流伝して今におよぶ。実に梵・漢・和の三国に流伝して、正法修行することこれをもて根本とす。かの一期の行状をもて遺弟の表準たり。設ひ三十二相八十種好を具足するといへども、かならず老比丘のかたちにして、人人にかはることなし。ゆへに在世よりこのかた、正像末の三時、かの法儀をしたふもの、仏の形儀をかたどり、仏の受用を受用して、行住坐臥、片時も自己を、さきとせざることなし。仏仏祖祖、単伝しきたりて正法断絶せず。今の因縁分明に指説す。たとひ四十九年、三百六十余会、指説すること異なりといへども、種種因縁、譬諭、言説、この道理をすぎず。 いはゆる我といふは釈迦牟尼仏にあらず。釈迦牟尼仏もこの我より出生しきたる。ただ釈迦牟尼仏出生するのみにあらず、大地有情もみなこれより出生す。大綱をあぐるとき、衆目悉くあがるがごとく、釈迦牟尼仏成道するとき、大地有情も成道す。ただ大地有情成道するのみにあらず。三世諸仏もみな成道す。恁麼なりといへども、釈迦牟尼仏におゐて、成道のおもいをなすことなし。大地有情の外に、釈迦牟尼仏をみることなかれ。たとひ山河大地、森羅万像、森森たりといへども、ことごとくこれ瞿曇の眼睛裏をまぬかれず。汝等諸人また瞿曇の眼睛裏に立せり。ただ立せるのみにあらず、いまの諸人に換却しおはれり。また瞿曇の眼睛肉団子となりて、人人の全身箇箇壁立万仭せり。ゆへに亙古亙今、明明たる眼睛歴歴たる諸人とおもふことなかれ。諸人すなはちこれ瞿曇の眼睛なり。瞿曇すなはちこれ諸人の全身なり。もし恁麼ならば、なにをよんでか成道底の道理とせん。且問す大衆、瞿曇の諸人とともに成道するか、諸人の瞿曇とともに成道するか、もし諸人の瞿曇とともに成道するといひ、瞿曇の諸人とともに成道するといはば、全くこれ瞿曇の成道にあらず。因て成道底の道理とすべからず。成道の道理親切に会せんとおもはば、瞿曇諸人一時に払却して、はやく我なることをしるべし。我の与なる大地有情なり。 与の我なるこれ瞿曇老漢にあらず。子細に点検し、子細に商量して、我をあきらめ、与をしるべし。たとひ我をあきらめたりといふとも、与をあきらめずんば、また一隻眼を失す。然りといへども、我と与と一般にあらず。両般にあらず。正に汝等の皮肉骨髄ことごとく与なり。屋裏の主人公これ我なり。皮肉骨髄を帯せず。四大五蘊を帯せず。畢竟していはば、欲識庵中不死人、豈離而今這皮袋、然れば大地有情の会をなすべからず。たとひ春夏秋冬に転変しきたりて、山河大地時とともに異なりといへども、しるべし、これ瞿曇老漢の揚眉瞬目なるゆへに、万像之中独露身なるなり。撥万像也、不撥万像也。法眼曰、説甚麼撥不撥、また地蔵曰、喚甚麼作万像。しかあれば横三竪三し、七通八達して、まさに瞿曇の悟処をあきらめ、自己の成道を会すべし。恁麼の公案子細に見得し、一一に胸襟より流出して、前仏及び今時の人の語句をからず、次の請益の日をもて下語説道理すべし。山僧またこの一則下に卑語を、つけんことをおもふ、諸人要聞麼。 一枝秀出老梅樹 荊棘与時築著来 第一祖。摩訶迦葉尊者。 因世尊拈華瞬目。迦葉破顏微笑。世尊曰。吾有正法眼蔵涅槃妙心。付嘱摩訶迦葉摩訶迦葉尊者。姓は婆羅門、梵には迦葉波。こヽには飲光勝尊といふ。尊者生るるとき、金光室にみちて、光りことごとく尊者の口にいる。因て飲光と称す。その身金色にして、三十一相を具足せり。ただ烏瑟白毫のかげたるのみなり。多子塔前にしてはじめて世尊にあひたてまつる。世尊善来比丘とのたもふに、鬚髮すみやかにおち、袈裟体にかかる。すなはち正法眼蔵をもて付嘱し、十二頭陀を行じて、十二時中むなしくすごさず。ただ形ちの醜悴し、衣の麁陋なるをみて、一会ことことくあやしむ。これによりて処処の説法の会ごとに、釈尊座をわかち迦葉を居らしむ。然しより衆会の上座たり。ただ釈迦牟尼仏一会の上座たるのみにあらず、過去諸仏の一会にも不退の上座たり。しるべし、これ古仏なりといふことを。ただ諸の声聞の弟子の中に排列することなかれ。しかるに霊山会上、八万衆前にして世尊拈華瞬目す。みな心をしらず黙然たり。時に摩訶迦葉独破顏微笑す。世尊曰、吾有正法眼蔵涅槃妙心円明無相法門、ことごとく大迦葉に付嘱すと。 いはゆるかの時の拈華は祖祖単伝しきたりて、みだりに外人をしてしらしむることなし。ゆへに経師・論師おおくの禅師のしるべきところにあらず。実にしりぬ、その実処をしらざることを。しかも恁麼なりといへども、恁麼の公案霊山会上の公案にあらず。多子塔前にして付嘱せし時のことばなり。伝灯録・普灯録等にのするところは、これ霊山会上の説といふこと非なり。最初に仏法を付嘱せしとき如是の式あり。ゆへに仏心印を伝ふる祖師にあらされば、かの拈華の時節をしらず。またかの拈華をあきらめず。諸禅徳子細に参到し、子細に見得して、迦葉の迦葉たることをしり、釈迦の釈迦たることをあきらめ、ふかく円明の道を単伝すべし。 拈華は暫らくおく、かの瞬目せしところ、人人あきらめきたるべし。汝等よのつね揚眉瞬目すると。またこれ瞿曇の拈華瞬目せしと一毫髮もへだたらず。汝等語話微笑せしと。摩訶迦葉破顏微笑せしと。全く毫髮も異なることなし。然れどもかの揚眉瞬目せしものをあきらめざれば、西天に釈迦あり。迦葉あり。自心に皮肉骨髄あり。許多の眼華、多少の浮塵、無量劫来未会解脱、未来劫もまた沈淪すべし。もし一度かの主人公を識得せば、摩訶迦葉まさに汝諸人の鞋裏にありて動指することをゑん。しらずや、瞿曇揚眉瞬目せしところに、瞿曇すなはち滅却しおはることを。迦葉破顏せしところに、迦葉すなはち得悟しきたることを。これすなはち吾有にあらずや。正法眼蔵却て自己に付嘱しおはりぬ。ゆへに喚て迦葉とすべからず。喚て釈迦となすべからず。かつて一法の他にあたふるなく、一法の人にうくるなく、これを喚で正法とす。かれをあらはさんがために、華を拈じ不変なることを知らしめ、破顏して長齡なることをしらしむ。恁麼に師資相見、命脈流通す。円明了知不渉心念、まさしく意根を坐断して鶏足山にいり、はるかに慈氏の下生をまつ。ゆへに摩訶迦葉いまに入滅せず。 諸人もし親く学道して子細に参徹せば、迦葉不滅のみにあらず。釈迦もまた常住なり。ゆへに汝等諸人、未会生より直指単伝して、亙古亙今、築著磕著す。ゆへに諸人、二千年前の昔を思慕することなかれ。ただ急に今日に弁道せば、迦葉鶏足にいらず。正に扶桑国にありて出世することをゑん。ゆへに釈迦の肉身今猶暖かに、迦葉微笑また更に新たならん。恁麼の田地にいたりゑば、汝ぢら却て迦葉につぎ、迦葉却て汝ぢらにうけん。七仏より汝ぢらにいたるのみにあらず、汝ぢらまさに七仏の祖師たることをゑん。無始無終古来今を絶して、すなはちこれ正法眼蔵付嘱有在ならん。これによりて、釈迦も迦葉の付嘱を得て、兜卒天に今に有在なり。汝ぢらも霊山会上にして、有在不変易なり。 不見道、常在霊鷲山、及余諸住処、大火所焼時、我此土安穩、天人常充満と。ただ霊山会上のみ所住処といふにあらず。あに梵・漢・本朝もまたもるることあらんや。如来の正法流転して、一毫髮も缺ぐることなし。もし然れば、この会はこれ霊山会たるべし。霊山はこれこの会たるべし。ただ諸人の精進と不精進とによりて、諸仏頭出頭沒せるのみなり。今日も頻りに弁道し、子細に通徹せば、釈尊直に出世なり。ただ汝ぢら自己不明によりて、釈尊昔日入滅す。汝ぢらすでに仏子たり、なんぞ仏をころすべけんや。ゆへに急に弁道して、すみやかに慈父と相見すべし。よのつね釈迦老漢、汝ぢらとともに行住坐臥し、汝ぢらとともに言語伺候して、一時もあひはなるることなし。恰も㔁隠峯の洞山の背にあるが如し。一生もしかの老漢をみずんば、諸人悉くみな不孝の人たらん。すでに仏子といひ、もし不孝のものたらば、千仏の手もおよばず。今日大乗の子孫、また恁麼の道理を指説せんとするに卑語あり。諸人聞かんと要すや。 可知雲谷幽深処 更有霊松歴歳寒 第二祖。阿難陀尊者。 問迦葉尊者曰。師兄。世尊伝金襴袈裟。外別伝箇什麼。迦葉召阿難。阿難応諾。迦葉曰。倒却門前刹竿著。阿難大悟。 それ阿難尊者は王舍城の人也。姓は刹帝利、父は斛飯王、実に世尊の徒弟なり。梵語には阿難陀といひ、ここには慶喜といひ、または歓喜といふ。如来成道の夜にうまる。容顏端正にして、十六大国も隣とするなし。みるごとに歓喜す。ゆへに名とす。多聞第一にして、聡明博達なり。仏の侍者として二十年、仏の説法として宣説せざるなく、仏の行儀として学しきたらざることなし。世尊迦葉に正法眼蔵を伝付せしきざみ、おなじく阿難に付嘱して曰く、副貳伝化すべしと。これによりて迦葉にしたがふこと亦二十年して、所有正法眼蔵ことごとく通達せずといふことなし。 それ祖師の道の他家に類せざること、これをもて証本とすべし。阿難すでに多聞第一、広学博達なり。仏まのあたり聴許しましますことおおし。然れどもなほ正法を伝持し、心地を開明することなし。迦葉畢婆羅窟にして如来の遺教を結集せんとせしとき、阿難未証果なるによりてかの室に入ることをゑずゆるさず。時に阿難密に思惟して、すみやかに阿羅漢果を証す。而して入んとするに迦葉のいはく、すでに証果せば神通を現じてるべしと。時に阿難小身を現じて、かぎの穴よりいる。終に畢婆羅窟にいる。諸弟子ことごとくいはく、阿難は仏の給士として多聞にして広学なり。一器の水を一器に伝ふるがごとし。すこしも遺漏なし。ねがはくは阿難を請して再説せしめん。迦葉阿難につげていはく、衆ことごとく汝ぢをのぞむ。汝ぢふたヽび座にのぼり、請ふ宣説せよ。時に阿難密に如来の付嘱を護し、また迦葉の所請をうけて、ついに立て衆の足を礼し、座にのぼりて、如是我聞一時仏住と宣説して、一代の聖教ことごとく宣説す。迦葉諸弟子につげて曰く、如来の所説とかわれりやいなやと。諸弟子曰く、如来の所説と一字もかわれるなしと。諸弟子はみなこれ三明六通の大羅漢なり。きヽもらすことなし。異口同音に曰く、しらずこれ如来再来しましますか。これ阿難所説かと疑がふ。仏法大海水流入阿難身と讃歎す。如来の所説いまに流伝す。阿難の所説なり。実にしる、この道は多聞によらす、証果によらざることを、これをもて拠とすべし。然もなお迦葉にしたがふこと二十年、いまの因縁のところにしてはじめて大悟す。すでに如来の成道の夜うまれし人なり。華厳等はきかざる所なり。しかれども仏の覚三昧をゑて、所不聞を宣説す。然れとも祖師道におひて不入なることは、我等が不入と全くもて一同なり。抑も阿難は乃往過去のむかし、空王のみもとにして、今の釈迦仏と同時に阿耨多羅三藐三菩提心を発しき。阿難は多聞をこのむ。ゆへにいまだ正覚を成ぜず。釈迦仏は精進を修しき。これによりて等正覚を成じたまふ。実にしる、多聞は道の障礙たることこれその証拠なり。ゆへに華厳経に曰く、譬如貧窮人算他宝自無半銭分、多聞亦復如是。親切にこの道に訣著せんとおもはヾ、多聞をこのむことなかれ。直に勇猛精進すべし。然るに敢保すらくは、伝衣の外更に事あるべしと。因てある時問曰、師兄、世尊伝金襴袈裟、外別伝箇甚麼、迦葉時いたることをしりて、召阿難、阿難応諾。迦葉こゑに応じていはく、倒却門前刹竿著と。阿難こゑに応じて大悟す。仏衣自然に阿難の頂上に来入す。その金襴の袈裟といふは、まさしく七仏伝持の袈裟なり。【是より以下十行は注なるべし。一本に有之故に。爰にのせおくなり】かの袈裟に三の説あり。一つは如来胎内より持すと。一つは浄居天より奉ると。一つは猟師これを奉ると。また外に数品の仏袈裟あり。達磨大師より曹溪所伝の袈裟は、青黒色にて屈眴布なり。唐土にいたりて青きうらをうてり。いま六祖塔頭におさめて国の重宝とす。これ智論にいはゆる、如来著麁布僧伽黎と、これなり。かの金襴は金なり。経曰、仏姨母手自紡金袈裟持上仏と、これなり。是多品中の一二のみ。その霊験のごときは、数多の因縁経書にあり。むかし婆舍斯多尊者、悪王の難にあふて、火中に五色の光明をはなつ。火滅して後仏袈裟安然たり。仏衣なることを信ず。【上の十行は瑩祖の自注なるべし】慈氏に伝授する、それこれなり。 正法眼蔵両人に付嘱なし。たヾ迦葉一人如来の付嘱をうる。また阿難二十年給士して正法を伝持す。然ればこの宗教外別伝あることをしりぬべし。然るに近来おろそかにして一同とす。もし一同ならば、阿難はすなはち三明六通の羅漢、如来の付嘱をうけて、第二祖阿難といはん。いま経教を会せんこと、阿難にまさる人あらんや。もし阿難に超過する人あらばゆるすべし。教意一なりと。もしたヾに、一なりといはば、なんぞ煩らはしく二十年給士し、いま倒却刹竿著のところにしてあきらめん。しるべし、経意・教意もとより祖師の道とすべからず。仏の仏ならざるにあらず。給士してたとひ侍者たりといへども、仏心に通処なくんば、いかでかその心印を伝ん。多聞広学によらざることしるべし。たとひ心さとく耳ときによりて、諸口の書藉聖教をもて、一字も遺落するところなく聞持すといへども、心もし通ぜずんば、徒にとなりの宝らを算ふるがごとし。うらむらくは経教にそのこヽろなきにはあらず。然れども阿難未通によりてなり。なにいはんや、東土日本依文解義、経のこヽろをゑざるをや。更にしるべし、仏道ゆるかせならざることを。一代聖教に通ずる阿難、如来の弟子として宣説せんに、たれかしたがはざらん。然れども迦葉に給士し、したがひて大悟の後、再び宣説せしことを。しるべし、恰も火の火に合するがごとく。明かに実道に参ぜんとおもはヾ、己見旧情憍慢我慢をすて、初心を迴し、仏智を会すべし。いはゆるいまの因縁、ひごろは金襴の袈裟を伝へて、仏弟子たるの外さらに別なしとおもへり。然れども迦葉にしたがひて、したしく給士してのち、さらに通ずることあることを。迦葉時すでにあひかなふことをしりて召阿難、あだかも谷神のよぶにしたかひ響をなすがごとし。阿難すなはち応ず。石火の石をはなれて出るがごとし。 それ阿難と召すも阿難をよぶにあらず。ひヾき応じ答ふるにあらず。倒却門前刹竿著といふは、西天の法に、仏弟子および外道等論義せんとするとき、両方にはたをたて、もし一方まくるとき、すなはちこのはたをおりたおす。まくるとき鼓鐘をならさずしてまくるを表す。いはゆる今の因縁も、迦葉と阿難とあひならんではたをたてるがごとし。こヽにいたりて阿難すでに出身すれば、迦葉はたをまくべし。一出一沒なり。然れども今の因縁しかにあらず。迦葉もこれ刹竿、阿難もこれ刹竿、もし刹竿ならばこの理あらはるべからず。刹竿一度倒るヽとき、刹竿すなはちあらはるべし。迦葉倒却門前刹竿著と、指説するに、阿難師資の道通ずるによりて、言下に大悟す。大悟ののち、迦葉もすなはち倒却し、山河みな崩壊す。これによりて、仏衣自然に阿難の頂上に来入す。然れどもこの因縁をもて、赤肉団上壁立千仭にとヾむることなかれ。浄潔にとヾまることなかれ。すヽんで以て谷神のあることをしるべし。諸仏番々出世し、祖師代々指説す。たヾこれこの事なり。心をもて心をつとふ。ついに人のしるところにあらず。たとひあらわれたる赤肉団、迦葉・阿難もこれ那人の一面、両面に出世するなりといへども、迦葉・阿難をもて那人とすることなかれ。いま汝等諸人箇々壁立万仭せる。かの那人の千変万化なり。もし那人を識得せば、諸人一時に埋却せん。もししからば、倒却刹竿を我外に求むべからず。今日大乗子孫また著語せんとおもふ。諸人要聞麼。 藤枯樹倒山崩去 溪水瀑漲石火流 第三祖。商那和修尊者。 問阿難陀尊者。何物諸法本不生性。阿難指和修袈裟角。又問、何物諸仏菩提本性。阿難又取和修袈裟角引。時和修大悟師は摩突羅国の人なり。梵には商諾迦といひ、此には自然服といふ。和修うまれしとき、衣をきてうまる。それよりこのかた、夏は涼き衣となり、冬は暖かなる衣となる。すなはち発心出家せしとき、俗服おのづから袈裟となる。仏在世蓮華色比丘尼のごとし。たヾ今生恁麼なるのみにあらず。和修むかし商人たりしとき、百仏に百丈をたてまつる。それよりこのかた、世々生々のあひだ自然服を著す。おヽよそ一切の人、本有をすて当有にいたらざる間を、名づけて中有とす。そのときのかたち悉くみな衣をきず。今和修尊者のごときは、中有にしても衣を著す。また商那和修といふは、西域の九枝秀といふ草の名なり。聖人うまるヽとき、この草浄潔の地に生ずるなり。和修うまれしとき、この草また生じき。これによりて名とす。在胎六年にしてうまれき。むかし世尊一の青林を指して阿難につげて曰く、この林地を優留荼となづく。われ滅後一百年に比丘商那和修といふものあらん。このところにして妙法輪を転ぜんと。一百年後、いま師こヽにうまる。つゐに慶喜尊者の付嘱をうく。すなはちこの林にとヾまる。法輪を転じて火龍を降す。火龍帰伏して、この林をたてまつる。これ実に世尊の来記たがはず。然るに和修尊者はもと雪山の仙人なり。阿難尊者に投じて、いまの因縁あり。いはゆる何物是諸法本不生性と、実にこれ人所未問なり。和修ひとりとふ。たれか諸法本不生性なからん。然れども有ことをしらず、またとふことなし、なんとしてか不生の性といふ。万法諸法ことごとくこの処より出生すといへども、この性つゐに出生するものなし。ゆゑに不生の性といふ。故にことごとく本不生なり。山これ山にあらず。水これ水にあらず。ゆへに阿難和修の袈裟角をさす。 それ袈裟といふは梵語。此には壊色といひ、不生色といふ。実にこれ色をもてみるべきにあらず。またかみ諸仏よりしも一切の螻蟻蚊虻にいたるまで、その依報正報ことごとくこれ色なり。一辺の所見かくのごとし。然れどもすなはち、またこれ声色にあらず。ゆへに三界のいづべきなく、道果の証すべきなし。かくのごとく会すといへども、和修再問、何物諸仏菩提の本性なると。曠大劫よりこのかた、錯らざること恁麼なりといへども、一度び有ることをしらざれば、徒に眼にさへらる。ゆへに諸仏出生の処を明らめんと、恁麼にとふ、よぶにしたがひて応じ、たヽくにしたがひていづることをしらしめんとして。ことさらに和修の袈裟の角をとりてひきしらしむ。時に和修大悟す。 実にそれ無量劫よりこのかた。あひ錯らざることかくのごとくなりといへども、一度築著せざるがごときは、自己の諸仏の智母なることをも知るべからず。これによりて諸仏番々出世し、祖師代々指説す。かつて一法の人に授くべきなく、さらに一法の他に受くべきなしといへども、自面にさぐりて鼻孔にさはるがごとくなるべし。参禅は須自参悟、さとりおはりてはにあふべし。もし人にあはずんば、徒に依草附木なり。実に参禅いたづらにすべからず。一生むなしくすべからざること。今の和修の因縁をもてあきらめつべし。徒に自然天然の見を発すべからず。己見旧見をさきとすべからず。またおもふべし。仏祖の道は人をゑらび機をゑらぶ。われらがたへるところにあらずと。恁麼の所見実にこれ愚劣の中の愚劣なり。昔人いづれかこれ父母所生の身にあらざる。いづれかこれ恩愛名利の人ならざりし。然れども一度すでに参ぜしとき、かならず参徹しき。ゆへに天竺よりわが朝にいたるまで、正像末の三時異なるとも、証果の聖賢山をしめ海をしむ。然れば汝等諸人、見聞を具足すること、すでに古人に異ならず。たとひいづれのところにいたるとも、ことごとくいふべし。汝等この人なりと。迦葉・阿難と四大・五蘊かはれるところなし。何によりてか道におきて古人にかはるべき。たヾ究理弁道せざるによりて、徒に人身を失却するのみにあらず。つゐに己れあることをしらず。かくのごとくむなしくすべからずと相承して、阿難もかさねて迦葉を師とし、阿難陀また和修を接し、師資の道伝通す。かくのごとく流通しきたる。正法眼蔵涅槃妙心仏の在世と異なることなし。ゆへに仏生国にうまれざることをうらむることなかれ。仏在世にあはざることをかなしむことなかれ。昔し厚植善根、深く般若の良縁をむすぶ。これによりて大乗の会裡にあつまる。実にこれ迦葉と肩をならべ、阿難と膝を交ゆるごとし。然れば一日は賓主たりとも、終身すなはち仏祖たらん。みだりに古今の情に封ぜらるヽことなかれ。声色の法にとヾこふることなかれ。夜間をも日裡をも、むなしくわたることなかれ。子細に弁道功夫して、古人の徹処にいたり。今時の印記をうくべし、適来の因縁をあかさんとおもふに。また卑頌あり。要聞麼。 万仭巌上無源水 穿石払雲湧沸来 散雪飛花縦乱乱 一條白練絶塵埃 第四祖。優婆毱多尊者。 執事和修尊者三載。遂為落髮作比丘。尊者因問曰。汝身出家耶心出家耶。師曰。実是身出家。尊者曰。諸仏妙法豈拘身心。師乃大悟師は吒利国の人なり。また優波崛多と名く。姓は首陀。十五歳より和修尊者に参ず。十七歳にして出家し。二十二歳にして証果す。行化して摩突羅国にいたる。得度の者はなはだおヽし。これによりて魔宮震動し。波旬愁怖す。証果の人をうることに。四指の籌を石室に投ず。その室縦十八肘。広十二肘。充満其間。一肘は二尺なり。かの一生のあいだの得度しゑたる籌をばもて茶毘す。得度の人おヽきこと。あだかも如来在世のごとし。ゆゑに世挙つて号して無相好仏といふ。波旬いきどふりをなして。入定の時節をうかヾひ。遂にその魔力をつくして。もて正法を害せんとす。尊者すなはち三昧に入て。その所由を観ず。波旬またうかごふて。密に瓔珞を持して。これを頚にかく。ときに尊者またかれを伏せんとおもふ。定より起て。すなはち人狗蛇の三屍を取て。化して華鬘となす。軟言をもて波旬を慰諭して曰。汝ぢわれに瓔珞を与ふ。甚だこれ珍妙なり。われ華鬘あり。もてあい報酬奉せん。波旬大に喜て。延頚てこれを受く。すなはち変じて三種の臭屍となる。蟲蛆壊爛せり。波旬厭悪して。大ひに憂悩を生ず。おのが神力をつくして。不得捨。不得解。不能移動。乃昇六欲天。告諸天主。又詣梵天。求其解脱。彼各告曰。十力弟子所作神変。我輩凡陋。何能去之。波旬曰。然則奈何。梵王曰。汝可帰心尊者。即能除断。乃為説偈。令其迴向曰。若因地倒還因地起。離地求起終無其理。還依十力弟子。可求解脱。波旬受教已。即下天宮礼尊者足。哀露懺悔。尊者曰。汝自今後。於如来正法更作嬈害否。波旬曰。我誓迴向仏道永断不善。尊者曰。若然者汝可自唱口言帰依三宝。魔主合掌三唱。華鬘悉除。かくのごとく仏法威験を施し。あだかも如来在世のごとし。十七歳落髮のきざみ和修問曰。汝身出家するや。心出家するや。それ仏家もとより身心の二出家あり。いはゆる身出家すといふは。恩愛をすて家郷をはなれて。髮をそり衣をそめ。奴婢をたくはへず。比丘となり比丘尼となり。十二時中弁道しきたる。ゆへに時としてむなしく過ることなふして。ほか所願なし。ゆへに生をもよろこばず。死をもおそれず。心如秋月皎潔。眼如明鏡無翳。心を求めず。性をのぞまず。聖諦なをなさず。いはんや世執をや。かくのごとくし来て。凡夫地にもとどまらず。賢聖位にもかかはらず。うたヽ無心道人たり。これすなはち身出家人なり。いはゆる心出家といふは。髮をそらず衣をそめず。たとひ在家にすみ。塵労にありといへども。蓮の泥にそまず。玉のちりをうけざるがごとし。たとひ因縁あり妻子ありとも。芥のごとく塵の如く覚して。一念も愛心なく。一切貪著することなく。月の空裡にかヽるがごとく。玉の盤上に走るに似て。鬧市中にして閑者をみ。三界の中にして劫外をあきらめ。煩悩を断除するも病なりとしり。真如に趣向するも邪なりとあきらむ。涅槃生死これ空華なり。菩提煩悩ともに管せず。これすなはち心出家人なり。ゆへに身出家耶心出家耶と問あり。しかもかくのごとくなからん出家はこれ出家にあらず。ゆへにこの問をなし来る。しかるに毱多答て曰。実に是身出家すと。ここに心を存せず。性と説かず。玄を談ぜず。たヾ四大五蘊の身まさにこれ出家することをしる。不運にして至り得る。故に如意足なることを明らむ。不求にして得たり。ゆへに不可得を明らむ。如是なるゆへに。実に身出家すといふ。然れども諸仏の妙法。這箇の見解をなすべからず。ゆへに和修指説するにいはく。諸仏実にこれ身出家するにあらず。心出家するにあらず。四大五蘊をもてみるべきにあらず。理性玄妙をもて証すべきにあらず。ゆへに聖凡ともに解脱し。身心おなじく脱落し来る。虚空の内外なきがごとく。海水の表裡なきに似たり。たとひ幾許の妙理。無量の法門。千差万別なりといへども。たヽ這の事をのみとき来る。然れば唯我独尊を仏といふべからず。無来無去といふべからず。誰か父母未生といひ。空劫以前といはん。このところにいたりて。生不生を超越し。心不心を解脱す。器に随ふ水のごとく。物による空のごとし。とれども手にみつることなく。さぐれども跡をうることなし。すなはちこれ諸仏の妙法なり。このところにいたりて。毱多存することなく。和修も起ることなきゆへに。動静をもてせず。去来をもてせず。たとひ是非あり彼我ありとも。水の底の声のごとく。空の中の端なきに似たり。しかも一度覚触せざれば。千万の法門。無量の妙理も徒に業識流注となる。如是指説するところ。毱多尊者たちまち大悟す。あだかも青天に忽雷の霹靂せるがごとく。大地に猛火の発生するに似たり。迅雷一度ふるふて。毱多耳根を断ずるのみにあらず。すみやかに命根を喪し。猛火たちまちやけて。諸仏の法門祖師の頂。ことごとく灰燼となりおはりぬ。恁麼の灰燼あらはれて。毱多尊者と号す。かたきこと石のごとく。くろきこと漆のごとし。幾回か人の本色を失し。全身を打碎して。徒に籌をなげて空のかずをとり。空をやきて空のあとをのこす。今日大乗の兒孫。あとを雲外にたづね。言を青天につけんとおもふ。諸人要聞麼 家破人亡非内外 身心何処隠形来 第五祖。提多迦尊者。 曰出家者。無我我故。無我我所故。即心不生滅故。即是常道。諸仏亦常。心無形相。其体亦然。毱多曰。汝当大悟自心通達。師乃大悟師者摩伽陀国人也。初生時。父夢金日自屋而出照耀天地。前有一大山。諸宝厳飾。山頂泉涌滂沱四方流。師参毱多尊者。初語此事。毱多尊者為解之曰。大山者我身也。泉涌者汝発智恵法無尽也。日従屋出者汝今入道之相也。照耀天地者汝智恵超越也。師元名香象。因易今名。梵曰提多迦。此曰通真量也。師聞説已。唱偈言。巍巍七宝山。常出智恵泉。迴為真法味。能度諸有縁。毱多尊者亦説偈曰。我法伝於汝。当現大智恵。金日従屋出。照耀於天地。自然師礼拝。随従卒求出家。毱多問曰。汝志求出家。身出家耶心出家耶。師曰。我来求出家。非為身心。毱多曰。不為身心。復誰出家。師曰。出家者乃至師乃大悟。実にこれ出家は無我我の我をあらはす。ゆへに身心をもて。弁ずべきにあらず。この無我我の我。すなはち常道なり。生滅をもてはかるべきにあらず。ゆへに諸仏にあらず。衆生にあらず。いはんや四大・五蘊・三界・六道ならんや。ゆへに心に形相なし。たとひ見聞あり覚知ありとも。つゐに去来にあらず動静にあらず。かくのごとく見得する。すなはちこれ心を知得する底の漢。なをこれ聞解といひつべし。ゆへに提多迦恁麼に解すといへども。毱多点して曰。汝当大悟心自通達と。あだか貿易の物に。皇帝の印を下すに似たり。王印もし題するとき。これ毒にあらず。これうたがいにあらず。またこれ公物にあらず。ゆへに人使用し来る。師資の道あひ契ふこと如是。たとひ理として通ぜずといふことなく。道としてあきらめずといふことなしといふとも。すべからく大悟してはじめてうべし。一度大悟せざれば。徒に知解の客となりて。つひに心地に通ぜず。ゆへに仏見法見いまだまぬかれず。自縛他縛いづれのときかのがれん。然ればたとへ四十九年の説。一字も遺落せず。三乗五乗一法も錯謬せずといへども。一度大悟せずは真の衲子とゆるしがたし。然ればたとひ千経万論を講得し。仏を影向せしめ。大地を震動せしめ。天華を乱墜せしむとも。はやくこれ座主の見解。いまだ本色の衲僧にあらず。然れば三界唯心と会すべからず。諸法実相と会すべからず。悉有仏性と会すべからず。畢竟空寂と会すべからず。実相なほこれ節目にかヽはる。皆空却て落空におなじし。悉有また性霊に似たり。唯心いまだ覚知をまぬかれず。然れば此の事を求めんとおもはん人。千経万論の中に求むることあらば。うらむらくは捨父逃逝の漢なり。ゆへに一一自己の宝蔵を打開して。一大蔵経を運出せんとき。聖教おのづから我有なることをゑん。もし恁麼に証得せずんば。仏祖ことごとくこれ汝ぢがあだなり。ゆへにいふ。那箇魔魅教汝出家那箇魔魅教汝行脚。道得也叉下死。道不得也叉下死と。恁麼なるゆへにいふ。出家は身心のためにあらずと。かくのごとく解すといへども。なをこれ本色の衲子にあらず。ふたヽび指出して。はじめて大悟して通ずることを得たり。然れば諸人者子細に弁道し。綿密に功夫し。文によりて義を解することなく。覚によりて霊をわきまふることなく。乾坤・大地・凡聖・依正を大に破壊して。前後に往返すといへども。一の障礙なく。上下に出入すといへども。一塵の隔歴なくして。さらに虚空に窟籠をゑり。平地に波瀾をおこして。仏面を看得し。悟道明心を識得して。胡蘆藤種胡蘆をまつい来り。一顆円光珠玉を回し来て。仏祖堂奧の事あることをしりて。はじめて得べし。適来の因縁敢て卑語を著んとおもふ。要聞麼。 得髄須知得処明 輪扁猶有不伝妙 第六祖。弥遮迦尊者。 五祖因示曰。仏言。修仙学小。似繩牽挽。汝可自知。若棄小流。頓帰大海。当証無生。師聞契悟師者中印度人也。為八千仙人長者也。一日率衆。瞻礼提多迦尊者曰。吾昔与師同生梵天。吾遇阿私陀仙人受仙法。師者遇十力弟子修習禅和。従是報分殊途已経六劫。尊者曰。支離累劫。誠哉不虚。今汝可捨邪帰正以入仏乗。師曰。昔阿私陀仙人授我記曰。汝却後六劫。当遇同学証無漏果。今也相遇。非宿縁耶。願和尚慈悲令我解脱。尊者時出家受具。余仙衆初生我慢。時尊者示大神通。仙衆於此倶発菩提心。一時出家す。ゆへに八千仙衆八千の比丘となりて。相したがひて出家せんとせしきざみ。尊者示曰。仏言。修仙学小乃至師聞契悟す。それ仙を学し。寿命長遠なることをゑ。神通妙用をうるといへども。過去八万劫・未来八万劫を通理するのみ。前後遠くかんがみることなし。非相・非非想を修して。無心想定にるといへども。かなしむらくは。非想天に生じ。長寿の天となりて。色体をうしなふことはゑたりといへども。なをこれ業識流注の分あり。仏に参ずることもゑず。道に通ずることもゑず。かの業識の報つくるとき。かへりて無間獄に墮在す。ゆへになはのひきまつうに似たり。つゐに解脱の分なし。小乗学者は初果を証し・二果を証し・三果を証し・四果を証し・独覚を証すといへとも。なをこれ身心中の修習。迷悟中の弁道なり。これによりて初果の聖者。八万劫をへて始めて初心の菩薩となる。二果の聖者は。六万劫をへて始めて初心の菩薩となる。三果の聖者は。四万劫をへて始めて初心の菩薩となる。独覚の聖者は。十千劫をへて菩薩道に入る。善因つゐに帰すといへども。うらむらくは。これによりて輪転の業なをたへず。またこれなはの牽挽するに似たり。本解脱の人にあらず。実にそれ八十八使の見思・塵沙無量の惑を破して。繊塵のとヾむべきなく。一毫の惑なしといへども。徒に有為功業にして。つゐに無漏の仏果にあらず。然れば本にかへり源にかへる。待悟為則の弁道。悉皆これに類す。ゆへに諸人者無をも要することなかれ。おそらくは落空亡の外道に同ふしつべし。空劫威音にとヾまるべからず。またこれ魂不散底の死人に似たり。妄法の空華をとヾめて。真実の本性に達せんとおもふことなかれ。却てこれ断無明証中道聖者に類す。雲なきところに雲をおこし。玼なきところに疵を生ず。あだかも伶俜他国の窮子なるべし。無明迷酔の貧客なり。おもふべし。汝はこれ誰人なれば。生前ととき・死後ととく。更になんの過・未・今をか存せん。曠劫以来片時もあひあやまることなし。従生至死たたこれ恁麼なり。然りといへども。一度築著せざれば。徒に根境に迷惑して。自己をしらざるものなるべし。目前をうとくするなり。ゆへに身心の生起するところをもしらず。万法の流出するところをもわきまへず。ゆへなくはらはんとおもひ。ゆへなくもとめんとねごふ。かくのごとくなるゆへに。仏をしてわじらはしく出世せしめ。祖師をしてねんごろに垂誡せしむ。恁麼に垂誡して手をたるといへども。なを自己の知見に迷惑せられて。あるいは不知ととき。あるひは不分ととく。真個無明なるにもあらず。親切函蓋するにもあらず。徒に思量計較の中にありて。正邪を見別し来る。しらずや汝ぢら諸人。呼にしたがひて応じ。指にしたがひていたる。これ擬慮より生ずるにあらず。覚知より起るにあらず。まさしくこれ汝ぢが主人公なり。その主人公面目なく体相なし。然れども動著してやむ時なし。これによりてこの心生じ来る。これを名けて身といふ。この身あらはれてより。然も四大・五蘊・八万四千の毛孔・三百六十の骨節。合成して汝ぢらが一身たり。玉の光りあるに似。声の響を帯するがごとし。