六月になり、一年も折り返しを迎えます。
元旦にそれぞれ新年の願いや抱負を念じた事と思いますが、如何ですか。なかなか思い通りにならないのが現実ではないでしょうか。
五月の法話に『人の利鈍と云うは志(こころざし)の到らざる時のことなり』と道元禅師のお言葉を示しましたが、『喫茶余禄』の中に有名な話が載っています。
今から四百年以上も昔のこと、京都の南、宇治に上林竹庵(かんばやししくあん)という茶人がいて、ある時に千利休とその門弟達を招いて茶席を一席設けたそうです。
主の竹庵は自ら茶をたて、招いた利休に勧めようしますが、あまりの緊張で手元が震え、茶杓が棗(なつめ)から滑り落ちたり、茶筅(ちゃせん)を倒したりと散々な不手際でした。
利休の門弟たちはこれを見て冷笑したそうです。
ようやく茶事が済み、利休はもてなしてくれた竹庵に向かって、
「今日の御亭主のお手前は、天下一でござる」と賛辞の言葉を贈ったといいます。
帰り道、門弟が利休に尋ねます。
「あのようなぶざまな手前を、なぜ天下一などとお褒めになるのですか」
利休は答えます。
「竹庵は、この利休に自分の手前を見せようと思って私たちをよんだのではない。ただ一服の茶を振る舞おうとして招いたのです。失敗も気にせず、ただ一心に茶をたてた。その気持に感心したのである」と。
私たちは日々ついつい、立派にしよう、良い結果を出そうと表面的なことに心を囚われてしまいがちです。本質は何なのか、そのため何を行うべきか。今、この時を全力で勤め励むことこそが尊いのではないでしょうか・・・・。
『看脚下(きゃかをみよ)』と玄関に立て札があります。
一歩一歩、自分自身の足で自分の道を歩んでいきましょう。
合掌 |
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