『人人悉道器』 (にんにん ことごとく どうきなり)
「この世のすべての人々は、誰もが道を究める可能性を備えている」という意味です。
それぞれ道を究める努力によって、もともと備わっている可能性が開くというのです。
道元禅師は、人が皆仏の子であるならば修行などする必要はないのではないか、という問いに「精進」という答えをみつけました。
仏の子であっても仏の行いを実践しなければ仏にはならない。
『道』とは、実践することだと受けとめています。
実践しているなかに、すばらしい『器』が現れているのです。
同時に『器』は、『道』つまり実践している行いのなかにのみ輝き現れ、『道』の無いところには現れないのです。
道元禅師はこのように示しています。
『玉は琢磨によりて器となる。人は練磨によりて仁となる。
いづれの玉か初より光りある。誰人は初心より利なる。
必ずすべからくこれ琢磨し練磨すべし。』 (正法眼蔵随聞記 4−5)
さらに私たちを励まして、
『人の利鈍と云うは志(こころざし)の到らざる時のことなり』 (正法眼蔵随聞記 2−20)
と。 合掌
|
|