ゆへに生来死去。一時もかげたるところなく。一時もあまれるところなし。恁麼の生滅。生ずれども生の始めなく。死すれとも死の跡なし。恰も海中の波浪おこりて痕なきがことく。また波浪の滅せざるがごとし。去り去れどもかつて別処にゆかず。たヾ海の消息としを。大波小波起つてきへず。汝ぢらが心もまたかくのごとし。動著してやむ時なし。ゆへに皮肉骨髄とあらはれ来り。四大五蘊と使用し来る。また桃花翠竹とあらはれ来り。得道明心と悟証し来る。声色品分れ。見聞道異なり。著衣喫飯と受用し。言語事業と運用す。分れ分れども差別の法にあらず。あらはしあらはるれども体相にとヾまらず。恰も幻人の諸の幻術をなすがごとく。夢中に諸の形像を出生するがごとし。鏡中に万像千変万化すといへども。只この一面の鏡なり。もしかくのごとくしらざれば。徒に仙を修し小を学し来らば解脱の期なし。諸人ことごとくこれ縛するものなし。なんそ新に脱するあらんや。迷悟もとよりなく。縛脱さきよりはなる。これ無生なるにあらずや。これ大海なるにあらずや。小流いづれのところにかある。塵刹微塵刹ことごとく法界海なり。溪流瀑漲江河旋洄する。みなこれ海上の溌転なるなり。而ふしてすつべき小流なく。とるべき大海なし。恁麼なるゆへに節目おのづから除けり。旧見一度に改まりき。仙を捨て出家す。これすなはち宿縁契発するなり。しかも諸人恁麼に三来三去し。心語即通す。実にこれ親友与親友相見し。自己与自己点頭し来る。ともに性海中に游泳して。片時も隔歴することなし。実に恁麼に感発せば。すなはちこれ宿縁あらはるべきなり。見ずや。馬大師曰。一切衆生従無量劫来。不出法性三昧。常在法性三昧中。著衣喫飯。言談祗対。六根運用。一切施為。尽是法性なりと。かくのごとく云ふをきヽて。法性の中に衆生ありと会すべからず。法性といひ衆生といふ。水と波といはんがごとし。ゆへに言によりて水ととき波ととく。あにこれ多種あらんや。今朝又説破因縁。更有卑頌。大衆要聞麼。 縦有連天秋水潔 何如春夜月朦朧 人家多是要清白 掃去掃来心未空 第七祖。婆須密多尊者。 置酒器於弥遮迦尊者前。作礼而立。尊者問曰。為是我器。為是汝器。師思惟。尊者曰。為是我器者。汝之本有性。若復汝器。我法汝当受。師聞大悟無生本性師者北印土之人也。姓頗羅墮。常服浄衣。手持酒器。遊行閭里。或吟或嘯。人謂之狂。不顯姓名。然弥遮迦尊者。遊化至北天竺国。見雉堞之上。有金色祥雲起。尊者謂徒衆曰。是道人氣也。是必有大士。為吾法嗣。言未了。師即到乃問曰。識我手中物否。尊者曰。是器而負浄者。師乃置酒器於弥遮迦尊者前乃至大悟無生本性。時酒器忽然不見。尊者謂曰。汝試自称名氏。吾当後示本因。師説偈而答。我従無量劫。至于生此国。本性頗羅墮。名字婆須密。時尊者示曰。我師提多迦説。世尊昔遊北印度。語阿難言。此国中吾滅後三百年有一聖人。姓頗羅墮。名婆須密。而於禅祖当獲第七。世尊記汝。汝応出家。師聞曰。我思往劫。嘗作檀那獻如来一宝座。彼仏記我曰。汝於賢劫釈迦牟尼仏法中。可続聖位。これによりて卒に第七の祖につらなる。師いまだ尊者のところに至らざるとき。十二時中酒器を持してすつることなし。実にこれ表準なり。この器あしたにも要し。くれにも要し。受用無礙なり。実にこれその器たることを表す。これによりて参学の最初に問て云。識我手中物否と。たとひ心これ道と会し。身是仏なりとあきらむるとも。なをこれ触器なるゆへに。もし触器ならば。かならず浄者にはまくべし。古今に亙るとも会せよ。本来具足とも知れ。皆是触器也。何の古とか説ん。何の今とか説ん。なにを始といひ。なにを末と云ん。如是の所見必ず浄者には負べし。理の最たるを聆て。師即酒器をさしをく。是即ち尊者に帰せし表準なり。是故に為是我器為是汝器と問しなり。已に古今の論にあらず。去来の見をも離。この時に到りてこれ我なりとやせん。これ汝なりとやせん。これ我にもあらず。これ汝にもあらずと。思惟せしところに。即ち示曰。為我器者。汝之本有性。然ればこれ弥遮迦の器にもあらず。若復汝器我法汝受べし。故に婆須密の器にもあらず。我与汝との器にもあらず。ゆへに器また器にあらず。ゆへに器即ちかくれぬ。実に一段始終の因縁。今人のよくしるべきところにあらず。たとひ参じ来り参じ去て。諸仏諸祖師尽力不到のところにいたるといへども。これ触器なるべし。かならず浄者にはまくべし。夫れ真箇の浄者は。浄もまた不立。ゆへに器また不立。ゆへに師資の道相契。通途無礙なるゆへに。我が法汝受べし。汝之本有性なるゆへに。一法の他にうくるなく。一法の人にさづくるなし。恁麼に参徹するとき。師ともいふべし。資ともいふべし。ゆへに子即ち師の頂にのぼり。師即ち子の足にくだる。この時両物なく分析なし。ゆへに器とも称しがたし。すなはち器かくれし。この道のまさに通ぜん表準なり。今日ももしこの田地にいたりゑば。従来の身心にあらず。ゆへに古今に亙るともいひがたし。なにいはんや。生死去来と称するあらんや。皮肉骨髄を存することあらんや。実にこれ虚凝一片の田地。つゐに表裏なく。内外なし。今日又卑語をつけて。適来の因縁を挙せんとおもふ。大衆要聞麼。 霜曉鐘如随扣響 斯中元不要空盞 第八祖。仏陀難提尊者。 値七祖婆須密多尊者曰。今来与師論義。尊者曰。仁者論即不義。義即不論。若擬論義終非義論。師知尊者義勝。悟無生理師者迦摩羅国之人也。姓瞿曇氏。頂上有肉髻。弁捷無礙。第七祖婆須密多尊者。行化至迦摩羅国。広興仏事。師於宝座前。自謂。我名仏陀難提。今与師論義。尊者曰。仁者論即不義。義即不論。実に夫れ真実の義は論ずべきにあらず。真実の論はまた義を帯せず。ゆへに論あり。義あるはこれ義にあらず。論にあらず。ゆへにいふ。若擬論義終非義論。ついに一法の義とすべきなく。一法の論とすべきなし。然も仏に二種の語なし。故に仏語をみるは仏身を見るなり。仏身を見ば仏舌を証する也。然れば縦ひ心境不二と説も。猶是れ真実の論にあらず。設ひ変易せずといふとも。猶是れ義にあらず。故に言ののぶべきなく。理のあらはすべきなしといふとも。猶是れ義通ずるにあらず。性はすなはち真なり。心はすなはち正なりと説も。又是れ何の論ぞ。然も光境ともに亡ずといふも。猶是れ真実の論にあらず。光境ともに亡ぜざるも。又是れ義にあらず。然れば賓と説き。主と説き一と説き同と説くも。かさねて是れ義の論にあらず。こヽにいたりて。文殊大士無言無説と説くも。是れ真実の宣にあらず。維摩大士拠座黙然せしも。又是れ義の論にあらず。此の処に到りて。文殊猶見錯り。維摩猶云錯と。なに況や智恵第一の舍利弗。神通第一の目犍連。此の義を見ること未夢見。あだか生盲の物色をみざるがごとし。然も仏の言。仏性は声聞縁覚の夢にも未だしらざるところなり。大般涅槃経卷八如来性品第四之五云。善男子如是仏性唯仏能知。非諸声聞縁覚所及十住の菩薩猶とほく鶴をみて。是れ水なるかこれ鶴なるかとあやまる。且く計較思惟して。良是鶴なりと見るといへども。猶是れ決定ならず。同経同品云。善男子。譬如渇人行於曠野。是人渇逼遍行求水。見有叢樹。樹有白鶴。是人迷閟不能分別是水是樹諦観不已。乃是白鶴乃以叢樹。善男子。十住菩薩於如来性知見少分。亦復如是然も十住の菩薩猶是見仏性不明了同経同品云十住菩薩雖於己身見如来性。亦復如是不大明了。然も少しく如来の所説によりて。自性あることをしりて。歓喜して曰く。我れ無量劫生死の間だに流転して。この常住なることをわきまへざりしことは。無我の為に惑乱せられてなり同経同品云。十住猶未能見所有仏性。如来既説。即便少見。是菩薩摩訶薩既得見。已咸作是言。甚奇也。世尊。我等流転無量生死。常為無我之所惑乱然も見聞を絶し。身心を忘じ。迷悟をさけ。染浄を離れたりといふとも。この義を見ること夢にも又見ること不得。故に空中に向ひて求むることなかれ。色中におきて求むること勿れ。何況や仏に求め祖に求めんや。然も諸人者曠大劫より以来今日にいたるまで。幾回か生死を経歴し。幾回か身心を起滅し来或ひはおもふべし。此の生死去来は夢幻妄想なりと。殊に笑べし。これ何の説話ぞ。抑も生死去来するものあるか。なにを真実の人体といはんや。なにを夢幻妄想なりといはん故に虚妄とも会すべからず。真実とも会すべからず。もし虚妄と会し真実と会せば。此の処にいたりて始終不是なり。故に此の一段の事。子細に須く参徹して始てえん。謾に空を擬し正を擬してもて。恁麼のところとおもふことなかれ。たとひ平坦の水の如く。清潔清浄なりとあきらめて。虚空染浄なきが如くなりといふとも。卒に未だ此のところを明らめえんや。洞山和尚潙山雲巌に参じて。たちまち万法と同参し。全身説法すといふとも。猶是れ不具なることありき。これによりて。雲巌重て慰めて曰。這事を承当せんこと子細にすべしと。此れによりて疑ひ猶のこることありて。暫く雲巌を辞し。他所へゆきしに。水を渡る時影をみて。速かに此事をえて。説偈曰。切忌随他覓。迢迢与我疎。我今独自往。処処得逢渠。渠今正是我。我今不是渠。応須恁麼会。方得契如如。如是解して。卒に雲巌の嫡子として。洞宗の根本たり。然も全身説法を会するのみにあらず。露柱灯籠塵塵爾り。刹刹爾り。法法爾り。三世一切説を会すといふとも。猶不至処ありて慰めき。なに況や。今人知見の中に会して。心是れ仏と会し。身これ仏と会し。或は仏道如何なるべしとも会せず。ただ春の華開くをみ。秋の葉散るをみ。法住法位とおもへり。是れわらふにたへたるものなり。仏法如是ならば。何によりて釈迦出世し。達磨西来せん。然るに上釈尊より唐土以来の祖師。仏祖位中に別なし。誰か是れ大悟せざりつる。人ことに依文解義もて義とし論とせば。いくそばくの仏祖かあらん。故にかれをなげすて。このところを参徹して。自ら仏祖なることをえん。故に祖師の道殊に大悟大徹せずんば。其の人にあらず。故に純清絶点にもとどまらず。虚空明白にもとどまらず。故に船子和尚曰。直須蔵身処沒蹤迹。沒蹤跡処莫蔵身。吾三十年在薬山祇明斯事。純清絶点是非蔵身処也。光境共に忘ずといふとも。猶このところに蔵身することなかれといふ。更に古今と説くべきところなし。迷悟と論ずべきことなし。恁麼に参徹する時。十方壁落なく。四面又門なし。処処脱白露浄なり。故に大須子細。卒爾なることなかれ。今朝此の因縁を説破せんとするに。卑頌あり。要聞麼。 善吉維摩談未到 目連鶖子見如盲 若人親欲会這意 鹽味何時不的当 第九祖。伏駄密多尊者。 聞仏陀難提説汝言与心親。父母非可比。汝行与道合。諸仏心即是。外求有相仏。与汝不相似。欲識汝本心。非合亦非離。師乃大悟師者提伽国人也。姓毘舍羅。仏陀難提行化至提伽国城毘舍羅家。見舍上有白光上騰。謂其徒曰。此家当有聖人。口無言説。真大乗器。足不蹈地。知触穢耳。則是吾嗣。言訖。長者出投礼問。何所須。尊者曰。我求侍者。長者曰。我有一子。年已五十。口未会言。足未会履。尊者曰。如汝所説真吾弟子。尊者見之如是云を聞。師即遽起礼拝。而説偈相問曰。父母非我親。誰是最親者。諸仏非我道。誰是最道者。尊者以偈答曰。汝言与心親乃至非合非離。時師聞妙偈。即行七歩。尊者曰。此子昔会値仏悲願広大。慮父母愛情難捨故。不言不履耳云云実に父母非我親。諸仏非我道。故に正く親きことをしらんと思はば。父母に比すべきにあらず。正く道なることをしらんとをもはば。諸仏に学すべきにあらず。所以者何となれば。汝が見聞卒に他の耳目をからず。汝が手足他の動静を不用。衆生も恁麼なり。諸仏も恁麼なり。かれ是れを学び。是れかれを学ぶは。卒に是れ親きにあらず。あに道とすべけんや。恁麼の道理を護持保任する。故に口にものいはず。足ふまず。やヽ五十年をへたり。実に是れ大乗の器。触穢中にあらざらまくのみ。父母我親にあらずといふ。即是れ汝が言なり。これまさに汝が心としたしし。諸仏吾が道にあらずといひて。足遂にふまず。即汝が行なり。道に合す。然れば外に有相の仏を求むる。卒に是れ非行。此れによりて祖師門下。不立文字直指単伝して。見性成仏しもてゆく故に。人をして直指なることをしらしめんとして。単伝せしむるに他の榜樣なし。ただ人をして直に意根下を坐断して。口辺に白醭を生ぜしめもてゆく。是れ言を忌むにあらず。黙をよみするにあらず。汝が心恁麼なることをしらしめんとなり。清水の如く虚空の如し。純白清潔にして和融無礙也。故に自心の外にあらはるヽ一物なく。己霊の上に繊塵の遮るべきなし。全体明瑩にして珠玉に列せず。日月の光明をもて自己の光明に比することなかれ。火珠の光明をもて自己の眼睛に比することなかれ。不見道。人々一段の光明あきらかなること。千日並び照すが如し。くらきものは内に向ひて覓め。明かなるものは外に向ひて存せず。しづかにをもふべし。内をもて親きとすることなく。外をもて疎とすることなしと。古往今来如是なりといへとも。自倒自起し来ることなかれ。故に祖師親切に相見す。只恁麼に相逢。更に無多子。適来の因縁をもてあきらめつべし。必ずしも修証によりていたるべしといはず。三学によりて窮むべしといはず。只汝が心全く汝と親し。汝まさにこれ道なりといふ。此の外に有相の仏も求めず。無相の仏も求めず。実にしりぬ。汝ぢ誰れにか合せん。誰とか離せん。卒に合にあらず離にあらず。たとひ是れ身と説もこれ離にあらす。たとひ是れ心と説も亦これ合にあらず。恁麼の田地に到るといへども。身の外に心を覓むることなかれ。たとひ生死去来すれども。身心の作にあらず。諸仏も恁麼に保任して。三世に常に証し。諸祖も恁麼に保任して。三国にあらはれきたる。諸人者も恁麼に保任して。更に分外にすることなかれ。十二時中卒にいまだ相錯ることなし。十二因縁却てこれ転法輪なり。此の田地にいたる時。五道の輪転自ら大乗の翻軸なり。四生の受業まさに是れ自己の活計。たとひ情と説き非情と説くも。恰も眼目の異名なり。たとひ衆生といふとも。心意の別称也。心を勝れたりとして意を劣れりとすることなかれ。あに眼をいやしみて目を貴とせんや。這箇の田地卒に根塵の境界なく。心法の所見なし。故に人人悉く是れ道なり。事事すべて心ならざることなし今朝又此の因縁を指説せんとするに。卑語あり。大衆要聞麼。 莫言語黙渉離微 豈有根塵染自性 第十祖。脇尊者。 執侍伏駄密多尊者左右三年。未嘗睡眠。一日尊者誦修多羅及演無生。師聞悟道師者中印度人也。本名難生。初師将誕。父夢。一白象背有宝座。座上安一明珠。其光照四衆。既覚遂生。伏駄密多尊者。至中印度行化。時有長者香蓋。携一子而来。瞻礼尊者曰。此子処胎六十歳。因号難生。復嘗会一仙者。謂此兒非凡。当為法器。今遇尊者。当出家。尊者為落髮授戒。処胎六十年。生後八十年。都盧一百四十年也しに。始めて発心す。老耄せることいたりて老耄せり。此れによりて発心せんとせし時。人皆いさめて。汝すでに老耄す。徒に清流にあとしてこれなににかせん。出家に二種あり。一には習禅。二には誦経。汝たゆべきにあらず。師世人のそしりをききて。自誓ひていはく。我出家して若し三蔵を学通じ。三明を得ることなくは。誓脇不著席。如是ちかひて。ひるは参学誦経し。よるは安禅思惟して。卒に睡眠せず。初め出家せんとせし時。祥光燭座。仍感舍利三七粒現前。自此精進忘疲三年。遂に三蔵を学通じ。三明智を開く。一日尊者誦修多羅。演無生時。師聞悟道し。卒に第十祖に列す。可知仏祖の功業として。かくのごとく精進。つかれをわすれて参学・誦経・安禅・思惟す。祖師も又尋常に修多羅を誦し。及ひ無上をのぶ。此れ修多羅といふは。正真大乗経也。同仏説なりといへども。大乗経にあらざれば。誦することなし。了義経にあらざれば。依ることなし。此の大乗経といふは。繊塵をはらふととかず。妄想を除くといはず。了義経といふは。必ず理を尽し。妙を尽すのみに非ず。即其事を尽し来る。所謂事をつくすといふは。諸仏の発心より菩提の涅槃にいたり。三乗五乗を説き来て。劫国名号みなもてつくさずといふ事なし。此れを了義とする也。然れば仏経は如是としるべし。たとひ一句を道得し。一理を通得すといへども。一生参学の事おはらずんば。即是れ仏祖とゆるしがたし。然れば必ず精進忘疲。発心群をぬけ修行倫を絶して。子細に参到し。委悉に究弁して。夜をもて日につぎ。志をたてて力をおこし。仏祖出世の本懷。自己保任の旨趣。悉く明弁して。一生の間にをひて。理として通ぜずといふことなく。事としてつくさずといふ事なふして。即是れ仏祖なるべし。近来祖師の道すたれ。参学の実処なきによりて。卒に一言を通じ。一理を通ずるをもて。足んぬと思へり。恐くは是れ増上慢の類なるべし。大におそるべし。不見道。道は山の如く。登ればますます高し。徳は海の如し。入ればますます深し。深きに入て底をきはめ。高きに登りて頂をきはめて。始て真の仏子たらん。身心徒に放捨することなかれ。人人悉く道器なり。日日是好日なり。只子細に参と不参とによりて。徹人未徹人あり。必ずしも人をえらぶにあらず。時をえらぶにあらさること。今の因縁をもて知るべし。既に百四十余。老耄す。然れども志し無二によりて。精進疲を忘れしかば。卒に一生に参学しおはる。実に可憐老骨の身として。左右に侍する事三年。卒に不睡眠といふ。今人は殊に老ておこたることあり。はるかに往古の先聖を思ひやりて。寒苦をも寒苦とせず。暑熱をも暑熱とせずして。身命を断ずと思ふ事なかれ。心慮不及と思ふことなかれ。若し能く如是ならば。すなはち稽古の人なるべし。是れすなはち有道の士なるべし。若し稽古あり有道ならんが如きんば。たれか是れ仏祖にあらざらん。すでに修多羅を誦すといふ。夫れ修多羅を誦すること。必ずしも口に誦し。手に取りて以て転経とのみすべからず。子細に仏祖の屋裡にして。いたづらに声色の中に功夫せず。無明胎中に行履せず。処処に智恵発生し。時時心地開明して。すべからく修多羅を誦すべし。十二時中恁麼に行履し来るに。会て依倚せざらんが如きんば。即是れ無生の本性を体達せざるなかるべし。しらずや。生じ来れども従来するところなく。死し去れども亦去処なし。当処に出生し。随処に滅尽す。起滅時とともにおこたらず。故に生是れ生にあらず。死是れ死にあらず。然も参学人として。生死を以て心頭にかくることなかれ。見聞を以て自らへだつることなかれ。たとひ見聞となり。声色となるとも。自の光明蔵なり。眼根より光明を放て。色相荘厳をなし来り。耳根より光明を放て。音声の仏事をきき得たり。手裏に光明を放て。転自転他。脚下に光明を放て。進歩退歩。今日又恁麼の道理を指説せんがために。卑語をつけんと思ふ。要聞麼。 転来転去幾経卷 死此生彼章句区 第十一祖。富那夜奢尊者。 合掌立脇尊者前。尊者問曰。汝従何来。師曰。我心非往。尊者曰。汝何処住。師曰。我心非止。尊者曰。汝不定耶。師曰。諸仏亦然。尊者曰。汝非諸仏。諸仏亦非也。師聞此言。経三七日修行。得無生法忍。告尊者曰。諸仏亦非。非尊者。尊者聴許付正法師者華氏国人也。姓瞿曇氏。父宝身。脇尊者初至華氏国憩一樹下。右手指地。告衆曰。此地変金色。当有聖人入会。言訖即地変金色。時有長者子富那夜奢。合掌立云云尊者因説偈曰。此地変金色。預知聖至。当坐菩提樹覚華而成已。夜奢復説偈曰。師坐金色地。常説真実義。回光而照我。令入三摩諦。尊者知師意。即度出家。令具戒法。適来因縁。夜奢尊。元来是聖者也。これによりて我心非往我心非止。諸仏亦然と説。然も猶是両箇見。也。所以者何となれば。我心も如是諸仏も如是と会す。是によりて尊者驅耕夫之牛。奪飢人之食。真実得達の人も猶是自救不了也。なに況や諸仏を存することあらんや。是によりて汝非諸仏と説。これ理性を以てしるべきにあらず。非相を以て弁ずべきにあらず。故に諸仏の智を以て知るべきにあらず。自己の識を以てはかるべきにあらず。故に此言を聞てより。三七日の間だ修習行道して。さしおくことなし。遂に一日覚触して。まさに我心を忘し。諸仏を解脱す。これを無生法忍を悟るといふ。遂にこの理に通じて。辺表なく内外なきによりて。その得処を説に曰く。諸仏亦非尊者なりと。実にこれ祖師の道は。理をもて通ずべきにあらず。心をもて弁ずべきにあらず。故に法身法性万法一心をもて究竟とするにあらず。故に不変とも説くべからず。清浄とも会すべからず。なに況んや。空寂なりと会せんや。至理なりと弁ぜんや。故に諸家の聖者。悉くこの処にいたりて初心を回し。再び心地を開明して。直に入路を通じ。速かに己見を破す。今の因縁をもて可知。已に是聖者たるによりて。来る時地すなはち変じ。徳風ものをおどろかす力あり。然れどもなほ三七日の間だ修習して。この所に達す。故に諸人者子細に明弁して。わづかに小徳小智己見旧情をもて宗旨を定ることなかれ。大にすべからく子細にしてはぢめてうべし。今朝又此の因縁を会せんとするに。忝く卑語をもてす。大衆要聞麼。 我心非仏亦非汝 来往従来在此中 第十二祖。馬鳴尊者。 問夜奢尊者曰。我欲識仏。何物即是。尊者曰。汝欲識仏。不識者是。師曰。仏既不識。焉知是乎。尊者曰。既不識仏。焉知不是。師曰。此是鋸義。尊者曰。彼是木義。復問。鋸義者何。師曰。与師平出。又問。木義者何。尊者曰。汝被我解。師豁然省悟師者波羅奈国之人也。亦名功勝。以有作無作諸功徳最為殊勝故名焉。即三夜奢尊者処。最初問曰。我欲識仏。何者即是。尊者曰。汝欲識仏。不識者是。実参学最初。必尋ぬべきは是仏なり。三世諸仏・数代祖師。尽是学仏漢といふ。若仏を学せざれば。悉くこれ外道と名く。故に音声をもて求むべきにあらず。色相を以て求めしるべきにあらず。故に三十二相・八十種好をもて仏とするにたらず。因て我欲識仏何者即是なると問来る。即示曰。汝欲識仏不識者是なりと。いはゆる不識者といふは。まさにこれ馬鳴尊者也。豈他。未知時もしれるときも別の保任なし。他の樣子なし。故に昔しより今に及びて。只如是有時は三十二相を帯し。八十種好を具し。三頭八臂を帯し。五衰八苦に沈み。有時は被毛戴角し。有時は鉄擔架鎖す。常に三界中に居して。自己の行履を保任し。自心の中に頭出頭沒して。異面を帯し来る。故に生じきたるも是何者なりとしらず。死し去るも是何者なりとしらず。形をつけんとすれども。是造作すべき法にあらず。名を安ぜんとすれども。亦これ建立すべきことにあらず。故に劫より劫に至るまで。会てしるところなく。我にしたがひ我に共なふとも。都て弁ずることなし。適来の因縁を聴て。多く解して曰く。いかにもしることあるは。即是仏にたがはん。しることなく分つことなからん。正に是仏なるべしと云。今の不識恁麼に会せば。何ぞ煩はしく夜奢尊者恁麼に示さん。従冥入於冥に。只是のごとく都て恁麼ならざる故に。直に示して曰。不識者是也と。馬鳴なほ明らめず。只是従来の不知といふをもて今の示す処を解す故に。曰。仏既不識焉知是乎。尊者重て示して曰。既不識仏焉知不是仏。その外に求むべきにあらず。不知者即ち是仏なり。豈不是と云べけんや。師曰。此是鋸義。尊者曰。彼是木義。夜奢復問。鋸義者何。師曰。与師平出。馬鳴又問。木義者何。尊者曰。汝被我解。師豁然省悟。実に汝も如是我も如是。八字に打開し両手に分付す。汝も我も一点を受ず。吾も汝も少分をからず。これによりて平出せること恰も鋸の如し。故にいふ鋸義と。師解曰。吾是木義と。尊者曰。彼是木義。所以者何なれば。黒漫漫として総て知る処なし。更に一点をも著ず。一知をも假らず。恰も木頭の如く又露柱の如し。無心にして恁麼也。終に弁別する処なし。恁麼に会する。故に道ふ彼は是木の義と。然れ共恁麼の処解。余習なほ殘て師義を不知。此に尊者慈悲落草の故に。復問。鋸の義とは何ぞや。師曰。与師平出すと。此に至りて重て自ら道取して。又問。木義とは何ぞや。夜奢復授手分付して曰。汝我に解せらると。爰に師資の道通じ。古今情やぶれて。夢中に路をなし来り。空裏を運歩しもてく。故に曰く。汝被我解。ここに到りて無心凝結すみやかにとけ。明白の窠窟もぬけ来て。豁然として開悟。遂に第十二祖に列す。尊者謂衆曰。此大士者。昔為毘舍離国王。其国有一類人。如馬裸露。王運神力。分身為蠶。彼乃得衣。彼王後生中印度。馬人感戀悲鳴。因号馬鳴焉。如来記云。吾滅度後六百年。当有賢者馬鳴者。於波羅奈国摧伏異道。広度人天。度人無量。継吾伝化。今正に是時なりと云ひて。夜奢即付嘱如来正法眼蔵。此の一段始終のところ。みだりに不識不受のところとして。処処不識なるところとすることなかれ。即ち不識なりとも。未胞胎のところにして。子細に見得し。子細に思量して。仏面祖面を摸索すれどもえず。人面鬼畜を求覓すれどもえず。是不変なるにもあらず。是動著するにもあらず。会て空なるにもあらず。内外の論なく。正偏のへだてなし。まさに是れ自己本来の面目なることを覚知して。たとひ凡聖含霊とあらはれ来り。依正二報とわかれ来れども。全くこの中に去来し。此中に起滅す。あだかも海水のなみををこすが如く。おこりおこれども会て一水もまさず。又波の滅するが如し。滅し滅すれども一滴もうしなはず。会て人間天上の中に。しばらく諸仏と呼れ来り。兎畜と呼れ来る。恰も一面上にかりに衆面を現ずるが如し。是仏面とせんも不是。鬼面とせんも不是。然も建化門頭の事。敲唱し来り。まさに如幻三昧を修習し。夢中の仏事をなし来る。これによりて西天の化導幻術今に不断。三国流転して。転凡入聖し来るなり。よく恁麼に転変修習して。まさに自己の罪過をもうとくせず。自己の生死にもまどはされず。これ真箇本色の衲僧なるべし。今日適来の因縁を挙揚するに。例によりて卑語あり。要聞麼。 野村紅不桃華識 更教霊雲到不疑 第十三祖。迦毘摩羅尊者。 因馬鳴尊者説仏性海曰。山河大地皆依建立。三明六通由茲発現。師聞信悟師者華氏国人也。初為外道。有徒三千。通諸異論。馬鳴尊者於華氏国転妙法輪。忽有独老人。座前仆地。尊者謂衆曰。此非庸流。当有異相。言訖則不見。又俄従地涌出一金色人。復化為女子。右手指尊者而説偈曰。稽首長老尊。当受如来記。今於此地上宣通第一義。説偈訖不見。尊者曰。将有魔来。与吾校力。暫ありて風雨悪到。天地晦冥。尊者曰。魔来証也。吾当除之。即指空中。現一大金龍。奮発威神。震動山嶽。尊者嶽然於坐。魔事随滅。経七日有一小蟲。大若蟭螟。潜形座下。尊者以手取之。示衆曰。斯乃魔之所変。盜聴吾法耳。乃放之令去。魔不能動。尊者告之曰。汝倶帰依三宝即得神通。魔遂復本形。作礼懺悔。尊者問曰。汝名誰耶。眷属多少。答曰。我名迦毘摩羅。有三千眷属。汝尽神力変化若何。曰。我化巨海極為小事。尊者曰。汝化性海得否。曰。何謂性海。我未嘗知。尊者即為説性海曰。山河大地皆依建立。三明六通由茲発現。師聞信悟す。実に老人仆地より。蟭螟蟲となるにいたるまで。神力を現ずること実に無数なり。いはゆる化巨海極為小事。夫れ海を変して山となし。山を化して海となし。神力を現することきはまりなしといへども。性海未だ名をだにもしらず。何にいはんや化することあらんや。然も山河大地何物の変と覚することなきに。馬鳴すなはち説く。是れ性海の変なりと。しかのみならず三明六通これより変ず。いはゆる三昧は首楞厳等の無量三昧。天眼天耳六通これ始もきはなく。終りもきはなく。前三三後三三即是なり。正に是山河大地を建立するとき。三昧地水火風と化し。山河草木とも化す。所謂皮肉骨髄とも変じ。五体身分とも化し来る。未た一事一法として分外より来るにあらず。故に十二時中虚捨る底の功夫なく。無量生死いたづらにあらはるヽ底の相貎なし。故に眼に見ることもきはまりなく。耳に聞くこともきはまりなし。恁麼の見聞をそらくは仏智もはかるべきことあらじ。あにこれ性海の化作ならざらんや。故に法法塵塵すべてこれ涯畔なき法なり。全く是れ数量に墮せず。是即性海なり。故に如是然も今身をみるは。すなはち是れ心をみるなり。心をしるはこれ身を証するなり。全く身心二つなし。性相何ぞ分たん。たとひ今ま異道の中にありて神変を現ずるも。又是分外にあらざれども。自らしらず。これ性海なりといふことを。これによりて自をも疑惑し。他をもうたがひ来。然も其の諸有をしらざれば。総に未達根本者力らをたくらぶるにたへず。故に魔力終につきて。神変しがたし。遂に己をすて他に帰し。あらそひをやめて正をあらはす。然ればたとへ山河大地を会すとも。徒に声色の中に繋縛することなかれ。たとひ自己本性をあきらむとも。又覚知にとどまることなかれ。また覚知も一両の仏面祖面なり。いはゆる墻壁瓦礫これ也。本性はまた見聞覚知にかかはらず。動静によらず。然れども性海を建立すれば。必ず動静去来遂に断ることなし。皮肉骨髄時と共にあらはれ来る。若し根本を論ぜんがごときんば。見聞とあらはれ。声色とあらはるとも。他の為にすべきなし。然れば空を扣てひヾきをなす。故に衆声を現ず。空を化して諸物をあらはす。故に形貎区なり。故に空は是れ形なしとおもふべからず。空はこれ声なしとおもふべからず。更にこのところに到りて子細に参到する時。これ空とすべきにあらず。これ有とすべきにあらず。故に隠顯の法とすべきにあらず。自他の法とすべきにあらず。なにを呼て他とし。なにを喚て我とせん。恰も空裏に一物なきか如く。大海に諸水現するに似たり。古今会て変易せず。去来あに別路あらんや。故にあらはるヽ時も一点をも添ず。かくるヽ時も一毫をもうしなはず。衆法を合成して此の身とす。万法を泯絶して更に一心と説く。故に道を明め心を証すること。すべて分外に向ひて求覓することなかれ。只自己本地の風光現成し来れば。他このを呼て人面鬼畜とす。雪峯曰。要会此事。我這裏如一面古鏡相似。胡来胡現。漢来漢現。全くこれ如幻三昧。故に始もきはまりなく。終りもきはまりなし。故に山河大地を建立する時も皆依是。顯発三明六通時も由茲。この故に自心の外に大地寸土をみることなかれ。性性の外に河水一滴をつくることなかれ。今朝又此の因縁によりて卑語を著んと欲す。要聞麼。 良久 曰渺波濤縦滔天 清浄海水何会変 第十四祖。龍樹尊者。 因十三祖赴龍王請。受如意珠。師問曰。此珠世中至宝也。是有相耶。無相耶。祖曰。汝只知有相無相。不知此珠非有相非無相。亦未知此珠非珠。師聞深悟師者西天竺国人也。龍猛亦名龍勝。十三祖当時受度伝法。至西印土。彼有太子。名雲自在。仰尊者名請於宮中供養。尊者曰。如来有教。沙門不得親近国王大臣權勢之家。太子曰。今我国城之北有大山焉。山中有一石窟。師可禅。寂于此否。尊者曰。諾。即入彼山行数里。逢一大蟒。尊者直進不顧。蟒来遂盤繞尊者身。尊者因与授三帰依。蟒聴訖而去。尊者将至石窟。復有一老人。素服而出。合掌問訊。尊者曰。汝何所止。老人答曰。我昔嘗為比丘。多楽寂静。隠居山林。有初学比丘。数来請益。而我煩於応答。起瞋恨想。命終墮為蟒身。住是窟中。今已千載。適遇尊者。獲聞戒法。故来謝耳。尊者問曰。此山更有何人居止。曰。此北去十里有大樹。蔭覆五百大龍。其樹王名龍樹。常為龍衆説法。我亦聴受耳。尊者遂与徒衆詣彼。龍樹出迎尊者曰。深山孤寂龍蟒所居。大聖至尊何枉神足。尊者曰。吾非至尊来訪賢者。龍樹黙念曰。此師得決定性明道眼否。是大聖継真乗否。尊者触曰。汝雖心語。吾已意知。但弁出家。何慮吾触聖不聖。龍樹聞已。悔謝出家。尊者即与度触脱。及五百龍衆倶受具戒。然しより尊者に触したがひて四年をふるに。十三祖龍王の触請にをもむきしに。如意珠をたてまつる。触師問曰。此珠世中至宝也乃至師聞深悟す。触終に第十四祖に列す。夫れ龍樹は異道を触学し神通を具す。常に龍宮に行。七仏の経触書を見。その題目を見てすなはち経の心触をしり。よのねつに五百の龍を化す。いは触ゆる難陀龍王・跋難陀龍王等は皆これ等触覚の菩薩也。悉く前仏の付嘱をうけ。諸経触を安置したてまつる。今大師釈尊の経教。触人天すてに化縁つきん時も。悉く龍宮に触をさまるべし。如是大威神ありて。尋常大触龍王と問答往来すといへども。これ真実触の道人にあらず。只是外道を学する耳也。触一度十三祖に帰せしよりこのかた。まさ触に是大明眼也。然るを人人皆おもはく。龍触樹は只是祖門の十四祖なるのみにあら触す。またこれ諸家の祖師たる故に。真言も触是をもて本祖とす。天台も是をもて根本触とす。陰陽蠶養等も是もて根本とす。これ触みなむかし諸芸を習しかども。祖位に列触してのちは捨られし。諸芸弟子われも龍触樹は即本祖なりといへり。是すなはち龍樹なりとおもはん。正邪を混乱して。玉石を弁ぜざる。魔黨畜類なり。たヾ龍樹の仏法。迦那提婆のみすなはち正伝なり。余は皆すてられし諸宗なりと。今の因縁をもてしるべし。五百の龍衆を接化すといへども。猶迦毘摩羅尊者至るとき。出てむかひて礼拝し。こヽろみんとす。尊者しばらく隠密して正宗をあらはさず。龍樹黙念じて曰。是真乗をつげる大聖なりやと。心中にはかりみんとす。祖曰く。但弁出家。何慮吾之不聖。といひしかば。龍樹慚愧して。十三祖につぎ来る。今の因縁をもて明むべし。曰く此珠世中の至宝なり。是珠有相なりや。無相なりや。