・・・・・・ 平成十八年 五月 (皐月) ・・・・・・
  『人人悉道器』 (にんにん ことごとく どうきなり)
「この世のすべての人々は、誰もが道を究める可能性を備えている」という意味です。

それぞれ道を究める努力によって、もともと備わっている可能性が開くというのです。
道元禅師は、人が皆仏の子であるならば修行などする必要はないのではないか、という問いに「精進」という答えをみつけました。
仏の子であっても仏の行いを実践しなければ仏にはならない。
』とは、実践することだと受けとめています。
実践しているなかに、すばらしい『』が現れているのです。
同時に『』は、『』つまり実践している行いのなかにのみ輝き現れ、『』の無いところには現れないのです。

道元禅師はこのように示しています。
  『玉は琢磨によりて器となる。人は練磨によりて仁となる。
  いづれの玉か初より光りある。誰人は初心より利なる。
  必ずすべからくこれ琢磨し練磨すべし。』
(正法眼蔵随聞記 4−5)

さらに私たちを励まして、
  『人の利鈍と云うは志(こころざし)の到らざる時のことなり(正法眼蔵随聞記 2−20)
と。  合掌


6月も予定しています。                    光泰九拝
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