実に龍樹さきよりしれり。是有相なりとやせん。無相なりとやせん。頗る有無の所見を動執するなり。これによりて祖示云云実にたとひ世間の珠なりといへども。真実を論せん時。これ有相無相にあらず。只これ珠なり。いはんや力士の額にかかる珠。輪王の髻に包みし珠。龍王の珠。酔人衣裏の珠。悉く他の所見にわたらず。有相無相とも弁じがたし。然れども適来の珠は。悉く世間の珠也。全く是道中の至宝にあらず。何況や此の珠又珠にあらざることをしることあたはず。実に精細にすべし。玄沙曰。全体是珠。令誰知。又曰。尽十方世界。是一顆の明珠と。実に是れ人天の所見をもて弁ずべきにあらず。然れともたとひ世間の珠なるも。全く外より来るにあらず。悉く人人の自心より発現し来る。故に天帝釈は是を如意珠宝とも。摩尼珠宝とも受用し来る。病ある時も此の珠をおけば病すなはちいゆ。憂ある時も此の珠を戴だけば憂おのづから除く。神通変現を現することもこの珠による。輪王七宝中に摩尼宝珠あり。一切の珍宝悉くこれより出生す。受用するに無量なり。かくのごとく人天の果報にしたがひて勝劣あり。差別あり。人間の如意珠とは米粒をもなづけたり。是れを珠宝とす。是れ天上の珠に比するに造作建立とす。然も是を呼て珠とす。又如来の舍利仏法滅する時如意宝珠となり。一切をふらし。米粒ともなりて衆生をたすくべし。たとひ仏身と現し。米粒と現じ。万法とあらはれ。一顆と顯はるるとも。自心あらはれて五尺の身となり。三頭の形となり。被毛戴角の形となり。森羅万像品品となる。然も即すべからく彼の心珠を弁ずべし。昔の比丘の如く寂静をねがひ。山林に隠居することなかれ。実に是前来も如是未得道なるあやまりあり。近来も如此未得道なる錯りあり。猶諸人と肩をまじへ参来参去すること。閑静ならざる故に。独り山林に居して。しづかに坐禅行道せんと。かくのごとくいひて。ををく山谷に隠居し。みだりに修錬する類。ををくはもて邪路に趣き来る。ゆへいかんとなれば。其の真実をしらず。徒に自己を先とするゆへなり。又曰。大梅常禅師も鉄塔をいただき。松煙の中に坐す。潙山大円禅師も虎狼をともとして。雲霧の底に修す。我等もかくの如く修習すべしと。実に笑ひぬべし。古人悉く得道して。正師に印記を受け。しばらく道業を純熟せしめん為に。機縁をまつ間た。如是修せしなりと可知。大梅は馬祖の正印を受け。潙山は百丈の伝付をゑし後なり。愚見のおよぶところにあらす。隠山羅山等の古人。いづれも未得道の先に独住せしことなし。徳行を一時にふるひ。名を末代に留る。明眼の大聖得道の真人なり。徒に参ずべきを参ぜず。至るべきに至らず。山谷に居して獼猴の如くならん。もつともこれ無道心の甚しきなり。若し道眼清明ならず。自調修錬する者は声聞円覚となり。虚く敗種の者たらん。いはゆる敗種といふは。やけたるたねなり。仏種を断ず。然るに諸人者子細に叢林に修錬し。長時に知識に参尋して。大事悉く明め。自己まさに明弁しをはり。其後しはらく根を深くし。蔕をかたくせんことは。曩祖の付嘱なりといふとも。殊に此一門の中。永平開山独住を誡めらる。是れ人を邪路に趣むかせじとなり。殊に先師瑩祖初随侍孤雲祖。故曰先師。末又在之二代の示曰。我が弟子は独住すべからず。たとひ得道せりとも叢林に修錬すべし。況やまた参学の輩は一向独住すべからず。是の制に背せん者は吾門葉にあらずと。又円悟禅師曰。古人得旨之後。向深山茆茨石室。折脚鐺兒煮飯喫。十年二十年大忘人世。永謝塵寰。今時不敢望。又黄龍南曰。自ら道を守り。山林に在て老かがまらんより。何そ衆を叢林に引入するにはしかん。近代諸大宗匠みな独住を好まず。況や人の根器ことごとく昔の人よりも劣なり。たた叢林にありて修錬弁道すべし。古人も如此。猶用心疎なるによりて。猥りに寂静を好みしかば。新学の比丘来て請益せしに。可答不答。瞋恚を発しき。実にしりぬ。其の身心未調。知識に離れ。閑居独住せんこと。たとひ龍樹の如く説法すといへども。唯是業報類なるべし。諸人厚植善根なるによりて。正しく如来の正法を聞えたり。いはゆる不親近国王大臣と。独住閑居を好楽せず。ただ道業を精進し。專ら法源を透脱すべし。是れまさに如来の真口訣なり。今日適来の因縁を挙揚するにすなはち卑語あり。要聞麼。 孤光霊廓常無昧 如意摩尼分照来 第十五祖。迦那提婆尊者。 謁龍樹大士。将及門。龍樹知是智人。先遣侍者。以満鉢水。置於座前。尊者覩之。即以一針投。而進之相見。忻然契会師者南天竺国之人也。姓毘舍羅。初求福業。兼楽弁論。龍樹尊者。得法行化到南印度。彼国之人多信福業。聞尊者為説妙法。遞相謂曰。人有福業世間第一。徒言仏性。誰能覩之。龍樹曰。汝欲見仏性。先須除我慢。彼人曰。仏性大小。龍樹曰。仏性非大非小。非広非狹。無福無報。不死不生。彼聞理勝悉迴初心。其中大智恵迦那提婆。謁龍樹大士乃至忻然契会。即分半座居。恰如霊山迦葉。龍樹即為説法。不起於座現月輪相。師謂衆会曰。此是尊者現仏性相。以示我等。何以知之。蓋以無相三昧形如満月。仏性之義廓然虚明。言訖輪相即隠。復居本座而説偈言。身現円月相。以表諸仏体。説法無其形。用弁非声色。如是なる故に。師資わかちがたく。命脈即通。適来因縁これ尋常にあらず。最初に道に合し来る。龍樹も一言の説なく。提婆も一言の問なし。故に師資存じがたく。賓主いかんがたん。是に依て殊に迦那提婆宗風を挙説して。遂に五天竺の間提婆宗といはれし也。いはゆる銀盆盛雪明月蔵鷺如し。如是の故に。最初相見の時すなはち満鉢の水をもて座前におかしむ。あに表裏を存し。内外を存せんや。已に是満鉢終に虧闕なし。亦これ湛水虚明也。通徹して純清也。弥満して霊明なり。故に一針を投じて契会す。須徹底徹頂。正なく偏なし。ここにいたりて師資わかちがたし。類すれども齊きことなく。混ずれとも跡なし。揚眉瞬目をもて此の事を現ぜしめ。見色聞声をもて此のことを表す。故に声色の名づくべきなし。見聞の捨つべきなし。円明無相にして清水の虚廓なるが如し。霊理に通徹し。神鋒を求むる時に似たり。処処鋒を露し来り。明明として心を通じ。もて去る。水も流れ通じて。山を穿ち。天をひたし去り。針もふくろをとをし。芥子をさしもて来る。然も水遂にものの為にやぶれず。あに跡をなすことあらんや。針も他の為にかたきこと金剛にも過たり。恁麼の針水あに是他物にあらんや。即是汝等が身心なり。呑尽の時はただこれ一針なり。吐却の時は又是清水なり。故に師資道通達して。全く是自他なし。故に命脈即通して。まさに廓明なる時。十方におさむべきにあらず。恰も葫蘆藤種葫蘆をまつふが如し。攀来攀去。ただ是自心なるのみなり。然も諸人清水を知得たりとも。子細に覚触して底に針あることを明むべし。もしあやまりて服することあらば。果して咽喉をやぶりきたらん。雖然如是。両般の会をなすことなかれ。只すべからく呑尽吐尽して。子細に思量してみよ。たとひ清白にして虚融なりと覚すとも。まさにこれ廓徹堅固なることあらん。水火風の三災もをかすことなく。成住壊空劫もうつすことなけん。故に這箇の因縁を説破せんとするに。更に卑語あり。大衆要聞麼。 一針釣尽滄溟水 獰龍到処叵蔵身 第十六祖。羅睺羅多尊者。 執侍迦那提婆。聞宿因感悟師者迦毘羅国之人也。所謂宿因といふは。迦那提婆尊者受度行化到迦毘羅国。彼有長者。曰梵摩浄徳。一日園樹生大耳。如菌味甚美。唯長者与第二子羅睺羅多。取而食之。取已随長。尽而復生。自余親属皆不能見。時迦那提婆尊者。知其宿因。遂至其家。長者問其故。尊者曰。汝家昔会供養一比丘。彼比丘然道眼未明。以虚霑信施故報為木菌。惟汝与子精誠供養得以亨之。余即否矣。又問。長者年多少。答曰。七十有九。尊者乃説偈曰。入道不通理。復身還信施。汝年八十一。此樹不生耳。長者聞偈。弥加歎伏。且曰。弟子衰老。不能事師。願捨次子。随師出家。尊者曰。昔如来記此子。当第二五百年為大教主。今之相遇。蓋符宿因。即剃髮列第十六祖。古今学道人無慚無愧にして。徒に清流にまじはり。無知無分にして。空しく信施を受るを諫るに。多く此因縁を引来る。実にこれによりてはづべし。比丘として家を捨て道にいりぬ。居処も是吾地にあらず。食法全く是我物にあらず。衣服も全く我わざにあらず。一滴水・一莖草。すべて是受用すべきものにあらず。ゆへいかんとなれば。汝諸人悉皆国土にはらまる。一天下・国土上。悉く是国王の水土にあらすといふことなし。然るに家にあれは親につかへ。国に侍べれば君につかふまつる。如是なる時。天地加護ありて。自ら陰陽のめくみをうく。然もなまじひに仏法をねがはんと号して。可仕親にも仕へず。つかふまつべき君にもつかふまつらず。なにをもてか父母生成の恩を報じ。なにをもてか国王水土の恩を報ぜんや。道に入りて道眼なからん。恰かも国賊といひつべし。既に棄恩入無為。三界を出といふ。然も出家してより後。父母をも礼せず。国王をも礼せず。已に形を仏子にかり。身を清流にやどす。たとひ妻子の施す所を受と云とも。全く是世俗にありてうけんには同ふせず。悉く是信施にあらずといふことなし。然も古人曰。道眼未明。一粒をも咬破しがたし。もし道眼清明なる時。たとひ虚空を鉢にして。須弥を飯として。日日夜夜受来るとも。是信施にまくることあらず。然るに道眼の具足と不具足と顧りみず。猥りに僧となりては人の供養を受来らんとおもひ。供養すくなければ徒に人倫にのぞむ。をもふべし。汝等家をすて郷をはなれし時。一粒の蓄へなく。一絲をもかけず。孤露にして遊行す。只道眼の為に身をまかせ。法の為に命をすつべし。あに最初発心。徒に名利の為衣食の為にせんや。然れば人人問ふに及ばず。但自己最初の発心を顧みて。自ら是処をかへりみ。又不是処をかへりみよ。故にいふ。終りをつつしむこと始の如くすることかたしと。実に初心の如くせんに。誰か道人にならざらん。是によりてみな僧となり。比丘尼となるといへども。徒に国賊となるのみなり。何以むかしの比丘は道眼未明といへども。修行退転なきによりて。是を報ずる故に木菌ともなれり。今の比丘の如きんば。一生已にをはらん時。閻老汝を許すことあたはず。今の粥飯は或は鉄湯となり。あるひは鉄丸となりて。是を呑ん時身心紅爛しもて行くことあらん。然も雲峯悦禅師曰。不見祖師道入道不通理。復身還信施。此是決定底事。終不虚也。諸上座光陰可惜時不待人。莫待一朝眼光落地。緇田無一箕功。鉄圍陷百刑之痛。莫言不道。諸人者幸に辱く如来の正法輪にあへり。市中に虎にあはんよりも稀なり。優曇華一現するよりもまれなるへし。子細に用心し。子細に参学して。須く道眼清明なるべし。不見今日の因縁を。有情といひ無情といひ。依報とわかち正報とわかつことなかれ。まさに前生の比丘。今日木菌となれり。木菌の時も我これ比丘となれりとしらず。比丘の時も我是万法とあらはれたりとしらず。然れば今有情にして少く覚知あり。いささか痛痒を弁ずといへども。木菌と殊なることなし。ゆへいかんとなれば。木菌の汝をしらざること。あに是無明にあらざらんや。汝が木菌をしらざることも。全くもてをなじ。是によりて有情無情のへだてあり。依報正報のしなあり。若し自己を明たん時。何をか有情といひ。なにをか無情といはん。古来今にあらず。根境識にあらず。能断なく所断なく。自作なく他作なく。大子細に参徹して。身心脱落して見べし。徒に僧形となるに誇り。乱りに塵家を出しに止まること勿れ。設ひ水難をのがるといへども。火難にわづらひぬべし。たとひ塵労をやぶり去るとも。仏にありても又免れがたし。何に況や如是ならざらん。人の物にしたがひ他に迷ふ。軽毛のごとく浮塵に同くして。東西に馳走し。朝野に昇降して。足実地をふまず。心実処に到らざらん類。只一生を賺過するのみに非ず。亦累世を虚く過しもてゆかん。しらずや昔しより今に及ぶまで。会て相あやまらず。会てへだてなきことを。汝未知有故に。徒に浮塵となる。今日若し尽却せずんば。何れの時をかまたん。適来因縁をのべんとするに。卑語。要聞麼。 惜哉道眼不清白 惑自酬他報未休 第十七祖。僧伽難提尊者。 因羅睺羅多以偈示曰。我已無我故。汝須見我我。汝既師我故。知我非我我。師聞心意豁然即求度脱師者室羅筏城。宝荘厳王之子也。生而能言。常讃仏事。七歳即厭世楽。以偈告其父母曰。稽首大慈父。和南骨血母。我今欲出家。幸願哀愍故。父母固止之。遂終日不食。乃許其在家出家。号僧伽難提。復命沙門禅利多為之師。積十九載未会退倦。師毎自念言。身居王宮。胡為出家。一夕天光下。偶見一路坦平。不覚徐行。約十里許至大巌前。有石窟。乃燕寂于中。父王既失子即擯禅利多。出国訪尋其子。不知所在。経十年。羅睺羅多尊者。行化到室羅筏城。有河名曰金水。其味殊美。中流復現五仏影。尊者告衆曰。此河之源凡五百里。有聖者僧伽難提。居於彼処。仏記一千年後当紹聖位。語已領諸学衆。沂流而上。至彼見僧伽難提。安坐入定。尊者与衆伺之。経三七日方従定起。尊者問曰。汝身定耶心定耶。師曰。身心倶定。尊者曰。身心倶定何有出入。実に身心もし。定なりといはば何有出入。もし身心に向て定を修せば。是なを真定にあらず。もし真定にあらずんば即是出入あらん。もし出入あらばこれ定にあらずといふべし。定のところに向て身心をもとむることなかれ。参禅は本より身心脱落なり。何にを呼てか身とし。なにをよんでかとせん。師曰。雖有出入。不失定相。如金在井。金体常寂。尊者曰。若金在井。若金出井。金無動静何物出入。其金に動静あり。出処あり入処あらば。これ真金にあらず。然も猶此道理に通ぜず。師曰。言金動静何物出入。許金出入。金非動静。金に動静なし。出入ありといはば猶是両箇の見あり。故に尊者曰。若し金在井出者非金。若金出井在者何物外終に放入せず。内亦放出せず。いづればいで尽き。いればいり尽く。何そ井にあり。又井を出。故に出者非金。在者何物ぞといふなり。この理に達せず。師曰。金若出井在者非金。若在井非出物。此言実に金の性をしらず。故に尊者曰。此義不然。実に定にありて理を通するに似たりといへども。師猶物我の見あり。故に曰。彼理非著。然もこの義真実なし。軽毛の風にしたがふが如し。真実ならざるゆへに。尊者曰。此義当墮。師の言によりていふ。師曰。彼の義不成。尊者大慈大悲の深きによりて。重て曰。彼の義不成我義成矣。然れどもみだりに無我を解する故に。師曰。我義雖成法非我故。尊者曰。我義已成。我無我故に。実に法法皆無我なることをしるといへども。なをこれ真実をしらず。師曰。我無我故に。復成何義。したしく汝をしらしめんとして。尊者曰。我無我故に成汝義。実に四大悉く我にあらず。五蘊もとより有にあらず。如是無我なるところに我あることを。すこしく思量分別し。わきまゑる故に。師問曰。仁者師於何聖得是無我。師資の道猥ならざることをしらしめん為に。尊者曰。我師迦那提婆大士。証是無我。師曰。稽首提婆師。而出於仁者。仁者無我故。我欲師仁者。尊者答曰。我已無我故。汝須見我我。汝若師我故。知我非我我。実に夫れ真実我を見得する人は自己なを存せず。あに万法の眼にさへぎることを得んや。見聞覚知終にわかたず。一事一法更にわかつことなし。故に聖凡へだてなく。師資道合す。この道理を見得する時。すなはち仏祖相見すとす。故に自己をもて師とし。師をもて自己とす。刀斧斫どもひらけず。恁麼の道理豁然としてかなふ故に。即求度脱。尊者曰。汝心自在。非我所繋語已。尊者即以右手金鉢。挙至梵宮。取彼香飯将齋大衆。而大衆忽生厭悪之心。尊者曰。非我之咎。汝等自業也。即命僧伽難提。分座同食。衆訝之。尊者曰。汝不得食。皆由此故当知与吾分座者。即過去娑羅樹王如来也。愍物降迹。汝輩亦荘厳劫中已至三果未証無漏者也。衆曰。我師神力斯可信矣。彼云過去仏者即竊疑焉。師知衆生慢。乃曰。世尊在日世界平正。無有丘陵。江河溝洫水悉甘美。草木滋茂国土豐盈。無八苦。行十善。自雙樹示滅八百余年。世界丘墟樹木枯悴。人無至信。正念軽微。不信真如。唯愛神力言訖。以右手漸展入地。至金剛輪際取甘露水。以瑠璃器持至会所。大衆皆見皆帰伏悔過す。かなしむべし。如来在世より八百年尚を如是。何況や後百歳の今。わづか仏法の名字を聞くとも。道理いかなるべしともわきまへず。いたれる身心なき故に。いかなるべきぞとたづぬる人なし。いささかその道理を得ることあれども。護持し来ることなし。たとひ知識ありて。大慈大悲の教誡によりて。いささか覚知覚了ありといへども。或は懈怠にをかされて真実の信解なし。故に真実の道人なければ。真実発心する者なし。実に末世の澆運。宿業のつたなきによりて。如此の時分にあへり。愧ても悔ても余りあり。然も諸人者正法像法に生ず。師としても資としても可悲といへども。思ふべし。仏法東漸して。末法に至りて。我朝如来の正法をきくこと。わづかに五六十年也。這の事初めなりといひつべし。仏法いたるところに興らずといふことなし。汝等が勇猛精進にして志を発し。吾我を吾我とせず。直に無我を証し。速に無心なることをゑて。身心の作に拘ることなく。迷悟の情に封ぜらるることなく。生死窟に留ることなく。生仏のつなにむすぶることなく。無量劫来尽未来際。会て変易せざる我あることをしるべし。著語に曰、 心機宛転称心相 我我幾分面目来 第十八祖。伽耶舍多尊者。 執侍僧伽難提尊者。有時聞風吹殿銅鈴声。尊者問師曰。鈴鳴耶風鳴耶。師曰。非風非鈴。我心鳴耳。尊者曰。心復誰乎。師曰。倶寂静故。尊者曰。善哉善哉。継吾道者非子而誰。即付法蔵師者摩提国人也。姓欝頭籃。父天蓋母方聖。嘗夢大神持鑑。因而有娠。凡七日而誕。肌体瑩如瑠璃。未嘗洗浴自然香潔也。生時より一円鑑ありて現ず。尋常此の童子にとものふ。童子常に閑静を好む。都て世縁に染ず。所謂此の円鑑。童子坐する時は面前にあり。古今の仏事。都て此の鑑に浮はずと云ことなし。恰も聖教によりて照心するよりも猶明かなり。童子若し去る時は。此の鑑後ろにしたがふこと円光の如し。然も童形かくれず。童子臥すときは。此鑑床の上に天蓋の如くにしておほへり。すべて行住坐臥。この鑑あひ随がはずといふことなし。しかるに僧伽難提尊者。行化して到摩提国。忽有凉風襲衆。身心悦適非常。而不知其然。尊者曰。此道徳風也。当有聖者出世嗣続祖灯乎。言訖以神力攝諸大衆遊歴山谷。食頃至一峯下。謂衆曰。此峯頂有紫雲如蓋。聖人居之矣。即与大衆徘徊久之。見山舍一童子持円鑑。直造尊者前。尊者問曰。汝幾歳耶。曰。百歳。尊者曰。汝年尚幼。何言百歳。曰。我不会理。正百歳耳。尊者曰。汝善機耶。曰。仏言。若人生百歳不会諸仏機。未若生一日而得決了之。尊者曰。汝手中者当何所表。童子曰。諸仏之大円鑑。内外無瑕翳。両人同得見。心眼皆相似。父母聞子語。即捨令出家。尊者携至本処。受具戒訖名伽耶舍多。有時聞風吹殿銅鈴声乃至即付法蔵終列十八祖。彼の円鑑童子出家せし時忽然としてみへず。実にそれ人人一段の光明。今円鑑の内外瑕翳なきが如し。悉皆相似たり。かの童子うまれてより此の方。常に仏事をほめ俗事に混ぜず。明鑑対し古今の仏事を看見す。真に心眼皆相似たることをしるといへども。なほおもふに諸仏の機を会せず。故に百歳といふ。假ひ一日なりといへども。若し諸仏の機を会せんが如きんば。ただ百歳をこゆるのみにあらず。無量の生をもこゆべし。此の故に終に円鑑をすつ。実にこれ諸仏一大事因縁。ゆるかせにせす。たやすからざること此の因縁にてもしるべし。実に諸仏の大円鑑を解会す。のこるところあるべけんや。然れともなほ是れ真実底にあらず。更に何ぞ諸仏の大円鑑あるべき。又何ぞ両人同得すべきかあらん。又何の内外瑕翳なきかあらん。なにを呼でか瑕翳とせん。心眼とは何ぞ。あにあひ似たるべけんや。ゆへに円鑑を失す。あに是童子の皮肉を失するにあらずや。然もたとひ所見今の如く。心眼あひへだたらず。両人同得見と会すとも。真箇これ両箇の所見なり。更に真自己を明むる底にあらず。然れば汝諸人円相の所見をなすことなかれ。身の相をなすことなかれ。大ひに須く子細に参徹して。急に依報正報一時に破烈し。自己又不了なることをうべし。若し此の田地にいたらずんば。ただ是業報の衆生未だ諸仏の機を会せるにあらず。如斯懺悔礼謝し。遂に出家受具して。後に僧伽難提に執侍して年をおくる。有時聞風吹殿銅鈴声。尊者問師曰。鈴鳴耶風鳴耶云云この因縁実に子細にすべし。尊者遂に鈴をみず風をみずとも。更にこのなに事をしらしめん故に。恁麼に鈴鳴耶風鳴耶と問ふ。是れなに事ぞ。風鈴をもて解会すべからず。尋常の風鈴にあらず。即堂殿角にかけたる鈴なり。鈴鐸といふ。今南都堂閣寺に悉く皆かけ来れり。此れをもて人家と堂舍と弁別す。北京となりてよりはじめつかたは。堂舍に鈴鐸をかくといへども。近代は土風すたれて義なし。然れども西天の義も如是。この鈴鐸を風の吹く時。此の公案ありき。然も師答て曰。非風非鈴。我心鳴耳と。実に知ぬ。すべて一塵の辺表を出し来ることなし。これによりて非風鳴非鈴鳴。また鳴と思へば即ち鳴なりと。恁麼の所見もなほ是心倶に寂静にあらず。これによりてすなはち曰。わが心なるなりと。この因縁をききて人皆邪解。必しも風の鳴にあらす。唯心鳴と覚ゆと。故に伽耶舍多如是いふと。若天真天然として一切発せざらん時。豈鈴鳴に非ずともいふべけんや。故に我心鳴也と。伽耶舍多より六祖にいたるまで。時代はるかにへだたれり。然れども更にへだたらず。故に風幡動にあらず。仁者心動なりといふ。今汝諸人も其の心地徹通する時。三世もとよりへだたらず。証契古今に連綿たり。何の同異を弁ぜん。尋常の所見に弁ずることなかれ。風鳴にあらず。鈴鳴にあらざるをもて。始めてしるべし。此のなに事をしらんとおもはば。すべからく我心鳴なりとしるべし。その鳴姿は。山の突兀と高く。海の平沈と深きが如し。草木森森たるも。人人眼目の分明なるも。心のなるすがたなり。然れば声の鳴るとおもふべからず。声も又心のなるなり。四大五蘊一切万法。都盧皆これ心鳴なり。此の心すべてならざる時なし。故に遂にひびきをおびず。更に又耳をもてきかるるにあらず。耳これ鳴が故にいふ。倶に寂静と恁麼に見得する時。すべて万法出頭のところなし。故に山の形なく。海の形なし。更に一法の形貎を帯するなし。恰も夢に蘭舟を浮べ滄溟に行が如し。竿をあげて波瀾をわかつも。舟を留めて水勢をそらんずるも。うかぶ空なく。しづむ底なし。更に何の山海の外に立すべきかあらん。更に何の自己の船中に游戲するかあらん。故に恁麼に指説す。眼あれども聞くことなく。耳あれども見ることなし。故に六根互融すといふべからず。六根の帯すべきなし。故に倶に寂静なり。とらんとするに六根なく。すてんとするに六根なし。根塵ともに脱し。心境ふたつながらともに忘ず。子細に見れば脱すべき根塵なく。泯ずべき心境なし。真箇寂寂にして同異の論にあらず。内外の情にあらず。実に恁麼の田地にいたる時。即諸仏の法蔵を受持して。正に仏祖の位に排列す。若しかくの如くならずんは。たとい万法不錯と会すとも。猶是自己を存し。他を談じて。遂に法法隔歴す。もし隔歴せば。何ぞ仏祖に即通せん。恰も空裏に界墻をつくが如し。空あにさゆべけんや。自ら界障をなすのみなり。若し界畔一度やぶる時。なにを内外とせん。ここにいたりて釈迦老子も始めにあらず。汝諸人も又をはりにあらず。すべて諸仏の面目なく。諸人の形貎なし。如斯なる時。恰も清水波濤をなすが如く。仏祖出興しもてゆく。これ増にあらず。減にあらずといへども。水流れ浪激しもてゆかん。然れば子細に参徹して。恁麼の田地に至りうべし。曠劫以来及未来永際。且く界畔をなして三世を排列すといへども。総に従劫至劫唯如是。這箇明白の本性を会得せんに。皮肉をもてわづらひ。身の動静をもてわきもふべきにあらず。すべて此の田地。身心をもてしるべきにあらず。動静をもてわきもふべきにあらず。子細に参徹し。自休自歇し。自ら承当して始めてうべし。若し恁麼に明めずんば。徒に十二時中。身心を擔ひ持きたらん。恰も重擔を肩にをくが如く。身心遂にやすかるべからず。若し身心を放下して。心地空廓廓地にして。尤も平生なることをゑん。雖然如是。適来の因縁心鳴るところを道得して明らめゑずんば。諸仏の出興をもしらず。衆生の成道をもしらず。故に心鳴を道得せんに。卑語を付んと思ふ。要聞麼。 寂寞心鳴響万樣 僧伽伽耶及風鈴 第十九祖。鳩摩羅多尊者。 因伽耶舍多尊者示曰。昔世尊記曰。吾滅後一千年有大士。出現於月支国紹隆玄化。今汝値吾。応斯嘉運。師聞発宿命智師者月支国之人也。姓婆羅門。昔為自在天人欲界第六天見菩薩瓔珞。忽起愛心。墮生忉利欲界第二天聞憍尸迦説般若波羅蜜多。以法勝。故昇于梵天色界以根利故善説法要。諸天尊為導師。以継祖位時至遂降月支。十八祖化度到月支国。見一婆羅門舍有異氣。尊者将入彼舍。師問曰。師是何徒。尊者曰。是仏弟子。師聞仏号。心神竦然即時閉戸。尊者良久扣其門。師曰。此舍無人。尊者曰。答無者誰。師聞語知是異人。遽開関延接。尊者曰。昔世尊記曰乃至発宿命智。此因縁須く子細にすべし。名字道を明らめ。若しは生死去来真実の人体と明むとも。自己本性の虚明霊廓なることを明らめずんば。諸仏の所証をしらず。故に菩薩の放光を見ておどろき。諸仏の相好を見ても愛すべし。ゆへいかんとなれば。貪瞋癡等の三毒未だまぬかれざる故に。今師の往因をみるに。愛によりて退墮して忉利天に下る。然も宿因によりて帝釈の説法にあふて梵天に昇り。月支国に降生す。積功累徳空しからず。終に十八祖にあふて宿命智を発す。いはゆる宿命智といふは。尋常過去をしり未来をしることと思へり。是れ何にかせん。ただ本来不変の自性。聖凡なく迷なきことを看得すれば。百千の法門。無量の妙義。総に心源にあり。故に衆生顛倒も諸仏成道も。自己方寸の中にあり。全く根塵の法にあらず。心境の相にあらず。ここにいたりてなにをか古とし。なにをか今とせん。何れか是諸仏。何れか是衆生。一法の眼に遮るなく。一塵の手にふるるなし。但虚明一片にして。廓落無際なるのみなり。即久遠実成の如来。不昧本来の衆生也。如是悟りしる時も増さず。如是しらざる時も減ぜず。久遠劫来恁麼也と覚触するを。宿命智を発すといふ。もし此の田地にいたらずんば。徒に迷悟の性情にみだされ。去来の相に移され。遂に自己ある事をしらず。本心あやまらざることを明らめず。故に諸仏をしてわづらはしく出世せしめ。祖師をしてはるかに西来せしむ。出世の本懷西来の本意。只此の事の為也。更に他事にあらず。須く低細用心して。霊霊として不昧。明明として不蔵なる事をしるべし。本来一段の光明ある事をしるを宿命智といふ也。今日又卑語あり。いささか些子の理を通ぜんとおもふ。大衆要聞麼。 推倒宿生隔歴身 而今相見旧時漢 第二十祖。闍夜多尊者。 因十九祖示曰。汝雖已信三業。而未明業従惑生。惑因識有。識依不覚不覚依心。心本清浄。無生滅。無造作。無報応。無勝負。寂寂然霊霊然。汝若入此法門可与諸仏同矣。一切善悪有為無為皆如夢幻。師聞承言領旨。即発宿恵師者北天竺国之人也。智恵淵沖化導無量。当時中印度逢十九祖問曰。我家父母素信三宝。而嘗縈疾瘵。凡所営作皆不如意。而我隣家久為旃陀羅行。身常勇健所作和合。彼何幸而我何辜。尊者曰。何足疑乎。且善悪之報有三時焉。凡人恒見仁夭暴寿逆吉義凶。便謂亡因果虚罪福。殊不知影響相随毫釐靡惑。縦経百千万劫。亦不磨滅。因縁必相値。時師聞是語已。頓釈所疑。尊者曰。汝雖已信三業乃至即発宿恵。上来の因縁実に学人として一一精細に見得すべし。いはゆる素信三宝。而嘗縈疾瘵。凡所営作皆不如意。而我隣家久為旃陀羅行。而身常勇健所作和合すと。ここにいたりておもふ。われ仏法に帰依して年久し。仏法のちからによりて其身つねに無恙。其事心にかなふべきに。悉く心にかなはず。身又病にまどわる。是何の罪ぞ。旃陀羅もとより悪事を行ず。すべて善種を修せず。然るに事にふるること吉祥にして身勇健なり。これ何の幸かあると。今人も如是おもへり。出家猶是の心あり。況や在家は皆如是。いはく汝何ぞ疑ふにたらん。しばらく善悪の報に三時あり。おほよそ人の仁ある者中夭あり。卒暴なる者寿命ながし。逆罪するも吉祥也。義ふかき者凶悪なるをみて。過去をも明らめず。未来をも会せず。ただ眼前の境にまとはされて。即因果なし罪福空ししとおもふ。是すなはち愚癡のはなはだしき也。学道おろかなるゆへ如是也。三業とは。一順現業。今生善悪業を修するに。即一生涯の中に報を受。是順現業となぞく。二順次生受業。今生業を修して次の生に果報を受く。五逆七遮等は必す順次生に報をうく。三順後業。今生業因を修して。次の三生四生乃至無量生の間に業果を受く。然れば過去の善業によりて。今生の善を受くといへども。或ひは往業によりて今果不同なり。いはゆる純善悪業因の者は。今生純善悪業果を感ず。雜善悪業の者は。雜善悪業を受る也。又仏法修行の力ら転重受転。転軽今はなからしむる也。曰く過去劫の悪因未来に重苦感得すべきが。今生修行の力らによりてかろく受ることあり。或ひは病にまつはれ。あるひは事として心にかなはず。或ひは言を出せば人にかろしめらる。是悉く未来の重苦を今生に軽く受る也。然れば仏法修行の力らいよいよたのみあるべし。過去遠遠に修せし報は。ただ勇猛精進せば悉皆かるからしむべし。然も参学の人として随分道を解すといへども。或ひは悪名をうけ。或ひは営作心にかなはず。身も勇健ならざる事あり。即転重受軽とおもふて。人ありて憎悪すとも。会てうらむることなかれ。人ありて謗毀すとも。会てとがむることなかれ。彼の謗人あまつさい敬礼することはありとも。厭悪することなかれ。道業日日に増長し。宿業時時に消滅す。然も須く子細に参得修行すべし。汝既に三業を信ずといへども。未た業の根本をしらず。業といふは善悪の報わかれ。凡聖のしな異也。三界六道・四生九有。ならびに業報なり。此の業は迷より発す。夫れ迷といふは憎愛すべからざるを憎愛し。是非すべからざるを是非す。其の惑といふは。男にあらざるを男と知り。女にあらざるを女としり。自をわかち他をへだつ。其の不覚と云は。自己の根源をしらず。万法の生処をしらず。一切処に智恵をうしなふ。これを無明と名く。これは思慮なく縁塵なし。是の心本清浄にして。余縁にそむくことなし。此の心の一変するを不覚といふ。此の不覚を覚知すれば。自己心本清浄なり。自性霊明なり。如是明らめ得れば。無明即やぶれて。十二輪転終に空し。四生六道速に亡ず。人人本心如是し。故に生滅のへだてなく。造作の品なし。故に憎なく愛なく。増なく減なし。ただ寂寂然たり。霊霊然たり。諸人者本心を見得せんとおもはば。万事を放下し。諸縁を休息して。善悪を思はず。しばらく鼻端に眼をかけて。本心に向ひてみよ。一心寂なる時。諸相みな尽く。其の根本の無明既にやぶるる。故に枝葉業報すなはち存せず。故に無分別の処にとどこほらず。不思量の際に拘らず。常住にあらず。無常にあらず。無明あるにあらず。清浄なるにあらず。諸仏のへだてなく。衆生のわかちなし。清白円明の田地にいたりて。始て本色の衲僧たるべし。若如是ならば。諸仏とおなじかるべし。ここにいたりて一切有為無為。皆つきて夢幻の如し。とらんとすれども手虚しく。見んとすれども目拘はることなし。此の田地にいたりぬれば。諸仏も未た出世せざる旨を明らめ。衆生も未た顛倒せざる処に達す。参学未た此の田地にいたらずんば。十二時中礼仏し。四威儀中に身心を調るとも。唯是人天の勝果。有漏の業報なり。影の形に随ふが如し。有といへども実にあらず。故に人人精彩をつけて本心を明らめよ。例によりて卑語をつく。要聞麼。 豫章従来生空裏 枝葉根莖雲外榮 第二十一祖。婆修盤頭尊者。 因二十祖曰。我不求道亦不顛倒。我不礼仏亦不軽慢。我不長坐亦不懈怠。我不一食亦不雜食。我不知足亦不貪欲。心無所求。名之曰道。時師聞已発無漏智師者羅閲城人也。姓毘舍佉。父光蓋。母厳一。家富而無子。父母祷千仏塔而求嗣焉。一夕母夢呑明暗二珠。覚而有孕。経七日有一羅漢。名賢衆。至其家。光蓋設礼。賢衆端坐受之。厳一出拝。賢衆避席曰。迴礼法身大士。光蓋罔測其由。遂取一宝珠。跪獻賢衆。試其真僞。賢衆即受之。殊無遜謝。光蓋不能忍。問曰。我是丈夫致礼不顧。我妻何徳尊者避之。賢衆曰。我受礼。納珠貴福汝耳。汝婦懷聖子。生当為世灯恵日。故避之。非重女人也。賢衆又曰。汝婦当生二子。一名婆修盤頭。則吾所尊者也。二名芻尼此云野鵲子昔如来在雪山修道。芻尼巣頂上。仏既成道。芻尼受報為那提国王。仏記曰。汝至第二五百年。生羅閲城毘舍佉家。与聖同胞。今無爽矣。後一月果産二子。尊者婆修盤頭。年至十五礼光度羅漢出家。咸毘婆訶菩薩与之授戒。然二十祖闍夜多尊者。行化至羅閲城。敷揚頓教。彼有学衆。唯尚弁論。為之首者名婆修盤頭此云遍行常一食不臥。六時礼仏。清浄無欲。為衆所帰。尊者将欲度之。先問彼衆曰。此遍行頭陀能修梵行。可得仏道乎。衆曰。我師精進。何故不可。尊者曰。汝師与道遠矣。設苦行歴於塵劫。皆虚妄之本也。衆曰。尊者蘊何徳行而譏我師。尊者曰。我不求道乃至発無漏智。歓喜讃歎。尊者又語彼衆曰。会吾語否。吾所以然者。為其求道心切。夫絃急即断故吾不讃。令其住安楽地入諸仏智。この因縁殊にこれ学道のもつとも秘訣なり。ゆへいかんとなれば。仏の成ずべきあり。道のうへきありとおもふて。あるひは持齋梵行。長坐不臥。礼仏転経して。一切の功徳をかさねて。この得道のためにせんと。悉これ華なき空に華をふらし。穴なきところに穴を生ず。たとひ塵劫微塵劫をふるとも。解脱の分なからん。まさにとかく心にねがふところなき。これをなづけて道といふ。然れば欲知足かへりて貪欲の本なり。かならず長坐をこのむも。これ身にとどこほるとがあり。一食ならんとする。これまた見食の分あり。また礼仏転経せんとする。これすなはち眼に華を生ず。故に一一の行業殊にこれ虚妄の本。またく自己本分の事にあらず。長坐もし道なるべくんば。生る時みな十月坐し来る。これすなはち道なるべし。何ぞふたたびもとめん。持齋もし道なるべくんば。ここに病することあらんとき。食時さだまらず。このときこれ道人ならざるべきか。もつとも大にわらふべし。仏弟子樣樣の清規をたて。仏祖の操行を示すことかくのごとし。然るを執して偏ならは却て煩悩なるべし。然も生死去来をいとひ。さらに道をもとむべくんば。汝無始よりいまに死此生彼断ずべからず。いづれのところにか道をうる時節とせん。然もかくの如く諸事にかかはりて。すなはち道をもとめんとおもふ。ことごとくこれあやまりて会するなるべし。さらに何の仏の成ずべきをかみん。何の衆生の迷べきをかみん。ゆへに一人として迷ふ人なく。一法として悟るべき法なし。このゆへに迷を転じて悟となし。凡を転じて聖となすといふも。悉く皆な未悟の人の言なり。さらに何の凡の転ずべきかあらん。何の迷のさとるべきかあらん。ゆへに夾山和尚曰。明明無悟法。悟法却迷人。長舒両脚睡。無僞亦無真。実にこれ道の体かくのごとし。雖然如是。初機後学子細に参じ。かくのごとく平穩の地にいたるべし。ゆへいかんとなれば。自己もし実地するところなければ。或は人の言によりて惑はさる。ゆへに眼をあげて見んと思。仏魔のためにおかさる。今日たとへ如是の所説を聞て。尤うべき所ろなしと解すと云とも。更に或は知識ありて。法の得べきありとも説き。もし仏魔来つて更に修すべき法ありといはば。果して心覚動しかゑつて顛倒せん。今諸仏の正訓をうけ。子細に参徹して。須らく自己安楽の地に至るべし。一度安楽の処ろに至る如き。人は恰も食に飽る人の如し。王膳なりと云ふとも。すなはち希望すべからず。故に云ふ。美食飽人の喫するにあたらず。古人の云く。一度煩らひてやがて安しと。子細に見来んに。自己本分の心仏を見ず。衆生をみず。あに迷と厭ひ悟と求むべけんや。その人をして直に見せしめんとして。祖師西来よりこのかた。有智無智をいわず。旧学新学をいわず。一片に端坐せしめて。自己に安住せしむ。すなはちこれ大安楽の法門なり。ゆへに諸人者曠劫よりこのかた今日にいたるまで。錯まらざるを錯りと思へり。徒らに他人門上の霜をのみ管して。自己屋裡の宝を忘ることなかれ。故にいま親友まさに汝等相あへり。遙に成道を他日に期することなかれ。只須く衲衣をひるがへし。まさに自己方寸の中に向つて。子細に検点将来して。須く他に向つて求むべからず。もし如是ならば。百千の法門も無辺の仏事も。悉く是れより流出し。蓋天蓋地し以て行かん。切に忌む道を求むることを。只自己を保任すべきのみなり。曠劫より以来た。将来り将去り。片時もはなるることなしと云ふとも。すべて自己あることを知らずんば。あだかも手に持ちながら。東西に求るがごとし。これ幾の錯とかせん。是只自己を忘れたるのみ。今日委悉に見来るに。諸仏の妙道も。祖師の単伝も。ただこの一事にあり。あへて疑ふべからす。諸人恁麼の地に至らんとき。あへて天下の老和尚の舌頭を疑はざるべし。上にいふ。聞已て無漏智を発す。無漏地を発せんとおもはば。ただすべからく自己を保任すべし。もし自己を保任せんと思はば。生より老に至る。ただこれ這箇なりと知ん。すべて一塵のすつべきなく。一法のもるべきなし。更に別に無漏智を発せんと思ふことなかれ。今日例によりて卑語あり。適来の因縁を演んと思ふ。要聞麼。 風過大虚雲出岫 道情世事都無管 第二十二祖。摩拏羅尊者。 問婆修盤頭曰。何物即是諸仏菩提。尊者曰。心本性即是。師又曰。如何是心本性。尊者曰。十八界空是。師聞開悟師者那提国常自在王之子也。年三十遇婆修祖師。婆修盤頭行化到那提国。彼王名常自在。有二子。一名摩訶羅。次名摩拏羅。王問尊者曰。羅閲土風与此何異。尊者曰。彼土会三仏出世。今王国有二師化導。曰二師者誰。尊者曰。仏記。第二五百年有一神力大士。出家継聖。即王之次子。摩拏羅是其一也。吾雖徳薄敢当其一。王曰。誠如尊者所言当捨此子作沙門。尊者曰。善哉大王。能遵仏旨。即与受具。それよりこのかた婆修盤頭に給士す。有時問曰。何物是諸仏菩提。尊者曰。心本性即是也。実に学道の最初にとふべきは。即はちこの問なり。いはゆる菩提といふは道なり。ゆへにこの問の意は。如何是道ととふなり。今人虚心にして法をとふことなく。初心にして師に参ぜざるゆへにこの問なし。もし真実の道念あらん時。しかあるべからず。先づ問べし。如何是仏と。次に問べし。如何是仏道と。ゆへに今この問あり。しかるに示して曰。心の本性是なりと。なをこころざし二つなく。毫髮のたくはえなきによりて。すなはち問。如何是心の本性と。答曰。十八界空是なりと。時にすなはち開悟す。夫れ仏といふは即心の本性なり。本性終に知不得見不得。まさにこれ無上道なり。然れば心かたちなく立処なし。なにいはんや仏といひ道といふ。みなこれしひてなづけ来るゆへに。仏も覚知にあらず。道も所修にあらず。心も識知にあらず。この田地境なく根なく。識いづれのところにか立せん。ゆへにいふ十八界空是と。然れば這箇の田地心境と論ずること勿れ。識知とわきまへることなかれ。ここにいたりて諸仏卒にかたちをあらはさず。妙道また修持をもちひず。然も見聞覚知はたとひこれ蹤跡なしといへども。声色動搖また界畔あるべきにあらず。ゆへにいふすなはち是即見聞非見聞。更声色無可呈君。此中若了全無事。体用何妨。分不分と実にこれ声は宮商角徴の解をなすことなかれ。色は青黄赤白の会をなすことなかれ。見は眼光の縁とすることなかれ。聞は耳根なりとおもふことなかれ。人人すべて眼の色に対するなく。耳の声に待するなし。若耳の声に類するあり。眼色を縁するありといはば。これ声にもあきらかならず。また眼にもくらし。ゆへいかんとなれば。もし所対の法ありといひ。所待の物ありといはば。声あに耳にいり。色あにまなこにみんや。ゆへに空の空に合し。水の水に合するがことくならずんは。きくことも断へず。みることもたへじ。不爾ゆへにまなこは色に通じ。耳は声に通ず。和融してへだてなく。混合して蹤跡なし。かくのごとくなるゆへに。たとひ天をひびかし。地を響かす声なりといへども。わづかに方寸の耳にいる。あに極大同小にあらずや。そづかに方寸のまなこをもて尽界をてらす。あに極小同大にあらずや。あにまなこの色なるにあらずや。また声の耳なるにあらずや。かくのごとく知てかくのごとくわきまふる。此心界畔辺表なし。ゆへにまなこもとよりうることなし。色もわかつことをゑず。この参科これみな空なるにあらずや。ゆへにこの田地にいたる時。声ととくもゑたり。眼と説もゑたり。識ととくもゑたり。恁麼も得たり。不恁麼も得たり。恁麼不恁麼総ゑたり。繊塵の外より来るなく。毫末のへだてもてゆくなし。ゆへに声ととくときは聴説声中に弁別し。色ととく時は能所色中に安排す。更に分外底なし。然るを諸人この道理に達せず。あるひはおもはく。声色は妄りに立する虚假なり。すべからくはらひはらふべし。本心は本来常住なり。さらに変動すべからずと。もつとも笑ふべし。このところさらになにものか変不変あらん。なにものか実不実あらん。故にこの事をあきらめずんば。ただ声色にくらきのみにあらず。また見聞にも達せず。故に眼を挙め不見思ひ。耳をふさげて聞ざらんとす。是れすなはち無繩自縛し。穴なきにまたおち将て行く。ゆへに情塵漏まぬかれがたし。然れば子細に参到して。もし底に徹して見得明白ならば。頂に徹しても到亦無礙。又卑語。此因縁指説思。要聞麼。 舜若多神非内外 見聞声色倶虚空 第二十三祖。鶴勒那尊者。 因摩拏羅尊者示曰。我有無上大法宝。汝当聴受化未来際。師聞契悟師者月支国之人也。姓婆羅門。父千勝。母金光。以無子故祷于七仏金幢。即夢須弥山頂一神童持金環云我来。覚而有孕。年七歳遊行聚落。覩民間淫祀。乃入廟吒之曰。汝妄興禍福幻惑人。歳費牲牢。傷害斯甚。言訖廟貎忽然而壊。由之郷黨謂之聖子。年二十二出家。三十遇摩拏羅尊者。師を鶴勒那といふ。勒那梵語。鶴即華言。梵漢引合て鶴勒那と云。もろもろの鶴ありて師にしたがふ。これによりて名とす。然るに摩拏羅にあひたてまつる。はじめ種種の奇特。一一に挙すべしといへども。ただその一因縁を挙せん。師問尊者曰。我有何縁而感鶴衆。尊者曰。汝第四劫中嘗為比丘。当赴会龍宮。汝諸弟子咸欲随従。汝観五百衆中。無有一人堪任妙供。時諸子曰。師常説法。於食等者於法亦等。今既不然。何聖之有。汝即令赴会自汝捨生赴生転化諸国。其五百弟子以福微徳薄生於羽族。今感汝之恵。故為鶴衆相随。師聞語曰。以何方便令彼解脱。尊者曰。我有無上法宝乃至実に食等法等の道理。聖凡ともにへだてなし。然るに理のおすところ。師資ともに龍宮の請におもむくといへども。福微に徳薄きの身をもて。妙供をうくるにたへざるによりて羽族となりぬ。この因縁尤も学人の用心としつべし。それ説法も差別なし。食も等同なるべし。然るにあるひは信施を消すあり。あるひは信施にをかさるるあり。ここにいたりて齊等ならざるに似り。尤も差別といふつべし。ゆへいかんとなれば。もし食をみ法をみば。たとひ齊等とみるといへども。一同なりと会すといへども。すでに法をみる分あり。食をみる分あり。両箇の見のがれず。貪求の心に惑はされて。師にしたがひてをもむきしによりて。遂に羽族となれり。しりぬ食等法等の理に達せず。まさしく名字有相に縛せられけり。いまいふ無上の大法のごときは。なにをか食といひ。なにをか法といはん。いづれかこれ聖。いづれかこれ凡。すでに形影のいたるべきものにあらず。なを心性ともなづけがたし。この法なを仏にうけず。祖にうけず。子にさづけず。父につたへず。自他といふべき物なし。食法の名いづくよりかゑきたらんや。いはんや赴請のところあらんや。鶴衆となることあらんや。ゆへに子細に眼をつけ。委悉に功夫して先ず。すべからく自心本性の霊廓妙明なることをしりて。よく保持し。ふかく純熟して。更に仏祖伝灯の事あることをしりて。はじめてうべし。たとひ自己本性の旨をあきらめて。解脱するところすでに仏祖にをなじといへども。更にまた聴受すべき無上の大法宝あり。よく未来際を化す。これ本性の道理にあらず。いはんや見聞の境界ならんや。はるかに古今の情を超越し。もとより生仏のきはにとどまることなし。故にこの人をよんで仏とすることもゑず。凡とすることもゑず。堂にありて正坐せざれば。両頭の機にわたることなし。故に影をもとむれどもゑず。あとをたづぬれどもえず。このきはにいたりぬれば。心性とは何物ぞ。菩提とは何物ぞ。一嘔に嘔尽し。一屙に屙尽す。かくのことくなる時。これ沒量の大人なり。恁麼のところにいたらずんば。なをこれ凡夫終に流転の衆生なり。この故に諸人者子細に見得して。無上の大法宝を荷擔せんとおもふべし。これすなはち釈迦老子肉身暖なるべし。ただこの名にとどこほり。形に労することなかれ。参学かならず真実を弁ずべし。這箇の道理を指注せんとおもふに卑語あり。 粉壁挿雲巨嶽雪 純清絶点異青天 第二十四祖。師子尊者。 問二十三祖曰。我欲求道。当何用心。祖曰。汝若求道無所用心。師曰。既無用心。誰作仏事。祖曰。汝若有用。即非功徳。汝若無作即是仏事。経曰。我所作功徳而無我所故。師聞是言已即入仏恵師者中印度之人也。姓婆羅門。本学異道。博達強記也。後参二十三祖。有今問答。直当無所用心処頓入仏恵。時二十三祖忽指東北問曰。是何氣象。師曰。我見氣如白虹貫乎天地。復有黒氣五道。横亙其中。祖曰。其兆云何。師曰。莫可知矣。祖曰。吾滅後五十年。北天竺国当有難起。嬰在汝身。雖如是汝伝持吾法宝。可化未来際。時に師この密記をうけ。すなはち罽賓国に行化す。すなはち婆舍斯多を接して謂之曰。吾師密有懸記難ありて我が身にかからんと。いやしくもまぬかるべからず。ゆへにわれここにとどまらん。なんぢまさにわが道を持し。他国にゆきて演化すべしと。衣法ともにさづく。時に罽賓国王仏法を帰敬することふかしといへども。なをこれ有相にとどこほる。然もかの国に有外道二人。一名摩目多。二名都落遮。学者幻法欲共謀乱。乃盜為釈子形像潜入王宮。且曰。不成即罪帰仏子。乃至事既敗。王果怒曰。吾素帰心三宝。何乃搆害一至于斯。即命破毀伽藍。袪除釈衆。又自秉剣至師子尊者所。問曰。師得蘊空否。師曰。已得蘊空。王曰。離生死否。師曰。已離生死。王曰。既離生死可施我頭。師曰。身非我有。何惜於頭。王即揮刃断師頭。涌白乳高数尺。王之右臂旋亦墮地。七日而終。師始終如是。其最初師資相見時。先問曰。我欲求道。当何用心。祖曰。汝若求道無所用心。真実に求道せんとき道あに用心にかかはるべけんや。死此生彼。処処に道をこころざし。法をもとむとも。いまその実帰なきことは。もとこの心をもちいるによりてなり。然るに頓に仏恵に相応せんことをおもはば。ただ四倒三毒をはなるるのみにあらず。またすべからく三身四智をも離却すべし。恁麼に游踐する時。はたして凡夫地にも安排しがたし。また仏位にも敬重しがたし。はるかに聖凡の情域をこへ。すみやかに異同の論量をはなる。ゆへにいふ。玄妙のところ仏祖なをいたりがたし。ただ仏祖いたりがたきのみにあらず。もとよりこのところを論する時。仏祖卒に存せず。恁麼の田地にいたるを実に求道の為体なりとす。もしいまだかくのごとくならざれは。たとひ天華をあめふらし。大地を動じ。心性と説き玄妙と談ずとも。真箇の妙道にをきて。毫髮もうかがひみることなし。然も諸禅徳。恁麼幽玄のところに証到して。列祖荷擔の事を分明にすべし。些子の道理を説得せんとするに。例によりて卑語あり。要聞麼。 若欲顯空須莫覆 冲虚浄泊本来明 第二十五祖。婆舍斯多尊者。 二十四祖示曰。如来正法眼蔵今転附汝。汝応保護普潤来際。師顯発宿因。密伝心印師者罽賓国之人也。姓婆羅門。父寂行。母常安楽。初母夢得神剣因而有孕。師子尊者遊方到罽賓国。有波利迦者。本習禅観故。有禅定・知見・執相・捨相・不語之五衆。尊者既攝五衆名聞遐邇。方求法嗣遇一長者。引其子問尊者曰。此子名斯多。当生便拳左手。今既長矣。而終未能舒。願尊者示其宿因。尊者覩之。即以手接曰。可還我珠。童子遽開手奉珠。衆皆驚異。尊者曰。吾前報為僧有童子。名婆舍。吾嘗赴西海齋受珠附之。今還吾珠理固然矣。長者遂捨其子出家。尊者即与受具。以前縁故名婆舍斯多。終嗣続曰。如来の正法眼蔵今授汝。善保護可及来際。宿因を顯発すといふは。いはゆる前生すでに婆舍童子といふ。尊者の珠をあつける。いま胎内にいりをよび。長者の家に生るるまで。なをこれを保持し。卒に尊者にたてまつる。これによりてしるべし。この因縁かならずしも肉身やぶれ。ただ真身のみありといふへきにあらず。もしこの身これ壊身となるならば。珠いかんがいま保持せん。然もしるべし。捨生受生もとよりこれ壊身にあらず。ここにいたりて百骸倶潰散。一物鎭長霊也といふべからず。是いかなるものか長霊なるべきぞ。ただ捨身を現じ。受身を現ずるのみなり。ゆへにいふつべし。前後両箇にあらずと。古今別異なし。然れば是れ身といふべきにあらず。是れ心といふべきにもあらざるなり。身心とわかれざれは。古今とわかつべきにあらず。ゆへに恁麼なり。婆舍のみ如是なるにあらず。真実をいはば。人人みな悉くかくのごとくなり。ゆへに無生所無死所。時にしたがひて頭をかへ面をかへすのみなり。かならず四大をかへ五蘊をあらたにするにはあらず。すべて一片肉団のをほひ来るなく。かつて絲毫の骨頭のささへ来るなし。たとひ千種の形あり。万般の品あるも。悉くこれ本来の心光なり。この道理をしらずして。これを幼少とおもひ。かれを老大とおもふ。すべて老体なく。本来幼少なし。もしかくのごとくならば。なにによりてか生死を判し。前後をわかたん。これによりて前世の婆舍今日の斯多。両箇の身にあらずと指説する。これすなはち宿因なり。ゆへに如来の正法眼蔵を伝附し。未来際をうるほす。然ればしるべし。一切諸仏諸祖もとよりかつてさとらず。一切の愚癡諸人卒に迷はず。有時は修行し。有時は発心す。菩提発心もとをはりなくはじめなし。衆生諸仏もとより劣にあらず勝にあらず。只恁麼縦横なるのみなり。然れば曠劫以来かつてかくのごとく保任して宿因をわすれざるのみなり。今朝又這箇の因縁を指注するに。例によりて卑語あり。 開華落葉直彰時 薬樹王終無別味 第二十六祖。不如密多尊者。 太子時二十五祖問曰。汝欲出家当為何事。師曰。我若出家不為別事。祖曰。不為何事。師曰。不為俗事。祖曰。当為何事。師曰。当為仏事。祖曰。太子智恵天至。必諸聖降迹。祖即許出家師者南印度。得勝王之太子也。二十五祖始中印度伏無我尊外道。即到南印度。時彼国王名天徳。迎請供養。王有二子。一凶暴而色力充盛。一柔和而長嬰疾苦。祖乃為陳因果。王頓釈所疑。王天徳崩後。太子得勝即位。復信外道致難于祖。太子不如密多以進諫被囚。王遽問祖曰。予国素絶妖怪。師所伝者当是何宗。祖曰。王国昔来実無邪法。我所伝者即是仏宗。王曰。仏滅已千二百載。師従誰得耶。祖曰。飲光大士親受仏印。展転至二十四世師子尊者。我従彼得。王曰。予聞。師子比丘不能免於刑戮。何能伝法後人。祖曰。我師難未起。密授我信衣法偈。以顯師承。王曰。其衣何在。祖即於嚢中出衣示王。王命焚之。五色相鮮薪尽如故。王即追悔致礼。師子真嗣既明。乃赦太子。太子遂求出家。祖問太子曰。汝欲出家。当為何事乃至祖許出家。然しより執事すること六年。後に如来の正法眼蔵を伝付するに。いはく。如来より嫡嫡属累していまにいたる。まさに伝持してよく群有を化すべし。師密記をうくる時。身心釈然たり。上来の因縁即ちその事の為に非ざることを示す。故に問て曰く。汝欲出家。当為何事。いはく。我為仏事。事といふは俗事。実に出家はもとより事の為にあらざること。ここをもて知識しつべし。それ事といふは自の事にあらず。他の事にあらす。ゆへにいふ俗事の為にあらずと。たとひ髮をそり衣をそめて。かたちを仏子に似せたりとも。なを自見他見をまぬかれず。もし男女の相をはなれずんは。悉くこれ俗事なり。仏事にあらずは。しばらく人人の本心によりて談する時。すべて仏事なく。俗事なしといへども。未知本心。しばらく俗事といふ。すでに本心をあきらめ得るをこれを仏事と名く。本心知得の時なを生相なく。滅相なし。なにいはんや迷人なり。悟人ならんや。かくのごとく見得する時。四大五蘊なを存せず。三界六道あに立することあらんや。ゆへに家としてすつべきところなく。身としてをくべきところなきゆへに出家といふ。住すべきところなきがゆへに家破れ人亡しぬ。故に生死涅槃ともにはらはざるにをのづからつき。菩提煩悩すてざるに本来はなる。今日ただかくのごとくなるのみにあらず。劫より劫にいたるまで。もとより成住壊空の四劫にもうつされず。生住異滅の四相にも縛せられず。廓然として空の内外なきがごとく。清浄にして水の表裏なきに似たり。人人の本心悉皆かくのごとし。然も在家とをそるべからず。出家とをごるべからず。只外に向ひてもとむることをやめて。すべからくをのれに向て弁ずべし。こころみに汝諸人しばらく心を東西に散ぜず。眼を前後にめぐらさずして。子細に見来らば。此の時なにをよんでかわれとし。なにをよんでかかれとせん。已でに自他あひむかふことなし。更になにをなづけてか善悪といはん。もし恁麼ならば。本心もとよりあらはれて明かなること日月のごとし。幽としててらさずといふところなし。すなはち適来の因縁挙似せんとするに。また卑語あり。きくべし。 本地平常無寸草 宗風何処作安排 第二十七祖。般若多羅尊者。 因二十六祖曰。汝憶往事否。師曰。我念遠劫中。与師同居。師演摩訶般若。我転甚深修多羅。今日之事蓋契昔因師者東印度人也。時不如密多。到東印度。彼王名堅固。奉外道師長爪梵志。曁尊者将至。王与梵志同覩白氣貫于上下。王曰。斯何瑞也。梵志預知尊者入境。恐王遷善乃曰。此是魔来之兆耳。何瑞之有。既鳩諸徒衆議曰。不如密多将入都城。誰能挫之。弟子曰。我等各有呪術。可以動天地入水火。何患哉。尊者至先見宮墻有黒氣乃曰。小難耳。直詣王所。王曰。師来何為。尊者曰。将度衆生。曰以何法度。尊者曰。各以其類度之。時梵志聞言不勝其怒。即以幻法化大山尊者頂上。尊者指之。忽在彼衆頭上。梵志等怖懼投尊者。尊者愍其愚惑再指之。化山随滅乃為王演説法要。俾趣真乗。又謂王曰。此国当有聖人継於我。是時有婆羅門子。二十許。幼失父母不知名氏。或自言瓔珞。故人謂之瓔珞童子。遊行閭里。丐求度日。若常不軽之類。人問汝何行急。即答曰。汝何慢。或問何姓。乃曰。与汝同姓。莫知其故。後王与尊者同車而出。見瓔珞童子稽首於前。尊者曰。汝憶往事否乃至蓋契昔因。尊者又謂王曰。此童子非他。即大勢至菩薩是也。此聖之後出二人。一人化南印度。一人縁在震旦。四五年内欲返此方。遂以昔因故名般若多羅。夫れ伝仏心印の祖師。心地開明の聖者。あるひは羅漢。あるひは菩薩なることは。不昧本来の道なる故に。久遠成の如来なるもあり。たとひ初機後学に似たりとも。一念もし機を迴せば。本来具徳をあらはして。一毫もすべてかげたることなし。如来と同共し。諸尊と和合す。一出一沒するにあらざれども。共に出一隻手にあらず。多種なく別條なし。ゆへに今日をみるは久遠をみるなり。久遠をかへりみれば今日をまほるなり。なんぢと同生せり。われと同居せり。絲毫もはなるることなく。片時もともなはずといふことなし。這箇の田地にいたりうる時。古来今の法にあらず。根境識の事にあらず。ゆへにいふ。嗣法は三際を超越し。証契は古今に連綿たり。かくの如くなるゆへに。金針玉線密密として串通す。子細に見来れば。いづれかこれかれ。いつれかこれわれ。繊機もあらはれず。機鋒もあらはすことなし。ここにいたりて得坐せざるなし。かならずかたはらにわかち来る。ゆへに適来の因縁にも。師は演説摩訶般若。我転甚深修多羅。もし色清浄なれば一切智智清浄なり。異もなく別もなし。衆生すなはち仏性也。仏性すなはち衆生。かれも外物をいれず。これも内法をはこばず。両機恁麼にわかれたりといへども。多数終に不異。故般若多羅といふ。上の婆舍斯多のごとし。古今わかつべからず。空有あに異ならんや。ゆへに古人曰。此中若了全無事。体用何妨分不分。虚空を借て森羅万像の体とすれば。一絲一毫の面目に対する底なし。森羅万像を借りて虚空の用とすれば。一絲一毫の異路なし。ゆへに爰にいたりて。師資道伝。仏祖の印可なを多種なりと解するも。節目あるに似たり。両般なしと会するも。なをこれ擔板漢なり。子細に験点商量すれば。鷺鶿立雪非同色。明月蘆華不似他。恁麼に游踐して。銀椀盛雪もてゆき。明月蔵鷺もてゆく。適来の因縁を弁別せんとするに。たまたま卑語あり。 大衆きかんと要すや。 潭底蟾光空裏明 連天水勢徹昭清 再参撈漉縦知有 寛廓旁分虚白成 |
瑩山和尚伝光録 卷下 第二十八祖。菩提達磨尊者。 因二十七祖般若多羅尊者問。於諸物中何物無相。師曰。不起無相。祖曰。於諸物中何物最大なる。師曰。法性最大師者刹利種也。本名菩提多羅。南印度。香至王第三子也。彼王崇重仏法度越倫等。有時以無價宝珠施般若多羅。王有三子。一月浄多羅。二功徳多羅。三名菩提多羅。尊者欲試太子智恵。以所の施宝珠を示三王子曰。能及此宝珠もの有や否や。第一第二皆云。此の珠は七宝の中の尊也。固に踰るものなし。尊者の道力に非んば。誰か能是を受ん。第三菩提多羅曰。此は是れ世宝也。未だ上とするに足らず。諸宝の中に於ては。法宝を上とす。此は是れ世光也。未だ上とするに足らず。諸光の中に於ては。智光を上也とす。此は是世明也。未だ上とするに足らず。諸明の中に於ては。心明を上也とす。此の珠の光明は自ら照すこと不能。必ず智光を借りて光弁於此。既に此を弁じ了ば。即是珠なる事を知る。既に此の珠を知れば。即その宝なることを明む。若その宝なることを明むれば。宝自ら宝に非す。若その珠を弁ずれば。珠自ら珠に非ず。珠自ら珠に非ざることは。必ず智珠を假りて世珠を弁ずれば也。宝自ら宝に非ざることは。必ず智宝を假りて法宝を明むれば也。師の道智宝なるゆへに。いま世宝を感ず。然則師有道其宝即現。衆生有道其宝即現。衆生有道心宝亦然なり。祖其の弁説を聞て。聖降なることを知り。定て法嗣なることを弁ずれども。時未到をもて。黙して混ぜしむ。即問曰。於諸物中何物無相。師曰。不起無相。祖曰。於諸物中何物最高。師曰。人我最高。祖曰。於諸物中何物最大。師曰。法性最大也。如是問答して。師資心通ずといへども。しばらく機の純熟をまつ。後に父王崩御す。衆みな号絶するに。菩提多羅独り柩の前にして入定。七日をへて出づ。すなはち般若多羅の処にゆきて出家を求む。般若多羅時のいたることを知て出家受具せしむ。後に師般若多羅の室にして七日坐禅す。般若多羅広く坐禅の妙理を指説す。師ききて無上智を発す。すなはち般若多羅示曰。汝於諸法已得通量。夫れ達磨者通大之義也。宜名達磨。因改号菩提達磨。師出家伝法して。ひざまづきて問ていはく。われすでに得法す。まさに何れの国にいたりてか仏事をなすべき。時に般若多羅示曰。汝得法すといへども。しばらく南天にとどまりて。わが滅後六十七載を待て。まさに震旦にゆきて大器接すべし。師又曰。彼の土に大士の法器となるをうべしや。一千年の後又難おこることあるべしや。般若多羅示曰。彼の士に菩提をゑんものあげてかぞふべからず。小難ありておこることあらん。宜善自降。汝至時勿住南方。彼唯好有為功業不見仏理。即示偈曰。路行跨水復逢羊。独自栖栖暗渡江。日下可憐雙象馬。二株嫩桂久昌昌。林下見一人。まさに道果をうべし。又曰。震旦雖濶無別路。要假兒孫脚下行。金鶏解銜一粒粟。供養十方羅漢僧。受如是子細印記。執侍左右四十年。般若多羅入滅後。同学仏大先は般若多羅の印記を受て。祖と化を並べ。仏大勝多更分徒而為六宗。師六宗を教化して。名十方に仰き。六十余載に向んとするに。震旦縁熟するを知て。異見王のところにゆきて告て曰。三宝を敬重し。以て利益を繁興すべし。われ震旦の縁熟せり。事了なばすなはちかへるべし。異見王涕涙悲泣して曰。この国何の罪かある。彼の土何の祥かある。然れども震旦の事すでにはてなば。速にかへりたまふべし。父母の国を忘ることなかれ。王躬から送りて。直に至海堧。師汎重溟。三周をへて。南海にとつぐ。梁の大通元年丁未歳九月二十一日なり。或普通八年ともいふ。三月に改元す。これに因て最初梁武帝に相見す。云云。南みにとどまることなかれといふ是れなり。これによりてすでに魏にゆく。一葦をうかぶといふ。尋常人おもはく。一葦といふは一つのあしなりと。これによりて一枝の葦の葉のうへに。祖の身をのするは非なり。いはゆる一葦といふは。渡りの小船なり。あしにはあらず。其の形ちあしに似たり。復逢羊といふは梁の武帝なり。暗に渡江といふは楊州の江なり。如是して急に嵩山の少林寺にとつぐ。則少林寺の東廊に居す。人是を測ることなし。終日打坐す。因て壁観婆羅門といふ。すなはち喧しくとかず。やすくしめさずして九年をへたり。九年の後道副・道育・総持・恵可等。四人の門人に皮肉骨髄を付してより。その機已に熟せることを知りぬ。時に菩提流支・光統律師といふ二人の外道あり。師の道徳天下にしき。人悉く帰敬するを見て。そのいきどをりにたへず。すなはち石をなげて当門の牙齒を缺ぐのみにあらず。五度大毒をたてまつる。祖すなはちその毒薬を六度の時。盤石の上にをきしかば。すなはち石さけき。吾が化縁すでに尽きぬと。すなはちおもはく。吾先師の印記をうけて。神且赤縣にしておほきなる。氣象をみき。定て知りぬ。大乗の法器ありと。然れとも梁の武帝相見以来。機かなはず。人をえず。徒に冷坐せしに。独の大士神光を得て。わが所得の道悉く以て伝通す。事すでに弁し。縁すなはち尽きぬ。逝去すべしといひて端坐して逝す。葬熊耳峯。後に葱嶺にして宋雲にあひあふといふ説あれども。実には葬熊耳峯。これ正説なり。夫れ達磨はまさに二十七祖の記によりて。震旦の初祖なり。その最初太子の時。宝珠を弁ぜし。因て尊者問曰。於諸物中何物無相。師曰。不起無相なりと。実にそれたとひ空寂といふとも。実にこれ無相なるにはあらず。これによりていふ。不起無相なりと。然れば壁立万仭と会し。明明たる百草と会得して。物物他にあらず。ただをのれと住法位すと識得せん。すなはちこれ不起底にあらず。然れば無相にあらず。いまだ天地をも分たず。なにいはんや聖凡をも弁ぜんや。這箇の田地すべて一法のきざすべきなし。一塵のけがしうるあらず。然ればこれ本来ものなきにあらず。まさに虚廓霊明にして。惺惺として。くらからず。このところにものヽ比倫するなく。会て他の伴ひ来ることなき故に。最大にして最大なり。故曰大名不可思議。亦不可思議を名て法性といふ。たとひ無價の宝珠も比するにたへず。明白の心光もかたどるべからず。故に此は是れ世光なり。いまだ上とするにたらず。智光を上なりとすと。如是了別し来る。実にこれ天至の智恵の所説なりと雖ども。二度び七日坐禅の中にして。坐禅の妙旨を説聆て。無上道智を発しき。然れば知るべし。子細に弁得して恁麼の田地に精到し。まさに仏祖の所証あることをしり。先仏の已証を明め得て。すべからくこれ仏祖の兒孫なるべきこと。この尊者にをひて殊にその例証あり。すでに自然智恵のごとくなりといへども。重て無上道智を発しき。後なを未来際護持保任すべき用心を参徹し。四十年左右に給士し。委悉に究弁す。来記を忘れず。六十年をおくり。三周の寒暑を巨海の波濤にへき。終に不知の国に至りて。冷坐九年の中に大法器をゑて。はじめて如来の正法を弘通し。先師の洪恩を報じ。艱難はいづれよりも艱難なり。苦行はいづれよりも苦行なり。然るを近来諸の学人。時すでに澆薄にして。機もと昧劣なるに。なほゑやすからんことをねがふ。おそらくはかたのごとくのたぐひ。未得謂得の類。増上慢人退亦佳矣の輩たるべし。諸人者適来の因縁を子細に参徹して。いよいよ高き事を知り。心を碎き身を捨て。親切に弁道せば。諸仏の冥薫ありて。直に仏祖の所証にかなふことあらん。一智半解に足れりとおもふことなかれ。又卑語あり。要聞麼。 更無方所無辺表 豈有秋毫大者麼 第二十九祖。大祖大師。 参持二十八祖。一日告祖曰。我既息諸縁。祖曰。莫成断滅去否。師曰。不成断滅。祖曰。何以為験。師曰。了了常知。故言之不可及。祖曰。此是諸仏所証心体更勿疑也師者武牢之人也。姓姫氏。父寂。未有子時。常自思。我家嵩善豈無令子。祷久。一夕異光室をてらすことを感ず。其母因て孕む。長するにをよびて。照室の瑞をもて名けて光といふ。幼より志氣不群。久く伊洛に居して。ひろく群書をみる。不事とせ家産。好遊山水。常に歎じて曰く。孔老の教は礼術の風規なり。荘易の書は未尽妙理。龍門香山宝静禅師に依て出家受具し。講肆に浮游して。あまねく学大小乗義。一日仏書般若をみて。超然として自得す。然しより昼夜宴坐して。すでに八載をへしに。寂黙の中におひてひとりの神人をみる。告て曰く。将欲受果。何滯此耶。大道匪遙。汝其南矣。光知神助因改名神光。翌日頭痛如刺。其師これを治せんとするに。空中に声ありて曰く。これすなはち換骨なり。常の痛にあらず。光卒に以見神事師にまふす。師その頂骨をみるに。五峯の秀出せるがごとし。即曰。汝が相吉祥なり。まさに所証あるべし。神令汝南者。斯則少林の達磨大士也。必ず汝が師ならん。光受教。嵩山少林寺にいたる。大通二年窮臘九日なり。大師入室をゆるさず。師窓前に立つ。其夜大に雪ふる。雪中に立て明るを待つ。積雪腰を埋み。寒氣骨に徹る。落涙滴滴凍る。涙を見るにいよいよ寒きことをます。密に惟き。昔人求道敲骨取髄。刺血濟饑。布髮掩泥。投崖飼虎。古尚若此。我又何人。かくのごとくおもひて。こころざしをはげましてたゆむ事なく。堅立不動。遲明大師よもすがら雪の中に立をみて。あはれみて問て曰く。汝久立雪中。当求何事。師曰。惟願和尚慈悲。開甘露門。広度群品。大師曰。諸仏無上妙道。曠劫精勤難行。能行。非忍而忍。豈以小徳小智軽心慢心。欲冀真乗徒労勤苦といひて。又顧眄せず。時に師慈誨をききて。涕涙ますますながし。求道の志いよいよ切なり。ひそかに利刀をとりて。自ら左臂を断ず。大師これ法器なりとして。示曰。諸仏最初求道。為法忘形。汝今断臂吾前。求亦可在。師遂因与易名曰恵可。終に入室をゆるす。爾しより左右に給士して八年をおくる。有時師問大師曰。諸仏法印可得聞乎。大師曰。諸仏法印匪従人得。有時示曰。外息諸縁。内心無喘。心如牆壁可以入道。師尋常説心説性不契道理。大師秪遮其非不為説無念心体。室中玄機曰。有時侍達磨大師登少室峯。達磨問。道向何方去。師曰請直進前是。達磨曰。若直進不得移一歩。師聞契悟。有時告大師曰。我既息諸縁乃至更勿疑也。卒衣法共附して曰。内伝法印以契証心。外附袈裟以定宗旨。因て大師円寂してより。師継闡玄風。法を僧璨に附して曰く。われまた宿累あり。いま必ずこれを酬んと。付嘱し已りて。即於鄴都随宜説法。四衆帰依。如是積三十載韜光混跡変易儀相。或入諸酒肆。或過屠門。或習街談。或随厠役。或人問曰。師是道人何故如是。師曰。我自調心。何関汝事。後於筦城縣匡救寺参門下。開演法要四衆。如林会時有弁和法師者。於寺中講涅槃経。聞師演法。徒衆漸引去。弁和不能其憤。興謗于邑宰翟仲侃。仲侃惑其邪説。加師以非法。師怡然委順。即隋開皇十三年癸丑歳二月十六日也。抑師は諸祖の尊徳。いづれも勝劣なしといへども。重きが中に重く。貴きが中に貴し。所以者何となれば。達磨たとひ西来すとも。師もし伝通せずんば。宗風いまにをよびがたし。艱難誰れよりも勝れ。志求何れよりも超たり。初祖も真機を待ちて久くとかず。殊に二祖の為に指説せず。ただいはく。外息諸縁内心無喘。心如に牆壁もて道にいるべしといふ。実にかくのごとく慮をやむれば。すなはち心体をあらはすなり。かくのことくいふをききて。牆壁のことく無心ならんとす。これ親く心を見得せず。すなはち曰く。了了常知と。よくかくのことくなれば。諸仏の所証といふ。然れは外諸縁をやむれば。内万慮なし。惺惺として不昧。了了として本明なり。古今をわかたず。自他をへだてず。諸仏の所証。諸祖伝心毫末もたがはず。和同し来るか故に。西天と東土と伝通し。漢朝と和国と融接す。古も如是。今も如是。たた古をしたふことなかれ。今をすごさず修すべし。聖を去ること時遠しと思ふことなかれ。おのれをすてずあきらむべし。例によりて下語せんとするに卑語あり。要聞麼。 空朗朗地縁思尽 了了惺惺常廓明 第三十祖。鑑智大師。 参二十九祖。問曰。弟子身纒風恙。請和尚懺罪。祖曰。将罪来。与汝懺。師良久曰。覓罪不可得。祖曰。我与めに汝の懺罪竟。宜依仏法僧住師者不知何許人也。初以白衣謁二祖。歳四十余也。不言名氏。聿来設礼。而問祖曰。弟子纒身風恙乃至宜依仏法僧住。師曰。今見和尚已知是僧。未審何名仏法。祖曰。是心是仏。是心是法。法仏無二。僧宝亦然。師曰。今日始て知。罪性不在内。不在外。不在中間。如其心然。仏法無二也。祖深器之。即為剃髮曰。是吾宝也。宜名僧璨。其年三月十八日。於光福寺受具。自茲疾漸愈。執侍経二載。祖乃告曰。達磨大師竺乾よりこの土にきたりて。衣法共に吾附。吾又汝附。又曰。汝已雖得法。しばらく深山に入りて行化すべからず。当有国難。師曰。師既預知。願垂示誨。祖曰。非吾知也。斯乃達磨伝般若多羅懸記曰。心中雖吉外頭凶是也。吾校年代正在于汝。当諦思前言勿罹世難。然しより皖公山にかくれて十歳余をへたり。すなはち周の武帝仏法を廢せしときなり。是によりて司空山往来し。居するに無常処。かたちまた変易す。かくのごとくして沙弥道信を接して。のちにつげていはく。先師われに伝通してよりのち。鄴都にゆきて三十年をへたり。今吾得汝。何滯此乎。即適羅浮山後還旧址。士民奔趨大設檀供。師四衆のためにひろく宣心要訖。於法会大樹下合掌終。その語信心銘等を録して。いまに流伝しきたる。後ちに鑑智大師の号をおくる。その最初参見のとき。身風恙にまつはるといふは癩病なり。しかれども祖師に参見せしに。業病たちまちに消除せし因縁別の樣子なし。罪性不可得なることを了知し。心法本清浄なることを学悟す。これによりて仏法に二つなしときき。心法如然なりといふ。実に本来心を識得せんとき。なほ死此生彼差異なし。なにいはんや。罪悪善根の弁別あらんや。これによりて四大五蘊ついに不存せ。皮肉骨髄もとより解脱す。故に風恙の病消除し。本来の心現前す。終に第参の祖位につらなる。法要をひろく説くに曰く。至道無難唯嫌揀擇といふより。言語道断非古来今と説く。実にこれ内外なく。中間なし。なにをかゑらび。なにをかすてん。とることもゑず。すつることもゑず。すでに憎愛なく。洞然明白なり。時として缺たるところなく。物として余る法なし。雖然如是。子細に参徹して不可得のところを得来。不思議のきはにいたりもてゆく。断滅にをなじふすることなく。木石にひとしきことなく。よく空をたたひてひびきをなし。電をつなひでかたちをなし。沒蹤跡のところに。子細に眼を著け。更に蔵身することなくんばよし。もし恁麼ならば。他はこれ目前の法にあらず。耳目の所到にあらずといふとも。一絲毫の礙滯なく見得し。一微塵の異路なく了得すべし。且くいかんが弁別し。此の因縁に著語することをゑん。 性空無内外 罪福不留蹤 心仏本如是 法僧自曉聡 第三十一祖。大医禅師。 礼鑑智大師曰。願和尚慈悲乞与解脱法門。祖曰。誰縛汝。師曰。無人縛。祖曰。何更求解脱乎。師於言下大悟師諱道信。姓司馬氏。世居河内。後徒於蘄州之広濟縣。師生而超異也。幼慕空宗諸解脱門。宛如宿習。年始十四参参祖大師曰。願和尚慈悲乃至師於言下大悟。服労九載。後於吉州に受戒侍奉尤謹。祖屡試以玄微。知其縁熟乃附衣法。師続祖風。攝心無寐。脇不至席者。僅六十年。隋大業十参載領徒衆抵吉州。値郡盜圍城七旬不解。万衆惶怖。師愍之教令念摩訶般若。時賊衆望雉堞間。若有神兵。乃相謂曰。城内必有異人。不可攻。稍稍引去。唐武徳甲申歳。師却返蘄。春住破頭山。学侶雲臻。一日。黄梅路上親接弘忍。牛頭頂上横出一枝。時貞観癸卯年。太宗皇帝。嚮師道味欲瞻風彩。詔赴京。師上表遜謝。前後三返終以疾辞。第四度命使曰。如果不起即取首来。使至山諭旨。師引頚就刃。神色儼然使異之迴以状聞。帝弥如歎慕。就賜珍繒。以遂其志。迄高宗永徴辛亥歳閏九月四日。忽垂誡門人曰。一切諸法。悉皆解脱。汝等各自護念流化未来。言訖安坐而逝。寿七十有二。塔于本山。明年四月八日。塔戸無故自開。儀相如生。爾後門人不敢復閉。後賜号大医禅師。まさに諸師の行状いづれも勝劣なしといへども。幼より空宗をしたふ。あだかも宿習のごとしといへとも。一期王臣にちかづかず。弁道修練して。一志不退なり。最初解脱の法門を宣説し。あまつさへ死期に解脱の法門をひらき。遂に生死の縛することなきことをしらしむ。実にそれ千歳の一遇。超絶の異人なり。空門の修練もとより解脱の法門と号す。所以者何。生仏なを汝を縛することなし。更に何の生死のあひあづかるべきかあらん。然れば身心をもて論量すべきにあらず。迷悟をもて弁別すべきにあらず。説心説境。煩悩菩提と説くとも。悉くこれ自の異名なり。故に山河隔なく。依正別異なし。これによりて寒時寒殺闍黎。熱時熱殺闍黎なり。更に此の関を一超する時。又這箇の道理にあらず。いはゆる無縛無解。無彼無此。故二箇箇名を立せず。物物形を分たず。故功勳を及尽す。あに偏正にかかはらんや。当堂遂に正坐の分なし。縦横両頭の機にとどまることなかれ。若し恁麼に見得すれば。なほ解脱の名をもちゐず。あに繋縛の事をいとはんや。然も汝実に光明あり。是を見三界といふ。汝が舌余味あり。是を調六味と名く。故に処処放光し。時時調饍す。味来るとも。滋味なきところにふかき滋味あり。見来り見去るとも。色塵なきところに真色あり。故に王臣にちかづくべきなく。身心の坐臥すべきなし。もしよく這箇の田地にいたりえば。四祖大師すなはちこれ汝諸人。なんじ諸人まさに四祖大師ならん。これ悉皆解脱門なるにあらずや。これ流化未来なるにあらずや。無縫塔戸窓。忽然としてひらけ来る。平生の相貎雍容としてあらはれもちきたる。しばらく今日又卑頌あり。適来の因縁を指注せんとおもふ。大衆要聞麼。 心空浄智無邪正 箇裏不知縛脱何 縦別五蘊及四大 見聞声色終非他 第三十二祖。大満禅師。 於黄梅路上逢参十一祖。祖問曰。汝何姓。師曰。性即有。不是常姓。祖曰。是何姓。師曰。是仏性。祖曰。汝無姓耶。師曰。性空故無。祖黙識其法器。伝附法衣師者蘄州黄梅縣之人也。先為破頭山栽松道者。嘗請於四祖曰。法道可得聞乎。祖曰。汝已老矣。若得聞夫能広化耶。若再来吾尚可遲汝。即去。往水辺而見一女子洗衣。揖曰。寄宿得否。女曰。吾有父兄。可往求之。曰諾我即敢行。女首肯。遂回策而去。女周氏季子也帰輒孕。父母大悪んでこれをおふ。女無所帰。日傭紡里中。夕宿衆舘之下。終生一子。以不祥而捨濁港中。遡流体無濡。神物護持七日不損。いはゆる神物といふは。昼は二羽の鳥ありて。羽をならべてこれをおほふ。夜るは二疋のいぬありて。ひざを屈してこれを守る。氣体鮮明にして。六根かぐることなし。母これをみて奇異なりとして鞠養す。長となるにおよんで。母と共に乞食す。人呼て無姓兒といふ。ひとりの智者ありて曰く。此の子七種の相をかぎて如来におよばず。後に黄梅路上遇四祖出遊。四祖此童子骨相奇秀。異乎常童問曰。汝何姓乃至祖黙識其法器。侍者をもて母に請て出家せしむ。時に七歳なり。すなはち受衣得度し。伝法出家せしより。十二時中一時も不礙蒲団日夜あらず。余務かぐことなしといへども。かくのごとく坐し来る。終に上元二年示徒曰。吾事すでにおはりぬ。すなはちゆくべしといひて坐化す。父にうけず。祖にうけず。仏につがず。祖につがずして姓あり。これを仏性といふ。夫参禅学道は。もとこれ根本に達し。心性を廓明せんがためなり。もし根本にいたらざれば。徒に生し。徒に死して。己にまよひ他にまよふ。いはゆる本性といふは。汝等諸人死死生生。たとひ面面形異にすとも。時時刻刻悉く了了智を具せずといふことなし。いはゆる今日の因縁をもてしるべし。昔し栽松道者法道を請して。いま七歳の童子として衣法を伝るにいたるまで。必ず生によりて心変ずるにあらず。形によりて性の改ることあらんや。宏智禅師忍大師の真讃に曰く。前後両身今古一心と。両身すでにかはれりといへども。古今別心なし。しるべし従無量劫来只恁麼なることを。もしよく此の本性体達せば。この性もとより四姓をもて弁ずべきにあらず。四姓これ同性なるが故に。水性如是ゆへに。すなはち四姓出家すれば同釈氏と称す。その差異なきことをしらしむ。実にこれ吾も不隔。汝も不隔。わづかに自他の面目を帯する。恰も前後身のごとし。かくのごとく弁別し。心をあきらめうることなふして。みだりに自己目前を称し。自身他身を分つ。これによりてものことに情執し。時と共に。迷惑す。然も一度這箇の田地をあきらめゑば。たとひ形をかへ生を転ずるとも。なんぞ己を妨げ。心を変ずることあらんや。今の道者と童子とをもてしるべし。すでに父なふして生ず。知るべし人必ず父母の血脈を受て。生ぜざることを。然ればすなはちすてに情執の所見。身体髮膚。父母にうくといへども。この身すなはち五蘊にあらずとしるべし。この身如是と会せば。すべてわれとともなふものなく。片時もをのれに異なる時なからん。故に古人曰。一切衆生従無量劫来。不出法性三昧。かくのごとく体得し。如く是の踐得せば。早く四祖と相見し。五祖と齊肩なることをゑん。和漢のへだてなく。古今の別なからん。しばらく作麼生か指注して。この道理に相応することをゑんや。 月明水潔秋天浄 豈有片雲点大清 第三十三祖。大鑑禅師。 師在黄梅碓坊服労。大満禅師有時。夜間入碓坊示曰。米白也師曰。白あれ未有篩在。満以て杖打臼を参下す。師以箕米参簸入室師者姓盧氏。其先范陽人。父行瑫。武徳中左官于南海之新州。遂占籍止焉。喪父。其母守志鞠養。及て長に家尤貧窶師樵采以給。一日負薪至市中。聞客読金剛経。至応無所住而生其心と云に感悟。師問其客曰。此何経そ。得於何人客曰。此名金剛経。得黄梅忍大師。師遽告其母。以為法尋師之意。直抵韶州遇高行士劉志略。結為交友。尼無尽蔵即志略之姑也。常読涅槃経。師暫聴之。即為解説其義。尼遂執卷問字。師曰。字不識。義即請問。尼曰。字尚不識。曷能会義。師曰。諸仏妙理非関文字。尼驚異之。告郷里耆艾曰。能是有道人。宜請供養。於是居人競来瞻礼。近有宝林古寺旧地。衆議営緝。俾師居之。四衆如雲霧集。俄成宝坊。師一日忽自念曰。我求大法。豈可中道而止。明日遂行至昌楽縣西岩室間。遇智遠禅師。師遂請益。遠曰。観子神資爽拔殆非常人。吾聞西域菩提達磨伝心印于黄梅。汝当往彼参決。師辞去直造黄梅。参謁五祖大満禅師。祖問曰。自何来。師曰。嶺南。祖曰。欲須何事。師曰唯求作仏。祖曰。嶺南人無仏性。若為得仏。師曰。人即有南北。仏性豈然。祖知是異人。乃訶曰。著槽廠去。能礼足而退。便入碓坊。服労於杵臼之間。昼夜不息経八月。祖知付授時至。遂告衆曰。正法難解。不可徒記吾言持為己任。汝等各自随意述一偈。若語意冥符。則衣法皆附。時会下七百余僧上座神秀者。学通内外。衆所宗仰。咸共推称曰。若非尊秀疇敢当之。神秀竊聆衆譽。不復思惟。作偈成已数度欲呈。行至堂前。心中恍愡遍身汗流。擬呈不得。前後経四日。一十三度呈偈不得。秀乃思惟。不如向廊下書著。従他和尚看見。忽若道好。出礼拝云是秀作。若道不堪枉向山中数年。受人礼拝更修何道。是夜参更不使人知。自執灯書偈於南廊壁間呈心所見。偈曰。身是菩提樹。心如明鏡臺。時時勤払拭。勿使惹塵埃。祖経行忽見此偈。知是神秀所述。乃讃歎曰。後代依之修行亦得勝果。各令誦念。師在碓坊忽聆誦偈。乃問同学。是何章句。同学曰。汝不知和尚求法嗣。令各述心偈。此則秀上座所述。和尚深加歎賞。必将附法伝衣也。師曰。其偈云何。同学為誦。師良久曰。美則美矣。了則未了。同学訶曰。庸流何知。勿発狂言。師曰。子不信耶。願以一偈和之。同学不答。相視而笑。師至夜告一童子。引至廊下。師自秉燭令童子於秀偈之側写一偈。曰。菩提本非樹。明鏡亦非臺。本来無一物。何処惹塵埃。この偈をみて。一山の上下皆曰。是実に肉身の菩薩の偈なり。内外かまびそしく称す。祖これ盧能が偈なりと知りて。すなはち曰く。これたれかなせるぞ。未見性人なりといひて。すなはちかきけす。これによりて一衆悉くかへりみず。夜におよんて祖竊入碓坊。問曰。米白也未。師曰。白也。未有篩在。祖以杖打臼参下。師以箕米参簸入室。祖示曰。諸仏出世為一大事故。随機大小引導之。遂有十地参乗頓漸等旨。以為教門。然以無上微妙秘密円明真実正法眼蔵。附于上首大迦葉尊者。展転伝授二十八世。至達磨。屆于此土得可大師。承襲以至于吾。今以法宝及所伝袈裟用附於汝。善自保護無令断絶。師跪受衣法。啓曰。法則既受。衣附何人。祖曰。昔達磨初至。人未信。故伝衣以明得法。今信心已熟。衣乃争端。止於汝身不復伝也。且当遠隠俟時行化。所謂受衣人命如懸絲也。師曰。当隠何処。祖曰。逢懷即止。遇会且蔵。師礼足已捧衣而出。黄梅のふもとにわたしあり。祖みづからおくりてここにいたる。師揖曰。和尚すみやかにかへるべし。我すでに得道す。まさに自渡るべし。祖曰。汝すでに得道すといへども。われなをわたすべしといひて。みつから竿をとりて彼の岸にわたしおはり。祖独り寺に帰る。一衆みなしることなし。それより後五祖不上堂。衆きたりて咨問することあれば。わか道はゆきぬ。あるが問。師の衣法何人か得る。祖曰。能者ゑたり。於是衆議すらく。盧行者名能。尋訪するに既失。懸知彼得。すなはち共にはしり逐ふ。時に四品将軍発心して恵明といふありき。為衆人先。趁大庾嶺にして及師。師曰。此衣表信。可以力争耶。置其衣鉢於盤石上。而隠草間。恵明いたりてこれをあげんとするに。力を尽せども揚らず。時に恵明おほきにおののきて曰。我為法来る。不為衣来。師遂出坐盤石上。恵明作礼曰。望行者為我示法要。師曰。不思善不思悪。正与麼時。那箇是明上座本来面目。明言下大悟。復問曰。上来密語密意外。還更有密意否。師曰。与汝語者即非密也。汝若返照。密有汝辺。明曰。恵朗雖在黄梅。実未省自己面目。今蒙指示。如人飲水冷暖自知。今行者即恵明師也。師曰。汝若如是。吾与汝同師黄梅。明礼謝してかへる。後に出世せし時。恵明を改道明。避師上字。参ずるものあれば。悉く師に参ぜしむ。師は衣法伝受の後。四縣の猟師の中にかくれて。十年をへて後。至儀鳳元年丙子正月八日屆南海。遇印宗法師於法性寺講涅槃経。師寓止廊廡間。暴風颺刹旛。聞二僧対論。一曰旛動。一曰風動。往復酬答未会契理。師曰。可容俗流輒領高論否。直以風旛非動仁者心動耳。印宗竊聆此語。竦然異之。翌日邀師入室。徴風旛之義。師具以理告。印宗不覚起立曰。行者定非常人。師為是誰。師更無所隠。直舒得法因由。於是印宗執弟子之礼。請受禅要。乃告四衆曰。印宗具足凡夫。今遇肉身菩薩。即指座下盧居士曰。即此是也因請出所伝信衣。悉令瞻礼。至正月十五日。会諸名徳為之剃髮二月八日就法性寺智光律師受満分戒。其戒壇即宋朝求那跋陀三蔵之所置也。三蔵記曰。後当有肉身菩薩在此壇受戒。又梁末真諦三蔵於壇之側。手植二菩提樹謂衆曰。却後一百二十年有大開士。於此樹下演無上乗度無量衆。師具戒已。於此樹下開東山法門。宛如宿契。明年三月八日忽謂衆曰。吾不願此居。要帰旧隠。時印宗与緇白千余人送師帰宝林寺。韶州刺史韋拠請於大梵寺転妙法輪。并受無相心地戒。門人記録目為壇経盛行世。然返曹谿雨大法雨。覚者不下千数。寿七十六沐浴して坐化す。すなはち瀉瓶の時に曰く。米白也未この米粒まさにこれ法王の霊苗。聖凡の命根。会て荒田にありてくさぎらざれども。をのづがら長ず。脱白露浄にして汚染をうけず。雖然如是尚簸ざることあり。もし簸来り簸去れば。内に通じ外に通ず。上にうごき下にうごく。臼を打つこと参下するに。米粒をのづからそろひて。心機たちまちにあらはる。米をひること参下して。祖風すなはち伝はる。爾しより打臼の夜未明。授手の日未曛。おもふに夫れ大師は嶺南の樵夫。碓房盧行者也。昔は斧伐を事として山中に遊歴し。遂ひに明窓下。古教照心の学解なかりしかども。なを一句の聞経に。無所住の心生じ。いま杵臼にたづさはりて。碓坊に勤労すといへども。かつて席末に参じて。参禅問道決擇なかりしかども。わづかに八け月の精勤に。明鏡非臺の心を照せしかば。夜半附授おこなはれ。列祖の命脈つたはる。必らずしも多年の功行によらざれども。ただ一旦精細を尽し来ることあきらけし。諸仏の成道もとより久近の時節をもてはかるべからず。祖師の伝道なんぞ古今の分域をもて弁ずることあらんや。しかも今夏九十日。横説竪説古今を批判し。麁言軟語仏祖を指注す。微にいり細にいり。二にをち参にをちて。宗風をけがし。家醜をあぐ。これによりて諸人悉く理を通ずとおもひ。力をえたりと思へり。然れども親切に未た祖意に冥符せざるがごとし。行状すべて先聖に相似ならず。宿縁多幸なるによりて如是相見す。もし一志に弁道せば。すべからく成弁すべきに。いまだ涯涘にいたらざるおをし。なを堂奧をうかがはざるあり。聖を去ること時遠く。道業いまだ成ぜず。身命たもちがたし。なんぞ後日を期せん。初秋夏末すでに或は東或は西の時節にあたれり。依旧彼に散じ。此に行ん。なんぞみだりに一言半句を記持して。わが這裏の法道といひ。わづかに一知半解を挙拈して。大乗門の運載とせんや。たとひ十分にその力をゑたりとも。家醜なを外に揚ん。なにいはんや妄称胡乱の説道をや。もし真実にこのところに精到せんとおもはば。昼夜いたづらにすてず。身心みだりにはこばざるべし。 打臼声高虚碧外 簸雲白月夜深清 第三十四祖。弘濟大師。 参曹谿会。問曰。当何所務即不落階級。祖曰。汝会作甚麼来。師曰。聖諦亦不為。祖曰。落何階級。師曰。聖諦尚不為。何階級之有。祖深器之師者吉州安城姓劉氏子。幼歳出家。毎群居論道師唯黙然。後聞曹谿法席。乃往参礼。問曰。当何所務即不落階級乃至祖深器之。会下学徒雖衆。師居首焉。亦猶二祖不言少林謂之得髄矣。一日祖謂師曰。従上衣法雙行。師資遞授。衣以表信。法乃印心。印今得人。何患不信。吾受衣以来。遭此多難。況乎後代争競必多。衣即留鎭山門。汝当分化一方無令断絶。師既得法住吉州青原山静居寺。すなはち曹谿と同く化をならべ。卒に石頭を接せしより。夥く曹谿の鱗下に投ぜしやから踵を継で来る。尤も大鑑の光明とす。すなはち唐の開元二十八年庚辰十二月十三日。陞堂告衆跏趺而逝す。後に諡弘濟大師。実に群居論道せし。殊に黙然不群の行持なり。かくのごとく功夫用心のちから。曹谿にして問来るに。まさになんの所務か階級にをちざるべきといふ。実にこれ子細に見得して。聿に趣向のところなし。祖また彼れをしてすみやかに所証を打著せんとして。為に問て曰く。汝会作甚麼来。卒に錐袋にこもらず。鋒すでにあらはれきたりて曰く。聖諦亦不為。これききがたきをきき。あひがたきにあふなり。たとひ趣向やむとも。なを自己を保任するあり。もしよくかくのごとくなれば。すなはちこれあやまりて解脱の深坑にをちぬべし。故に古今このところを名て法執とす。雲門は法身二種の病といへり。実にこのところに徹通せざるによりてなり。然るに今本分に承当するのみにあらず。透関し来る。故に祖曰。落何階級。実に幽玄のところは聿に表裏を存することなく。深極のきはにはかつて刀斧斫不開。ゆへにいはく。有什麼階級。恁麼の田地に徹通してくもりなく。究到して尽し来る。故に曰。聖諦尚不為。何階級之有。実にたとひ階級を立せんとするとも。空裏にもとより界畔なし。梯磴何処安排せん。このところを依文解義するやから。昔より一切法空の見にをち。万法泯絶の解をなす。すでに喚て聖諦尚不為といふ。あに法空にとどまるべけんや。子細に精到して見よ。この虚明の田地。杲日よりもあきらかなり。この霊廓の真性。了別にあらざれども。了了たる円明の智あり。骨髄を帯せざれども。明明として覆蔵せざる身あり。この身動静をもて弁ずべきにあらず。この知覚知をもて弁ずべきにあらず。覚知もこの智なるがゆへに。動静また他にあらず。故に階級して十地にいたる菩薩も。なを仏性を見ること明了ならず。其の故は何ぞ。仏の言く。なを法性を存するゆへに。なを行処を立する故に。仏性を見ること明了ならず。諸仏は卒に行処なく。性地あらざるゆへに。仏性を見ること了了なり大般涅槃経卷第八。如来性起品第十二曰。無量菩薩雖具足行諸波羅密乃至十住。猶未能見所有仏性。如来既説即便少見。乃至善男子。如是菩薩位階十地尚不明了知見仏性。何況声聞縁覚之人能得見耶然れば見聞によらず。境智を縁せざる時。試に其下をみよ。必ず惺惺として人に問はざる智あり。不覚証契することあらん。しばらくこの因縁をして。いかんが言を著ることをえん。この田地に至て。もししばらくこの因縁をして。いかんが言を著すことをえば。すなはち無舌人をして解語せしめん。もしこの理をきき得ることをえば。はやく無耳根をして聞持せしめて。まさに那人をして点頭語笑せしむることあらん。 鳥道往来猶絶跡 豈堪玄路覓階級 第三十五祖。無際大師。 参青原。原問曰。汝甚麼処来。師曰。曹谿来。原乃挙払子曰。曹谿還有這箇麼。師曰。非但曹谿。西天亦無。原曰。子莫会到西天否。師曰。若到即有也。原曰。未在更道。師曰。和尚也須道取一半。莫全靠学人。原曰。不辞向汝道。恐已後無人承当。師曰。承当非無。無人道得。原以払子打。師即大悟師諱希遷。端州高安陳氏子。母初懷娠不喜葷茹。師雖在孩提不煩保母。既冠。然諾自許。郷洞獠民畏鬼神多淫祀殺牛釃酒。習以為常。師輒往毀叢祠。奪牛而帰。歳盈数十。郷老不能禁。十四歳而初参曹谿。得度未具戒。六祖将示滅。師問曰。和尚百年後。希遷未審当依附何人。祖曰。尋思去。及祖順世。師毎於静処端坐。寂若忘生。時第一座南嶽懷譲和尚問曰。汝師已逝。空坐奚為。師曰。我禀遺誡。故尋思爾譲曰。汝有師兄。行思和尚といふ。今住青原。汝因縁在彼。祖言甚直。汝自迷耳。因師即礼辞祖龕。直到青原。原問曰。有人道嶺南有消息。師曰。有人不道嶺南有消息。原曰。若恁麼大蔵小蔵従何而来。師曰。尽従這裏去。原然之。然しより問答し来ること尋常なり。有時青原挙払子曰。曹谿還有這箇麼。師曰。非但曹谿。西天亦無と。古今挙払して其の端由を示し。或は機関を開き。或は人をして岐路を截断せしめ。或は人をして速に直指せしむ。青原又示す。すなはちこれ試験なり。然るを師未た這箇の事を会得せず。なを挙払のところに眼を著て。すなはち曰く。非但曹谿西天亦無と。恁麼挙払の処。更に如何なる曹溪西天か立すべき。恁麼の所見なをこれ境の話会をなす。故に青原おさへて曰く。子莫会到西天否。然れどもなをこの話を会せず。速にをのれを忘ずることなふして。また曰く。若し到即有也。たとひすでに道著すといふとも。若し有ることをしらずんば。卒にこれその人にあらず。故にまたしめして曰く。未在更道。実に大慈大悲にし来り。拕泥帯水し来て。恁麼委悉に示す。ここに自己安排のところなく。すなはち曰く。和尚也須道取一半。莫全靠学人。殊に如是相見し。如是言説せば。ともに一半を伝て。何ぞ全きを道取することあらん。たとひ乾坤すでに崩壊して。挙体ひとりあらはるるとも。これなを半路にいたるこのところなを他の手段を借るにあらず。自ら著到す。なにいはんや半路に重て一歩を進め。ひそかに密語を通ぜん時。敢て縁を借るにあらず。あに他人にしらしめんや。唯自ら却て本得することあらん。故に示曰。不辞向汝道。恐已後無人承当。たとひ痛きことを語り。辛きことを示すとも。若し他ほねに徹する分なく。舌を破る分なくんば。卒に通路なし。故に言に因て承当する分なからん。如是なるゆへに。知識は言妄りに不施。行徒に不行。恁麼に護持し来る。然るをなを物と。ともたらざるところなりと会して。密密に通処あることをしらず。細細に見取することなふして。すなはち曰く。承当非無無人道得。おそらくは希遷如是いふ。この田地にいたりて。人いかでか道得なからん。もしこの田地にいたらん。なににか承当せん。なを方外にもとめ来る。徒に内証を離却せり。ゆへにはやく恁麼の事あることをしらしめ。速に本来頭あることをしらしめん為に。払子を以て一打す。草を打て蛇を驚す故に。師すなはち大悟す。この因縁をもて。始終の学知。真箇の徹証。子細に験点し将来て見ることこまやかに。至ることしたしかるべし。すでにただ曹谿のみにあらず。西天にも亦無といふ。乾坤破裂して。全身独露する事を得るといへども。尚知己禍ひあり。これによりて恁麼に言大なることを得たり。然れども終に挙払のところに。全身独露することを知り。撃打のところに又有ことを知る。近来参禅の漢。徒に声色中に馳走し。見聞の中に求覓して。たとひ仏語祖語を諳誦し。いささか解路葛藤をなし。西天にもまたなく。曹谿にもまたなしといふとも。なを得る事なし。もし如是ならん。たとひ髮をそり衣を染て。自形を仏に似すとも。三界の獄縛卒に出ることなし。いかでか六道往来やむことをゑん。如是類。惜哉衲衣徒に木頭にかくることを。仏の言すでにこれ仏子にあらず。無所名。木頭と異なることなしといふこのこころなり梵網経遺教経取意一生空く信施をついやし果して。鉄丸を呑む憂ひをなさん時に後悔定て多からん。然れば委悉に参徹して。石頭最初にいたりし。独露全身のところにもいたりゑば。すでに曹谿西天もなきことをゑん。何処にか往来せん。恁麼の見地。卒に衲衣みだりにかけず。いはんや撃打のところに有ることを知りて。すみやかに己れをわすれ。亦己れをしる。死中に能活し。暗裏に正眼明かなり。すなはちこれ衲衣下密密の事なり。すでに恁麼に知見せし。故に師於唐天宝初。荐之衡山南寺。寺之東有石床如臺。乃結庵其土。時号石頭和尚。有時看肇論。至会万物為己者其唯聖人乎。師乃拊机曰。聖人無己。靡所不己。法身無象。誰云自他。円鑑霊照。其間万像体玄自現。境智非一。孰云去来。至哉斯語也。遂掩卷不覚寢。夢自身与六祖同乗一龜。游泳深池之内。覚而詳之。霊龜者智也。池性海也。吾与祖師同乗霊智遊性海矣。遂著参同契。天下昌に伝ふ。実に霊智すでに六祖とひとしく。青原と別なし。因如是。しかのみならず。有時上堂曰。吾之法門先仏伝受。不論禅定精進。達仏之知見。即身即仏。心仏衆生。菩提煩悩。名異体一。汝等当知。自己心霊。体離断常。性非垢浄。湛然円満。凡聖齊同。応用無方。離心意識。三界六道。唯心自現。水月鏡像。豈有生滅。汝能知之。無所不備。殊にこれ乾坤を崩壊せし独立の所見にあらすんば。恁麼なるべからず。撃打に承当し。分明に見得せしによりて。三十五祖に列す。汝等諸人の霊性あに他をへだつる事あらんや。心地なんぞ通ぜざることあらんや。ただ志を発すと発せざると。明師にあふとあはざるとによりて。昇沈形異に。苦楽の品不同。適来の因縁如何見得する。大衆要聞麼。 一提提起百千端 毫髮未会分外攀 第三十六祖。弘道大師。 参石頭問曰。三乗十二分教某甲粗知。嘗聞。南方直指人心見性成仏。実未明了。伏望和尚慈悲指示。頭曰。恁麼也不得。不恁麼也不得。恁麼不恁麼総不得。子作麼生。師罔措。頭曰。子因縁不在此。且往馬大師処去。師禀命恭礼馬祖。仍伸前問。祖曰。我有時教伊を揚眉瞬目。有時不教伊揚眉瞬目。有時揚眉瞬目者是。有時揚眉瞬目者不是。子作麼生。師於言下大悟便礼拝。祖曰。你見甚麼道理便礼拝。師曰。某甲在石頭処如蚊子上鉄牛。祖曰。汝既如是善自護持。雖然汝師石頭師諱惟儼。絳州韓氏子。年十七依潮陽西山恵照禅師出家。納戒于衡嶽希操律師。博通経論。厳持戒律。一日自歎曰。大丈夫当離法自浄。誰能屑屑事細行於布巾耶。首造石頭之室。便問。三乗十二分教某甲粗知乃至善自護持。侍奉三年。一日祖問曰。子近日見処作麼生。師曰皮膚脱落尽唯有一真実祖曰。子之所得可謂。協於心体布於四肢。既然。如是将三條篾束取肚皮。随処住山去。師曰。某甲又是何人。敢言住山。祖曰。不然未有常行而不住。未有常住不行。欲益無所益。欲為無所為。宜作舟航無久住此。師乃辞祖返石頭。一日在坐次。石頭問曰。汝在這裏作什麼。師曰。一切不為。頭曰。恁麼即閑坐也。師曰。若閑坐即為。頭曰。汝道不為不為箇甚麼。師曰。千聖亦不識。頭以偈讃曰。従来共住不知名。任運相将只麼行。自古上賢猶不識。造次凡流豈可明。後石頭垂語曰。言語動用沒交渉。師曰。非言語動用亦沒交渉。頭曰。我這裏針箚不入。師曰。我這裏如石上栽華。頭然之。後居澧州薬山。海衆雲会。適来の因縁をもて。青原・南嶽両家各別なきこと分明にしりぬべし。実にこれ曹谿両角。元是露地白牛。逈逈なるものなり。彼に参し此にあきらめ。彼に通し此につぐ。絲毫もたがはず。故に最初に問。十二分教は粗知れり。直指人心見性成仏の旨いかんと。まさにこの田地をいふに。恁麼也不得。不恁麼也不得。恁麼不恁麼総不得。ここにいたりて自も安排のところなし。他もうたごふところにあらずゆへに如是指説す。然れどもこの田地。まさに不可得のところを執しきたる。ゆへに言下に未知趣。良佇思す。時に馬師をして代て説かしめんとして。さして江西にいたらしむ。江西はたしてこの心を会せしかば。すなはち代曰。かれをして揚眉瞬目せしめ揚眉瞬目せしめず。或は是或は不是なり。時にしたがひてまちまちなることをしめす時に。このところを覚悟し。実に揚眉瞬目より。見聞覚知動用去来にいたるまで。悉く有る事をしりぬ。すなはち礼拝す。祖曰。你見甚麼道理便礼拝。師曰。某甲在石頭処如蚊子上鉄牛。觜を挿むことなし。見知つき情解失す。自ら不知といへども。すでにこれ実人なり。祖後に問曰。子近日見処作麼生。ここに一点の塵なく。繊毫の疵なきことを識得して。すなはち曰。皮膚脱落尽唯有一真実。実に参学この田地にいたり得ること大にかたし。これによりて委悉にほめて曰く。子之所得可謂協於心体布於四肢。ところとしていたらざるところなく。ものとして通ぜざるところなし。卒に一切不為の道得にいたるまで。千変万化の受用区区なりといへども。石上に華を栽に似て。蹤跡なきことをしる。実に最初に直指人心を疑ひ求むるに。揚眉瞬目するものをしめさるるに大悟し。為衆説法せしに。我今為你説這箇語顯無語底。他那箇本来無耳目等貎。実に初中善その実処あるゆへに。後善実処を示して。他の為にす。然れば諸参学の人。薬山のごとく参ずべし。祖師いづれも其徳勝劣なしといへども。特に薬山はその機を接すること高く。己れを守ること簡約なるによりて。薬山不満二十衆と云ふ。衆多からざることはその簡約なるによりて如是。人の飢寒にたへざるによりて然なり。然れども雲巌・道吾・船子・高沙弥・耳行者・李翺公にいたるまで。有道の緇素多し。然れば学者としては。尤も委悉に参得せんを先として。尤も世縁の厚薄をかへりみず。これによりて雲巌・道吾・船子等。参人志を同ふし。四十年脇席につけず。有道の会にあらざれば恁麼の衲子なし。然れば諸禅徳かの雲巌・道吾と兄弟たらんことをねがひ。馬祖・石頭に参到せんことをおもふべし。不見揚眉瞬目せしむるもの是なり不是なりと。彼の田地疑ふにあらず。人人すでに具足し来る。那処をしらんとするに。すでに耳目のかたちなし。故に見聞に弁ずべきにあらず。一切すべて不為なり。然れども従来ともに住し来りて。卒に名をしらざるものなりといへども。任運としもてきたる。しかのみならず。汝をして生ぜしめ。汝をして死せしめ。汝をして去来動用せしめ。なんぢをして見聞覚知せしむ。これまさに這箇なり。分外に正法をもとむべからず。あに他時に見性を期するあらんや。たとひ三乗十二分教も。恁麼の道理をしめす。大凡そ一切衆生も。恁麼受用不断。あに証拠を他に求むべけんや。しるべし。汝まさに揚眉瞬目なからんや。只かの見聞覚知する者を見得せば天下老和尚の舌頭を疑がはじ。しばらくいかんがこの道理を注脚し去ん。 平常活溌溌那漢 喚作揚眉瞬目人 第三十七祖。雲巌無住大師。 初参侍百丈二十年。後参薬山。山問。百丈更説甚麼法。師曰。百丈有時上堂。大衆立定。以拄杖一時趁散。復召大衆。衆回首。丈曰。是甚麼。山曰。何不早恁麼道。今日因子得見海兄。師於言下大悟師者鍾陵建昌王氏子。少出家石門。参百丈海禅師二十年。因縁不契。後謁薬山。山問。甚麼処来。師曰。百丈来。山曰。百丈有何言句示衆。師曰。尋常曰。我有一句子。百味具足。山曰。鹹則鹹味。淡則淡味。不鹹不淡是常味。作麼生是百味具足底句。師無対。山曰。争奈目前生死何。師曰。目前無生死。山曰。在百丈多少時。師曰。二十年。山曰。二十年在百丈俗氣也不除。他日侍立次。山又問。百丈更説甚麼法。師曰。有時道。三句外省去。六句外会取。山曰。三千里外且喜沒交渉。又問。更説甚麼法。師曰。有時上堂乃至師於言下大悟。夫れ参禅学道。もとより心をあきらめ。旨を悟るをもてその指要とす故に。雲巌和尚も百丈にありて参じ来ること二十年。然れども因縁不契。のちに薬山に参ず。然れば必ずしも久習修学もよみすべからず。たた心をあきらむるをもて本とす。また因縁契当すること初心によらず。後心によらず。宿縁しからしめて如是。百丈是その人ならざるにあらず。自ら因縁かなはざるのみなり。それ善知識として徒に衆をあつめ。人をはごくむにあらず。ただ人をして直に根源にとおり。すみやかに本分に承当せしめんとす。故に古人必ず何れの処よりか来るといふ。夫れ遍参は知識をこころみんとし。来処をわきまへんとす。またきたりてなにごとの為にかせんと問。其の志の浅深を明らむ。その縁の遠近をしらんとす故に。今も何れの処よりか来ると問。彼しこに参じここに参じて。徒に山水に経歴せざることをあらはさん為に。すなはち曰く。百丈より来れりと。薬山・百丈同出世して。青原・南嶽角立せり。因に百丈有何言句示衆と問。ここにをいて雲巌若しそのならば。自聞得底の事を挙説すべきに。たたきく底事を説て曰く。尋常道我有一句子。百味具足とす。那一句子具足せずといふことなく。円満せずといふことなし。然りといへども。人の那一著を聞得すやいなや。子細に知見せん為に。鹹則鹹味。淡則淡味。不鹹不淡是常味。作麼生是百味具足底の句と問。はたして聞得底の事にあらず。父母所生の耳をもて。徒に蝦の口説をきくによりて。茫然として答処をしることなし。是れ薬山行脚より以来。修道すること幾年ぞと問ふに。答云二十年と。実に是古人道の為に修錬せし。十二時中徒らなる時節なしといへども。今の如きは二十年徒に差過するに似たり。これによりて薬山曰。争奈目前生死何んと。実にこれ初心晩学一大事とすべきところなり。無常迅速生死事大なり。たとひ発心行脚して。方袍円頂の形を具すといへども。若し生死の事をあきらめず。解脱の道に達せずんば。衲衣下密密の事あることをしらず。故に三界の攀籠いづることなく。生死の窠臼まぬかれ難し。実にこれ衲衣徒かけたるがごとし。応器徒に持せるに似たり。故に古人人をして閑工夫の時節なからしむ。故に手脚おだやかにせんとして。恁麼に問に。口にまかせてすなはち曰く。目前に生死なしと。ただこれ自己安楽のところを参得し。子細に行脚の本志に達せば。恁麼の見処あるべからず。山曰。在百丈多少時。行脚より以来修道することいくとしぞと問。すなはち曰く。二十年。実にこれ古人道の為に修練せし。十二時中徒なる時節なしといへども。いまこのごときは二十年徒に蹉過せるに似たり。故に示して曰く。二十年在百丈俗氣也不除。たとひ無生死なりと会し。自他なしと見来るとも。恁麼の見処自己本来の頭を識得せず。まさに手を断崖に撒する分なし。速かに身を空劫に回さずんばなをこれ俗氣未除。故に識情未破。窂獄未破。あにかなしまざるべけんや。故に子細に打著せしめん為に問こと再参す。然れども猶覚知する分なし。設ひ六句の外に承当すとも。なを無孔の鉄鎚軌則をなさず。たとひ千差の岐路を截断する分ありとも。なを自己の本明にくらし。三千里外且喜くは沒交渉。来りて相見する。これあだか用なきに似たりと重ねて指説す。ここにいたりて百丈下堂の句を挙似すといへども。なをこれ他の舌頭にわたる。自の証処に達せず。然れども恁麼に挙著して。はやく一段の宗風異路底の事なく挙説し来る。故に曰く。何不早恁麼道。今日因子得見海兄。実にこれ大衆立定。以拄杖一時趁散せし意。実に独脱無依にして来れり。かさねて調打にわづらふべきにあらず。然れどもただ如是挙せば。たとひ塵劫を経るとも。卒に所得の分なきに似たり。因て渠をして驚ろかさしめん為に。すなはち高声に大衆と召す。南辺打著すれば北辺動し来る。故に不覚回首悟処終に思量にわたらず。点頭し来ること如是。これによりて曰く。是れ甚麼んぞと。うらむらくは百丈の会下。一箇も会せざりけるか。このところに道取なしといへども。薬山はるかに曰く。因子得見海兄。実に古人恁麼の田地に一句道著する時。すなはちいはく相見了也と。また実に千里同風に似たり。また一絲もへだてなきに似たり。故に始め百丈に参し。薬山にのぼることを得て。終に師資へだてなく。彼此参得す。この田地に承当せば。ただ自己曠劫已来の事をうたがはざるのみにあらず。三世諸仏。六代祖師。有鼻孔底の衲僧。一覰覰破し。一箚に箚破して。はやく薬山・百丈に相見し。直に雲巌・道吾に眸を合することをゑん。しばらくいかんが這箇の道理を通じ得てん。大衆要聞麼。 孤舟不掉月明進 回頭古岸蘋未搖 第三十八祖。洞山悟本大師。 参雲巌問云。無情説法什麼人得聞。巌曰。無情説法無情得聞。師曰。和尚聞否。巌曰。我若得聞汝即不得聞吾説法也。師曰。若恁麼即良价不聞和尚説法也。巌曰。我説法汝尚不聞。何況無情説法也。師於此大悟。乃述偈呈雲巌曰。也大奇也大奇。無情説法不思議。若将耳聴終難会。眼処聞声方得知。巌許可師諱良价。会稽人也。姓兪氏。幼歳従師念般若心経。至無眼耳鼻舌身意処。忽以手捫面問師曰。某甲有眼耳鼻舌等。何故経言無。其師駭然異之曰。吾非汝師。即指往五洩山礼黙禅師披剃。年二十一詣嵩山具戒。母の為に愛子として。兄亡し。弟貧し。父またさきだちて亡じき。一度空門をしたふて。ながく老母を辞して。誓曰。我道を得ずんば再ひ古郷にかへらじ。又親を拝せじと。かくのごとく誓ひて郷里を辞す。卒に参学事了て。のちに洞山に住す。母一子にはなれて他の覆育なきに似たり。日日随て師を尋ねて。卒に乞丐の中にまじはりて。経行往来す。わが子洞山に住すとききて。慕てここにゆき。見んとするに。洞山かたく辞して。方丈室を鎖して不入。相見を許さざるがため也。是によりて母恨みて終に室外にして愁死す。死して後洞山自ら往て。かの乞丐し持るところの米粒参合あり。これをとりて常住の朝粥に和して。一衆に供養せしめて。以て雲程を弔。不久して其の母洞山の為に夢につげて曰く。汝志を守ること堅くして。我を不見によりて。愛執の妄情立処に断へ。彼の善根力によりて。我忉利天に生じたりと。祖師いづれも其徳勝劣なしといへども。洞山は此の門の曩祖として。殊に宗風を興せしこと。如是親を辞し深く志を守りしちからなり。参学のそのかみ。最初参南泉会。値馬祖諱辰。修齋次泉問衆曰。来日設馬祖齋。未審馬祖還来否。衆皆無対。師出対曰。待有伴即来。泉曰。此子雖後生甚堪雕琢。師曰。和尚莫厭良為賤。次参潙山。問曰。頃聞南陽忠国師。有無情説法話。某甲未究其微。潙曰。闍黎莫記得麼。師曰。記得。潙曰。汝試挙一遍看師遂挙。僧問。如何是古仏心。国師曰。墻壁瓦礫是。僧曰。墻壁瓦礫豈不是無情。国師曰是。僧曰。還解説法否。国師曰。常説熾然説無間歇。僧曰。某甲為甚麼不聞。国師曰。汝自不聞。不可妨他聞者。僧曰。未審甚人得聞。国師曰。諸聖得聞。僧曰。和尚還聞否。国師曰。我不聞。僧曰。和尚既不聞。争知無情解説法。国師曰。頼我不聞。我若聞即齊於諸聖。汝即不聞我説法也。僧曰。恁麼則衆生無分去也。国師曰。我為衆生説。不為諸聖説。僧曰。衆生聞後如何。国師曰。即非衆生。僧曰。無情説法拠何典教。国師曰。灼然言不該典。非君子所談。汝豈不見。華厳経云。刹説衆生説。三世一切説。師挙了。潙曰。我這裏亦有。祇是罕遇其人。師曰。某甲未明。乞師指示。潙竪起払子曰。会麼。師曰。某甲不会。請和尚説。潙曰。父母所生口終不為子説。師曰。還有与師同時慕道者否。潙曰。此去澧陵攸縣。石室相連。有雲巌道人。若能撥草瞻風。必為子之所重。師曰。未審此人如何。潙曰。他会問老僧。学人欲奉師去時如何。老僧対他道。直須絶滲漏始得。他道還得不違師旨也無。老僧道。第一不得道老僧在這裏。師遂辞潙山径造雲巌挙前因縁了便問。無情説法甚麼人得聞。巌曰。無情得聞。師曰。和尚聞否。巌曰。我若聞汝即不聞我説法也。師曰。某甲為甚麼不聞。巌竪起払子曰。還聞麼。師曰。不聞。巌曰。我説法汝尚不聞。豈況無情説法乎。師曰。無情説法該何典教。巌曰。豈不見弥陀経曰。水鳥樹林。悉皆念仏念法。師於此有省。此因縁国師会興来。終著実雲巌処。乃述偈曰。也太奇也大奇乃至眼処聞時方得知。師問雲巌。某甲有余習未尽。巌曰。汝会作甚麼来。師曰。聖諦亦不為。巌曰。還歓喜也未。師曰。歓喜則不無如糞掃堆頭拾得一顆明珠。師問雲巌。擬欲相見時如何。曰問取通事舍人。師曰。見問次。曰向汝道甚麼。師辞雲巌去時。問曰。百年後忽有人。問還貎師真否。如何祇対。巌良久曰。祇這是。師沈吟。巌曰。价闍黎承当箇事。大須審細。師猶渉疑。後因過水覩影大悟前旨。有偈曰。切忌従他覓。迢迢与我疎。我今独自往。処処得逢渠。渠今正是我。我今不是渠。応須恁麼会方得契如如。洞山一生参学事了。疑滯速離。因縁正是也。抑此無情説法因縁。有南陽張濆行者。問国師曰。伏承和尚道無情説法。某甲未体其事。乞和尚垂示。師曰。汝若問無情説法。解他無情方得聞我説法。汝但聞取無情説法去。濆曰。只約如今有情方便之中。如何是無情因縁。師曰。如今一切動用之中。但凡聖両流。都無少分之起滅。便是幽幽の字伝灯国師の章に出になる。字形似たるゑへに。あやまるか。下の講解すべて幽の字にて説示し玉ふ識不属有無。熾然見覚。只聞無其情識繋執。所以六祖曰。六根対境分別非識。是即談南陽無情説法樣子也。即曰。一切動用之中。但凡聖両流。都無少分起滅。便是幽識不属有無。熾然見覚す。然るを尋常に人おもはく。無情といふは墻壁瓦礫灯籠露柱ならんと。いま国師の道取のごときは不然。凡聖の所見未分。迷悟の情執未発。いはんや情量分別の計度にあらず。生死去来の動相にあらず。幽識あり。実にこの幽識熾然として見覚す。情識の繋執にあらず。ゆへに洞山も応須恁麼会方得契如如。いたるところひとりみづからゆくとしらば。一切如如にかなはざるときなし。ゆへに古人曰。かつて如の外の智の如のために証せらるるなく。智の外の如の智のために修せらるるなし。如如不動にして。了了常知なり。ゆへにいふ。円明の了知心念によらず。熾然の見覚すなはち繋執にあらず。潙山曰。父母所生曰。終不為子説。又曰く。衆生きくことをゑば衆生にあらずと。かくのごとく諸師の提訓をうけて。真箇の無情を会せし。ゆへに一門の曩祖として恢に宗風をおこす。然れば諸人者子細に熟看して。この幽識熾然に見覚しきたる。これを無情といふ。声色の馳走なく。情識の繋縛なきゆへに。因て無情といふ。実にこれ子細にかの道理を説取せるなるべし。ゆへに無情ととくをききて。みたりに墻壁の解をなすことなかれ。ただ汝等ち情念惑執せず。見聞みだりに分布せざるとき。かの幽識明明として暗からず。了了として明らかなり。このところとらんとすれどもうることなし。色相をおびざるゆへにこれ有にあらず。捨てんとすれども離るることなし。遠劫よりともない来るゆへに無にあらず。なほ識知念度の情にあらず。なにいはんや四大五蘊をおびんや。ゆへに宏智いはく。情量分別を離て智あり。四大五蘊にあらずして身ありと。すなはち恁麼の幽識なり。常説熾然といふは。いはゆる時としてあらはれずといふことなきこれを説といふ。かれをして揚眉瞬目せしめ。かれをして行住坐臥せしむ。造次顛沛。死此生彼。飢へ来れば喫飯し。困し来れば打眠す。みな悉く説なり。言語事業動止威儀。かさねてこれ説なり。有言無言の説のみにあらず。すべて堂堂として来り。明明として覆蔵せざるものあり。蝦なき蚯蚓なくにいたるまで。一切あらはれきたるゆへに。常説熾然。説無間歇なり。子細に見得せば。かならず後日洞山高祖のごとく。他の為に模範となることをゑん。且く如何が此の道理を説取せん。 微微幽識非情執 平日令伊説熾然 第三十九祖。雲居弘覚大師。 参洞山。山問曰。闍黎名什麼。師曰。道膺。山曰。向上更道。師曰。向上道即不名道膺。山曰。与吾在雲巌時祇対無異也師者幽州玉田人也。姓玉氏。童丱出家范陽延寿寺。二十五成大僧。其師令習声聞篇聚。非其好。棄之遊方。至翠微問道。会有僧自豫章来。盛称洞山法席。師遂造焉。山問。甚処来。師曰。翠微来。山曰。翠微有何言句示徒。師曰。翠微供養羅漢。某甲問。供養羅漢。羅漢還来否。微曰。你毎日噇箇甚麼。山曰。実有此語否。師曰。有。山曰。不虚参見作家来。山問。闍黎名什麼乃至祇対無異也。師見洞水悟道。即白悟旨洞山。山曰。吾道依汝流伝無窮不爾耳。有時謂師曰。吾聞思大和尚生倭国作王是否。師曰。若是思大師仏亦不作。況国王。山然之。一日山問。甚麼処去来。師曰。蹹山来。山曰。那箇山堪住。師曰。那箇山不堪住。山曰。恁麼則国内総被闍黎占却。師曰。不然。山曰。恁麼則子得箇入路。師曰。無路。山曰。若無路争得与老僧相見。師曰。若有路即与和尚隔生去也。山曰。此子以後千人万人把不住。師随洞山渡水次。山問曰。水深浅。師曰。不濕。山曰。麁人。師曰。請師道。山曰。不乾。山謂師曰。南泉問僧。講甚麼経。曰。弥勒下生経。泉曰。弥勒幾時下生。曰。見在天宮。当来下生。泉曰。天上無弥勒。地下無弥勒。師問洞山。天上無弥勒。地下無弥勒。未審誰与安名。山被問直得禅床震動。乃曰。膺闍黎吾在雲岩。会問老人。直得火爐震動。今日被子一問。直得通身汗流。師資問答無異事。一会無齊肩者。師後結庵于参峯。経旬不赴堂。山問。子近日何不齋。師曰。毎日自有天神送供。山曰。我将謂。汝是箇人。猶作這箇見解在。汝晩間来。師晩至。山召膺庵主。師応諾。山曰。不思善不思悪是甚麼。師回庵寂然宴坐。天神自此竟尋不見。如是参日乃絶。山問師。作甚麼。師曰。合醤去。山曰用多少鹽。師曰。旋入。山曰作何滋味。師曰。得。山問天闡提人作五逆罪。孝養何在。師曰。始成孝養。自爾洞山許為室中領袖。師始止参峯其化未広。後開法雲居。四衆臻萃。実に師初め翠微にまみへてより。洞山の会に参じて。曹山と兄弟たり。適来の問答。師資の決疑。悉くもていたれり。すでに洞山の懸記あり。吾が道汝ぢによりて流伝無窮ならんと。その言ばむなしからず。展転属累して今日にをよべり。実に洞水流伝し来る。その道いまに乾爆爆たり。清白家につたへ来る。その源いまにかはかず冷湫湫たり。既に一問をいたす時。その大機をはこぶ。因て禅床震動するのみならず。通身あせながる。これ古今まれなるところなり。然どもなを参峯庵に住して。天の食をおくりしに。山曰。我将謂。汝是箇人。なを這箇の見解をなすことありといひて。晩間よびきたして。召膺庵主。即応諾す。如是応諾する者。是不可受天食者也。喚で決擇するに。不思善不思悪是甚麼。這箇の田地子細に透到し。恁麼に見得するとき。諸天卒にはなをささぐるにみちなく。魔外ひそかにうかがひもとむるにみへず。恁麼の時節。仏祖もなをこれ怨家。仏眼も竟に覰不見なり。恁麼に承当するとき。合醤しもてゆき。旋入しきたる。得得として他に不依。ゆへに大闡提の人。殺父殺母。殺仏殺祖。五逆重て作る。このとき孝養意に存するところなし。恁麼の見処を親切にこころみんとするにかくのごとし。父子之恩何在。曰始成父子之恩。曹山の道取とこれ一般なり。ゆへに室中の領袖として。入室瀉瓶をかうふる因縁。ことさらに。山問曰。闍黎名什麼。師資相見の人をみること。旧情をもてせず。因て名はなんぞととふ。しるべし洞山師の名をしらざらんや。然れどもかくのごとくとふ。これ来由なきにあらず。師答るに道膺と。たとひ千変万回問来問去すとも。なを如是なるべん。かつて来由すべからす。恁麼の見得不肯にあらすといへども。さらに他の透関逸格の機を具すやいなやといはん。ためにとふ。向上更にいへと。師すでに六根不具。七識不全。ただ破癩のごとく又芻狗に似たり。因て向上に道ば。即不名道膺。這箇の田地にいたること大に難し。それ参学いまだここにいたらざれば。作家の種草にあらず。なを解路葛藤にみださるる事あらん。この田地を保任し来ること。こまやかなるによりて。末後一大闡提人の問答あり。違背のところなし。諸人者識破せば。すなはち本色了事の衲僧ならん。今日又いかなる言ありてか。此因縁を識破しゑたりとせん。又きかんとおもふや。良久曰 名状従来不帯来 説何向上及向下 第四十祖。同安丕禅師。 雲居有時示曰。欲得恁麼事。須是恁麼人。既是恁麼人。何愁恁麼事。師聞自悟師者不知何許人。即参雲居為侍者経年。有時雲居上堂曰。僧家発言吐氣。須有来由。莫将等閑。這裏是甚麼所在。争得容易。凡問箇事也須識些子好悪。乃至第一莫将来。将来不相似。乃至若是知有底人自解護惜。終不取次。十度発言。九度休去。為甚麼如此。恐怕無利益。体得底人心如臘月扇子。直得口辺醭出。不是強為。任運如是欲得恁麼事乃至何愁恁麼事。恁麼事即難得。かくのごとくしめすをききて。師すなはちあきらめ。終に一生の事を弁じて。後に洪州鳳棲山同安寺に住す。道丕禅師なり。さかんに雲居の宗風を開演す。有時学者問。迷頭認影如何止。師曰。告阿誰。曰如何即是。師曰。従人覓即転遠。也曰。不従人覓時如何。師曰。頭在甚麼処。僧問。如何是和尚家風。師曰。金鶏抱子帰霄漢。玉兎懷胎入紫微。曰忽遇客来将何祇待。師曰。金菓早朝猿摘去。玉華晩後鳳銜来。はじめ先師の示すところによりて。真箇の田地をあきらめゑて。家風をとくに金鶏帰霄漢。玉兎入紫微といふ。また為人する時。金菓日日摘将去。玉華夜夜銜持来。参学の因縁いづれ勝劣なしといへども。適来の因縁よく子細にすべし。ゆへいかんとなれば。恁麼の事をゑんとおもはば。すなはちこれ恁麼の人なり。たとひ頭に迷ひてもとめきたりしも。すなはちこれ頭なり。いはゆる永平開山曰く。我といふは誰そ。誰そといふは我れなるゆへに。良遂座主参麻谷。谷見来便閉門。良遂敲門谷乃問阿誰。良遂答曰。良遂。纔称名忽爾契悟。乃云。和尚莫瞞良遂。良遂若不来礼拝和尚。洎合被十二部経論賺過一生。谷乃開門令通悟由。遂印可之。及帰講肆。散席告徒衆云。諸人知処良遂総知。良遂知処諸人不知。実にこの知処。風を通ぜず。然れば諸人者子細に参徹せん時。無始劫よりこのかた具足しきたる。一時もかけたることなし。たとひ思量をもてはかりもとむるとも。すなはちこれ我なり。また他にあらず。独照すとも分別にあらず。またこれ我なり。今あらたなるにあらず。いはゆる眼こをつかひ。耳をつかひ。口をつかひ。手をひらき。足をうごかす。尽くこれ我なり。元来手にとるにあらず。眼にみるにあらず。ゆへに声色の所論にあらず。耳目の所到にあらず。人人子細にせん時。必ず我あることをしるべし。をのれあることをしるべし。このところをしらんとするに。まづ一切是非をさしおきて。ものによらず他にわたらざる時。この心独り明なること。日月よりも明なり。この心清白なること。霜雪よりも清し。然れば暗昏昏にして。是非をおぼへざるにあらず。浄明明にして。自己おのづからあらはるるなり。ゆへに諸人者語黙動静をはなれ。皮肉骨髄を帯せずといふものなきとおもふことなかれ。また兀然独立して。我とも不思。他とも不言。いかにといふ心なし。株のたてるがごとく。全体ものによらず。無心なること草木のごとくとおもふことなかれ。仏道の参学あに草木とおなじかるべきや。元来自なく他なし。すべて一物なしといふ所見は外道の断見。二乗の空見に同じし。大乗極則あに二乗外道におなじくすべけんや。子細に精到してまさに落著せん時。有といふべきにあらず。空朗朗なるゆへに。無といふべきにあらず。明了了なるゆへに。これ身口意のわかつところにあらず。これ心意識のわきもふべきにあらず。いかんがこの道理を通じうることあらん。 空手自求空手来 本無得処果然得 第四十一祖。後同安大師。 参前同安曰。古人曰。世人愛処我不愛。未審如何是和尚愛処。同安曰。既得恁麼。師於言下大悟師諱観志。其行状委不録也。参先同安得処深。先同安将示寂。上堂曰。多子塔前宗子秀。五老峯前事若何。如是参挙。未有対者。末後師出曰。夜明簾外排班立。万里歌謠道大平。同安曰。須是驢漢始得。爾より同安に住す。後同安と号す。それ多子塔前宗子秀と云は。むかし釈迦牟尼仏摩訶迦葉に相見せしこと。多子塔前也。一度相見せしに衣法ともに伝附す。其後十二頭陀を行じ。後半座に居す。涅槃会上迦葉会にのぞまずといへども。一衆をもて悉く迦葉に付嘱す。すなはちこの心なり。宗子秀といふ。いま同安大師。洞山の嫡孫として。青原一家の家風。このところに逆流翻回す。示滅のきざみ其の嫡子をあらはさんとして。五老峯前事若何と。かくのごとく三たび挙するに。衆悉く不会。ゆへに衆みな不答。須弥突兀として。衆山の頂き秀て。日輪杲杲として群象の前に照すゆへに。夜明簾外排班立。実にものの比倫すべきなし。脱体無依なるゆへに。直下第二人なし。ゆへに万里に繊埃を絶し。謀臣猛将いま何くにかある。うたひうたふてみな大平なり。奇衲子なり。参学この田地にいたりて始て得べし。かくのごとく拔群の操行。超邁の得処。さきだちてその風操をあらはす。ゆへに曰く。世人愛処我不愛。未審如何是和尚愛処と。いはゆる世人の愛処といふは。自ら愛し他を愛す。この愛漸漸に長ず。すなはち依報を愛し。正報を愛す。この愛いよいよ深著しもち来り。一重の鉄枷上に一重の鉄枷をそへて。すなはち仏を愛し祖を愛す。如是愛染いよいよけがれもてきたる。終に衆生の業因連綿として不断。元来不自由のところより生じ。不自由のところにむかひて死しもちさる。ただこれ此の愛によれり。ゆへに生仏・男女・有情非情。如是なる相著の愛なり。はやく須払却。すべて軌則なく一物なく。これなになるとも不弁。すべて不知不識なる。これはこれ非相の愛処なり。すはちとどまることなかれ。なを有相執著は一度発心せば。自ら体達することもありなん。もし非相の所見を執して。無色界に随在しなば。うらむらくはいくばくの劫数を送りて天寿つきん時。かへりて無間にをちなん。いはゆるこれ無心滅想なり。この相有および無相。かさねてこれ世人の愛処なり。有相中にして己をみ他をみ。無相中にしてをのれを亡じ他を亡ず。ことごとくこれ邪なり。然れば諸禅徳初機後学。かたじけなく釈尊の兒孫仏受用を受用す。あに世人の愛処に。おなじふすへけんや。まづすべからく一切の是非善悪男女差別の妄見を解脱すべし。次に無為無事無相寂滅のところにとどまることなかれ。このところに承当せんとおもはは。他にむかひてもとめ。外にむかひてたづぬることなかれ。まさにこの身いまだうけず。この体いまだきささざりし以前にむかひて。したしく眼をつくべし。かならず千差万別。毫髮も萌すことあるべからず。暗昏昏黒山鬼窟のことくなることなかれ。この心本来妙明にして赫赫然としてくらからず。この心空豁として円照す。此の中ち終に皮肉骨髄をおびきたること一毫もなし。なにいはんや六根六境迷悟染浄あらんや。仏け汝が為に説ことなく。自から師の為に参するなし。ただ声色のわかれ来るなきのみに非ず。すなはち耳目の具し来るなし。然れども心月かがやきて円明なり。眼華ほころびて紋あざやかなり。子細に精到して須恁麼相応。諸禅徳いかんが這箇の道理を会することをゑん。便ち代て一語をつけん。早くすべからく体前に眸を附べし。 心月眼華光色好 放開劫外有誰翫 第四十二祖。梁山和尚。 参侍後同安。安問曰。如何是衲衣下事。師無対。安曰。学仏未到這箇田地最苦。汝問我道。師問。如何是衲衣下事。安曰。密。師乃大悟師不知何許人。諱縁観。参後同安。執侍四歳。充衣鉢侍者。同安有時上堂。早参可掛衲法衣。時到師捧衲法衣。同安取法衣次。問曰。如何是衲衣下事。師無対乃至師乃大悟。礼拝而感涙濕衣。安曰。汝既大悟。又道得。師曰。縁観便道得。安曰。如何是納衣下事。師曰。密。安示曰。密有密有。師これより逗機。おおく密有の言あり。住して後に学人ありて衲衣下事を問こと多し。有時学人問。如何是衲衣下事。師曰。衆聖莫顯。又有時学人問。家賊難防時如何。師曰。識得不為寃。曰識得後如何。師曰。貶向無生国裏。曰。莫是他安身立命処。師曰。死水不蔵龍。曰。如何是活水龍。師曰。興波不作浪。曰。忽然傾湫倒嶽時如何。師下座把住曰。莫教濕却老僧袈裟角。又有時問。如何是学人自己。師曰。寰中天子。塞外将軍。かくのごとく他の為にせん。悉くこれ密有を呈似す。適来の因縁に曰く。学仏未到這箇田地最苦なりと。実哉此言。たとひ定坐床をやぶり。精進疲をわすれ。高行梵行の人なりとも。若未到這箇田地。なほ三界牢獄いでがたし。四弁を具し。八音を具して。巧説きりのごとくおこり。口業海のごとくひるがへり。説法天地をおどろかして。華をふらし石を動ずとも。もしいまだこの田地にいたらずんば。閻羅老子言多きことをおそれず。たとひ日久しく。月深く修行して。念つき情しづまりて。かたち枯木のごとく。心死灰のごとくにして。一切時に於て。境にあふても心不起。事にふるるとも念不乱。遂に坐しながら脱し。立ながら死し。生死において自在自由をうるに似たりとも。なほいまだこの田地にいたらざれば。仏祖屋裏用不著なり。故に古人曰く。先達悉くこの事をもて一大事とすと。ここをもて曩祖洞山和尚。僧問。世間何物最苦。曰。地獄最苦。山曰。不然。在此衣線下不明大事是名最苦。この門人雲居角立す。すなはちこの因縁を挙して曰く。先師道。地獄未是苦。向此衣線下不明大事却是最苦。汝等乃至更著些子精彩便是。上座不屈平生行脚。不辜負叢林。古人曰。欲得保任此事。須向高高山頂立。深深海底行方有些子氣息。汝若大事未弁。且須履踐玄途。しかのみならず。釈迦牟尼仏もまた五仏の開章に。諸仏世尊。唯以一大事因縁故出現於世。いはゆる仏智見を開示悟入せしむるなり。まさにこの一段の大事因縁をあきらむるを大事とす。徒に仏弟子に似たることをばよろこばず。もし這箇の事をあきらめずんば。畢竟して在家の俗人となんのことなることあらん。ゆへいかんとなれば。眼に色をみることもことならず。耳に声をきくこともかわらず。外に境縁に対するのみにあらず。内に縁慮も忘ずることをゑず。ただこれかたちの代るのみなり。卒に別なし。畢竟して一息断し。両眼とづる時。汝が精魂徒にものに随ひて転ぜられて。三界に流注し。わづかに人中に生じ。天上に生ずること。品あるに似たるとも。車のめぐりめぐりてかきりなきに似たり。もとより人をして在家をはなれ。塵労をいださしむる心なにごとにかある。ただこれ仏智見に達せしめんが為なり。わずらはしく叢林をもふけ四衆をあつむる。ただこの事を開明せしめんが為なり。故に僧堂を名けて選仏場といふ。呼長老唱導の師とす。みだりに衆をあつめ。かまびそしくせんとするにあらず。ただ人をして悉く自己を開明せしめんが為なり。故にたとひ出家の形となりて。なまじゐに叢林にまじわるといふとも。若しこの事をあきらめずんば。徒に労して功なきのみなり。なにいはんや末代悪世の初機後学。たとひ身儀心操。先仏の方規のごとくまなばんとすとも。天性迂曲にして学得することあたはず。近来の僧手をさだめ足をくだすことおだやかなをず。大小威儀内外心術。悉くまなばんとせず。ゆへに僧儀なきがごとし。たとひ身儀心操むかしのごとくなりとも。若心地をあきらめずんば。人天の勝果にて有漏の因縁。なにいはんや心地あきらめず。身儀ととのはず。徒に信施をうけ来る。皆是墮獄の類なり。然れども先徳曰く。世下り人疎にして。たとひ身儀心操古聖のごとくなくとも。精細綿密にして一大事をあきらめゑば。おそらくは三世諸仏と差ふことなからん。六代祖宗歴代古聖。悉く兄弟ならん。もとより三界の出べきなし。あに六道の迴るべきあらんや。然れば精細に功夫し。綿密に参学して。衲衣下の事をあきらむべし。この一大事因縁。正像末の時へだてなく。梵漢和国ことならず。故に末法悪世とかなしむことなかれ。遠方辺地の人ときらふことなかれ。この事もとより千仏きそひきたりて。あたゑんとすといふとも。仏力も終にをよびがたからん。然れば子に授る道にあらず。父に受る道にあらず。但自修自悟自身自得すべし。無量塵劫の修行なりとも。自証自悟せんことは。一刹那のあひだ。一度憤発の勢をなさば。尽乾坤一毫もゑきたらず。一度このところに到りなば。曠大劫来昧からず。豈諸仏の授るあるあらんや。故に子細に此のところにいたらんとおもはば。先須捨万事。なほ仏祖の境界をももとむることなかれ。なに況んや。自他憎愛あらんや。ただ毫髮の知解をおこさずして。すなはち直下を見よ。必ず皮肉なきものあり。体虚空のごとくにして別色なし。あだかも清水の徹底あきらかなるがごとし。廓然明白にして。ただ了了として知るのみなり。且く道へ。這箇の道理いかんがあらはしゑんや。 水清徹底深沈処 不待琢磨自瑩明 第四十三祖。大陽明安大師。 因問梁山和尚。如何是無相道場。山指観音像曰。這箇是呉処士畫。師擬進語。山急索曰。這箇是有相底。那箇是無相底。師於言下有省師諱警玄。載伝灯等処。依時皇帝御名警延。然実諱是警玄也。江夏張氏子。依智通禅師出家。十九為大僧。聴円覚了義。講席無能及者。遂遊方初到梁山問。如何是無相道場乃至師遂有省。便礼拝。倚本位立。山曰。何不道取一句。師曰。道即不辞。恐上紙筆。山笑曰。此語上碑去在。師獻偈曰。我昔初機迷学道。万水千山覓見知。明今弁古終難会。直説無心転更疑。蒙師点出秦時鏡。照見父母未生時。如今学了何所得。夜放烏鶏帯雪飛。山謂。洞山之宗可倚。一時声價籍籍。山沒辞塔至大陽。謁堅禅師。堅譲席使主之。それより洞山一宗盛に興世。人悉く走風。師神観奇偉。有威重。従兒稚時日祇一食。自以先徳附授之重。足不越限。脇不至席。至年八十二猶如是。終に陞座辞衆終焉。実にそれ参学もとも切要とすべきは。すなはちこれ無相道場なり。かたちをおびず名をうけず。故に言にあづからずといへども。必ず果然としてあきらかなるところあり。いはゆる父母未生の時の形貎なり。ゆへにこの田地をしめさんとするに。呉処士がゑがくところの観音の像をさす。あだかも鏡をしめすがごとし。いはゆる眼あれどもみず。耳あれどもきかず。手あれどもとらず。心あれどもはからず。鼻あれどもかがず。舌あれどもあじはひず。足あれどもふまず。六根悉く用なきがごとく。全体すべて閑家具なり。あだかも木人のごとく鉄漢のごとし。この時見色聞声はやくまぬかれおはりぬ。ここに進語せんとせしに。木橛にとどまらざらしめんとして。急索曰。這箇是有相底。那箇是無相底と。この不用底をもて無面目をしらしむ。明鏡をみておのれをしるがごとし。むかし秦時に鏡ありき。彼の鏡にむかへば。身中の五臟六腑。八万四千の毛孔。三百六十の骨頭。みなことごとくみるがごとし。耳目あれども用ひざるところに。身心を帯せざるところを看見す。有相の千山万水。悉くやぶれ来るのみにあらず。無心無分別の暗昏。すみやかにやぶれ。天地ともわかれず。万像すべてきざさず。了然として円具す。実にこれ洞上の一宗。一時の声價如是なるのみにあらず。累祖見得するみなもてかくのごとし。この旨を会せしよりのち。大陽にして有僧。問曰。如何是和尚家風。師曰。満瓶傾不出。大地沒饑人。実にこれこの田地。傾とも不出。おせども不闡。挑れども不起。触ども跡なし。故に耳目の至る処にあらず。語黙動静にともなひ来れども。かつて動静にさへられず。この事たヾ祖師独り具足するのみにあらず。尽大地の人一箇も具せざるなし。ゆへにいふ。うゑたるなしと。然れば諸禅徳幸ひに洞家の兒孫となりて。すでに古仏の家風にあへり。精細綿密に参到して。父母未生。色空未起の時の自己に承当して。已に一毫ばかりも相状なきところにいたりて。すでに微塵ばかりも外物なきところを見得して。千生万劫。摸すれども四大五蘊得不来。十二時中一時も缺少なきところをあきらめゑば。まさにこれ洞家の兒孫。青原の枝派ならん。且くいかんが此の這箇の道理を通ずることをゑん。要聞麼。 円鑑高懸明映徹 丹艧尽美畫不成 第四十四祖。投子和尚参円鑑。 大陽鑑陽令看外道問仏不問有言不問無言因縁。経三載一日問曰。汝記得話頭麼。試挙看師擬対。鑑陽掩其口。師了然開悟師諱義青。青社李氏子。七齡頴累。往妙相寺出家。試経十五得度。習百法論。未幾歎曰。参祗塗遠。自困何益。乃入洛聴華厳。義如貫珠。嘗読諸林菩薩偈至即心自性。猛省曰。法離文字。寧可講乎。即棄游宗席。時一円鑑禅師居会聖巌。一夕夢畜青色鷹為吉徴。屆且師来。鑑礼延之。令看外道問仏話乃至師了然開悟。遂礼拝。鑑曰。汝妙悟玄機耶。師曰設有須吐却。時資侍者在傍曰。青華厳今日如病得汗。師回顧曰。合取狗口。若更忉忉我即便嘔。自此復経三年。鑑時出洞下宗旨示之。悉皆妙契。附以大陽頂相皮履布直綴属曰。代吾続某宗風。無久滯此。善宜護持。遂書偈送曰。須弥立大虚。日用輔而転。群峯漸倚他。白雲方改変。少林風起叢。曹溪洞簾卷。金鳳宿龍巣。宸苔豈車碾。如来の正法輪東西密密として伝来し。五家森森として唱へ。かまびそしヽ。関捩まちまちにして。家風いさヽか異なり。鳳凰あり。龍象あり。ともに群せず。いづれも劣ならず。青華厳・機語大陽に契ふ。まさにこれ洞家の兒孫といヽつべし。遠録公は宗旨を葉縣につげり。是正に臨濟下の流なり。龍巣に鳳子を止むべからず。ゆへにをくりて令依円通秀禅師。至彼無所参問。唯嗜睡而已。執事白通曰。堂中有僧。日睡。当行規法。通曰。是誰。曰執事青上座。通曰。未可。待与按過。通即曳杖入堂見師正睡。乃撃床呵曰。我這裏無閑飯与上座喫了打眠。師曰。和尚教某何為。通曰。何不参禅去。師曰。美食不中飽人喫。通曰。争大有人。不肯上座。師曰。待肯堪作甚麼。通曰。上座会見甚麼人来。師曰。浮山。通曰。怪得恁麼頑懶。遂握手相笑帰方丈。由是道声籍甚。初住白雲。次遷投子。是誌五灯会元処也。又続古尊宿録曰。師鑑禅師に得法す。円鑑はさきに大陽明安大師に参ず。機語相契。卒に宗旨をつたへ。皮履布直裰を附せんとす。円鑑辞して曰く。すでにさきに得処あり。安歎して曰く。わが一枝人の伝るなし。時に円鑑もふして曰く。洞上の宗風尽て挙しがたし。和尚尊年にまします。もし人のつたふるなくば。某甲まさに衣信を持して。和尚の為に永く人に転じて相付嘱せん。安ゆるして曰く。われ偈を書してとヽむ。証明とせよ。すなはち書していはく。陽広山頭草。憑君待價燉。異苗繁茂処。深密固霊根。その末にいはく。得法のもの潜衆十年。まさに可闡揚。のちに遠与師あひあふ。洞下の宗旨大陽の真像衣信。偈をもて付嘱していはく。吾にかはりて大陽の宗風をつげと。後果して十年にまさに出世し。大陽につぐ。上に陽広山といふは大陽山なり。異苗繁茂処とは今の青禅師なり。價燉といふは円鑑をいふなり。来記たかはず終に出世し。拈香曰。此一弁香。大衆還知来処麼。非天地所産。非陰陽所成。威音王以前不落諸位。然灯之後七仏伝来直至曹谿。分派大夏。山僧向治平初。在浮山円鑑禅師。親手伝得寄附其宗頌。委証明。慈旨曰。代吾続大陽宗風。山僧雖不識大陽禅師。浮山宗法識人。以為嗣続如是。更敢不違浮山和尚法命付嘱之恩。恭為郢州大陽山明安大和尚。何故父母諸仏非親。以法為親。従爾開演大陽宗風。即得芙蓉楷禅師嗣続。夫浮山円鑑禅師。臨濟和尚七代。所謂葉縣帰省和尚嫡嗣也。昔日投参嵩交和尚出家。幼為沙弥。見僧入室請問趙州庭柏因縁嵩詰其僧。傍明。参諸師皆相契。謁汾陽葉縣皆蒙印可。卒葉縣之嫡嗣。然又太陽に参す。大陽また機縁あひかなふ。故に宗旨をつたゑんとせしに。法遠辞して曰く。さきに得処ありと。因てみづから伝受せずといへども。大陽卒に人なきゆへに。寄付して断絶せず。後にその機をゑて密に付す。こヽにいたりてしるべし。青原南嶽もとよりへだてなしといふことを。実に大陽の一宗地に落なんとせしを悲て。円鑑代て大陽の宗旨をつたふ。然るを自家の門人は曰く。南嶽の門下は劣なり。青原の宗風は勝れりと。又臨濟門下は曰く。洞山の宗旨はすたれたりき。臨濟門下にたすけらると。いづれも宗旨くらきがごとし。自家他家もし実人ならば。ともにうたがふべからず。ゆへいかんとなれば。青原・南嶽ともに曹谿の門人。牛頭の両角のごとし。ゆへに薬山は馬祖にあきらめて石頭につぐ。丹霞も馬祖に明らめて却て石頭につぎヽ。実に兄弟骨肉ともに勝劣なし。然るにたヾわが祖師を称して嫡嗣とし。余を旁出とす。しるべし臨濟門下も尊貴なり。自家門下も超邁なり。もし臨濟にいたらざるところあり。劣なるところあらば。円鑑すでにもて大陽につぐべし。若し大陽劣なるところあり。あやまる処あらば。円鑑なんそ投子に付せん。然も諸人者五家七宗と対論することなく。ただまさにこヽろをあきらむべし。これすなはち諸仏の正法なり。あに人我をもてあらそはんや。勝負をもて弁ずべからず。然るに洪覚範作せる石門林間録曰。古塔主去雲門之世無慮百年而称其嗣。青華厳未始識大陽。特以浮山遠公語。故嗣之不疑。二老皆以伝言行之自若。其於己甚重。於法甚軽。古之人於法重者。永嘉・黄檗是也。永嘉因閲維摩経悟仏心宗。而往見六祖曰。吾欲定宗旨也。黄檗悟馬祖之意而嗣百丈。いまの説を考るに。洪覚範なをしらざるところあるに似り。ゆへいかんとなれば。大陽の仏法円鑑に寄付す。あにうたがふべけんや。いはんや人をゑん。その証拠をのこす。末後来記におよぶこともたがはず。もし円鑑にあへるをうたがふべくんば。大陽つたへけるともうたがふべし。祖師訓訣し来るとここ。胡乱の世情に不可比。世人すら実ある人の言を証拠とすることおほし。いはんや円鑑知法の人として大陽面授あり。機語相契。覚範は投子円鑑の言をうたがはざるとそしる。円鑑すでに葉縣の嫡嗣として。臨濟の正流なり。古人これをうたがはず。仏祖あに妄称あるべけんや。累祖の印記をうくるによりて尊重し来る。なにをもてか投子円鑑をうたがふべきや。大陽今に存せるがごとし。仏祖の命脈通じてはじめなくをはりなし。はるかに三世を超越し。まのあたり師資たがはず。悉くこれ打成一片なり。葫蘆藤種の葫蘆をまつふがごとし。遂に別物なしといふべし。これ大陽・円鑑および投子にいたるまで。大陽一人にし来る。乃至釈迦一人連綿として今日にをよべり。仏祖堂奧の事かくのごとし。あに円鑑をうたがふべけんや。もし円鑑をうたがふべくば。迦葉なんぞ釈迦をうたがはざる。二祖なんぞ達磨をうたがはざる。祖師あざむくべからず。仏法に私なきことをたつとぶゆへに嗣続し来り。大陽も円鑑をたのむ。投子も円鑑をうやまふて。命をうたがはず。法を重くす。参師ともに曩祖の宗旨を遺落せず。後代にひさしく洞山の家風を属累し来る。実にこれわが家の奇特。仏法の秘蔵なり。いまも現前その器をゑざらん時。達人につけをくこともあるべきなり。洪覚範委悉にせず。青華厳を古塔主に例す。いくばくのあやまりぞ。夫れ薦福承古を古塔主といふ。棲止雲居弘覚禅師塔前。雲門より後。百年に一出たり。わづかに雲門の言に解するところあるをもて。すなはち曰く。黄檗の見処不円。古今あにへだつべけんや。馬祖の言をあきらめながら。馬祖につがず。われ雲門の言をあきらむ。すべからく雲門につぐべしといふて。終に雲門につぐと称す。諸録悉く雲門の嗣にのす。これ録者のあやまりなり。わらひぬべし。香厳撃竹にあきらむ。なんぞ翠竹につがざる。霊雲桃花にあきらむ。なんぞ桃華につがざる。あはれむべし。承古は仏祖屋裏。嗣承あることをしらず。若覚範も義青和尚をうたがはヾ。屋裏の相承をしらざるがごとし。ゆへになんぢおのれにをきてかろく。法にをきていたらずといふべし。然れば林間録の記もちゆべからず。適来の因縁は外道ほとけにとひたてまつる。不問有言不問無言と。尋常説黙にをちざる道なるがゆへに。世尊良久しまします。これ隠顯にあらず。自他にあらず。内外なく正偏なし。あだかも虚空のごとく。海水のごとくなることをあらはししめされしに。外道忽ちに会し。礼拝して曰く。世尊大慈大悲。開我迷雲令我得入といひてさりぬ。実に片雲つきて虚天いさぎよく。風波消して巨海しづかなりしがごとくなることをゑたりき。然るを阿難しらずして。仏にとひたてまつりて曰く。外道有何所証而言得入。仏曰。如世良馬見鞭影而行。実にこれ祖師の機関。したしく庫蔵を打開せしむるに。一機をかへさず。一言をいださざるところに覚了しきたり。明徹にもてゆく。鞭影をみて正路にいたるがごとし。然れば非思量のところにとヾまらず。なをまなこをつけてみよ。無言説のところにとヾこふらず。更に心をあきらめよ。この良久のところ。人おほくあやまりて会す。あるは一念不生にして全体現ず。離名字相にして独露し来る。雲つき山あらはるヽがごとく。突兀としてものによらず。正当恁麼なりと。従前知解を発して。向外馳求せしに比すれば。すこしき休歇せるに似たれども。皮肉いまだ亡ぜず。識陰なをさらず。このところに相応せんとおもはば。まさに絶氣息。命根を断じ去てみよ。なにものかあらはるるとかせん。あに非思量なりとせんや。すでになんともすべからず。いかんぞ黙黙然なりとせん。たヾ一息断じ。両眼とづるのみにあらず。百骸潰散じて。皮肉あとをとどめざるところにむかひてみよ。明暗に属せず。男女にあらざる一物あり。いかんがこの道理を通ぜん。 嵯峨万仭鳥難通 剣刃軽氷誰履踐 第四十五祖。芙蓉山道楷禅師。 参投子青和尚。乃問。仏祖言句如家常茶飯。離之外別有為人処也無。青曰。汝道。寰中天子勅。還假堯舜禹湯也無。師欲進語。青以払子撼師口曰。汝発意来。早有三十棒分。師即開悟師諱道楷。自幼喜閑静而隠伊陽山。後遊京師籍名術臺寺。試法華得度。謁投子於海会。乃問。仏祖言句乃至師即開悟再拝便行。子曰。且来闍梨師不顧。子曰。汝到不疑之地。師即以手掩耳。後作典座。子曰。厨務勾当不易。師曰。不敢。子曰。煮粥耶蒸飯耶。師曰。人工淘米著火。行者煮粥蒸飯。子曰。汝作甚麼。師曰。和尚慈悲放閑他去。一日侍投子遊菜園。子度拄杖与師。師接得便随行。子曰。理合恁麼。師曰。与和尚提鞋挈杖。也不為分外。子曰。有同行在。師曰。那一人不受教。子休去。至晩問師。早来説話未尽。師曰。請和尚挙。子曰。卯生日。戌生月。師即点灯来。子曰。汝上来下去総不徒然。師曰。在和尚左右理合如此。子曰。奴兒婢子誰家屋裏無。師曰。和尚年尊闕他不可。子曰。得恁麼慇懃。師曰。報恩有分。かくのごとく低細綿密に。那一著子をあきらめ来る。はじめ仏祖の言句は如家常茶飯。離此之外別有為人処也無ととふこヽろ。今ま尋常行履の外にさらに別に。仏祖のしめすところありやいなやと。すこぶる所解を呈するに似たり。然るに子曰。汝道寰中天子勅。還假堯舜禹湯也無と。実にこれ当今の令を下すに。卒にむかしの堯王舜王の威をからず。唯一人慶あるときは万民おのつから蒙るのみなり。しかの如くたとひ釈迦老子世出し。達磨大師現在すとも。人人他のちからをかるべからず。たヾ自肯自証して少分相応あり。ゆへに道理をとき滋味をつけん。なをこれ他をみる分あり。趣向をまぬかれず。ゆへに進語せんとせしに。以払子撼師口。ここにもとよりこのかた具足して。かげたることなきことをしめすに曰。汝発意来。早有三十棒分といふ。これ証明にはあらず。一度発意とは。それ心とは如何なるものぞ。仏とはなにものぞと求め来りしより。早くおのれにそむひて他にむかひ来る。たとひ自ら説き得て全体あらはれたり。自然に明らかなりといひ。心と説き性ととき。禅ととき道と説かん。悉く趣向をまぬかれず。もしこれ趣向のところあらば。早く白雲万里なり。己れに迷ふこと久しし。あに三十棒のみならんや。千生万劫なんぢを棒すとも。罪過まぬかれがたし。ゆへに言下にすなはち開悟し。再拝して便ち行く。あへてかふべをめぐらさず。うたがはざるところにいたるやと問に。更になんぞうたがはざるところにいたるべきかあらん。早く関山万里をへだて来るゆへに。仏祖の言句もし耳にふるヽ時。早くわが耳をけがしおはりぬ。千生万劫あらひきよむともきよまりがたし。ゆへに手をもて耳を掩て一言をいれず。このところを子細に見得せしゆへに。典座の時もすなはち曰く。放閑他ならしむと。煮飯するものにあらず。把菜するものにあらず。ゆへに柴をはこび水をはこぶ。みな行者人工の動著なり。卒に典座分上にあらず。絆をかけ釜をきよむる底。十二時中間断なきに似たりといへども。ついに手を下す分なく。物にふるヽ理なし。ゆへに放閑他去れといふ。かくのごとく見得し来るといへども。精熟せしめんとして菜園にいるに。子度拄杖与師。師接得便随行。子曰。理合恁麼。これ和尚手づから持すべきものにあらず。ものを提げざるものあることをしらしむ。すなはち熟見し来る。ゆへにいふ。与和尚提鞋挈杖也不為分外。こヽに和尚鞋履に指を動じ。拄杖を提げたるところをしれりといへども。なを挙手動足分外とせずと会得せし。すこしきそのあやしみあり。ゆへに試てすなはち曰。有同行在。従来ともに住して名をしらざるのみにあらず。面をしらざる老漢なり。すなはちこれ同行なり。早く見得し来ることしし。ゆへに師曰。那一人不受教。然れどもなほいたらざるところあり。ゆへいかんとなれば。すでに那一人ありて。挙手にともなはず。動足にふれざることをしるとも。ただかくのごとくあることをのみしらば。なをうたかはしきことあり。ゆへに投子其時理未尽休去。すなはち至晩問師曰。早来説話未尽。時に師すでにあることをしりて。うたがふべきにあらず。なんぞいたらざるところかあらんと。いふに曰く。請和尚挙し来れと。時に投子示曰。卯生日。戌生月。ことに夜氣過ぎさりて。星移月暗。白雪横青山。いまだあらはれず。然れども更に不群生ずる底の日あり。日勢西山に沒して。万像かげあらはれず。往来人なくして。路頭わきまへずとも。また更に空ぜざる底の事あり。ゆへに月を生ず。この田地設ひ一片に打成して。余物をもまじへず。他見なしといへども。おのづから霊霊爀爀のところあり。早く暗昧を照破す。ゆへに師すなはち点灯来る。実にいたることこまやかに。みることあきらかなり。ゆへにしめして曰。上来下去総不徒然。すでにこのところにしたしき時。実に十二時中閑功夫の時節なし。ゆへに曰。有和尚左右理合如此と。見来ることこまやかなりといへども。妙用底に会しけるに似たり。故にかさねてこヽろみんとて曰。奴兒婢子誰家屋裏無と。使ひ来り使去る。やつこ誰が家にかなからんと。師曰。和尚年尊闕他不可也と。すでに老老大大として俗塵に混ぜざるものあり。その体妙明にして卒にあひはなれず。ゆへにいふ。和尚年尊闕他不可なりと。恁麼に見来ること。実に精到ならずといふことなし。故に曰。得恁麼慇懃と。広大劫よりこのかた擔来しもてゆき。しばらくもあひはなれず。恩力をうけ来ること多時なり。この恩を比せんとする。鉄圍大須弥も比することあたはず。この徳を抗らぶるに四海九州も比する事あたはず。そのゆへはなんぞ。迷盧・日月・大海・江河。悉く時うつりもてゆく。この老和尚の恩卒に成敗にあらず。ゆへに時としてそのめぐみをかふむらざる時なし。徒に生じ徒に死して。一度尊顏を拝したてまつらざる。ながく不孝のものとして。久しく生死海に沈淪す。もし精細にして。わづかに見得せば。千生万劫の洪恩。一時に報じつくしおはりぬ。ゆへに曰く。報恩有分と。かくのごとく見来ること。精細なるによりて。住後僧問。胡茄曲子不墮五音。韻出青霄。請師吹唱。師曰。木鶏啼夜半。鉄鳳叫天明。曰。恁麼則一句曲含千古韻。満堂雲水尽知音。師曰。無舌童兒能継和。かくのごとく純熟して。眼をおほふ青山なく。耳をあらふ清泉なし。ゆへに利をみ名をみること。眼中に屑を著るに似たり。色をみ声をきくこと。石上に華を栽ゆるに似たり。ゆへに足卒に門閫をこへず。ちかひて不赴齋。他の来るをもいとはず。去るをもいとはず。その衆時にしたがひて多少さだまらず。日食粥一盂なり。作粥不るときは足則ただ米湯のみなり。洞家の宗旨こヽにいたりて繁興す。その見来る事したしく保持あやまらざるによりて。先聖の付嘱をわすれず。古仏の家訓を学し来ること如是なりしに。猶道山僧行業無取。忝主山門。豈可坐費常住頓忘先聖付嘱。今者輒㩭古人為住持体例乃至山僧毎至説著古聖做処。便覚無地容身。慚愧後人軟弱。そもそも忝く九代の法孫として。なまじゐに宗風をとなへ。二六時中の行履。後人の表榜とするにたらず。四威儀の中用心。悉くもて迂曲なり。何の面ありてか三箇五箇の雲衲に対し。一句半句を施説することあらん。可恥可恥。可恐可恐。曩祖照覽先聖冥見。雖然如是。諸参学人。かたじけなく芙蓉楷禅師の遠孫として。すでに永平門下の一族なり。すべからく子細に心地を明弁して。低細に用心し。一毫髮の名利のおもひなく。一微塵の憍慢の心なくして。したしく心術をさだめ。こまやかに身儀をとヽのへて。到るべきに到り。きはむべきをきはめて。一生参学の事を弁じ。曩祖属累の事をわするヽことなくして。あゆみを先聖につぎ。まなじりを古仏にまじへて。たとひ末世澆運なりといへども。市中に虎を見る分あるべし。若しは笠下に金を得る人あるべし。至祷至祷。且道へ。如何んが適来の因縁を挙著せん。 紅粉不施醜難露 自愛瑩明玉骨粧 第四十六祖。丹霞淳禅師。 問芙蓉曰。如何是従上諸聖相授底一句。蓉曰。喚作一句来。幾埋沒宗風。師於言下大悟師諱子淳。剣州賈氏子。弱冠出家。徹証於芙蓉之室。初住雪峯。後住丹霞。其最初咨問曰。如何是従上諸聖相授底一句。仏仏祖祖。換面回頭し来れども。必ず背面なく。上下なく。辺表なく。自他なく。相授底あり。これを喚て不空の空となづく。すなはちこれ諸人実帰の処なり。箇箇悉く具足円満せずといふことなし。然るを学者おほくあやまりて。本来ものなしとおもひ。更に口にいふべきことなく。心に存すべきことなしと。夫れかくのごとくなるを名けて。古人落空亡の外道とす。塵沙劫をふるといへども。すべて解脱の分なし。故に精細綿蜜にして。すべからく一切みな尽て空空なりといへども。更に空ずることゑざる底のものあり。子細に参徹して。若し一度覰得破せば。必ず弄得一句通し来ることあらん。故に相授底の一句といふ。時に芙蓉示曰。喚作一句来。幾埋沒宗風。実にこれ這箇の田地。喚で一句とすべきにあらず。あやまりて名言を下す。雪上に鳥跡あるに似たり。ゆへにいふ。蔵身のところにあとなしと。実に見聞覚知悉くやみ。皮肉骨髄みなつきて後。更になにものヽあととすべきかあらん。もしよく一毫髮もあとをなさざれば。果然としてあらはれ来る。他のしるところにあらず。故に相授るのところにあらず。然れどもこの田地会得する時。喚で以心伝心といふ。この時これ君臣道合すといふ。妙叶兼帯なり。且く道へ。この田地いかなる形段なりとかせん。 清風数匝縦搖地 誰把将来為汝看 第四十七祖。悟空禅師。 参丹霞。霞問如何是空劫已前自己。師擬対。霞曰。你閙在且去。一日登鉢盂峯豁然契悟師諱清了。道号曰真歇。悟空禅師号也。師母抱懷襁褓入寺。見仏喜動眉睫。咸異之。年十八講法華。得度往成都大慈。習経論領大意。出蜀至江沔漢。扣丹霞室。霞問。如何是空劫已前自己乃至豁然契悟。径帰侍立霞。霞一掌曰。将謂你知有。師欣然拝之。翌日霞上堂曰。日照孤峯翠。月臨溪水寒。祖師玄妙訣莫向寸心安。便下座。師直前曰。今日陞座。更瞞某甲不得。霞曰。你試挙我今日陞座来看。師良久。霞曰。将謂你瞥地。師便出後游五臺。之京師。浮汴直抵長蘆謁祖照。一語契投。命為侍者。踰年分座。未幾。照称疾退閑。命師継席。学者如帰。建炎末游四明至補陀。台住天封。閩之雪峯。詔住育王。徙温州龍翔。杭住径山慈寧皇太后命開山皐寧崇先。実に襁褓のむかしより不群にして他に異なり。然も尚参禅のこヽろざしをはこぶに。功夫なをいそがしきことあり。ゆへに空劫已前の自己をとひし時。こたへんと擬す。丹霞うけがふことなし。しばらくらしむ。一日鉢盂峯頂にのぼりて。十方壁落なく。四面また門なし。十方目前なる時にいたりて承当す。ゆへにかへり来りて一言を通ぜず。且く侍立す。丹霞かれがあることをしりぬる事を知りて。将謂你知有。時によろこんで礼拝す。丹霞卒に上堂して証明す。のちに出世して上堂曰。我於先師一掌下。伎倆倶尽覓箇開口処不可得。如今還有恁麼快活不徹底漢麼。若無銜鉄負鞍。各自著便。実に夫れ祖師の相見するところ。劫前に歩みをはこび。早く本地の風光をあらはし来る。もしいまだこの田地を看見しゑずんば。千万年のあひだ坐してものいふことなく兀兀として枯木のごとく。死灰のごとくなりともこれ何の用ぞ。然も空劫已前といふをききて。人人あやまりておもふことあり。いはゆる自もなく他もなく。前もなく後もなく。生滅もなく。生仏もなし。よんでつともいふべからず。二ともいふべからす。同とも弁せじ。異ともいはじ。かくのごとく商量計度して。一言もいひゑば。早くたがひぬとおもひ。一念もかへせば。すなはちそむくべしとおもふて。みだりに枯鬼死底をまもり。死人のごとくなるあり。あるひはなにごととしても。あひたがふことなし。山ととくもうべし。河と説もうべし。我と説もうべし。他と説もうべし。又曰く。山といふも山にあらず。河といふも河にあらず。ただこれ山なり。ただこれ河なり。かくのごとくいふ。これ何の所要ぞ。悉く皆な邪路におもむく。あるひは有相に執著し。あるひは落空亡の見におなじくし来るなり。この田地あに有無におつべけんや。故に汝が舌をさしはさむところなく。汝が慮をめぐらすところなし。且つ天によらず。地によらず。前後によらず。脚下ふむところなくして著眼みよ。必ず少分相応のところあらん。あるひはいふ。軌則を絶す。あるひはいふ。氣息を通ぜずと。悉皆趣向辺の事。つゐにをのれにそむきをはりぬ。なにいはんや。月ととき雪ととき。水ととき風ととく。皆おそらくは自の目にまげありて。空華みだれおつ。なにをよんで山とすべき。卒に一法をみず。なににふれてか冷暖とせん。つゐに一法の汝にあたふるなし。ゆへに木につき草につく。世法仏法一時に払ひすてをはりて。更に見来れば。はたしてうたがはじ。内にむかひてみることなかれ。外にむかひて求むることなかれ。念をしづめんとおもふことなかれ。形をやすからしめんとおもふことなかれ。ただしたしくしり。したしく解し。一時に截断して。暫時坐してみよ。四方に一歩をあぐべきところなしといふとも。乾坤に身をさしはさむところなしといふとも。果して汝他のちからをかるべからず。如是して見る時き。皮肉骨髄なんぢが為に分布するなし。生死去来なんぢを改変するなし。皮膚脱落して。ただ一真実のみあり。古に輝き今に耀て。数量時劫をわきまへず。あにただ空劫已前といふのみならんや。すべてこのところ前後をわきまふべきところあらず。ゆへいかんとなれば。この田地成住壊空にうつされず。自他共に無因とわきまふべけんや。外に境界をわすれ。内に縁慮をすて。青天なを棒を喫し。浄裸々なり。赤洒々なり子細に見得し来れば。虚にして霊に。空にして妙なり。いまだ子細にせざれば。終にこのところにいたることなし。実に塵劫の事をほがらかにすること。一彈指のあひだにあり。暫時片時なりとも。擬議の情なく。知解をきざさす。驀面に突眼して見よ。必ず独脱無依ならん。然るを諸参学人。心頭を回してすでにあやまりて趣向す。ただ毫末のたがひとおもふともしるべし。恁麼なれば。千生万劫休歇の分なし。子細に思量し。精到してみよ。他によらず。廓然として開悟せんこと。虚空のごとくならん。且く道へ。いかんがこの道理を少分も通ずることをゑん。古澗寒泉人不窺 浅深未聴客通来 第四十八祖。天童玨禅師。 久為悟空侍者。一日悟空問曰。汝近日見処如何。師曰。吾又要道恁麼。空曰。未在更道。師曰。如何んそ未。悟空曰。汝不道道来未。未通向上事。師曰。向上事道得。空曰。如何向上事。師曰。設雖向上事道得。為和尚不能挙似。空曰。実汝未道得。師曰。伏願和尚道取。空曰。汝問吾道。師曰。如何是向上事。空曰。吾又要道不恁麼。師聞開悟。空即印証師諱宗玨。久為悟空侍者。昼三夜三。横三竪三。然猶有所不徒。空問曰。汝近日見処如何。師曰。吾又要道恁麼。空曰。未在更道。実に今ま恁麼なりといふ。いまだしきところあり。所謂恁麼に来ることを会すといへども。不恁麼に来るものあることをしらず。然るを全体露現してかくすことなし。何の不足のところかあらんとおもふゆへに。曰如何未。かくのごとく解する底。白雲散じつきて。青山ひとりたかきがごとくなることをうれども。なを更に山よりもたかき山あることをいまだしらず。故に曰。汝不道道来未。未通向上事。かくのごとく参じ来る。ことごとくこれ向上の事なりといへども。なをあることをしらざるとがあり。ゆへに曰。実に汝未道得と。なを一言を出し。心慮をめぐらして恁麼いふも。二にをち参にをつ。一点をもつけざるところありと。ゆへにいふ。設雖向上事道得。為和尚不能挙得。自己いまだしらず。なを節目にかかはるゆへに。悟空曰。実に汝未道得。時にいきすでにつき。ちからまさにきはまりて。請問して曰。如何是向上事。空曰。吾又要道不恁麼。先来の道と只だ今の道と。天地の論にもおよばず。水火の喩へよりもへだたれり。宗玨のおもはくは全体あらはれたりと。悟空は不然。ただ恁麼なりといふ。ただ孤明歴然たるのみなり。初て非をしり得処ありて印証をうく。然しより出世し。為人説話するに。僧問。如何是道。師曰。十字街頭休斫額。有時上堂曰。劫前運歩世外横身。妙契不可以意到。真証不可以言伝。直得虚静歛氣。白雲向寒巌而断。霊光破暗。明月随夜船而来。正与麼時。作麼生履踐。偏正不会離本位。縦横那渉語因縁。実に虚静にきはなく。舌頭談ずれどもへだたらず。向上事を識得せんこと。如是なるべし。なを心ととき。性ととくこと。悉くこれ向上事にあらず。ただ又た山はこれ山。水はこれ水。これを向上事とをもへり。直にこれあやまりなり。洞山曰。体得仏向上事。方さに有些子語話分。僧便問如何是語話。山曰。語話時闍黎不聞。又盤山曰。向上一路千聖不伝と。実に尋常にいひ来る。任性逍遙底にあらず。又僧悟空禅師問曰。向上事作麼生。空曰。妙在一漚前。豈容千聖眼。いまいふところの一漚とは。己身きざしてよりこのかたなり。不萠以前これをなづけて向上の事といふ。ゆへに芙蓉の真子。枯木法成禅師上堂知有仏祖向上事方有語話分。諸禅徳且道。那箇是仏祖向上事。有箇人家兒子六根不具七識不全。是大闡提無仏種性。逢仏殺仏。逢祖殺祖。天堂收不得。地獄攝無門。大衆還識此人麼。良久曰。対面不仙陀。睡多饒寐語。実に向上の事は。仏来るとも。たちまち喪身失命し。祖いたるとも。全身百雜碎す。天堂にいたらんとすれば。天堂すなはち崩壊す。地獄にむかへば。地獄たちまち破裂す。いづれのところか天堂とし。いづれのところをか地獄とせん。なにをよんでか万像とせん。先より蹤跡なし。ただ睡時の事のごとし。自なをしらず。他あにわきまふべけんや。来由なく。ただ明々として無悟法なるのみなり。まさにこれ高祖の語話なり。もし向上の事をしらば項門のまなこひらけて。この時少分相応のところあり。且く道へ。如何ならんか此の道理。 宛如上下橛相似 抑不入兮拔不出 第四十九祖。雪竇鑑禅師。 宗玨主天童時。一日上堂挙。世尊有密語。迦葉不覆蔵。師聞頓悟玄旨。在列流涙。不覚失言曰。吾輩為什麼不従来。玨上堂罷。呼師問曰。汝在法堂。何為流涙。師曰。世尊有密語。迦葉不覆蔵。玨許可曰。何非雲居懸記師諱智鑑。滁州呉氏子。兒時母与洗師手瘍問曰是甚麼。対曰。我手似仏手。長失持怙。依真歇於長蘆。時宗玨首衆。即器之。後遯象山。百怪不能惑。深夜開悟。求証於延寿。然復玨和尚に参ず。宗玨時に天童に住しき。師をして書記にあてしむ。玨一日さきの因縁を挙す。夫れこの因縁は涅槃経よりいでたり如来性品第四之二いはゆる。爾時迦葉菩薩。白仏言。世尊如仏所説。諸仏世尊有秘密語。是義不然。何以故。諸仏世尊唯有密語。無有密蔵。譬如幻主機関木人。人雖覩見屈伸俯仰。莫知内而使之然。仏法不爾。咸令衆生悉得知見。云何当言諸仏世尊有秘密蔵。仏讃迦葉。善哉善哉。善男子。如汝所言。如来実無秘密之蔵。何以故。如秋満月処空顯露清浄無翳。人皆覩見。如来之言亦復如是。開発顯露清浄無翳。愚人不解。謂之秘蔵。智者了達則不名蔵。然しよりこの語。祖師門下にもちゐ来ることひさしし。ゆへに今も挙するに智鑑開悟。実に覆蔵せず。夫れ一切の言をきかんに。必ず心を会すべし。言にとどこふることなかれ。火といふこれ火にあらず。水といふ水にあらず。ゆへに火をかたるにくちをやかず。水をかたるにくちをうるをさず。しりぬ水火実に言にあらず。石頭和尚曰。承言須会宗。自勿立規矩。又薬山曰。更宜自看。不得絶言語。我今為汝説這箇語。顯無語底。他那箇本来無耳目等貎。又長慶曰。二十八代皆説伝心。不説伝語。又雲門大師曰。祇此れ箇の事。若在言語上。三乗十二分教。豈是無言語。因什麼道教外別伝。若従学解機智。祇如十地聖人。説法如雲如雨。猶被訶責ひ見性如隔羅穀。以此故知。一切有心天地懸殊。雖然如是。若是得底人道火何会焼口。終日説事未甞挂著唇齒。未会道著一字。ゆへに諸人言のなきのみにあらず。またくちなきものあることをしるべし。あに口なきのみならんや。眼もなく。四大六根もとより一毫もなし。かくのごとくなりといへども。これ空なるにあらず。ものなきにあらず。いはゆる汝等物を見も声を聞も。この眼の見にあらず。耳の聞にあらず。これ箇の無面目の漢の如是なるなり。汝等の身心とそなゑ来るところ。これ箇の漢のなし来るところなり。ゆへにこの身心悉くこれ造作の法にあらず。ここにいたらずして。すなはちおもはく。あるひは父母縁起の身と。また業報所生の身と。ゆへに赤白二滴の身なりとおもひ。皮肉を帯せる身なりとおもふ。悉く自己をあきらめざるに依りてかくのごとし。故に此のところをしらしめんとして。知識無量の方便手段をもて。六根悉く亡ぜしめ。一切みなやましむ。この時更に亡じゑざるものあり。やぶれゑざるものあり。必ず識得し来るに。空有にをちず。明暗にあらず。ゆへに迷へるものともいひがたし。悟れるものともいひがたし。ゑへにこの田地を仏ともいはず。法ともいはず。心ともいはず。性ともいはず。ただ赫赫々たるひかり。明々とあるばかりなり。ゆへに火光水光にもあらず。ただ廓然として明々たるのみなり故にうかがはんとすれどもうかがはれず。ゑんとすれどもゑられず。惺々たるのみなり。ゆへに火水風の三災おこり。世界壊する時。このものやぶれず。三界六道おこりて。万像森羅儼然たる時。このもの変ぜず。ゆへに仏もいかんともせず。祖師もいかんともせず。諸人者まづこのところにしたしくいたらんとおもはば。しばらく両眼をとぢ。一息たへて。この身おゑて。をほふべき家なくして。一切の用処ことごとくもて要とせず。あだかも青天に雲なきがごとく。大海に波浪なきがごとくにして。少分相応あり。この時又なんぢをして。いかんともするなしといへども。更に一段の光明あり。これ青天に月あり。日あるがごときにあらず。漫天これ月なり。すべてものをてらすことなし。尽界これ日なり。あへてかがやくところなし。子細にして承当すべし。若しこのところを見得せずんば。徒に僧俗男女にまよへるのみにあらず。三界六道に輪回す。仏弟子としてかたちを僧形にそなへながら。なを閻羅老子の手にかからん。あに耻辱にあらざらんや。釈尊の仏法沙界にみちみちて。いたらざるところなし。参到せんになんぞいたらざらん。この人身たやすく受るところにあらず。むかしの善根力によりてうけ来るところなり。もし一度このところにいたらば。悉く解脱せん。男女にあらず。神鬼にあらず。凡聖にあらず。僧俗にあらず。おさめんとするにところなし。みんとするにまなこいたらず。もしこの田地にいたりゑば。僧なりといへども僧にあらず。俗なりといへども俗にあらず。六根にまどはされず。六識につかはれず。若しいたらずんば。如是事に悉くまどひしばられもてゆかん。あにあしからざらんや。元来具足す。なをいとなみていたるべくは。ちからをついやすべし。なにいはんや。人人にかげたるところなしといへども。一度眼見にまどひしより。いくばく流転をうくることかなしむべし。ただ根境を亡じ。心識によらず。低細にしてみよ。必ずいたるべし。ただ漸漸にいたるべきにあらず。一度憤発の勢ひをおこして契ふべし。暫時なりといへども。一知半解をおこすことなく。真に根源を識得していたるべし。一度いたりなば。四稜蹈地にして。八風吹不動。古人曰。学道如鑚火。逢煙且莫休。一度ちからをつくす時火をうるなり。いはゆる煙といふはこれいづれのところぞ。若し知識の好手にあふ時。一念不起のところ。これ煙にあふ時節なり。ここにとどこほりて。やがてやむは。これあたたかなるにやむるがごとし。然れば進て火をみるべし。いはゆる不起一念なるものをよくしるなり。もし自己を識得せずんば。今は休するに似たりとも。これをもて枯木のごとくなりとも。魂不散底の死人なり。ゆへにこのところに。したしく承当せんとおもはば。参徹してうべし。坐定によらず。蝦の語をなさず。いかならんかこれこの密語覆蔵せざる道理可謂。 金剛堅密身其 身空廓明明哉 第五十祖。天童浄和尚。 参雪竇。竇問曰。浄子不会染汚処。如何浄得。師経一歳余。忽然豁悟曰。打不染汚処師者越上人事也。諱如浄。従十九歳捨教学。参祖席。投雪竇会。便経一歳。尋常坐禅拔群。有時因望浄頭。時竇問曰。不会染汚処。如何浄得。若道得汝充浄頭。師無措。経両三箇月。猶未道得。有時請師到方丈。問曰。先日因縁道得乎。師擬議。時竇示曰。浄子不会染汚処。如何浄得。師不答。経一歳余。竇又問曰。道得。師未道得。時竇曰。脱旧窠当得便宜。如何不道得。従然師聞得力勵志功夫。一日忽然豁悟。上方丈即曰。某甲道得。竇曰。這回道得。師打不染汚処。声未畢。竇即打。師流汗礼拝。竇即許可。後浄慈に有て。彼開発の因縁を報ぜん為に。浄頭たり。有時羅漢堂の前をすぎしに。異僧ありて。師にむかひて曰く。浄慈浄頭浄兄主。報道報師報衆人といひおはりて。忽然としてみへず。大臣丞相ききてうらなふて曰く。聖の浄慈に主たることを許す兆なり。のちに果して浄慈に主たり。諸方皆ないふ。師の報徳実にいたれり。十九歳の時発心してより。のち叢林に掛錫して。ふたたび郷里にかへらず。しかのみならず。郷人とものがたりせず。すべて諸寮舍にいたることなし。また上下肩隣位にあひかたらず。只管打坐するのみなり。ちかひて曰く。金剛坐を坐破せんと。かくのごとく打坐するによりて。有時臀肉のうがてる時もあり。然もなを坐をやめず。初発心より天童に住するに。六十五歳におよぶまで。未礙蒲団日夜あらず。はじめ浄慈に住せしより。瑞巌をよび天童にいたるまで。その操行他に異なり。いはゆるちかひて僧堂に一如ならんといふ。故に芙蓉よりつたはれる衲衣ありといへども搭せず。上堂入室ただ黒色の袈裟裰子を著く。嘉定の皇帝より紫衣師号を賜まはるといへども。上表辞謝す。なを神秘して平生卒に不顯嗣承。終焉のきざみ法嗣の香をたく。ただ世間愛名をうとくするのみにあらず。また宗家の嘉名をもおそるるなり。実に道徳当世にならびなく。操行古今に不群なり。つねに自称して曰く。一二百年祖師の道すたる。ゆへに一二百年よりこのかた。わがごとくなる知識いまだいでずと。ゆへに諸方悉くをそれおののく。師はかつて諸方をほめず。よのつねにいはく。われ十九歳よりこのかた発心行脚するに。有道の人なし。諸方の席主。おほくは祇管に官客と相見し。僧堂裏都て不管なり。つねに曰く。仏法は各自理会すべし。かくのごとくいふて衆をこしらふことなし。いま大刹の主たる。なをかくのごとく胸襟無事なるをもて道とおもひ。かつて参禅を要せず。他の那裏になんの仏法かあらん。もし渠れが道がごとくならば。なんぞ尋常訪道の老古錐あらんや。わらひぬべし。祖師の道夢にもみざることあり。平侍者が日録に。おほく師の有徳をしるせる中に。稍提挙州府につきて上堂を請せしに。一句道得なかりしゆへに。一万鋌の銀子。卒にうくることなくしてかへしき。一句道得なき時。他の供養をうけざるのみにあらず。名利をもうけざるなり。ゆへに国王大臣に親近せず。諸方の雲水の人事すらうけず。道徳実に人に群せず。故に道家の流の長者に道昇といふあり。徒衆五人ちかひて師の会に参ず。われ祖師の道を参得せずんば一生古郷にかへらじ。師こころざしを随喜し。あらためずして入室をゆるす。排列の時に。すなわち比丘尼の次に著しむ。世にまれなりとする処ろなり。また善如もいひしは。われ一生師の会にありて。卒に南にむかひて一歩をはこばじと。かくのごとくこころざしをはこんで。師の会をはなれざるたぐひをほし。普園頭といひしはかつて文字をしらず。六十余にてはじめて発心す。しかれども師低細にこしらひしによりて。卒に祖道をあきらめ。園頭たりといへども。をりをり奇言妙句をはく。ゆへにあるとき上堂曰。諸方の長老普園頭におよばずと。うつして蔵主となす。実に有道の会には。有道の人おほく。道心の人おほし。よのつねただ人をして打坐をすすむ。常に云。不用焼香礼拝念仏修懺看経。秖管打坐と示して。ただ打坐せしめしのみなり。つねに曰く。参禅は有道心。これはじめなり。実にたとひ一知半解ありとも。道心なからんたぐひ。所解を保持せず。卒に邪見に墮在し。若苴放逸ならん。附仏法の外道なるべし。ゆへに諸人者第一道心の事をわすれず。一一に心をいたらしめ。実をもつはらにして。当世に群せず。すすんで古風を学すべし。実にかくのごとくならば。みづからたとひ会得せずといふとも。本来不会染汚人ならん。もしこれ不会染汚ならば。あにこれ本来明浄人にあらざらんや。故にいふ。本来染汚せず。このなにをかきよめん。旧窠を脱して便宜をゑたりと。それ古仏のまふけ。もとより一知半解をおこさしめず。一処に修練せしめ。こころざしを一義にして私せず。ゆへに十二時中浄穢の所見なく。おのづからこれ不染汚なり。しかれどもなを染汚の所見をまぬかれず。掃箒をもちゆる眼あり。あきらめずして一歳余をふるに。一度皮膚のもぬくべきなく。身心の脱すべきなきことをゑて。打不染汚処といふ。なを恁麼なりといへども。早く一点をつくる。ゆへに道ふ声いまだをはらざるに。すなはち打す。時に通身にあせながれて。早く身をすて。ちからをゑおはりぬ。実にしりぬ。本来明浄にして。すべて染汚をうけざることを。故に尋常に曰く。参禅は身心脱落と。且く道へ。如何んが是れ這の不染汚底。 道風遠扇堅金剛 匝地為之所持来 第五十一祖。永平元和尚。 参天童浄和尚。浄一日後夜坐禅示衆曰。参禅者身心脱落也。師聞忽然大悟。直上方丈焼香。浄問曰。焼香事作麼生。師曰。身心脱落来。浄曰。身心脱落。脱落身心。師曰。這箇是暫時伎倆。和尚莫乱印某甲。浄曰。我乱不印汝。師曰。如何是乱不印底。浄曰。脱落身心。師礼拝。浄曰。脱落脱落。時福州広平侍者曰。外国人得恁麼地。実非細事。浄曰。此中幾喫拳頭。脱落雍容又霹靂。師諱道元。俗姓源氏。村上天皇九代苗裔。後中書王八世之遺胤也。正治二年初て生る時に。相師見奉て曰。此子聖子也。眼に重瞳あり。必ず大器ならん。古書に曰。人聖子を生ずる時は。其母命あやうし。この兒七歳の時。必ず母死せん。母儀是を聞て驚疑せず。怖畏せず。増愛敬を加ふ。果して師八歳の時。母儀即ち死す。人悉く道ふ。一年違ひ有と雖とも。果して相師の言に合すと。即ち四歳の冬。初て李嶠が百詠を祖母の膝上に読み。七歳の秋。始て周詩一篇を慈父の閣下に獻ず。時に古老名儒悉く道く。此の兒凡流に非ず。神童と称すべしと。八歳の時。悲母の喪に逢て哀歎尤も深し。即ち高雄寺にて香煙の上るを見て。生滅無常を悟り。其より発心す。九歳の春。始て世親の倶舍論をよむ。耆年宿徳云。利如文殊。真の大乗の機なりと。師幼稚にして耳の底に是等の言をたくはへて苦学を作す。時に松殿の禅定閤は関白攝家職の者也。天下に並なし。王臣の師範也。此人師を納て猶子とす。家の秘訣を授け。国の要事を教ゆ。十三歳の春。即ち元服せしめて。朝家の要臣となさんとす。師独り人にしられずして。竊に木幡山の荘を出て。叡山の麓に尋ね到る。時に良観法眼と云あり。山門の上綱顯密の先達也。即ち師の外舅也。彼の室に到て出家を求む。法眼大に驚て問て曰。元服の期ちかし。親父猶父定て瞋り有んか如何。時に師曰。悲母逝去の時属して曰。汝ぢ出家学道せよと。我も又如是思ふ。徒に塵俗に交らんとおもはず。但出家せんと願ふ。悲母及ひ祖母姨母等の恩を報ぜんが為に出家せんと思ふと。法眼感涙を流して許入室。即留学横川首楞厳院般若谷千光房。卒に十四歳。建保元年四月九日。座主公円僧正を礼して剃髮す。同十日延暦寺の戒檀院にして菩薩戒をうけ比丘となる。然しより山家の止観を学し。南天の秘教をならふ。十八歳より内に一切経を披閲すること一遍。後に参井の公胤僧正同く又外叔なり。時の明匠世にならびなし。因て宗の大事をたづぬ。公胤僧正示曰。吾宗の至極いま汝が疑処なり。傅教・慈覚より累代口訣し来るところなり。この疑をしてはらさしむべきにあらず。遙かに聞く。西天達磨大師。東土に来てまさに仏印を伝持せしむと。その宗風いま天下にしく。名けて禅宗といふ。もしこの事を決擇せんとおもはば。汝建仁寺榮西僧正の室に入て。その故実をたづね。はるかに道を異朝に訪ふべしと。因て十八歳の秋。建保五年丁丑八月二十五日に。建仁寺明全和尚の会に投して。僧儀をそなふ。彼の建仁寺僧正の時は。もろもろの唱導。はじめて参ぜしには。三年をへて後に衣をかへしむ。然るに師のいりしには。九月に衣をかへしめ。すなはち十一月に僧伽梨衣をさづけて。以て器なりとす。かの明全和尚は顯密心の三宗をつたへて。ひとり榮西の嫡嗣たり。西和尚建仁寺の記を録するに曰。法蔵はただ明全のみに属す。榮西が法をとふらはんとおもふともがらは。すべからく全師をとふろうべし。師其室に参じ。重て菩薩戒をうけ。衣鉢等をつたへ。かねて谷流の秘法。一百三十四尊の行法。護摩等をうけ。ならびに律蔵をならひ。また止観を学す。はじめて臨濟の宗風をききて。おほよそ顯密心三宗の正脈みなもて伝受し。ひとり明全の嫡嗣たり。やや七歳をへて。二十四歳の春。貞応二年二月二十二日。建仁寺の祖塔を礼辞して。宋朝におもむき。天童に掛錫す。大宋嘉定十六年癸未の暦なり。在宋の間だ諸師をとふらひし中に。はじめ径山琰和尚にまみゆ。琰問云。幾時到此間。師答曰。客歳四月。琰曰。随群恁麼来。師曰。不随群。恁麼来時作麼生。琰曰。也是随群恁麼来。師曰。既是随群恁麼来。作麼生是。琰一掌曰。者多口阿師。師曰。多口阿師即不無。作麼生是。琰曰。且坐喫茶。又造台州小翠巌。見卓和尚。便問。如何是仏。卓曰。殿裏底。師曰。既是殿裏底。為什麼周遍恒沙界。卓曰。遍沙界師曰。話墮也。かくの如く諸師と問答往来して。大我慢を生じて日本大宋にわれにおよぶ者なしとおもひ。帰朝せんとせし時に。老璡と云ふものあり。すすめて曰。太宋国中ひとり道眼を具するは浄老なり。汝まみゑば必ず得処あらん。かくのごとくいへども。一歳余をふるまで。参ぜんとするにいとまなし。時に派無際去て後ち。浄慈浄和尚天童に主となり来る。即ち有縁宿契なりとおもひ。参じてうたがひをたづね。最初にほこさきをおる。因て師資の儀とす。委悉に参ぜんとして。即ち状を奉るに曰。某甲幼年より菩提心を発。本国にして道を諸師にとふらひて。いささか因果の所由をしるといへども。いまだ仏法の実帰をしらず。名相の懷標にとどこふる。後ちに千光禅師の室にいりて。初めて臨濟の宗風をきく。今全法師にしたがひて大宋にいり。和尚の法席に投ずることをゑたり。これ宿福の慶幸なり。和尚大悲。外国遠方の小人。願は時候に不拘。威儀不威儀を擇らばず。頻頻に方丈に上り。法要を拝問せんとおもふ。大慈大悲哀愍聴許したまへ。時に浄和尚示曰。元子いまより後ちは著衣衩衣をいはず。昼夜参問すべし。われ父子の無礼を恕するが如し。然しより昼夜堂奧に参じ。親く真訣を受く。ある時師を侍者に請せらるるに。師辞して曰。われは外国の人なり。かたじけなく大国大刹の侍司たらんこと。すこぶる叢林の疑難あらんか。ただ昼夜に参ぜんとおもふのみなり。時に和尚いはく。実に汝がいふところもつとも謙卑なり。そのいひなきにあらず。因て只問答往来して。提訓をうくるのみなり。然るに一日後夜の坐禅に。浄和尚入堂。大衆のねむりをいましむるに曰。参禅心身脱落也。不要焼香礼拝念仏修懺看経。祇管打坐始得と。時に師きひて忽然として大悟す。今の因縁なり。おほよそ浄和尚にまみへてより。昼夜に弁道して。時しばらくもすてず。ゆゑに脇席にいたらず。浄和尚よのつね。示曰。汝古仏の操行あり。必ず祖道を弘通すべし。われ汝ぢをゑたるは。釈尊の迦葉をゑたるがごとし。因て宝慶元年乙酉。日本嘉祿元年。たちまちに五十一世の祖位に列す。即ち浄和尚属して曰。早く本国にかゑり。祖道を弘通すべし。深山に隠居して。聖胎を長養すべしと。しかのみならず。太宋にて五家の嗣書を拝す。いはゆる最初広福寺前住惟一西堂といふにまみゆ。西堂曰。古蹟の可観は人間の珍玩なり。汝ぢいくばくか見来せる。師曰。未会見。ときに西堂曰。吾那裏に一軸の古蹟あり。老兄が為にみせしめんといひて。携来るをみれば。法眼下の嗣書なり。西堂曰。ある老宿の衣鉢の中より得来れり。惟一西堂のにはあらず。そのかきようありといへども。くわしく挙するにいとまあらず。又宗月長老は天童の首座たりしに。ついて雲門下の嗣書を拝す。即ち宗月に問て曰。今五家の宗派をつらぬるに。いささか同異あり。そのこころいかん。西天東土嫡嫡相承せば。なんぞ同異あらんや。月曰。たとひ同異はるかなりとも。ただまさに雲門山の仏法は。如是くなりと学すべし。釈迦老子なにによりてか尊重他なる。悟道によりて尊重なり。雲門大師なにによりて尊重他なる。悟道によりて尊重なり。師この語をきくに。いささか領覽あり。又龍門の仏眼禅師。清遠和尚の遠孫にて。伝蔵主といふ人ありき。彼の伝蔵主また嗣書を帯せり。嘉定のはじめに。日本の僧隆禅上座。かの伝蔵主やまひしけるに。隆禅ねんごろに看病しける勤労を謝せんが為に。嗣書をとりいだして礼拝せしめけり。みがたきものなり。汝ぢが為に礼拝せしむといひけり。それより半年をへて。嘉定十六年癸未の秋のころ。師天童山に寓止するに。隆禅上座ねんごろに伝蔵主に請して師にみせしむ。これは楊岐下の嗣書なり。又嘉定十七年甲申正月二十一日に。天童無際禅師了派和尚の嗣書を拝す。無際曰。この一段の事少得見知。如今老兄知得。便是学道之実帰也。時に師喜感無勝。又宝慶年中。師台山雁山等に雲遊せし序に。平田の万年寺にいたる。時の住持は福州の元鼐和尚なり。人事の次てに。むかしよりの仏祖の家風を往来せしむるに。大潙仰山の令嗣話を挙するに。元鼐曰く。会看我箇裏嗣書也否。師曰く。いかにしてみることをゑん。鼐自らたちて嗣書をささげて曰。這箇はたとひ親き人なりといへども。たとひ侍僧のとしをへたるといへども。これをみせしめず。これ即ち仏祖の法訓なり。しかあれども。元鼐ひごろ出城し。見知府の為に在城の時。一夢を感ずるに曰。大梅山法常禅師とおぼしき高僧あり。梅華一枝をさしあげて曰。もしすでに船舷をこゆる実人あらんには。華をおしむこと勿れといひて。梅華をわれにあたふ。元鼐おぼゑずして。夢中に吟じて曰。未跨船舷好与三十棒。しかあるに不経五日与老兄相見。いはんやすでに船舷に跨り来る。この嗣書また梅華綾にかけり。大梅のおしふるところならん。夢中と符合するゆへにとりいだすなり。老兄もしわれに嗣法せんともとむや。たとひもとむともおしむべきにあらず。師信感おくところなし。嗣書を請すべしといふとも。ただ焼香礼拝して。恭敬供養するのみなり。時に焼香侍者法寧といふあり。はじめて嗣書をみるといひき。時に師ひそかに思惟しき。この一段の事。実に仏祖の冥資にあらざれば見聞なをかたし。辺地の愚人として。なんのさいはひありてか。数番これをみる。感涙霑袖。この故に。師遊山の序に。大梅山護聖寺の旦過に宿するに。大梅祖師来りて。開華せる一枝の梅華をさづくる霊夢を感ず。師実に古聖とひとしく道眼をひらく故に。数軸の嗣書を拝し。冥応のつげあり。如是諸師の聴許をかふむり。天童の印証を得て。一生の大事を弁し。累祖の法訓をうけて。大宋宝慶三年。日本安貞元年丁亥歳帰朝し。はじめに本師の遺跡。建仁寺にをちつき。しばらく修練す。時に二十八歳なり。其後勝景の地をもとめ。隠栖をとするに。遠国畿内有縁檀那の施す地を歴観すること一十三箇処。皆意にかなはず。しばらく洛陽宇治郡深草の里。極楽寺の辺に居す。即ち三十四歳なり。宗風漸くあをぎ。雲水あひあつまる。因て半百にすぎたり。十歳を経て後越州に下る。志比の荘の中。深山をひらき。荊棘を払ふて。茅茨をふき。土木をひきて。祖道を開演す。いまの永平寺これなり。興聖に住せし時。神明来て聴戒し。布薩ごとに参見す。永平寺にして。龍神来て八齋戒を請し。日日回向に預んと願ひ出見ゆ。これによりて日日に八齋戒をかき回向せらる。いまにいたるまでおこたることなし。夫れ日本仏法流布せしより七百余歳に。はじめて師正法をおこす。いはゆる仏滅後一千五百年。欽明天皇一十三壬申歳。はじめて新羅国より仏像等わたり。十四歳癸酉に。すなはち仏一像二軸をいれて渡す。然しより漸く仏法の霊験あらはれて後。十一年といひしに。聖徳太子仏舍利をにぎりてうまる。用明天皇三年なり。法華勝鬘等の経を講ぜしよりこのかた。名相教文天下に布く。橘の太后所請として。唐の齊安国師下の人。南都に来りしかども。その碑文のみ殘りありて。兒孫相嗣せざれば。風規つたはらず。後覚阿上人瞎堂は。仏眼遠禅師の真子として。帰朝せしかども。宗風おこらず。又東林惠敞和尚の宗風。榮西僧正相嗣して。黄龍八世として宗風を興さんとして。興禅護国論等をつくりて。奏聞せしかども。南都北京よりささへられて。純一ならず。顯密心の三宗をおく。然るに師その嫡孫として。臨濟の風氣に通徹すといへども。なを浄和尚をとふらひて。一生の事を弁し。本国にかへり正法を弘通す。実にこれ国の運なり。人のさひはいなり。あだかも西天二十八祖。達磨大師はじめて唐土にいるがごとし。これ唐土の初祖とす。師またかくのごとし。大宋国五十一祖なりといへども。今は日本の元祖なり。ゆへに師はこの門下の初祖と称したてまつる。そもそも正師大宋にみち。宗風天下にあまねくとも。師もし真師にあふて参徹せずんば。今日いかんが祖師の正法眼蔵を開明することあらん。時澆運にむかひ。世の末法にあふて。大宋も仏法すでに衰微して。明眼の知識まれなり。ゆへに派無際琰浙翁等。みな甲刹の主となるといへども。なほいたらざるところあり。ゆへに大宋にも人なしとおもふて。帰朝せんとせしところに。浄和尚ひとり洞山の十二世として。祖師の正脈を伝持せしに。なを神秘してもて嗣承をあらはさずと雖とも。師にはかくすところなく。親訣をのこさず。祖風を伝通す。実にこれ奇絶なり。殊特なり。しかもさいはひにかの門派として。かたじけなく祖風をとふらはん。あだかも震旦の三祖四祖に相見せんがごとし。宗風未落地。三国にあとありといへども。その伝通するところ。毫末もいまだあらたまらず。参徹するむね。あに他事あらんや。先須明心。いはゆる師最初得道の因縁。参禅者身心脱落也。実にそれ参禅は身をすて心をはなるべし。もしいまだ身心を脱せずんば。即ちこれ道にあらず。まさにおもへり。身はこれ皮肉骨髄と。子細に見得せし時。一毫末もゑ来る一氣なし。今おもふところの心といふはあり。一つには思量分別。この了別識を心とおもゑり。二つには寂湛として不動。一知なく半解なし。この心すなはちこれ精明湛然なるを心とおもへり。しらずこれはこれ識根未だまぬかれざることを。古人これをよんで精明湛不搖のところとす。汝等ここにとヾまりて。心なりとおもふこと勿れ。子細に見得する時。心といひ意といひ識といふ。三種の差別あり。それ識といふは。いまの憎愛是非の心なり。意といふは。いま冷暖をしり痛痒をおぼゆるなり。心といふは。是非をわきまへず。痛痒をおぼへず。墻壁のごとく。木石のごとし。よく実に寂寂なりとおもふ。この心耳目なきがごとし。ゆへに心によりていふ時。あたかも木人のごとく鉄漢の如し。眼こあれどもみず。耳あれどもきかず。ここにいたりて言慮の通ずべきなし。かくのごとくなるは即ちこれ心なりといへども。これはこれ冷暖をしり。痛痒をおぼゆる種子なり。意識ここより建立す。これを本心とおもふこと勿れ。学道は心意識をはなるべしといふ。これ身心とおもふべきにあらず。更に一段の霊光歴劫長堅なるあり。子細に熟看して。必ずやいたるべし。もしこの心をあきらめゑば。身心の得来るなく。敢て物我の携来るなし。故にいふ。身心もぬけおつと。ここにいたりて熟見するに。千眼を回しみるとも。微塵の皮肉骨髄と称すべきなく。心意識とわくべきなし。いかんが冷暖をしり。いかんが痛痒をわきまへん。なにをか是非し。なにをか憎愛せん。ゆへにいふ。みるに一物なしと。このところに承当せし。すなはち曰。身心脱落し来ると。すなはち印して曰。身心脱落。脱落身心卒に曰。脱落脱落と。一度この田地にいたりて。無底の籃子のごとく。穿心の椀子に似て。もれどももれどもつきず。いれどもいれどもみたざることを得べし。この時節にいたるとき。桶底を脱し去るといふ。もし一毫も悟処あり得処ありと思はば。道にあらず。ただ弄精魂の活計ならん諸人者子細に承当し。委悉に参徹して。皮肉骨髄を帯せざる身あることをしるべし。この身卒に脱せんとすれども脱不得なり。すてんとすれども捨不得なり。ゆへにこのところをいふに。一切みなつきて空不得のところありと。もし子細にあきらめゑば。天下の老和尚。三世の諸仏の舌頭をうたがはじ。いかならんかこの道理。要すや聞んと麼. 明皎皓地無中表 豈有身心可脱来 第五十二祖。永平奘和尚。 参元和尚。一日請益次。聞一毫穿衆穴因縁。即省悟。晩間礼拝。問曰。一毫不問。如何是衆穴。元微笑曰。穿了也。師礼拝師諱懷奘。俗姓藤氏。所謂。九條大相国四代孫。秀通孫也。投叡山円能法印之房。十八歳落髮。然しより倶舍成実の二教を学し。後に摩訶止観を学す。ここに名利の学業はすこぶる益なきことをしりて。ひそかに菩提心をおこす。然れどもしばらく師範の命にしたがひて。学業をもて向上のつとめとす。然るにある時。母儀のところにゆく。母すなはち命じて曰。われ汝ぢをして出家せしむるこころざし。上綱の位を補して。公上のまじはりをなせとおもはず。ただ名利の学業をなさず。黒衣の非人にして。背後に笠をかけ。往来ただかちよりゆけとおもふのみなり。時に師ききて承諾し。忽に衣をかゑてふたたび山にのぼらず。浄土の教門を学し。小坂の奧義をきき。後ち多武の峯仏地上人。遠く仏照禅師の祖風をうけて。見性の義を談ず。師ゆきてとふらふ。精窮群に超ゆ。有時首楞厳経の談あり。頻伽瓶喩のところにいたりて。空をいるるに空増せず。空をとるに空減ぜずと云にいたりて。深く契処あり。仏地上人曰く。いかんが無始曠劫よりこのかた。罪根惑障悉く消し。苦みみな解脱しおはると。時に会の学人三十余輩。みなもて奇異のおもひをなし。皆ことごとく敬慕す。然るに永平元和尚。安貞元丁亥歳。はじめて建仁寺にかへりて修練す。時に大宋より正法を伝て。ひそかに弘通せんといふきこへあり。師きひておもはく。われすでに参止・参観の宗にくらからず。浄土一門の要行に達すといへども。なをすでに多武の峯に参ず。すこぶる見性成仏の旨に達す。何事の伝へ来ることかあらんといひて。試におもむきてすなはち元和尚に参ず。はじめて対談せし時。両三日はただ師の得処におなじし。見性霊知の事を談ず。時に師歓喜して違背せず。わが得所実なりとおもふて。いよいよ敬歎をくはふ。やや日数をふるに。元和尚すこぶる異解をあらはす。時に師おどろきて。ほこさきをあぐるに。師の外に義あり。ことごとくあひ似ず。ゆへに更に発心して。伏承せんとせしに。元和尚すなはち曰。われ宗風を伝持して。はじめて扶桑国中に弘通せんとす。当寺に居住すべしといへども。別に所地をゑらんで止宿せんとおもふ。もしところをゑて草庵をむすばば。即ちたづねていたるべし。ここにあひしたがはんこと不可なり。師命にしたがひて時をまつ。然るに元和尚深草の極楽寺のかたわらに。はじめて草庵をむすびて一人居す。一人のとふらふなくして両歳をへしに。師すなはちたづねいたる。時は文暦元年なり。元和尚歓喜して。すなはち入室をゆるし。昼夜祖道を談ず。やや三年をすぐるに。今の因縁を請益に挙せらる。いはゆるこの因縁は。一念万年。一毫穿衆穴。登科任汝登科。拔萃任汝拔萃。これをききて師即省悟す。聴許ありしより後ちあひしたごふに。一日も師をはなれず。影の形ちにしたがふが如くして。二十年をおくる。たとひ諸職を補すといへども。必ず侍者をかぬ。職務の後はまた侍者司に居す。ゆへに予瑩山祖受戒於孤雲祖。奉侍年久也二代和尚の尋常の垂示をききしに曰く。仏樹和尚の門人数輩ありしかども。元師ひとり参徹す。元和尚の門人またおおかりしかども。われひとり函丈に独歩す。ゆへにのきかざるところをきけることはありといへども。他のきけるところをきかざることなし。卒に宗風を相承してより後。尋常に元和尚師をもて重くせらる。師をして永平の一切仏事をおこなはしむ。師その故をとへば。和尚示曰。わが命ひさしかるべからず。汝ぢわれよりひさしくして。決定わが道を弘通すべし。ゆへにわれ汝を法の為に重くす。室中の礼あだかも師匠のごとし。四節ごとに太平を奉まつらるること。如是義をおもくし。礼をあつくす。師資道合し。心眼ひかりまじはり。水に水を入。空に空を合するに似たり。一毫も違背なし。ただ師ひとり元和尚の心をしる。他のしるところにあらず。いはゆる深草に修練の時。すなはち出郷の日限をさだめらるる牓に曰。一月両度。一出三日也。然るに師の悲母最後の病中に。師ゆきてみることすでに制限をおかさず。病すでに急にして。最後の対面をのぞむ。使ひすでにかさなるゆへに。一衆悉くゆくべしといふ。師すでに心中におもひきはむといへども。また一衆の心をしらんとおもふて。衆をあつめて報じて曰く。母儀最後の相見をねがふ。制をやぶりてゆくべしやいなや。時に五十余人みないふ。禁制かくのごとくなりといへども。今生悲母ふたたびあふべきにあらず。懇請してゆくべし。衆心悉くそむくべからず。和尚なんぞゆるさざらん。事すでに重し。小事に準すべからず。衆人の儀みな一同なり。この事上方にきこゆ。和尚ひそかに奘公の心。定ていづべからず。衆儀に同せじと。はたして衆儀をはりて後。師衆に報して曰。仏祖の軌範。衆儀よりも重し。まさしくこれ古仏の礼法なり。悲母の人情にしたがひ。古仏の垂範にそむかん。すこぶる不孝のとがなんぞまぬかれんや。ゆへいかんとなれば。今まさに仏の制法をやぶらん。これ母最後の大罪なるべし。夫れ出家人としては。親をして道にいらしむべきに。今一旦人情にしたがひ。永劫沈淪をうけしめんやといひて。卒に衆儀にしたがはず。ゆへに衆人舌をまく。はたして和尚の所説にたがはず。諸人讃歎して。実にこれ人おこしがたき志なりと。かくのごとく十二時中。師命にそむかざるこころざし。師父もかがみる。実に師資の心通徹す。しかのみならず。二十年中師命によりて療病せん時。師顏に向はざること。首尾十日なり。南嶽懷譲六祖に奉侍せしこと。未徹以前八年。已徹して以後八年。前後十五秋の星霜をおくる。その外三十年四十年。師をはなれざる。おほしといへども。師のごとくなる古今未見聞なり。しかのみならず。永平の法席をつぎて十五年のあひだ。方丈のかたはらに先師の影を安じて。夜間に珍重し。曉天に和南して。一日もおこたらず。世世生生奉侍を期し。卒に釈尊阿難のごとくならんとねがひき。なほ今生の幻身も。あひはなれざらん為に。遺骨をして先師の塔の侍者の位にうづましむ。別に塔をたてず。塔はもて尊を表するをおそれてなり。同寺において。わが為に別に仏事を修せんことをおそれて。先師忌八箇日の仏事の。一日の回向にあづからんとねがひ。果して同月二十四日に終焉ありて。平生の願楽のごとく。開山忌一日をしむ。志氣の切なることあらはる。しかのみならず。義を重くし。法を守ること一毫髮も開山の会裏にたがはず。ゆへに開山一会の賢愚老少悉く一帰す。今諸方に永平門下と称する。みなこれ師の門葉なり。かくのごとく法火熾然として。とふくあらはるるが故に。越州大野郡にある人夢みらく。北山にあたりて大火たかくもゆ。人ありてとふて曰く。これいかなる火なれば。かくのごとくもゆるぞと。答曰。仏法上人の法火なりと。夢さめて人にたづぬるに。仏法上人といひし人。うざかのきたの山に住して。世をさりて年はるかなり。その門弟いま彼の山に住すとききて。不思議のおもひをなし。わざと夢をしるして恣参しき。実に開山の法道を伝持して。永平に弘通する事。開山の来記にたがはざるゆへに。兒孫いまにをよびて。宗風未断絶。これによりて。当寺老和尚价公。まのあたりかの嫡子として。法幢をこのところにたて。宗風を当林にあぐ。因て雲兄水弟。飢寒をしのび。古風を学て。万難をかへりみず。昼夜参徹す。これ然しながら師の徳風のこり。霊骨あたたかなるゆへなり。夫れ法ををもんずること。師の操行のごとく。徳をひろむること。師の真風のごとくならば。扶桑国中に宗風いたらざるところなく。天下遍ねく永平の宗風になびかん。汝等今日の心術。古人のごとくならば。未来の弘通。大宋のごとくならん。そもそも一毫穿衆穴のこころは。師已に一毫不問。如何是衆穴と問。繊毫の立すべきなく。一法のきざすべきなし。ゆへに古人曰。実際理地に不受一塵。一亘の清虚に毫髮のきざし来るなし。かくのごとく会得せし時。元老すなはち許可するに。穿了也といふ。実に百千の妙義。無量の法門。一毫頭上に向て穿却しをはりぬ。終に微塵の外より来るなし。ゆへに十方界畔なく。三世へだてなし。玲玲瓏瓏として。明明了了たり。この田地千日ならび照すとも。なほ其の明におよばず。千眼回しみれども。そのきはをきはむべからず。然れども人人ことごとくうたがはず。覚悟了了たり。ゆへに寂滅の法にあらず。差別の相にあらず。動なく静なく。聞なく見なし。子細に精到し。恁麼に覚了すや。もしこのところに承当せずんば。たとひ千万年の功行あり。恒河沙の諸仏にまみゆとも。ただこれ有為の功行のみなり。一毫もいまた祖風を弁へず。故に三界苦輪まぬかるべからず。四生の流転断ずることなからん。汝等ら諸人。かたじけなく仏の形儀をかたどり。仏の受用をもちいる。もしいまだ仏心に承当の分なくは。十二時自己を欺誑するのみにあらず。諸仏を毀破す。ゆへに無明地をやぶることなく。業識蘊に流浪す。たとひしばらく善根力によりて。人天の果報を感じ。自ら有為の快楽にほこるとも。車輪しはらくしめれるところにをし。かはけるところにをすがごとし。をはりなくはじめなく。ただ流転業報の衆生ならん。然ればたとひ三乗十二分教を通利すとも。八万四千の法門を開演すとも。畢竟これねづみをうかがふねこのごとし。かたちしづまれるに似たれども。心はもとめやむことなし。たとひ修行綿密なりとも。十二時中心地いまだをだやかならず。これによりて疑滯いまだはれず。きつねのはやく走るといへども。かへりみるによりて。すすむことおそきがごとし。野狐精の変怪。未断弄精魂の活計なり。然れば多聞をこのむことなかれ。広学をいとなむことなかれ。ただ暫時なりといへども。刹那なりといへども。こころざしを発すること。大火聚の繊塵をととめざるがごとく。太虚空の一針をもかけざるがごとくに似て。たとひ思量すといへども。必ず思不到のところにいたらん。たとひ不思量なりとも。必ず空不得のところにいたらん。もしよくかくのごとく志し実ありて。志しすでにかたからん時。人人悉く通徹して。三世仏の所証と絲毫もへだつべからず。ゆへに永平開山曰。人道をもとむること。世にたかきいろにあはんとおもひ。こはきかたきをうたんとおもひ。堅城をやふらんとおもふがごとくなるべし。志しすでにふかきによりて。このいろに終にあはざることなし。彼の城やぶらざることなし。この心をもて道にひるがへさん時。千人は千人ながら。万人は万人ながら。みな是悉く得道すべし。然れば諸人者。道は無相大乗の法。かならず機をゑらぶ。初機後学のいたるべきにあらずと。おもふことなかれ。このところにすべて利鈍なく。すべて所務なし。一度憤発して深く契処あるべし。且道。如何是這箇道理。さきにすでに衆に呈す。虚空従来不容針。廓落無依有誰論せん。この田地にいたる時。一毫の名を立せず。なにいはんや。衆穴あることあらんや。然れども万法泯ずといへども。泯ぜざるものあり。一切つくすといへども。つきゑざるものあり。得得としておのづから杲然たり。空空としてもとより霊明なり。故に浄裸裸といひ。赤洒洒といひ。惺惺歴歴地といひ。明明皎皎地といふ。繊毫の疑慮なく。毫髮の浮塵なし。百千万の日月よりもあきらかなり。ただこれ白といふべからず。赤と云べからず。あだかも夢のさめたる時のごとし。己に活活たるのみなり。これをよんて活活といふ。惺惺といふは。すなはちさめさめたるのみなり。明明といふは。またあきあきとなるのみなり。内外なしといふべきにあらず。古にわたるともいふべからず。今にわたるともいふべからず。ゆへに莫謂。一毫穿衆穴。なんの徹了かあらん。よんで一毫とすれば。すでにこれ二代和尚の所得底。更にいかんがこれ一毫の体。要聞麼。 虚空従来不容針 廓落無依有誰論 莫謂一毫穿衆穴 赤洒洒地絶瘢痕 伝光録終 |